17.記憶の棺

「わたしの記憶を、消す?」


 不安そうな顔で、MARIAはシュルツの言葉を繰り返す。

「あぁ。ロボットの記憶は、消すことができる。――ついて来たまえ」


 シュルツがMARIAを連れて行ったのは、二階の第一検査室だった。


 この大部屋には、大きさも種類も様々な機材が整えられている。部屋の片隅には人間の背丈くらいの、黒い繭型カプセルが横たえられ、接地面から周囲の壁へと赤いケーブルが伸びていた。


 鈍い光沢を放つそのカプセルを見下ろして、シュルツはMARIAに説明した。


「これは“まゆ”と呼ばれる装置だ。稼働中のロボットをこの繭の中に入らせれば、頭脳に保存されている記憶を閲覧したり、消去したりすることができる。……もっとも、閲覧や消去が可能なのは記録後七二〇時間以内の、頭脳の最外層に保存されている新しい記憶のみなのだが」


 MARIAは繭を見つめて暗い顔をした。

「……棺みたいですね」

「棺というのは、あながち間違った表現ではないな。繭は、ロボットに疑似的な死を与える装置だ」


 彼女はますます深刻そうな顔になった。

「頭の中を操作されるなんて、なんだか怖いです」

「その恐怖も、所詮は疑似的な感情だ。ついでに消してやる。処置を始めよう、繭に入れ」


 MARIAは一歩後ずさった。おびえた瞳で、シュルツを見つめる。


「でも……わたし、せっかく教えてもらった検死を忘れなければならないんですか? トマス・アドラー博士が、わたしに検死を学ばせることをお望みなのに?」

 恩師の名を出され、シュルツがひるんだ。

「わたし、あなたにもう迷惑をかけません。検死だって、ちゃんとお手伝いできます。だから、記憶を消さないでください」

 IV-11-01-MARIAは必死に訴えた。


 ずいぶんと長いこと考え込んでいたシュルツは、

「ならば自分がロボットだとよく理解することだ。感情だのなんだのと、二度と言うな」

「…………わかりました」

 落ち込んで肩を落とした彼女に追い打ちをかけるように、


「さっき君は、君と私の違いはどこにあるのかと言っていたな? 教えてやる。ロボットの精神は三原則によって束縛されているが、私は違う。君は三原則第二条『人間への服従』に束縛され、父親の命令に服従して私のもとに来たのだろう? 君は所詮ロボットだ、人間の命令には逆らえない」


 言われた瞬間、IV-11-01-MARIAは少しだけ不満そうに眉をしかめた。

 第一検査室から出ようとしたシュルツの背中に、彼女はやんわりと声をかける。


「あの……ドクター。ひとつ聞いてもいいですか?」

「なんだ」

「あなたがわたしをこの研究所に置いてくれるのは、トマス・アドラー博士からそうお願いされたからですよね」

「もちろんだ。それ以外にはありえない」

「だったら、あなたもロボットだということになりません?」


 やんわりした口調の中に少しだけとげを隠して、IV-11-01-MARIAはシュルツにそう言った。


「何を言っているんだ、君は」

「だって。あなたもアドラー博士に“服従”しているじゃありませんか」

 言われると、シュルツは一瞬目を見開いて、それから顔を曇らせた。MARIAの意図に気がついたからだ。


 ロボットは、人間の命令に服従する。

 シュルツは、アドラー博士の命令に服従している。

 だったらシュルツも、ロボットなのか。――と。

 つまりは三段論法の真似事で、一矢報いたつもりなのだろう。


 シュルツは反論する言葉を探そうとして……やめた。

「……口が減らないロボットだな」


 『もう迷惑をかけない』と言った矢先に、なぜこのロボットは口答えするんだ。うんざりしながら吐き捨てて、シュルツは第一検査室から出た。


 IV-11-01-MARIAは、やっとシュルツに言い返せてすっきりしたような顔だった。



  * * *



「出かけるぞ」

 第一検査室でのやりとりから一時間ほど経ったころ。シュルツはふいに言い放った。


「あら、お出かけですか? いってらっしゃ――」

「何を言っている。君も来るんだ、IV-11-01」

「え?」


 いきなり言われて、IV-11-01-MARIAはきょとんとしていた。


「そろそろ君を外に出すタイミングだと思っていたところだ。ロボットが世の中でどんな扱いを受けているのか、君は知らないのだろう? ならば見て学ぶべきだ。知ることができれば、先ほどのような不分別な言動も控えるに違いない」


 ソファから立ち上がると、シュルツは身支度を整えるため自室に引き返そうとした。掃除中だったMARIAをふり返ると、


「君も支度しろ。早くしないか」

 そう言い放って、さっさと踵を返した。

「は、はいっ」

 MARIAもエプロンを外して、あたふたと部屋を出て行った。

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