18.フランケンシュタイン・コンプレックス
《1998年10月26日 2:00PM エルハイト市第八街区 新市街》
「君がこれから生きる社会は、決して優しい場所ではない。よく肝に銘じておくことだ」
適当な路上に車を寄せて、シュルツは車を降り立った。
見慣れない街並みをきょろきょろと見回しながら、IV-11-01-MARIAはシートベルトをはずしていた。
彼女が下りるや車にキーをかけ、シュルツはさっさと歩き始める。
「ほら。早くついて来い」
品の良い茶系のスーツに身を包んでいたシュルツは、MARIAをふり返って招くように手を掲げた。その瞬間、そで口のカフスボタンが日差しを受けてきらりと光った。
「はいっ」
MARIAはシュルツの後ろを歩きながら、彼のカフスボタンがとてもきれいだと思っていた。
ふたりが来たのは、エルハイト市内で一番にぎやかな新市街エリアだ。ほどなくして七十メートルの道幅と全長三キロの距離を持つ、新市街エリアの目抜き通りに行きついた。
「あまりきょろきょろするな。不自然だ」
「すみません。でもわたし、こういう都会は初めてなんです」
近代的な高層ビルや百貨店、高級ブティックなどが立ち並び、まぶしいほどに華やかだった。あふれかえった人の多さに唖然としながら、MARIAはぽつりとつぶやいた。
「わぁ、人がたくさん……」
「当然だろう。ここはエルハイト市の中心地だ。人間もロボットも、この地区に最も密集している」
言われてMARIAは、周囲をきょろきょろ見回した。
「でも、ドクター? ロボットの姿は、ひとつも見えませんけれど」
あたりまえだと言わんばかりに、シュルツはため息をついていた。
「……君はロボットが、表でショッピングを楽しんだりするとでも思っているのか? ロボットは労働力だ。人目につかない裏方で、昼も夜もなく労働している」
納得したようにMARIAがうなずくと、シュルツはさらに説明を加えた。
「とくにこの地域は条例で、表通りでロボットを労働させないように定められている。『亜ヒト型ロボットやモノ型ロボットの外観が、街の景観を大きく乱すため』だそうだ」
「景観を乱す?」
「あぁ。金持ちと言うのは不思議なものだ。非効率を承知でロボットではなく人間を使役することに、贅沢さや美学を見出すものらしい」
「すみません、ドクター。言っている意味が、むずかしくて……」
シュルツは、百貨店の入り口を指さした。
「入口に立てかけてある看板が、見えるか?」
そこには、
『当店は、全フロアで人間のみを雇用しております』
と書かれた看板が立てかけられていた。
「わかるか? 安い労働力であるロボットではなく、あの店は“あえて”人間のみを雇っている。それが良店のステータスだ。金持ちはああいう店を好む傾向がある」
言われてみると、たしかに多くの店に似たような看板が立っていた。まるで、国産食材のみを使っていることを誇る飲食店のようだった。
そんなことにこだわって、どうするんだろう――という顔でぽかんとしているMARIAをよそに、シュルツはさっさと歩き始めた。
数メートルほどおいて行かれたところで、MARIAはようやく我に返る。あわててシュルツを追おうとしたが。
「あっ……ド、ドクター。待ってください!」
あふれる人波に押し返されて、MARIAはうまく進めない。
彼女は、スーツ姿のシュルツの背中を、おろおろしながら目で追った。
「ご、ごめんなさい。ちょっと、通してください……あぅっ」
雑踏の中で上手く歩く方法を、MARIAはまだ学習していなかった。
「あの。すみませ……」
他人に足を踏まれたり、逆に足を踏んで怒られたり。いちいち丁寧に謝っているうちに、シュルツの背中が遠くなる。
「ドクタぁ!!」
迷子になりかけた子供のように、MARIAは大声でシュルツを呼んだ。ぎょっとして彼は振り返る。
「マリア!?」
シュルツは、人込みにうもれかけているIV-11-01-MARIAに向かって思わず声を張りあげていた。引き返して彼女の細い腕をつかみ、シュルツは路地裏まで彼女を引っ張っていった。
「馬鹿か君は! こんなところではぐれたら、いったいどうするつもりなんだ!?」
めずらしく怒鳴っているシュルツの顔を、MARIAはぽかんと見上げていた。
「……なんだ、その顔は」
「いま、ドクターはわたしのことを名前で呼んでくれました。初めてです――」
照れたようにMARIAが笑うと、怒りも忘れてシュルツはげんなりした。
「他にどんな呼び方があるんだ? ここでは、君は“人間”なんだ。もしそうでないと暴かれたら、君はすぐにでも殺される」
まさか製造コードで呼べるわけがないだろう――冷ややかな目が、そう言っていた。
シュルツはふいに、壁を指さして見せた。
「読んでみろ」
壁には、ヒステリックな文字の落書きがスプレーで吹き付けられていた。
MARIAのくちびるが、その文章をゆっくりと読み上げた。
――従順な奴隷を演じる『フランケンシュタインの怪物』を、社会から廃絶すべきである――
「この文章は、反ロボット主義者がかかげる標語だな」
シュルツは静かにそう言った。
「ドクター。『フランケンシュタインの怪物』というのはなんですか?」
「ロボットを侮蔑して言う単語だ。フランケンシュタイン・コンプレックスというのを君は知らないか? 一八三〇年に英国のメアリ・シェリーが著した小説“フランケンシュタイン”から生まれた言葉だ。神になり代わって疑似生命を生み出した人類は、いつの日か被造物に反逆されて滅びるのではないか――という恐れを意味している」
熱の失せた瞳で、シュルツはその落書きを見つめていた。
「多くの人間は、本能的にロボットを恐れる。そして現実的にロボットは、人間の雇用を奪う。ロボットは従順で勤勉でミスもなく、初期導入費と維持管理費の他には経費も発生しない。なにかといえば『給与だ休暇だ』と騒ぐ人間労働者よりも、ロボットを使うほうがよほど楽だ」
MARIAの瞳は、壁の落書きに注がれたままだった。
「ロボットは、そういう意味ではすでに人間を脅かしている。疑似血液の原料になるガリンスタンも、インジウム鉱脈が世界中で発見されるようになってからはレアアースではなくなった。安価で優秀な労働力であるロボットを、もはや社会が手放すわけがないのだ」
腕を組み、シュルツは言った。
「あらゆる産業にはロボット労働力が採用されている。もしも、ロボットがこの世から消え去ったらどうなるだろうか。着ている服は、食べている物は、誰が作っている? 物資の流通を担っているのは誰だ? 枯渇性エネルギー資源の採掘は誰がやっている? 原子力発電所の安全は誰が管理している? 挙げ連ねたらきりがない。労働の場からロボットを追い出してすべて人間にやらせることにしたら、現在の生産性を維持することなどできない。あらゆる価格が暴騰し、貧しい者はさらに貧しくなる。社会システムは機能不全に陥るだろう」
人間たちが文句も言わずに、百年前の生活レベルで暮らしていけるとは思えない。文明は後戻りなどできないし、人間は欲望に忠実な生き物だ。
「化け物だ鉄クズだと罵りながらも、人間はロボットに依存している。ロボットを本当に世界から追放すればどうなるか――ロボットに向かって投げたはずの石は、そのまま人間自身に帰ってくるだろう。ロボットを滅ぼせ追放せよと叫ぶ人間たちは、それにうすうす気づいていながらも声高に叫び続ける。そんな日は決して来ないのだ、と高をくくってロボット迫害をストレスの捌け口にしている」
シュルツの声は、とどまらない。
「人間の社会はもはや、ロボットなしでは立ち行かない。だから私は、ロボットを純粋に道具として活用していくべきだと思う。どんなに酷使したところで、ロボットは悲しみも怒りも感じないのだから」
顔を曇らせたIV-11-01-MARIAを、シュルツが横目で見て言った。
「君の考えていることが、手に取るようにわかるぞ? 『わたしは、悲しみを感じる』と考えただろう?」
見透かされ、MARIAは緊張した顔でシュルツを見つめた。
「君の“感情”は錯覚だ。ロボットはなにも感じない。……私がわざわざ街まで君を連れてきたのは、君にそれを教えるためだ。来い」
シュルツは、MARIAを導き再び大通りに戻っていった。
「君は、自分以外のヒューマノイドを見たことがないだろう? だから、君に見せてやろうと思った」
「え?」
――ヒューマノイドを、見せてやる?
MARIAは耳を疑った。ヒューマノイドは違法とされて、八年前に全例廃棄になったはずだからだ。
「でも、ドクター。……ヒューマノイドは、」
MARIAの声を遮って、ロベルト・シュルツは言い切った。
「見れば理解できるはずだ。ロボットには感情など存在しないということを」
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