25.不可解な挙動
《1998年11月4日 8:00 PM エルハイト市内 第六検死研究所》
「んっ」
IV-11-01-MARIAの白い背中が、ぴくりとふるえた。
左右の肩甲骨のちょうど中間、うなじから背筋に沿って手のひら一枚分ほど下の位置。人間であれば当然、ひとつながりの皮膚で覆われているはずの部位だ。しかしヒューマノイドにとって、ここは体の内部を点検するための開口部となっている。
二十センチ四方で人工皮膚を剥離されたMARIAの開口部から、金属製の組織や血管様チューブなどが見えていた。
上半身を裸にされて背中を開かれていたMARIAは、うつむきながらシュルツに整備されていた。
「触れるぞ」
シュルツは彼女の背中に両手を差し入れ、内部組織を掻き分けながら“心臓”を覗き込んだ。MARIAの体が、ビクンとふるえる。
「君達ヒューマノイドの“心臓”も、人間の心臓と同じように胸腔ほぼ中央に存在する」
淡々と語りながら、シュルツは疑似肺を掻き分けてMARIAの“心臓”にそっと触れた。
「あっ……」
「動くな。痛みは感じないはずだ」
シュルツは“心臓”の感触を確かめ、なでるようにして
白い素肌を真っ赤に染めて必死にふるえを抑えるMARIAをよそに、シュルツは平静そのものだった。もののついでと言わんばかりに、ロボットの“心臓”について講義を始める。
「この
そう言いながら、シュルツは指の先でMARIAの
「調圧弁を全開にすれば、疑似血液は急激に減圧されて一瞬のうちに沸騰する。それが“心臓死”のメカニズムだ。そして逆に、調圧弁の操作によって疑似血液を過圧状態にすることができる――その場合には疑似血液は凍結し、ロボットは仮死状態になる。実際に過圧操作で仮死へと導くには、高度なテクニックが要求されるが……私のように熟達した者であれば、二秒と要さず済ませられる」
別に自惚れる訳でもなく、シュルツは淡々と言葉を継いだ。
「君がこの研究所に初めて来た日、私は君に『“心臓”の加圧操作による擬似血液の凍結・仮死化処置はできるか?』と質問したことがあるのだが、………………聞いているのか、IV-11-01?」
MARIAには、うなずくのがやっとだった。
シュルツはため息をつくと、
「まぁ、いい。――よし。とくに異常はないようだな」
慣れた手つきで両手を抜いた。
シュルツの両手が抜かれた瞬間、MARIAは脱力して椅子から滑り落ちかけた。
「君の“心臓”には今のところ、“心臓死”を起こすような異常は確認できなかった」
「……………………」
MARIAは何も答えない。胸の前で服を掻き合わせ、真っ赤な顔で泣きそうになっている。
「どうした。検査は終わりだ。着ればいいだろう?」
「はい……ありがとう、ございました……」
MARIAはよろよろふらつきながら、シュルツに背を向けてブラウスを羽織った。指がふるえているせいか、はだけた胸元のボタンを止めるのにやたらと時間がかかっていた。ようやく着ると、MARIAは逃げるように椅子から立ち上がろうとしたのだが、
――そのとき。
硬くて小さい音が、床に落ちた。
シュルツが眉を寄せるのと、MARIAが青ざめるのとは同時だった。
「……なんだ、これは」
MARIAの足元に転がった“それ”を拾い上げ、シュルツは不思議そうに見た。
「私のカフスボタンじゃないか」
“それ”は蝶のデザインがあしらわれた、銀細工のカフスボタンだった。
「なぜ君が、こんなものを持っているんだ?」
蒼白な顔で言葉を失っていたMARIAは、我に返って頭を下げた。
「それは……ご、ごめんなさい!」
深く頭を下げたまま。彼女の声はふるえている。
「盗んだわけじゃあないんです。……返しそびれてしまって。あの……」
なぜMARIAが黙り込んでしまったのか。なぜおびえているのか。シュルツには理解できなかった。
「ああ、どこかで落としたのか。失くしたのならそれで、別に構わないと思っていた」
手のひらに乗せたカフスボタンを眺めながら、
「壊れているな。わざわざ保管しなくても、勝手に廃棄すればいい」
興味もなさそうな顔で、シュルツはそれをダストボックスに捨てようとした。
「ま、待ってください!」
どうしてMARIAが止めたのか。シュルツには理解できなかった。
「捨ててしまうんですか? その、蝶のボタン」
「スーツをあつらえた時に、ただ色調を合わせて購入したものだ。なんの思い入れもない」
「きれいなのに……」
すがるような目で、MARIAはシュルツのカフスボタンを見つめていた。
「それ、とてもきれいです。あなたに、とても……似合っています」
だから何なんだ? とでも言いたげに、シュルツはため息をついた。
MARIAは頬を染めたまましばらく沈黙していたが、
「ドクター。それ、わたしにくれませんか?」
まるで精いっぱいの勇気を振り絞るような表情で、彼女はシュルツに尋ねてきた。
「君に?」
シュルツは首を傾げてから、
「構わない。好きにすればいいだろう」
捨てかけたボタンを、静かに彼女の前に置いた。
「……ありがとうございます!」
MARIAのくちびるに、とろけるような笑みが咲く。
頬を染め、左右の手のひらの上にボタンをそっと乗せていた。
「ありがとうございます、ドクター!」
壊れたボタンを大事そうに握りしめ、MARIAは階下に駆けて行く。
不可思議なIV-11-01-MARIAの行動に、シュルツは首を傾げるばかりだった。
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