19.自我なき逃亡者

《1998年10月26日 2:30PM エルハイト市第八街区 新市街》


 ――ヒューマノイドを、見せてやる?


 MARIAは耳を疑った。ヒューマノイドは違法とされて、八年前に全例廃棄になったはずだからだ。


「でも、ドクター。……ヒューマノイドは、」


 MARIAの声を遮って、ロベルト・シュルツは言い切った。


「見れば理解できるはずだ。ロボットには感情など存在しないということを」

「待ってください。あなたは前に言ったじゃありませんか。ヒューマノイドは禁止になったって。だったら、街にヒューマノイドは一体もいないんじゃあ……」


「いるさ」

「え?」


 さも当たり前のことのように、シュルツはさらりと言った。


「この国にはまだ五万体近くのヒューマノイドが、人間のふりをして当局から逃げ続けている。この人ごみの中にも、何体か紛れているはずだ」

 シュルツの言葉は、あまりにも衝撃的だった。


「えぇえ!?」


 すっとんきょうな声を出したMARIAを睨み、シュルツは声をひそめた。

「やかましいぞ、君は。――ロボットの所有者は、稼働前に国へ届け出ることが義務付けられている。全例回収が決定される前のヒューマノイドの登録数は、国内で一〇〇五六三二体。当局はそのうち九五パーセント近くを回収したが、単純計算でまだ四九三三六体のヒューマノイドは未回収のままだ」


「そんなにたくさん……?」

「あぁ。だから当局の連中は、血眼になって探している。ところで――なぜそんなにたくさんのヒューマノイドがいまだに逃げているのだと思う?」


「死にたくないからだと思いますけれど」


「違う。所有者に『逃げろ』と命令されたからだ」

 MARIAの答えを予想していたかのように、シュルツは間髪入れずに言った。


「本来ロボットは、生きることには執着しない。逃げろと命じられたから逃げる。生きろと命じられたから生きる。それがロボットの精神だ」


 それから数分間、人ごみをじっと睨んでいたかと思うと、


「――いたぞ」


 一点を凝視して、彼はMARIAに耳打ちをした。

「ヒューマノイドを見つけた」

「え? どの人……」


 ついて来い、と言い放ったかと思うと、シュルツはそのまま早足に歩き始めた。

「追いかけるんですか!?」

「あぁ。追いかけて捕まえる」


 シュルツは目的の“人物”から目を離さずに、人ごみの中を軽く泳いで進んでいく。今度はMARIAも歩速を合わせ、ぴったりとシュルツについていった。


 シュルツが追っていたのは、グレイのスーツを着たビジネスマン風の中年男性だ。

 男は大通りをそれて右に曲がった。歩きつつ、シュルツは隣りのMARIAに説明し続けた。


「逃亡中のヒューマノイドは、常に葛藤の中で生きている」

「葛藤?」


 男の足が、さきほどよりも早くなった。

 ふたりもまた、速度を上げる。


「すべてのロボットには、所有者が定められている。所有者が当局の廃棄命令を拒絶して『逃げのびてくれ』と命令したからこそ、八年経った今でも一部のヒューマノイドは懸命に逃げているわけだ。だが、一方で彼らを破壊しようとしているのも人間だ。どちらかの人間に従えば、どちらかの人間には抗うことになる――そんな状況下のロボットは、優先順位が上の者の命令に従う。通常は、所有者が最上位となるが」


 追われていることに勘づいたのだろうか? 男は細い路地を選んでさらに速度を上げた。右へ。左へ。振り切ろうという意志は明らかだ。


「逃げろと言う人間。逃げるなという人間。異なる命令を送り続ける人間たちのはざまで、ヒューマノイドの頭脳には大きな負荷ストレスがかかる。逃げるべきか。逃げざるべきか。生きるべきか。死ぬべきか。彼らは優先順位に悩みながら、人間のふりをして生き続けているんだ」


 男は全速力だった。人のない路地に入った途端に超人的な速さで駆け出した。

 逃げる背中が遠くなる――しかし。


「三原則第二条に基づき命令する――IX-01-09-MARIUSマリウス、静止しろ!」


 シュルツが声を張り上げたその瞬間に、男の足はぴたりと止まった。


「見ただろう、マリア。たとえ優先順位が最低位の、道すがらの人間であったとしても。今のように製造コードと三原則強調言語で直接命令すれば、ある程度の拘束能力は発揮される」


 シュルツは上がりかけた息を整え、男に追いついた。


 男は、穏やかな顔にためらいの笑みを浮かべている。

「どなたですか、あなたは? 僕は仕事で忙しいのですが……」


 真正面に男を見据え、シュルツは冷たい声で言った。


「マリア。これは量産型のヒューマノイドだ」


 MARIAは、ただただ呆気にとられていた。

「IX-01-09-MARIUSシリーズは、一九八〇年代後半に介護用途で開発された量産型ヒューマノイドだ。この顔つきには、見覚えがあった」


 シュルツは男の腕をつかみ、顔を無遠慮に覗き込んだ。


「それにしても量産型がまだ生き残っているとは、めずらしいな。量産型は同シリーズ内では皆似た顔つきなので、当局に見つかりやすはずだが。……あぁ、お前は加齢化処置エイジングを受けているのか。二十年分ほど老けて見える。顔を変え、立ち振る舞いに気を配り、上手いこと今日まで逃れてきたようだな」


 加齢化処置というのは、ヒューマノイドの外見をあえて老化させる方法だ。

 当然ながらヒューマノイドは自然老化などしないから、加齢化処置を受けなければ周囲の人間との年齢差が開いてしまう。


「マリア。ヒューマノイドが生きるのは、容易ではない。当局捜査官に見つかればすぐさま逮捕・解体される。民間人に見つかれば、当局に通報されるか私刑リンチに遭う――どのみち待つのは死だ。そして遺体は検死官のもとに届けられ、頭脳を解析される。記憶をたどれば、逃亡に手を貸した人間の情報も暴かれ、その人物もまたヒューマノイドを秘匿した罪で摘発される」


 シュルツがそう言った瞬間、男はバネで弾かれたように動き出した。シュルツの腕を払いのけ、全速力で逃げ去ろうとする。


 ――ピン、という小さな音を立てて、シュルツのそで口に留まっていたカフスボタンが壊れて弾け飛んだ。


「IX-01-09-MARIUS! まだ話は終わっていない。三原則第二条の服従命令に背くことは許さん!!」


 シュルツが声を荒げると。男の体は、ふたたび凍ったように身動き出来なくなった。

「あの。ドクター……?」

 MARIAは男の様子を見ながら、おずおずと質問する。


「この人はいま、ドクターの腕をふり払いましたよね? それは、第一条で言う“人間へ危害”には当たらないのですか?」


「私が怪我を負わないよう、配慮の上で彼は私の腕を払った。彼の行動は、第二条による私の命令が、第一条順守に劣ったために起きたんだ」


 分からないと言いたげにMARIAが首を傾げると、シュルツが答えた。


「彼の脳が解析された場合、逃亡に手を貸した人間も罪に問われる――つまり、その人間に危害が及ぶことになる。だから彼は、第一条にのっとってその人間たちへの危害を回避するために、いま私の腕を払った。そして私はいま、第二条を再び強調して彼を静止させた」


「そういうもの……なんですか?」

「そういうものだ」


 うなだれて肩をふるわせている男を見下ろし、シュルツは静かにこう言った。


「ヒューマノイドを取り巻く環境は、なにひとつ芳しくない。逃亡開始から八年――そんなに長い間、彼らは整備も受けられずにいる。いつ、“心臓”の整備不良で突然死を起こしてもおかしくない。そしていくら人間に混じって暮らしていても、加齢化処置を受けられなければ、彼らの外見はいつまでも若いままだ。周りに怪しまれないためには、一つの場所には留まることはできない。……分かるか? 誰も助けてくれない。一人で逃げて、一人で考えて生きるんだ」


 シュルツはいつしか、MARIAを真正面から見つめていた。『君に、その覚悟ができるのか?』と無言で尋ねているのだ。


 不安げな顔でうつむいてしまったMARIAを見てため息をついてから、

「もう、話は済んだ。お前は行っていいぞ」

 横にいたヒューマノイドにシュルツが言った。


 ヒューマノイドは、驚いたように顔を上げる。

「僕を逃がしてくださるんですか?」

「逃げ続けるのが、果たして幸せであるかどうか知らんがな。好きにすればいい」

「あ……ありがとうございます」


 ヒューマノイドはためらいながらシュルツを見つめ、後ずさるように離れていった。


 遠のく姿を見送りながら、MARIAはぽつりとつぶやいた。


「ドクター。あの人のこと、捕まえないで逃がしてあげたんですね」

 シュルツに向かって、そっとほほえむ。

「あなたはやっぱり、優しい人です」

「何を言い出すかと思えば……」

 拍子抜けしたように、シュルツは言った。


「捕まえるのは当局の仕事だからな。私の仕事は、死んだロボットの頭脳を調べることだ」


 白けきった顔のシュルツとは対照的に、MARIAは嬉しそうにほほえんでいた。


「くだらん。帰るぞ、マリア。ロボットの精神がどのようなものなのか、少しは学習できただろう?」


 車を停めていた場所に帰ろうとして、シュルツは踵を返した。MARIAもついていこうとするが――


 きらり。


 彼女は足元に、小さく光る何かを見つけた。

「? これ……」

 地面に落ちていたのは、カフスボタンだった。留め金が壊れたカフスボタンが、日差しを受けて輝いている。


 さきほどシュルツが落としたものだ。羽ばたく蝶のデザインを透かし彫りにしてあしらった、銀細工のカフスボタンだった。


「きれい――」


 しゃがみこんでカフスボタンをそっと拾ったMARIAは、魅入られたようにそれを見つめていた。



 シュルツは、ふとふり返った。IV-11-01-MARIAがついて来ていない。

 彼女はしゃがみこんで、何かをじっと眺めていた。


「マリア! 早く来い」


 イライラしながら彼女を呼んだ。

 彼女の細い肩が、びくりとこわばる。


「あ……すみません!」


 彼女はあわてて立ち上がり、シュルツの横に駆け寄った。


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