16.IV-11-01-MARIAの疑問
《1998年10月26日 0:30PM エルハイト市内 第六検死研究所》
――IV-11-01-MARIAは、非常に優秀な助手と言えるだろう。
あの皮肉屋のロベルト・シュルツが、心の底からそう思ったのだ。
MARIAは初めて教えた検死を、瞬時に理解し補佐をした。
ヒューマノイドなのだから、理解が良いのは当然ではあるが。シュルツが指示を下す前に、彼の望むことを予測し補助に回る。
『阿吽の呼吸』とでも言うべきだろうか。最新型の高性能ロボットでさえ、これほどの精度は望めないだろう。通常ならば夕方までかかる仕事が、昼前にすべて済んでいた。
だが……
MARIAの様子が、おかしい。
キッチンで昼食の食器を洗うIV-11-01-MARIAの後ろ姿を遠目に眺めながら、シュルツは首をかしげていた。
「………………」
彼女は、緩慢な動きで皿を洗っていた。いつも必ず口ずさむ、『君を忘れじ』やら何やらと言う歌も歌っていない。
ちゃぷ。ちゃぷ。と、食べ終わった食器を水に浸しながら、やる気のない手つきでスポンジで皿をなでている。もう二十分も、そうしているのだ。
蛇口から水がジャージャーと流れ、シンクは泡だらけになっていた。それでもMARIAは、ずっと同じ皿を洗っている。
シュルツが無言で彼女の背中を眺めるうちにも、シンクの泡はどんどん膨れて、ついには溢れ出しそうになった。それでも彼女は相変わらず、ぼーっとしている。
呆れながらキッチンに入り、シュルツは蛇口を閉めた。
「………………」
「……………………」
冷ややかな顔をして、シュルツはMARIAの横に立つ。一方のMARIAは、シュルツに気づかずまだ同じ皿を洗っている。
「…………………………」
「……………………………………」
ふたりの無意味な沈黙が続く。根負けしたわけではないが、先に口を開いたのはシュルツのほうだった。
「…………………………その皿はそんなに汚れているのか?」
「ひぅ!?」
突然声を掛けられて驚いたらしい。MARIAは奇妙な悲鳴を上げて飛び上がり、細い指から皿を滑らせた。床に落ちた真白い皿が、派手な音を立て欠片になった。
「あっ――ドクター!? い、いつからそこに?」
無言で見下ろすシュルツにおびえ、
「ごめんなさい。わたし……ぼーっとしちゃって」
泣きそうな顔をして、MARIAは割れた皿を拾い始めた。
「このお皿、マイセンの高いお皿ですよね。どうしましょう、弁償……したいですけど、わたしほとんどお金を持っていないんです。ほんとにごめんなさい!」
シュルツの知る限り、こういう反応をするロボットというのはいない。めずらしい生き物を観察するような心持ちで、シュルツはMARIAを見下ろしていた。
「あのっ。怒ってるんですか? ドク……」
「見事な演技だIV-11-01。どこからどう見ても、不出来な小娘にしか見えない」
教えてもいない行動をいつの間に学習したのか……と、ひとりごとのようにつぶやいて、シュルツは壁に寄り掛かった。
「検死が終わってから、君はずっとそんな調子だな。なぜだ?」
「……」
IV-11-01-MARIAは沈黙した。沈黙の理由が、シュルツにはまるで分からない。
「君の頭脳は、いま何を考えている?」
彼女はシュルツのほうを見て、言葉を選ぶような顔をしながら、
「わたし――なんだかとても、悲しいんです」
つぶやくように、ぽつりと言った。
「だって、毎日たくさんのロボットが、あんなふうに殺されているんでしょう? とても悲しいです。人間とロボットがもっと仲良く出来たらいいのに。なにか、良い方法はないんでしょうか」
物憂げにため息をつくMARIAを見て、今度はシュルツが沈黙していた。
「? どうしたんです、ドクター?」
シュルツは驚いていた。いつもの皮肉な
「…………驚いた。トマス先生は、こうなることを見越して君に検死を学ばせたのだろうか」
「え?」
「完璧なまでの“悲しみ”の模倣だ」
IV-11-01-MARIAはロボットだ。感情などあるわけがない。人間の心理を模倣することによって、悲しむ演技をすることはできるだろう――他人を欺けるほどの、見事な演技を。
だが、彼女の演技はあまりにも完璧だ。まるで、自分が演技をしていることに気づいていないかのように……。
「念のため確認しておくが。君はその“悲しみ”が模倣であることを、当然理解しているんだろうな?」
「模倣?」
「そうだ。私は確かに、君に人間らしく演じるように命じた――だが、演じているだけだ。君の感情は作り物だ、そこを忘れられては困る」
「わたし、演じてなんかいません。本当に悲しいです。この気持ちは本物です」
「……なんだと?」
嫌な予感が的中した。やはりMARIAは、模倣を模倣と思っていないのだ。
「ドクター。わたしは確かに、あなたに人間らしい仕草や話し方を教えてもらいました。でも、ものごとの考え方や趣味嗜好は、ずっと前から持っていたものです。表現の仕方を知らなかっただけなんです」
「馬鹿を言うな。ロボットが自分の感情を訴えた事例は、いままでこの世に一つもない。ロボットが感情を持たないのは、社会の常識だ」
シュルツにそう断言されても、MARIAは納得しなかった。
「それは……ロボットたちが、ただ
MARIAは自信たっぷりにこう続けた。
「それにあなたの恩師のトマス・アドラー博士は、『ロボットにも感情はあるはずだ』と本に書いていましたよ?」
「――あぁ。なるほどな」
納得がいった、とでも言うようにシュルツはつぶやいた。
「君は、トマス先生がお書きになった本を読んだだろう。それの模倣だ」
「ち、違いますよ。この気持ちは、わたしが――」
「君の発言は、トマス先生の著書『ロボットの魂魄』に示されている、ロボット友愛主義そのものだ。本で学習した内容が、検死実技で強化されたんだ。君はあたかも自分の考えであるかのように誤認しているが、実際には模倣と学習の結実だ」
MARIAが反論しようとくちびるを開いたが、シュルツはさらに言葉をつづけた。
「私はトマス先生を心から敬愛している。しかし先生の、ロボット友愛主義にだけは反対だ。ロボットは道具に過ぎん。感情も自我もありえない」
そう言い切られ、MARIAは驚いたように目を見開いた。数秒してから、しょんぼり顔で肩を落とす。
「……どうして、ロボットが気持ちを伝えてはいけないんですか?」
「だから、気持ちなどというものはロボットには存在しないんだ。ロボットは人間とは違う」
「どう違うんです?」
子供のようにあどけなく、MARIAは上目づかいで言葉を継いだ。
「ロボットと人間って、そんなに違うものですか?」
シュルツがまったく予想しなかった質問だった。ロボットと人間は、根本的に異質なものだ――それが社会の常識だし、シュルツ自身もそう信じて疑わない。
「だって、人はみんな顔も性格も違うでしょう? 人間とロボットの違いなんて、それと同じなんじゃないかと思うんです。あなたは『
シュルツは聞く耳を持たなかった。
「IV-11-01。下手なことを考える気分になるのは、その程度にしておきたまえ。まかり間違って君の頭脳が異常を起こし、三原則逸脱に陥ってしまっては困る」
「ドクター…………」
シュルツは険しい顔をしていた。
「やはり君には、検死を教えるべきではなかったのかもしれない。検死の記憶を消去しよう」
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