8.異常な日常《後編》

「私の前では、人間のふりなどしなくて良い。睡眠の演技も不要だ。ロボットはロボットらしく、安心してここにいればいい」


「はい……」

 ドクター・シュルツに冷たく言われて、IV-11-01-MARIAマリアは渋々うなずいた。

 MARIAを倉庫に残したまま、シュルツは早々と電気を消して踵を返す。

 後ろ手で扉を閉める彼の背中を、MARIAは見送ることしかできなかった。

 扉の隙間から射す廊下の光は次第に細くなり、ついに、


 ――ぱたん。


 扉が完全に閉じると、倉庫の中は真っ暗になった。

「ぁ……」

 IV-11-01-MARIAの視力は、人間よりも優れている。暗闇の中でも周囲の様子を見ることはできるが、真っ暗な中でひとりぼっちは嫌だった……だから、すぐに部屋の電気をつけた。


 ぱち。


 さみしげな、スイッチの音。二、三度チカチカしてから、蛍光灯が青白く灯った。

「とても、さみしい場所……」

 五歩で壁から壁まで歩き切れるような、小さな倉庫だった。

「お父さまのお屋敷とは、ぜんぜん違うわ」

 倉庫の中には、調度品のたぐいは何もなかった。壁一面に、見たこともない工具ばかりが置いてある。本棚に並んでいるのは文学全集などではなく、さまざまなロボットの解体図だった。

 MARIAのくちびるから、ため息が漏れる。

「困ったわ」

 ようやくドクター・シュルツに会えたというのに、自分はまったく役に立っていない。

「わたし、ドクターを怒らせてしまったのかしら……」

 このままでは父の遺言を果たすことができない。なにか、自分に出来ることはないのだろうか。


 うろうろと倉庫の中を歩き回っていたMARIAは、片隅でスリープしているIII-08-29-SULLA に目を向けた。おそるおそる、近寄ってみる。

 ずんぐりとした金属の体と、半球状の頭、長い腕、おもちゃみたいなキャタピラの足。それが旧式給仕ロボットSULLAだ。ものめずらしそうに、MARIAはそれを観察した。


「――ねぇ。あなた、聞こえる?」


 III-08-29-SULLA には耳がない。それでもぽつりと呼んでみると、SULLAはスリープから醒めて、ぎこちなく動き出した。

 頭部を覗き込むようにして、MARIAは話しかけてみた。


「あなた、わたしの言っていること、分かる?」


 半球状の頭が、四十五度ほど傾斜した。どうやら、うなずいているらしい。

 コミュニケーションが取れると分かって、MARIAは安堵したように笑みをこぼした。

「あなたにお願いがあるのだけれど。ドクター・シュルツの好きなお料理、教えてほしいの。いいかしら?」


 SULLAは再びうなずいた。こりこりと軋んだ音を立ながら、部屋を出てキッチンへと歩き出す。

 その様子を見て、MARIAは花咲くように笑った。SULLAに続いて、彼女もキッチンへと向かう。



  * * *



 ――ぱたん。


 IV-11-01-MARIAをその場に残して、シュルツは倉庫を後にした。

「…………はぁ」 

 今日一番の重たい息を吐き出して、気だるそうに自分の部屋へと帰っていく。


 机の上には、今月分の検死報告書レポートの束。未処理の報告書を記入しながら、シュルツは何度もため息をつく。


 なんの役にも立たないヒューマノイドを、預かる羽目になってしまった。これから、どうしたら良いものだろうか。


「IV-11-01-MARIAか……」


 つぶやきながら報告書に書き込んだのは、またも『異常なし』の文字。

「異常だらけさ。この世の中は」

 万年筆を泳がせながら、シュルツは天井を仰いで言った。


 狂気のただなかにある者は、己の異常さには気づかない。世の中の者の大半は、ロボットに骨の髄まで依存しながら『鉄クズの化け物』だなんだと叫んで排除しようとする。こんな世の中で、IV-11-01-MARIAが生きていくことなどできるだろうか?


 ようやくすべての報告書を片付けると、シュルツは伸びをしながら立ち上がった。そのままバスルームへ向かう。

 シャワーを浴びながら、自問自答を繰り返していた。 

「さて……どうしたものか」

 熱い水滴が、疲れを取り去り流れていく。面倒ごとも一緒に取り去ってくれるとありがたいのだが……。いや、現実逃避しても仕方がない。


「人間の演技ふりを徹底させるしか、ないだろうな」


 IV-11-01-MARIAをいつまで預かるか分からないが、おそらく長く預かることになるだろう。いつまでも社会から遠ざけて、置物のように囲っておくのは不可能だ。そしてそれは、恩師の望みではない。


 大変不本意ではあるが。人間の演技を教育してやる必要がある。


「人間でもないモノに、人間らしさを教え込むのか……この私が」

 思わず皮肉な笑みがこぼれた。

 ある意味ではすでに、IV-11-01-MARIAは自分よりよほど人間らしく見えるではないか。頭が悪くて、不完全で、隙だらけだからだ。

 ――馬鹿は嫌いだ。人間だろうと、ロボットだろうと。教育などという地道でいらだつ作業を、自分は為すことができるだろうか?

「……できるさ」

 ロボットには自分の意志など存在しない。頭脳の中枢を三原則に束縛されている彼らにとっては、人間への服従だけが行動基準だ。意志を持たず、感情も持たない――だが非常に頭が良いので、完璧な模倣ができる。あたかも『自分の意志がある』ようにふるまい、『感情豊かである』ように演じることができる。IV-11-01-MARIAも例外ではないはずだ。


 彼女には常識が欠如しているが、学習機能はある。その証拠に、所有者ちちおやが教育したと思われるテーブルマナーは完璧だった。


「テーブルマナーよりも先に教えるべきことは、いくらでもあるだろうに……」


 MARIAの教育は、実際にはそれほど難しいことではないだろう。生活の中で、不自然な点を見つけてその都度修正していけばいい。要は他人にMARIAの正体がばれなければ問題ないのだ。


 シュルツは決心した。


 IV-11-01-MARIAを守り、“人間らしく”育ててみせよう。それがトマス先生の願いなのだから。


「――――ッ」


 水栓をひねってシャワーを止めようとしたとき、また右手が痛んだ。

「……この腕はそろそろ、きちんと修理しなければならないな」


 仕事が立て込んでいたので、騙し騙し使ってを先延ばしにしてきたのだが。これ以上放置するのはさすがに良くない。

 ローブを羽織ってバスルームから出てきたシュルツは、ソファに腰かけ右腕をまくった。そして、

「くっ」


 痛みにうめきながら、自分の腕を取り外した。


 上腕から指先までのひとつながり。右腕一本を、テーブルの上にそっと置く。鍵付きのチェストを開けて予備の右腕を取り出すと、それを肩に装着した。


 ――腕を着脱するときは、この痛みに耐えなければならないのが難点だ。


 そんなことを思いつつ、チェストの中から専用の工具一式を取り出し、慣れた手つきでひとつひとつ並べていく。


「……本当に。この世は異常ばかりだな」


 ロベルト・シュルツは。皮肉に、ぽつりと、つぶやいた。

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