10.三原則命令

 キッチンに行ってみると、MARIAの言うとおり給仕ロボットは故障していた。


 かし、かし、と異音を出して、給仕ロボットSULLA《スラ》の両腕は上がらなくなっていた。関節軸が外れてしまったらしい。


 シュルツは、げんなりとしてMARIAをふり返った。


「……君が壊したのか?」

「わたしが!?」


 IV-11-01-MARIAは驚いて声を裏返らせた。

「そんなひどいこと、するわけないじゃありませんか!」

「直接的な攻撃をしなかったなら、このロボットに何か命令をしたはずだ。死ねとか壊れろとか、その手の命令を」

「してません!」


 泣きそうな顔をして、MARIAは必死に否定する。

「わたし、このロボットにドクターの好きなお料理のレシピを教えてもらっていただけです。それにわたし、命令なんて――」

「君が命令だと自覚していないとしても、SULLAに対してなにかしらの発言をしたはずだ。何と言ったんだ?」


 シュルツが言うと、MARIAはびくりと肩をふるわせた。

 気まずそうにもじもじしてから、上目づかいに告白する。


「ええと……。レシピを聞き終わってから、少しだけ言いました……」


「復唱してみろ」


「はい……『ありがとう。でも、困ったわ。あなたがちゃんと動いているうちは、わたしはドクターのお役に立てない』――以上です。わたしが言ったとたんに、SULLAから変な音がして。動かなくなってしまいました」


「それだ。やっぱり君が、SULLAを壊した」

 さも面倒くさそうに、シュルツは言った。

「このロボットは、君を人間と誤認したんだ。君が不要だとほのめかしたから、三原則に従ってSULLAは両腕の関節軸を自ら外してしまった」

 わけがわからない……といった顔でIV-11-01-MARIAはぽかんと口を開けていた。


「ロボット工学三原則を知らないのか? 最優先は第一条・人間に危害を加えてはいけない。次に来るのが第二条・人間に従わなければならない。最も弱いのが第三条・自己防衛だ。SULLAは君の言葉を聞いて、自分が働くと“人間きみ”が実害を受けるのだと判断した。だから腕を壊したんだ。第三条に背かない程度の、軽微な故障だな」


「でも……こんな簡単なことで壊れちゃうなんて……」

「SULLAは“血液―心臓システム”を搭載していない旧式で、頭脳の性能は家事だけに特化している。だからこの手のトラブルが起きうる。普通に働かせている分には、まったく問題ないのだが」

 まったく、君は本当に余計なことをする――シュルツの目線がそう言っていた。


「……ごめんなさいドクター。わたし、どうしたらいいですか?」

「別にどうということもない。修理可能な損傷は、ロボットにとって“死”ではない。 ロボット専門の整備士を呼べば、五分とかからず直るだろう。私にも修理はできるが、時間の無駄をしたくない」


 “整備士”という国家資格は、ロボットの保守点検と修理のためにあるのだから。


「それより、食事を」

 シュルツは突然そう言った。

「え?」

 びっくりしてMARIAが目を丸くすると、

「午前の仕事を遅らせたくない。さっさと食事を済ませたいんだ。不本意だが、君の朝食をいただこう」


 MARIAの顔が、花咲くように輝いた。

「はい! すぐご用意しますね」


 かたわらでカシカシと異音を立てているSULLAを一瞬だけ申し訳なさそうに見つめた後、彼女は急いで食事を用意した。


 トーストの脇に焼きトマトと目玉焼き、ベーコンを添えた簡素な朝食だった。コーヒーもある。いつも通りの、シュルツの食事だ。シュルツが食べ始めると、IV-11-01-MARIAは適度なタイミングで退室し、昨夜のように食べているところをじろじろ眺めることはなかった。


 食事の味は悪くない。コーヒーも、シュルツが好むいつもの味だ。

「…………はぁ」

 そんなことを学習してどうするんだ……。飲み終わったカップを置いて、シュルツが頭を抱えていると、


 ――こん。こん。


 不器用で、金属的なノックの音がした。

「?」

 IV-11-01-MARIAのノックではない。怪訝な顔で扉を見つめていると、故障しているはずの給仕ロボットSULLAが入室してきた。


 キコキコと歩いてシュルツの横に来て、不器用に会釈してから食器を下げる。腕をきちんと動かしてトレーに食器を乗せてから、再びSULLAは会釈した。


「……な、なんだ?」


 SULLAの腕は、壊れたはずではないか。なのにどうして動いている? 怪訝な顔をしていると、


「ドクター!」


 今度はIV-11-01-MARIAが、ぱたぱたと部屋に戻ってきた。彼女は両手に、スパナと厚い本を持っていた。

「わたし、いまSULLAを直してみたんです。上手に直ったと思うんですけれど――どうですか?」

 工作の授業で自信作を完成させたジュニアスクールの生徒のように、彼女は目を輝かせてシュルツの評価を待っていた。


「君がSULLAを直しただと? 修理法を知っていたのか?」

「いえ、知らなかったので、本を読みながら直したんです。倉庫の中に、工具も解体図もあったので。勝手に借りてしまいました……でも、ちゃんと直っているでしょう?」


 ぽかんと口を開けているシュルツの顔を覗き込んで、IV-11-01-MARIAは少し心配そうな顔になった。

 シュルツはSULLAの腕に触れ、関節軸をチェックした。

「たしかに、修理できている」

「よかった!!」

 子供のように飛び跳ねて笑っている彼女の様子を、半ば茫然としながらシュルツは眺めていた。


 ……彼女の物覚えが早いのは当たり前だ。解体図を読んで修理をするくらい、ヒューマノイドなら朝飯前だろう。だが、行動が非常にユニークだ。


「君はユニークだな。その個性は、たしかに役に立つかもしれない」

「はい! わたしは、もっとあなたのお役に立って、もっと喜んでいただきたいです」

 彼女が頬を染めて笑うと、シュルツは眉をしかめた。


「勘違いされては困る。君は私の役に立っているわけではない……自分で壊した物を自分で直しただけだろう? 私が『役立つ』と言ったのは、『人間の演技をする上で有用だ』という意味だ。君のように奇妙な行動をするヒューマノイドを、私はいままで見たことがないからな」


 シュルツは、彼女が持っていた本に目を落とした。


「私はこれから仕事なんだが――あぁ、良いことを思いついた。三階に書架がある。君は書架の本を読んできたまえ。検死官とともに生活しようというのに、ロボットに関する知識がないのでは話にならん」


 蔵書は十七万五千冊。彼女がロボットだといえ、読み切るのに二、三日はかかるはずだ。


「全て読み終わるまで書架から出るな。しっかり勉強するといい」

 仔犬のように付きまとわれては迷惑だ、これで少しは時間稼ぎになるだろう。


「はい! ありがとうございます」


 やるべき仕事を貰ったマリアは喜んでいるようだった。ぱたぱたと嬉しそうな足音を立て、階段をのぼっていった。

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