11.模倣
《1998年10月8日 3:00PM エルハイト市内 第六検死研究所》
書架の蔵書は十七万五千冊――人間がすべて読むのに何日かかるか知らないが、ヒューマノイドの性能ならば、三日もあれば読み切るはずだ。
ところがMARIAは、一週間経っても書架から降りてこなかった。
「……なにをしているんだ、あれは」
その日の検死を終えたロベルト・シュルツは、給仕ロボットIII-08-29-SULLAが淹れたコーヒーを飲みながらイライラとつぶやいていた。
書架の本をすべて読むまで下りてくるな――彼女にそう命令したのは、もう一週間も前のことだ。いくらなんでも、遅すぎる。
彼女のことを考えると苛立ちが募る。そしてまた、彼女のペースに振り回されていると気づくとなおさらイライラするのだった。
「まったく……ロボットのくせに世話が焼ける!」
あんな物より旧式のSULLAのほうがよほど優秀ではないか。などと毒を吐きながら、シュルツは書架へと上って行った。
「IV-11-01。君はいったいいつまで書架に――」
重たい扉を押し開けたシュルツは、途中で言葉を失った。IV-11-01-MARIAが、あまりにも奇妙な読み方で本を眺めていたからだ。
直立したまま分厚い本の背表紙を指先でつまんで顔の前に持ち上げ、反対の手でパラパラはじくようにしてページをめくっている。覗きこむようにして最初のページから最後のページまで数秒間で流し読んだと思ったら、今度はぱたんと本を閉じて瞑想のように目を閉じた。そしておもむろに目を開けて、持っていた本を大事そうに抱きしめた。
――あんな奇妙な読み方をしているから、いつまでも読み終わらないのだ。
嫌味を言ってやろうとしたそのとき、シュルツは彼女が持っていた本のタイトルに気がついた。
『ロボットの魂魄』
シュルツの恩師であり、IV-11-01-MARIAの製造者であるトマス・アドラー博士の著書だった。
MARIAは他の本を読もうともせず、抱きしめていた『ロボットの魂魄』をまた読み始めた。
「……その本が、気になるのか?」
思わずシュルツは問いかけていた。
ふり返ったMARIAの手から本を抜き取ると、シュルツはその本をじっと見つめた。
「この本は、君を造ったトマス・アドラー博士が二十三年前に記したものだ」
「ドクター……」
嫌味を言うのも忘れて、シュルツは言葉を紡いでいた。
「トマス先生はその年、世界初のヒューマノイドを作り出した。先生がなぜヒューマノイドの開発を手掛けたか、それによって社会にどんな変革を求めたか。先生の願いのすべてが、その一冊に書き込まれている」
シュルツは、眉を寄せた。
「先生がヒューマノイドを開発したのは、人間とロボットの協調社会を作る足掛かりにするためだった――そのような社会を“
「逆方向?」
「あぁ。たしかにヒューマノイドは、さほど嫌悪感を抱かれることなく人間社会に受け入れられていった。ヒューマノイドと人間との協調的な労働というのも、ある程度は実現したと言ってよい。しかし人間は、自分の欲望を満たすためのヒューマノイドを造り始めた……
「セクサロイド? それは、どんなロボットですか?」
初めて聞いたその単語をMARIAがたずねると、シュルツは冷めた口調で答えた。
「人間の性欲を満足させるためだけに作られた、性交可能なヒューマノイドだ」
「え……? ……あ――」
ぽかんとしていたMARIAだが、数秒かかって意味を飲み込んでから、火を噴くように真っ赤になった。妙に人間らしく振る舞った彼女を見て、シュルツは不快になった。
「ともかく、人間というのは愚かな生き物だ。せっかくヒューマノイドという素晴らしい道具を得たというのに、くだらない用途を見つけて堕落する。そしてトマス先生は、大衆を堕落させたと非難を浴びた」
いつの間にか握られていた拳は、小刻みにふるえていた。
「そんな矢先に起きたのが、十四年前の“C/Fe事件”だ」
ヒューマノイドが人間を巻き込んで起こした、あの自爆事件……。
あの事件により、トマス・アドラー博士の信頼はますます失墜した。危険人物扱いされた博士は、今では当局の監視下に置かれている。
シュルツが、無表情に沈黙していると、
「だいじょうぶですか? ドクター・シュルツ」
心配そうな顔をして、IV-11-01-MARIAがこちらを見つめていた。
シュルツは思わず顔をしかめた。――ロボットなどに気遣われるほど、自分は落ちぶれてはいない。
「それはそうと。君は、ヒューマノイドのくせに本を読むのが遅すぎる。たった十八万冊弱の蔵書を読むのに、なぜ一週間もかかるんだ?」
「一週間!?」
MARIAはすっとんきょうな声で言った。
「わたし、そんなにここにいましたか? ごめんなさい……初めの一日で全部読み終わっていたんですけれど。わたし、本が好きなのでつい何回も読んでしまいました」
「一日で……読み終わったのか?」
「はい。それに
MARIAは少し苦笑しながら言った。
「わたし、地下の倉庫は苦手です。薄暗くて、さみしいから」
シュルツは難しい顔をして彼女の言葉を聞いていた。
『本が好き』『命令を忘れて長居していた』『居心地がいい』『さみしいから、地下室は苦手』彼女の言葉のひとつひとつが、ロボットにはありえない発言だったからだ。
ロボットに感情や嗜好は存在しない、それが社会の常識だ。
「あの……怒っていらっしゃるんですか?」
「――いや」
しばし沈黙していたシュルツは、とくに異常なことではないと思い直した。そうだ、IV-11-01-MARIAは、人間の感情を模倣しているのだ。頭脳の
「私は君を少々、見くびっていた。君はなかなかに高度な“感情の模倣”が出来るようだ。さすがはトマス先生がお造りになったヒューマノイドだな」
「え?」
MARIAがふしぎそうに首をかしげていると、
「感情の模倣は及第点として、挙動についてはまだまだ未熟だ。読書の作法が奇妙だった」
褒めっぱなしでいるのは不愉快だという表情で、シュルツは指摘を付け足した。
「君の読み方は、高速スキャナでページを読み込んでいるのと変わらない。他人の前でそんな姿を見せないように気を付けろ。人間は、流れるように一語一文を読み取っていくんだ――このように」
壁際に置いてあった椅子に腰かけ、シュルツは実際に彼女の前で読書をしてみせた。ページに視線を落とし、流れるように一文一文読んでいく。一ページ読み終わったところで読むのを切り上げ、
「これが人間の作法だ。学習したか?」
その動きを見つめていたMARIAはうなずいてから、シュルツの隣の椅子に座って同じように本のページをめくり始めた。
流れるように一文一文読み取って、一ページ読んだところでシュルツを見つめた。
「いかがでしょうか。ドクター・シュルツ?」
「悪くはないな」
花咲くようにMARIAは笑い、
「ドクターが本を読まれる姿は、涼やかでとてもきれいですね」
うっとりした声でそう言った。
シュルツの眉にしわが寄る。
「
「お世辞なんかじゃありません。ドクターはとてもきれいです。これからは読書だけでなく色々な動作を、あなたをまねして覚えることにします」
よちよち歩きで親鳥に付いてくるカルガモのひなを連想して、シュルツはため息をついた。
「だったら、勝手にしてくれ」
踵を返して書架を出る。その後ろから、IV-11-01-MARIAがついてきた。
「はい!」
……このヒューマノイドといると、どうにも調子が狂う。
今日何回目だ分からないため息をついて、シュルツは階段を下りて行った。
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