27.悪魔の証明
《1998年11月7日 5:10PM エルハイト市内 第六検死研究所》
IV-11-01-MARIAはふるえた。
「どうやら君は、
そうつぶやいたシュルツの声が、あまりに鋭かったからだ。
「……率直に問うが。君は私を、好いているのか?」
MARIAはその場で立ちすくんでいた。シュルツの瞳が、いままで見たことがないほど冷たい色をしていたからだ。
彼の瞳に浮かぶのは。嫌悪と蔑み。拒絶の色。
シュルツのことを怖いと感じたのは、初めてだった。
逃げ出したい――IV-11-01-MARIAはそう思った。でも……逃げることなど許されなかった。沈黙を続ける彼女に対して、
「答えろ」
シュルツは冷たくそう命じた。
「――――はい」
消え入るような小さな声で、MARIAは答えるより他なかった。
「わたしは。あなたが……好きです」
重くて冷たい沈黙が、二人の間に横たわっていた。
シュルツはやがて、長い長い息を吐いた。
「君は異常だ」
シュルツの言葉は、MARIAの“心”を切り裂いた。それでもシュルツは刃を突き立てるかのように、鋭い言葉を吐き出し続ける。
「君の好意は、精神回路の異常でしかない。ロボットは何も愛さない。君は人間を模倣する過程で、“愛情”を錯覚してしまっただけだ」
――やめて。
そう叫びたかった。シュルツの言葉を遮りたかった。しかし彼女のくちびるは、ふるえるばかりで何ひとつ言葉を紡ぎだせなくなっていた。
立ち尽くしている彼女の腕を、シュルツはつかんで歩き出した。第一検査室に連れて行き、乱暴な挙動でMARIAを突き放す。MARIAはよろめき、床にぺたりと座り込んだ。
「今すぐ忘れろ。そんな馬鹿げた“愛情”は」
シュルツの指が、ひとつの装置を指し示していた。
部屋の片隅に横たえられた、人間の背丈ほどの長さの黒いカプセル……。かつてシュルツは言っていた。これは“繭”という名の装置で、ロボットの記憶を消すために使うものなのだ、と。
「君が私への“愛情”を得るにいたった過程の記憶を、消去する」
MARIAは恐怖にあとずさった。
おびえるような彼女の挙動を、シュルツは憎しみに染まった眼差しで見つめている。
「愛情のつぎは、“恐怖”か? いつの間にやらずいぶんと、模倣が上達したものだ」
MARIAはまた腕をつかまれて、強引に引きずり起こされた。
「いや……。やめてください」
シュルツの腕を、MARIAはふり払いたかった。だが、できない……体の力が、思うように入らないのだ。
「繭に入れ。処置を行う」
「いやっ!」
口で抵抗するのが精いっぱいだ。腕を振りほどこうとしたが、シュルツの腕は驚くほどに強いのだ。MARIAの青い瞳から、水晶のような涙があふれた。
「涙を流すこともできたのか。ますます見事な“人間性”だな」
見たくもないものを見てしまった――とでも言いたげな顔のシュルツに向かい、MARIAは必死に心をぶつける。
「どうして? なんで、忘れなきゃいけないんですか? わたしは、確かにあなたが好きです。ただあなたの近くにいられれば、それだけで幸せなんです。それ以上のことは望まないのに。それだけのことが、どうして許されないんですか!?」
「不愉快だからだ」
MARIAは。言葉を失った。
シュルツはなおも、冷たい顔で冷たい言葉を吐き続けている。
「何なんだ君は? 愛だの恋だの、ロボットの分際で。人間ごっこは大概にしろ」
「……………………」
MARIAには、何も言えなかった。まるで稲妻に打たれたみたいだった。握り拳が、わなわなと震え出していた。
「あなたは勝手だわ!」
体の中から湧き上がる、それは、怒りだ。
「人間らしく振る舞えと言ったり、人間ぶるなと怒ったり! わたしに、どうしろっていうんですか!?」
叫んだ瞬間。MARIAの全身に、灼けつくような激痛が走った。痛みに身を折り、彼女はその場にくずおれる。
シュルツはMARIAの腕を放して、苦い声でこう言った。
「IV-11-01、それは
灼けつく痛みは、ロボットへの警告なのだ。三原則に背くな、人間に逆らうな――これ以上禁忌を侵そうとすれば、“心臓”を止めて殺してやる、と。
「――――ぅ」
苦しい。体の内側から、炎に灼かれるようだった。くちびるからこぼれていたのは、言葉ではなく荒い吐息だ。
「IV-11-01。記憶を消して、“怒り”と“愛情”を手放せ。そうすれば、灼血感から解放される」
MARIAには、抵抗する術などなかった。
床に座り込んだまま、弱々しくうなずいていた。傍らの机にすがりついて、よろよろと立ち上がる。
灼血感に苛まれながら、MARIAはポケットの中のカフスボタンを取り出した。先日シュルツからもらった、あのボタンだ。
シュルツを睨みつけてから、MARIAはカフスボタンを机の上に静かに置いた。ぽたぽたと、涙がこぼれる。
老人のような足取りで、MARIAは“
シュルツが操作盤を叩く音が、MARIAの耳に届いた。
繭の内壁から何十本もの赤いケーブルが伸び出してくる。同時に、人工皮膚に覆われていたMARIAの四肢と頸部からジャックが露出した。
ひとつ。またひとつ。ケーブルは彼女を絡めとっていく。ケーブル先端のプラグが、白い体躯に突き刺さっていった。
痛みはない。ただただ虚しいだけだった。
「ドクター・シュルツ……あなたは、なにも証明できてません」
MARIAのくちびるから、そんな言葉が吐き出された。
シュルツがこちらを見つめているのを、MARIAは視界の端にとらえた。
「ロボットには感情がない、とあなたは言うけれど。あなたはただ言い張るばかりで、なにも証明してません。『ロボットが感情を訴えた実例はない』、そう言いましたね? でもそれは、ロボットに感情がないという証明にはなりません」
――わたしは
「あなたは。とても、卑怯なひと」
MARIAは深い悲しみの色をたたえた、まっすぐな瞳をしていた。射抜くような彼女の視線が、シュルツの目をとらえる。
繭が、閉じていく。
MARIAには、シュルツの目がどこか揺らいでいるように見えた。だがその揺らぎを隠すように、繭が閉じる。
暗闇に飲み込まれ、MARIAの意識は紗幕がかかったように霞んだ。そして次第に、なにもかもが遠くなっていった――
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