7.異常な日常《前編》

《1998年9月30日 8:30PM エルハイト市内 第六検死研究所》



「腕によりをかけて作りました! いかがでしょう?」


 晴れやかなIV-11-01-MARIAの声が、ダイニングに響いた。


 食卓には色とりどりの食事が並んでいた。食前酒と前菜、スープはもちろんのこと。メインには、香りも高き子羊ラムのハーブ焼き。その傍らには焼きたてパンとワイン。ご丁寧になことに、ホールのフルーツケーキもあった。


「なんだこれは…………」

 温かそうな料理の群れを見下ろすロベルト・シュルツの瞳は、料理とは対照的に冷え切っていた。


 眼前を彩る、華やかな食事……それも、大量に。まるで復活祭イースターの日に大家族が囲むような食卓だった。こんなに沢山を、シュルツ一人に食べさせようと言うのだろうか? 冷蔵庫の中の食材で料理を作ったはずだが、いったい何日分使ったのだろう。


「……今日は復活祭イースターの日だったかな?」

 嫌みな口調で、シュルツ言った。

「君はこれから復活祭の家族パーティでもやる気なのか?」

 マリアは嫌味に気づいた様子もなく、

「? いいえ、ドクター・シュルツ。復活祭は春の行事ですもの。いまはもう、九月です」

「だったら何だ、この食事は?」

「お夕食です」

 自信たっぷりに言い切るMARIAを見て、シュルツは言葉を失った。

「――どうやら君には、常識と言うものがないらしい」


 苦い顔をしてそれだけつぶやくと、シュルツは食卓についた。不思議そうな顔で首をかしげているMARIAに見て見ぬふりを決め込んで、黙って食事を口に運ぶ。

 腕によりをかけたと言うだけあって、確かに味は上等だった。だが、ロボットに褒め言葉をよこしてやる必要などない。シュルツは無言で食事を続けた――

 と。IV-11-01-MARIAの視線を感じた。

 シュルツの食べる姿を、MARIAはじっと見つめている。さすがに不愉快になって、シュルツは彼女に声をかけた。


「人間の食事をじろじろと眺めるのが、IV-11-01-MARIAきみの流儀なのか?」


「え?」

「いつまでそこに突っ立っているつもりなんだ」

 イライラしながらそう言うと、MARIAは慌てたそぶりで言った。

「あ……すみません!」

シュルツは、彼女に『下がれ』と指示したつもりだった。ところが――

「それじゃあ。いただきます」

 なぜだかIV-11-01-MARIAも反対側のイスに座り、食事を食べ始めたのだ。シュルツが『座れ』と命じるのを、黙って待っていたらしい。


 ――このロボットは、いったい何をしているのだろう?


 呆気にとられ、シュルツは彼女を凝視する。彼女はまるで上流階級の娘のような優雅な手つきで、食事を赤いくちびるに運んでいた。

 シュルツの目線に気づいたマリアは、恥じらうように頬を染めた。


「あの……どうしましたか? ドクター」


「それはこちらの台詞だ」

 ため息をついて、シュルツは尋ねる。

「どうして君が食べるんだ!? 君は食物を消化できないだろう?」

「わたしが食べたものは、“人工胃”に貯蔵されます。あとで、自分で内容物を除去するんです」

「いや、そうではなく……そもそも君が食べる意義について聞いている。君の“食事たべるふり”には、いったい何の意義があるんだ?」


 やることなすこと滅茶苦茶なくせに、なぜテーブルマナーだけは完璧なんだ。


「食事はみんなで一緒に食べるものです――父がわたしに、そう教えました。それに、栄養にはならなくても、わたしにも味覚はあるので料理の良し悪しが分かります」

「……ほう」

 呆れることしか、出来なかった。

「私の前では、そんな無意味なことはしないで良い」

 シュルツは不愛想に言いながら、羊肉にナイフを入れようとした。――と、そのとき。


「――――ッ」


 右手の指がまた痛み、ナイフを床に落としてしまった。シュルツが右の指先を睨んで沈黙していると、

「ドクターにとって、誰かと食事をするのは無意味なのですか?」

 MARIAは新しいナイフを用意し、床のナイフを拾いながら上目づかいに問いかけてきた。

「少なくとも、君と食事をするのは無意味だな」

 シュルツが答えた瞬間に。IV-11-01-MARIAはまるで年頃の娘のように、傷ついた表情をした。

「……そうですか。わかりました」

 IV-11-01-MARIAを一瞥してから、シュルツは冷たく言い放った。

「そもそも明日から、君が食事を作る必要もない。食事は今まで通り、III-08-29-SULLA に任せる」

「そんなの、困ります! それじゃあわたしは何をしたら、あなたの役に立てるんですか!?」

「私に君は必要ない」

「必要としていただかなければ困るんです。父の遺言なんですから!」

 IV-11-01-MARIAは、動揺しているようだった。


「父はわたしに言いました――あなたのお役に立つように、と。だからあなたのお役に立たなければ、わたしは父の願いを叶えることができません」

「そんなことは知るか。ともかく君は、まったく必要ないロボットなんだ。家事ごときに違法なヒューマノイドを使う必要もない。――SULLA《スラ》!」

 シュルツが呼ぶと、給仕ロボットのIII-08-29-SULLA が現れた。なめらかな動きで食器を片付け、食卓をきれいに拭って去っていく。

「あぁ……」

 MARIAは悔しそうな顔で、SULLAの背中を見つめていた。


「わたし、あんな機械には負けません!」


 冷え切った目をしてシュルツが黙っていると、彼女は渋々うなずいた。

「わかりました……あなたに必要としていただけるように、努力します。他に、必要なお仕事はありませんか」

「結構だ」

 シュルツは立ち上がった。時刻はすでに、午後九時を回っている。

「私は失礼する。今日中に仕上げなければならない検死報告書レポートが残っているんだ」

 去ろうとしたシュルツを、MARIAがおずおず呼び止める。


「あの……ドクター? わたしは、どこで眠ればいいですか?」

「眠る? ああ、ロボットの保管庫はこちらだ」


 MARIAが案内されたのは、地下の倉庫だった。

「ここ……ですか?」

 壁に整然と工具が並ぶ、清潔な小部屋だ。青白い蛍光灯に照らされて、ひんやり冷たい空気が流れている。


「SULLAと同じように、普段はここいればいい」


 会話の最中に、給仕ロボットのSULLAが部屋に入ってきた。部屋の片隅まで移動して、ひっそりとスリープモードに入る。

 IV-11-01-MARIAの表情は沈んでいた。

「…………」

 わたしは、あんな機械と同等ですか? ――そう言いたげだ。

「どうした? 湿度も温度も、機器の保管には申し分ない環境だろう?」

 意地悪く、シュルツはMARIAに言い放つ。


「私の前では、人間のふりなどしなくて良い。睡眠の演技も不要だ。ロボットはロボットらしく、安心してここにいればいい」


「はい……」

 するとシュルツは電気を消して、早々と部屋から出た。

 ――ぱたん。

 扉を閉める音だけ残して、シュルツは自分の部屋に戻っていった。

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