15.典型的な死

《1998年10月26日 9:00AM エルハイト市内 第六検死研究所》


「この“遺体”は、亜ヒト型ロボット第五世代IX-02-27-HELENAヘレナ。第三街区の工業エリアで人員統括を任されていた個体だ。業績悪化を受けて人間労働者の整理解雇を提案したところ、襲撃されたとのことだ」


 手術台のような大台の上に、破壊された亜ヒト型ロボットが横たわっている。全身がひしゃげており、胸のあたりは特にひどく歪んでいた。


 その金属製の“遺体”を見下ろしながら、白衣に身を包んだシュルツが言った。


「人間の恨みを買って殺されたロボットの、まさに典型例だな」


 この部屋は、シュルツの暮らす第六検死研究所の中にある“検死室”。殺されたロボットの解剖を行う部屋だ。中央に置かれている大台は“検死台”。ロボットの遺体はこの検死台の上で“解剖”される。


 検死室にはディスプレイや操作盤などの大きな機材が並んでおり、全体的に圧迫感があった。床面積はせいぜい二十平方メートル程度、決して広いとは言えない。

 第六検死研究所の中には他にも第一検査室と呼ばれる部屋があるのだが、そちらのほうがよほど広い――そちらは稼働のロボットを整備するための部屋なので、現在はほとんど役割をなしていないのだが。


 ラジオで気に入りのクラシック番組を流しながら検死をするのが、シュルツの習慣になっている。今もまた音楽を室内に響かせながら、検死台に横たわる遺体を冷めた目つきで見下ろしていた。


「さて。始めよう」

「はい……」


 ぶかぶかの白衣を羽織ったIV-11-01-MARIAマリアが、シュルツの後ろでうなずいた。シュルツから借りた白衣は、大きくてそでが余っている。そでを折り返して調節しながら、彼女は緊張した顔でロボットの遺体を見つめていた。


「ロボットの死は二通りだ。頭脳の破損。もしくは“心臓”破損による擬似血液の沸騰。それ以外の損傷は、ロボットにとって死ではない。いくらでも修理がきく」


 シュルツは一歩踏み出して、シリコングローブをはめた右手で死んだロボットの体を指し示しながら説明を始めた。


「検死の手順は、大きく言えば三工程。全身を診て、“心臓”を診て、最後に脳を診る。――まずは全身の損傷を評価しよう。今回の症例は胸部殴打によって心臓の内部構造が障害されたと予想できる」


 亡骸の大きく歪んだ胸部を示し、シュルツは金切りのこぎりを取り出した。


「全身損傷を確認した後は、“解剖”だ」


 横たわるロボットの体に鋸を入れ、外骨格を剥いでいく。変形が激しいので、外骨格を剥ぐのも力仕事だ。


 胸部のプレートを取り外しながら、シュルツはマリアに問いかける。


「“心臓”の確認は非常に重要だ。IV-11-01、ロボットの“心臓”が持つ役割を、当然理解しているな?」

「はい。“心臓”というのは、調圧還流ユニットの別名です」


 IV-11-01-MARIAは、いつになく緊張した面持ちだった。


「ロボットの体には、頭脳からの信号を全身に伝えるための疑似血液が流れています。その疑似血液を全身に循環させて、“血管様チューブ”の内圧を適正に保つのが、ロボットの“心臓”の役割です」


 シュルツはうなずくと、両手をロボットの胸部に差し入れ、とある部品パーツを引きずり出した。


「これが、ロボットの心臓だ」


 MARIAの息をのむ音が、聞こえた。

 ロボットの心臓は、にぎり拳ほどの大きさだ。細かい金属パーツがいくつも組み合わさって円柱のような形になっており、上端と下端からは特殊ポリアミド製の血管様チューブが一本ずつ伸びている。そのチューブは、細かく枝分かれしながらロボットの全身へと張り巡らされている。


 シュルツの手の中の“心臓”は、全体が大きくひしゃげていた。


「ドクター。その“心臓”、形がゆがんでいますね」

「あぁ。外部からの殴打によって、破損したんだ。それがこのロボットの死因だな」

 淡々と言いつつ、シュルツは“心臓”から伸びたチューブを指さした。


「ロボットの体に流れる疑似血液は、“心臓”によって高圧力に保たれている。だから“心臓”が壊れると、血管様チューブの内部は急激に減圧されることになる。疑似血液が沸騰して、ロボットは死ぬんだ。この死は通称“心臓死”と呼ばれる」


 シュルツは“心臓”をひっくり返し、裏側にある部品の一つを指さした。

「さて。“心臓”には、確認すべき重要な部位がある。それがこの、“調圧弁バルブ”だ」


 シュルツが指で示していたのは、周囲を他の金属パーツで取り囲まれた小さなバルブだった。

「この“調圧弁バルブ”の状態を診れば、死んだロボットに“三原則逸脱”が起こっていたかどうかを判定できる」


「“三原則逸脱”……人間の命令に背いたり危害を加えたりするような、精神回路の異常のことですね? 発生頻度は百万分の一未満と言われています」


 シュルツはうなずいた。

「三原則に逸脱するような異常信号が頭脳から発せられると、この調圧弁が開放されて“心臓”は壊れる。そして疑似血液が沸騰して死ぬ」


 シュルツは意地の悪い顔をしてIV-11-01-MARIAを見据えた。

「分かりやすいだろう? 人間に逆らおうとすれば、ロボットの“心臓”は壊れるんだ。君も例外ではない。まかり間違っても人間わたしに反逆するようなことは考えないことだな。君の“心臓”は、頭脳の異常を検知して君を殺そうとするだろう」

 MARIAは、びっくりたような顔で目をしばたたいた。

「いじわる言わないでください……わたし、ドクターに逆らったりしません」

「だろうな。ロボットの精神は三原則で束縛されている。反逆の意志そのものを持てないように造られているからな」

 熱のない声で、シュルツはふたたび説明に戻った。


「第二の安全装置ともいえる“心臓”だが、老朽化などで自然故障することもある。そうなれば、三原則逸脱とは無関係で突然に“心臓死”が起きる。“心臓”の壊れた原因が自然故障か三原則逸脱なのか、判別するのも検視官わたしの仕事だ」


 言いつつ、亡骸から引きずり出した心臓の調圧弁をチェックする。


「今回のロボットの調圧弁には異常はない。つまり、三原則逸脱の可能性は否定された。――そして最後に行うのが、記憶の検証だ。器物損壊ロボットそんかいの罪を犯した人間を特定し、情報を当局に提出する。今から行うのが、非モノ型ロボットの保存的開頭法だ」


 言いながら、のみに似た工具でロボットの頭部に穴をあける。慣れた手つきで一分とかからず、シュルツは遺体の頭を開いた。


「視神経ケーブルと聴覚伝導路の奥に見える、この半球体。これが頭脳だ」


 MARIAが今まで見たこともなかった道具を、次々に取り出し、持ち変え、シュルツは遺体の頭に詰まっているケーブルを掻き分けて、ロボットの脳に迫る。


「まずはこのように、頭脳に施された単分子膜コーティングを剥離する」

 半球状の頭脳回路を示しつつ、


「君達ロボットの頭脳は、部位ごとに異なる役割を担っている。たとえば。頭脳中心部の“脳幹”と呼ばれる陽電子回路には、最重要情報としてロボット工学三原則が保存されている」


 シュルツは両手に新しいグローブをはめ直した。


「そしてこの部位。頭脳の約四割を占めるのが“記憶回路”だ」

「……どの部位ですか? 境目があいまいで……」


「あぁ。“精神回路”と“記憶回路”は密接に接合されているので鑑別は少々難しい。だが、学習して慣れるより他ない」


 言い放ってからシュルツは再び“記録回路”の説明に戻った。

「回路前部に視覚記憶、側部には聴覚記憶……といった具合に、記憶情報は別個に保存される。新しい記憶は頭脳の表面近傍に記録され、時間が経つごと頭脳の深部へと記録の場所を移し替えられていく」


 シュルツはさらに言葉を継いだ。

「つまりはこのロボットが殺される直前に見た・聞いた情報は、すべて記憶回路の外表面に保存されている。通常の検死では、この外表部の情報のみを調査する」


 彼は、髪の毛ほどに細い金属針を二本の指でそっと取った。半球型の電子回路の表面をなぞると、同時に正面ディスプレイが映像を映し始めた。


「いま私は、視覚記憶の保存領域を閲覧している。……見えるだろう? 頭の悪そうな人間どもが寄ってたかって、こちらに襲いかかってきた。この馬鹿どもの顔を保存して書類にまとめるのも私の仕事だ。まったく、愉快な雑務だろう?」


 殴られるたびに映像が激しく振動するのを、慣れきった顔で眺めつつ、シュルツはキーボードを操って資料を作っていった。


 いつ終わるともしれない殴打が続いたあと――画面いっぱいに、突然赤い蒸気が吹き上がった。直後に画面が暗転して、何も映らなくなった。


「あの赤い蒸気は、沸騰した疑似血液だ。破損した“心臓”が調圧能力を失い、大気圧にさらされた疑似血液が沸騰した。非常用の排気経路から疑似血液が排気ベントされると、あのように赤い蒸気が立ち上る。このロボットが、瞬間ということだ」


 シュルツは淡々としていた。

「聴覚情報のチェックも、同様の手順で行うことが出来る」

 流し続けていたクラシック音楽のボリュームを落としてから、再びシュルツが頭脳をなぞる。スピーカーから聞こえ始めたのは、暴徒の怒号と、ロボットのボディが打たれる金属音だった。


 シュルツは息を吐き出して、金属針を手放した。ディスプレイもスピーカーも、何事もなかったかのように動きを止める。


 その場にしばしの沈黙が落ちた。


「――検死の大まかな流れは、以上だ」


 はめていたシリコングローブを外しながら、シュルツは言った。


「つまりこのロボットは、人間に“心臓”を壊されて死んだ。だが調圧弁に異常はないので、三原則逸脱については否定される。記憶を確認したところ、やはり逸脱の兆しは見られなかった。本症例の報告書の冒頭ページは、以下のようになる。


状態:外傷性の不可逆的損傷。

死因:複数の人間による外傷行為に起因する、“心臓”内部機構の損傷。

三原則逸脱兆候:検出されず。

備考:特筆すべき事項なし。

総論:異常なし。


 以上だ。ごくごくありふれた、『異常なし』の典型例とも言える死体だということだ。理解できたな?」


 IV-11-01-MARIAに背中を向けたままで、シュルツは淡々と問いかけていた。当然すぐに返事が返ってくるものだと思っていたのだが。


 MARIAの返事は、いつまでもなかった。


「どうした?」

 首を傾げてふり返る。IV-11-01-MARIAは、無表情で茫然と立ち尽くしていた。

「おい」

 ハッと我に返ったMARIAは、

「あ……。ごめんなさい……」


 シュルツは不機嫌そうに言う。

「理解できたな? と、私は君に質問したのだが」

「はい。理解できました……。でも、」

 MARIAの顔色は、少し青ざめているように見えた。

「こんな死が、『異常なし』なんですね」

「あぁ」

 ぽつりとつぶやくMARIAに対して無関心に応えながら、


「今日中にあと十八体の検死を終わらせなければならない。手伝う気があるなら、君は次の症例を持ってきてくれ」

「……はい」


 次の症例。

 次の症例。

 同じ作業を繰り返し、シュルツは仕事をさばき続けた。

 IV-11-01-MARIAは、黙ってそれを手伝い続けた。

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