26.精神異常《マインド・エラー》
《1998年11月7日 4:00PM エルハイト市内 第六検死研究所》
――IV-11-01-MARIAは、不可解だ。
ロベルト・シュルツは二十八年の人生の中で、何千という数のロボットと接してきた。だがIV-11-01-MARIAのような挙動を示すもロボットには、今まで出会ったことがない。
壊れたカフスボタン。
なぜあんなガラクタを、いつまでも大事そうに持ち歩いているのだろう。
あれを欲しいとMARIAが言い出したのは三日前のことだ。以来MARIAはうっとりと、しばしばあれに見惚ている。
休憩室で報告書に取り掛かっていたシュルツは、ぼんやりとつぶやいた。
「誰かの“模倣”……なのか? だが……」
だが“模倣に過ぎない”と吐き捨てるのをシュルツが躊躇するほどに、MARIAの挙動は不可解だった。何かの意図をもって、あのガラクタを慈しんでいるかのようだ。
――ありえない。ロボットの精神には、趣味も嗜好も自我も存在しないというのに。
彼女の頭脳は、なにか特殊な状況にあるのではないか。
『君を 忘れじ。――愛しき 君を』
理由などない。
しかし突然、シュルツの頭にあの歌が流れた。MARIAがいつも口ずさむ、『すてきで大好き』だと言っていた古い映画の挿入歌……。
シュルツはおもむろに、情報検索端末のキーボードを叩いた。検索したのは、『君を忘れじ』。その映画のタイトルだった。
『君を忘れじ』は版権の切れた古い映画で、簡単に視聴することが出来た。頬づえをつきながら、シュルツはそれを眺めはじめる。
「…………」
祖国を離れてこの国に移民してきた娘が、屋敷の
シュルツの口から生あくびがこぼれた。
「これを愉快だと言う者の感性が疑われるな……」
見るに堪えないと言った様子で、彼は閲覧を中止しようとした――だが。
その直前、シュルツの目がふと止まった。
ヒロインが、愛する男の形見の品を大事に握りしめる場面。そのヒロインの表情が、IV-11-01-MARIAとどこか似ている。
「MARIAはこの女優を模倣しているのか?」
頬を染め、いまにも泣きだしそうな顔で、愛する男の形見を握りしめるヒロイン。
……愛する男?
シュルツの背筋に悪寒が走った。
仮に、MARIAがこのヒロインを模倣しているとする。映画に出てくる男の形見を、シュルツのカフスボタンに投影しているのだとする。
IV-11-01-MARIAのあの表情には、見覚えがあった。色恋にのぼせた女はみんな、ああいう顔をする……
だが。
ロボットが、恋?
――ありえない。
ロボットの頭脳は人間に服従するよう造られているが、愛するようには出来ていない。かつて性交渉を目的として造られた“セクサロイド”でさえ、人間への愛情を訴えた事例はなかった。
そもそも愛情というもの自体が、ロベルト・シュルツに拒否反応を起こさせる。
愛されるなど。
まして、ロボットに愛されるなど。
――吐き気がする。
控え目なノックの音が、シュルツの思考を遮った。
「ドクター。コーヒーをお持ちしました」
いつもの柔らかい笑みを浮かべて、IV-11-01-MARIAが入ってきた。盆にのせたコーヒーカップを、シュルツのデスクにそっと置く。
「…………」
シュルツはそのコーヒーカップを、睨むようにして見つめていた。
「どうしたんです?」
彼女の視線を避けるようにして、無言でコーヒーを口に含む。
……違和感がした。
毎日ぶれることなく均一だったコーヒーの味が、今日だけは少し異なっていた。
言葉なく、シュルツはMARIAを睨んでいた。
IV-11-01-MARIAはまるでシュルツをねぎらうような、穏やかな表情をしていた。
「最近ドクターは少し疲れているように見えたので、今日は少し抽出時間を長めにしてみたんです。お疲れが取れるように。……父は、そうすると喜んでくれたので」
彼女の言葉を聞いた瞬間、シュルツはコーヒーカップを机に叩きつけるように置いた。陶器のカップが悲鳴をあげて、中から黒いしずくが飛び散る。
底冷えのする視線を向けられ、IV-11-01-MARIAは不安げな表情をした。
――それだ。その人間ぶった表情が、気に入らない。
「お気に召しませんでしたか……? ごめんなさい。いますぐ、淹れなおし――」
「結構だ」
氷のように冷たい声で、シュルツはMARIAを遮った。
「IV-11-01-MARIA。どうやら君は、
蔑むような鋭い瞳で、シュルツは彼女に問いかけた。
「……率直に問うが。君は私を、好いているのか?」
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