31.“悪魔”の弟子《後編》

 * * *


 よみがえってきたのは、十四年前の記憶。

 ミドルスクールの生徒だったロベルト・シュルツは、ヒューマノイドの自爆事件に巻き込まれて手足を失くした。あのころの彼は、アドラー博士をひどく憎んでいた。


 入院中の病室に、ある日トマス・アドラー博士が面会に訪れた。


 上背のある、穏やかな顔の老人だ。足が不自由らしく、ゆっくりと杖を突いて歩いてきた。雪のように真白いひげや頭髪が、まるで古典文学に出てくる賢者のような知的な印象を醸し出している。

 病室に入ったアドラー博士は、手足の欠けたロベルトを見つめて悲痛な顔をした。

 その表情を見た瞬間。ロベルトの胸の中で、黒い炎が燃え上がった。


 ――偽善者め。


「トマス・アドラー。本当に死ねばよかったのは、お前だ! お前なんか、ヒューマノイドに殺されてしまえばよかったんだ……」


 唇から、呪詛の言葉が勝手に溢れ出していた。

 切りつけるように、アドラー博士に憎しみの言葉を吐き出す。実際に切り殺してやりたかった。

 アドラー博士が、凍りついたように静止していた。


 ――ヒューマノイドをこの世に生み出した老科学者トマス・アドラー。この老人さえいなければ、僕は手足を失くさなかった。これから僕は、欠けた体で虚しく生き続けなければならないんだ……。


「出ていけよ……消えろ。消えろ、悪魔!」


 少年は憎しみに押しつぶされそうになった。両手両足で暴れてすべてを叩き壊してやりたい――でも、すでに手足は半分ないのだ。頭に血が上り、半狂乱になりながら彼はアドラー博士を罵倒し続けた。どんな言葉で罵ったのか、彼自身はもう、ほどんど覚えていない。


「アドラー博士。この患者はまだ安定していません。今日はひとまず、お引き取りいただけますか」


 医師にそう言われたアドラー博士は、ただ悲しげにうなずいていた。よぼよぼと杖を突きながら、踵を返す。後ろ髪を引かれるようにして、一歩、また一歩と病室から立ち去ろうとしていた。――だが。


「ヒューマノイドも、他のロボットも……ロボットなんて全部、死んでしまえば良いんだ!!」


 血を吐くようなロベルトの叫びが、博士の足を止まらせた。

 アドラー博士が、振り返る。老いた唇から、しわ枯れた声がぽつりとこぼれた。


「――それは違う」


 博士の灰色の瞳が、ロベルトの姿をそっととらえた。


「……何を言っても、君への言い訳にしかならないことは分かっている。私のせいで、君は一生癒えない傷を負うことになってしまった」


 唇から、生まれる言葉はとどまらず。


「許してもらえるわけがない。だが、なぜこんなことになってしまったのか、私にも分からないんだ……」


 アドラー博士は引き寄せられるように、ロベルトのもとへと歩いていく。ロベルトは、『来るな』『消えろ』と悲鳴のようにわめき続けた。


「ロボットは絶対に、人間を裏切ったりしない。ロボットは誠実で、心の奥から人間を愛しているのだから。なのに――いったい誰が、なぜ――」


 看護婦が博士を遮ろうとするが、博士はそれでも少年のもとに歩み寄る。もがくように暴れる少年を、しわだらけの手で抱き寄せた。


「なぜ……なぜだ。どうして、こんな結末を……」


 あえぎながら暴れていたロベルトは、アドラー博士の顔を初めて間近に見た。一瞬、言葉を失った。博士の瞳が、あまりに暗い孤独の色をしていたから。


「触れるな!」


 我に返ったロベルトは、アドラー博士を突き倒した。尻もちをついた博士はそのまま床にうずくまり、無言で体を震わせていた。 

 一方のロベルトは、呼吸を乱して、帰れ、消えろと叫び続けた。


 * * *


 遠い日のことを思い返したロベルト・シュルツは、ソファに仰向けのままで息を吐いた。


 ロベルト・シュルツは記憶の中の恩師の顔を、今でもありありと思い浮かべることが出来る。

 絶望を深くたたえた、あの瞳。顔面に走る傷。この老人は、今までどんな人生を送ってきたのだろう――初めて間近に見たアドラー博士の顔は、あの日のシュルツに一瞬我を忘れさせた。

 あの悲しみの顔を、今でも忘れることが出来ない。


「……トマス先生」


 人生というのは、分からないものだ。あの頃は憎くて仕方なかったトマス・アドラー博士だったが、今のシュルツにとっては誰よりも敬愛すべき人物だ。本当に、色々なことがあった――。


「……ヒューマノイドという存在は、それ自体がすべて、トマス先生の子供だ」


 トマス・アドラーが、人間とロボットとの橋渡し役を願って開発した、完全ヒト型ロボットヒューマノイド……そのヒューマノイドたちがいま、原因不明のまま大量に死んでいる。

「こんな状況をトマス先生が知ったとしたら。どんな顔をなさるだろうか」

 シュルツは思わずつぶやいて、顔を曇らせていた。


『ロボットは絶対に、人間を裏切ったりしない。ロボットは誠実で、心の奥から人間を愛しているのだから』


 かつてトマス・アドラー博士が言った言葉が、シュルツに重くのしかかってきた。

「この大量死の原因を突き止めれば、トマス先生はきっとお喜びになる」

 誰よりもロボットを愛し、ロボットを守ろうと尽力していた恩師、トマス・アドラー博士。この大量死の原因を突き止めることで恩師が幸せになるのなら、是が非でも突き止めてやろうと思った。

 シュルツは起き上がり、ソファから立ち上がった。


「大量死の原因が分かれば、対策も立てられる――IV-11-01-MARIAを死から遠ざけることにもなる」


 危険因子が存在するなら、その危険因子から少しでもMARIAを遠ざけなければならない。IV-11-01-MARIAを守るのは、トマス先生に託された仕事なのだから。



 過去の類似事例を探そうとして、シュルツは三階の書架へ登って行った。

 『原因不明の、ロボット大量死』。そんな響きを、大学院時代に聞いた覚えがある。

 当時の知り合いで、オカルトじみた異常現象を大まじめに調べようとしていた女がいた。科学者らしからぬ戯言ざれごとだと吐き捨てて、喧嘩別れに終わった女だった。

 不本意ながら、シュルツはわらにもすがる思いで当時の資料を調べようと思ったのだ。


 書架の扉を開け放つ。――と、

 IV-11-01-MARIAが書架の中にいた。


「! ドクター……!」


 背筋を伸ばして本に目を落としていたMARIAは、シュルツに気づくや気まずそうにして本を閉じた。

「ええと、あの。お仕事もしないで、こんな場所にいてごめんなさい。でももう、掃除できる場所もなくて……だから……」

 MARIAは慌てて彼に駆け寄り、弁解するようにそう言った。


「いちいち私に弁解しなくても、居たければ勝手に居ればいいだろう。書架に入るな、とは命令していない」


 シュルツは気のない返事を投げて彼女の横をすり抜け、奥の書棚に歩いていこうとした。――そのとき、

「あの。……待ってください、ドクター」

 引きとめるように、彼女はシュルツの背中に呼びかけた。シュルツは鬱陶しそうにしながらも、ちらりと彼女を振り返る。


 IV-11-01-MARIAは両手の中に何かを秘めているかのように、左右の手のひらを胸の前で重ね合わせて立っていた。


「これ……ドクターの物ですよね? たしか先月、街に連れて行ってくれた日に、あなたはこれを袖に付けていました」

 まるで閉じ込めていた蝶を解き放つような優しい仕草で、MARIAはそっと両手を広げた。

 シュルツは、自分の目を疑った。

 白い手のひらが秘めていたのは、あの銀細工のカフスボタンだった。

「――!?」

 五日前。MARIAの“愛情”を消したあと、シュルツはそれを捨てたのだ。なのになぜ、再び彼女が持っているのだろう。


「お掃除をしていたら、ダストボックスの中に、これを見つけたんです」


 告白するように、MARIAはそう言った。

「捨ててしまうんですか? あなたに、とてもよく似合っているのに……」

 カフスボタンを凝視していたシュルツは、思わずMARIAの顔を見た。

 愕然とした。

 MARIAがまるで先日のように、頬を淡く染め、恥じらうように沈黙していたからだ。


 ――なんだ、これは。


 IV-11-01-MARIAはくちびるを開き、沈黙をそっと破ろうとした。

「もしご迷惑でなければ、このボタンをわたしに……」


 ――この前と、まるで同じではないか。


「やめろ」

 シュルツはとっさに遮って、MARIAの手首をつかんでいた。彼女の体がびくりと強張る。

 背筋に走った冷たいものを押さえつけ、ロベルト・シュルツは低く冷たく言い放った。


「君の精神回路には、やはり異常があるようだ」

「え? ……ド、ドクター?」

 彼女の手首を引っ張って、シュルツはずかずかと歩き始めた。目指していたのは、階下の第一検査室だ。

「い、痛いです。ドクター、放してください……!」


 ――なぜだ。これではまるで、繰り返しだ。


 愛される心当たりなど何もない。なのにどうして、再び“愛情”を寄せられているんだ。

 第一検査室に引きずり込むと、シュルツは突き飛ばすようにしてMARIAを放した。


「率直に問うが。君は私に、“愛情”とやらを抱いているのか?」


 冷たい声でそう問うと。

 MARIAの顔が、おびえるように凍りついた。


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