9.mementoid《形見ロボット》

 あぁ。

 また、この夢か――


 夢の淵でまどろみながら、ロベルト・シュルツはそう思った。

 分かっている。ただの夢だ。くだらない幻だ。


 頭ではそう理解しているのに、シュルツは何度も同じ夢を見る。十四年間、ずっとそうだ。

 夢の中の自分は、当時のままの十四歳。気弱で無力で、みじめな自分。なにかに追い立てられながら、暗闇の中を逃げ惑う。


『助けて――父さん、母さん!』


 馬鹿な子供だ。いくら叫んでみたところで、あの父母はお前のことなど救わない。……本当は、分かっているだろう?

 冷ややかな声で、十四歳の自分に向かってシュルツは言った。それでも十四歳のロベルト・シュルツは、必死で救いを求め続けている。


 彼を追いかける、黒い影。蛇のようにのたうちながら迫り寄る。ロボットの蛇だ。機械仕掛けの巨大な蛇が、ロベルト・シュルツを捕まえた。彼の体をからめ取って、引きずり倒す。


『いやだ――やめろ!』


 黒い鱗を不気味に光らせ、ロボットの蛇は鎌首をもたげた。口を開く。地獄の炎のように真っ赤な口。血の色をした赤い舌。


 激痛が走ったのは、ほんの一瞬のことだった。ロベルトの体から右の手足がちぎり取られて血しぶきが上がる。


 彼は悲鳴を上げていた。


 信じられないほど大量の血液が、体の中から流れ出る。辺り一面血の赤に沈み、ロベルト自身もおぼれていく。

 周囲の黒は、いつしか赤へ。


 ――苦しい。助けて。


 世界のすべてが赤い海。息ができない――おぼれる。助けて。


『父さん――母さん!』


 いくら呼んでも、父さんも母さんも助けに来てはくれない。僕の苦しみを知りながら、遠いところで自分のことばかりしている。仕事ばかりの父さんと、“心の病気”のせいで僕を顧みない母さん。僕は手足を失くしたことより、あなたたちに捨てられたことがつらかった。

 赤い血の海は、なおも深く。ロベルト・シュルツを飲み込んで、つま先から髪の先まで真紅に染めた。


『たす……けて』


 ロベルトは残った左腕を、必死に伸ばして助けを求める――誰にも届かぬその腕は、虚しくさまよい再び海へと沈んでいった。

 ――そのとき。


“死ぬな。死なないでくれ!!”


 ロベルトの手を必死につかんで、血の海から引きずり上げようとする老人がいた。白髪の下で苦痛にゆがむ、老いた顔。顔面に走る刃物の傷。ロベルトを救おうとしたのは、トマス・アドラーという名の老人だった。 


『トマス、先生……?』


 その老人の手は、痩せこけてしわだらけだった。でも、涙が出るほど温かい。

 ロベルトは必死になって、トマス・アドラーの手にすがりついた。


『トマス先生!』


 ……そうだ。先生だけは僕を裏切らない。絶対に。

 ロベルトは赤い海から這い上がり、ようやく岸辺に手をかけた。つながれた手を握りしめ、顔を上げる。自分を救ってくれた老人を、真正面から見つめようとしたのだ。――なのに。

 いつの間にやらトマス・アドラーは消えていた。

 赤い岸辺に、ロベルトはまたひとりぼっち。血の海に半身を浸しながら、彼は迷子のように左右を見回した。


“どうしたの? ロベルト”


 ふいに誰かに名を呼ばれ、ロベルト・シュルツは振り向いた。


“だいじょうぶ? 手を貸すよ”


 声の主は、自分とまったく同じ顔をしたロボットだった。

『ひっ……』

 ロベルトは、掠れた声で悲鳴を上げた。

 銀色の髪も、青い目も。自分とまったく同じだった。そのロボットは、ロベルト・シュルツの模造品コピーなのだ。


 ――奴だ。僕と同じ顔をした、あの形見ロボットメメントイド


“どうしたの? 僕が怖いの?”


 そのロボットは笑っていた。陸地から手を差し伸べて、赤い海に身を浸しているロベルトへ微笑を向ける。


“だいじょうぶだよ、仲良くしよう。僕は、君の|形見ロボット(コピー)なんだから”


 そのロボットは優しい物腰で、ロベルトを赤い海から引き上げようとした。


『触れるな!』


 ロベルトは、反射的に相手を跳ねのけた。手足の欠けた彼の体は、ぐらりと傾いで倒れ込む――赤い海へと、真っ逆さまに。十四歳のロベルトは、再び血の海に沈んでいった――




  * * * 


《1998年10月1日 7:28AM エルハイト市内 第六検死研究所》


「……――――ッ!」


 声にならない叫びとともに、ロベルト・シュルツは目を覚ました。

 びっしょりと汗をかいて、周囲を見回す。

 窓から朝日が差し込んでいた。


 バスローブを着て、ソファに座ったままだった。テーブルに置いてあったのは、分解途中の義手みぎうでだ。人工皮膚を剥がした部分から、細かい金属部品が中途半端に引き出してあった。


「……途中で眠ってしまったのか」


 忌々しそうな顔をしながら、シュルツは髪を掻きあげた。

 時刻はすでに、朝の七時を過ぎている。いまさら義手の修理をしている暇はない。シュルツはあきらめたように溜息をついて、いま自分の肩につながっている“予備の右腕”を、入念に動かした。上腕、ひじ、前腕、手首、五指。どこも問題ない。


 当分は、予備を使えば問題ない。修理は次の機会にしよう。そう決めて、分解しかけの義手の上にプラスチックの覆いをかぶせてチェストにしまった。


 汗を流して身なりを整え、シュルツは早々に部屋を出た。すると、


 とすっ。


 扉を開いて踏み出すや、胸元に柔らかいものがぶつかった。……それはIV-11-01-MARIAマリアの頭だった。

「おはようございます! ドクター・シュルツ!」

 元気いっぱい、陽だまりのような笑顔でシュルツにあいさつしたのは、ヒューマノイドのIV-11-01-MARIAだ。扉の前で、シュルツが出てくるのをじっと待っていたらしい。


「……朝からずいぶんと暇を持て余しているようだな。うらやましいことだ」


 シュルツが嫌味を言いながら横をすり抜けようとすると、IV-11-01-MARIAはあわてて彼のそでを掴んだ。

「待ってください。わたし、あなたの朝食を作ったんです」

「朝食?」

 何を言い出すのかと思えば、また食事か。うんざりしたようにシュルツは言った。

「はい! 今日の食事はドクターのお好みに沿っているはずです。召し上がってみてください」

 ニコニコしながら、MARIAは言った。

「いらん。朝食だったらSULLAスラも用意しているはずだ。私はいつも通りにSULLAのものを――」


「SULLAは壊れてしまいました」


「……なんだと?」

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