6.違法な家政婦

《1998年9月30日 7:30PM エルハイト市内 第六検死研究所》


「すると君は、所有者であるアドルフ・エレットが死亡した時点で、この封筒を投函した――ということか?」


 夕方に受け取った封筒をかざしながら、ロベルト・シュルツは車を降りた。その封筒は、恩師がシュルツに宛てたものである。

「はい、ドクター・シュルツ」


 シュルツに続いて、IV-11-01-MARIAマリアが助手席から降りる。彼女の月影色の金髪は夜目にも鮮やかで、紺碧のような青い瞳は夜の空より澄んでいた。


「父は亡くなるときにその封筒をわたしに差し出し、あなたに庇護を求めるように言い遺しました。それが、父とトマス・アドラー博士との約束だったそうです」


 二人は並んで、第六検死研究所の扉の前に立った。

 第六検死研究所は、エルハイト市西部・第二街区に位置する“ロボット検死”専門の作業施設だ。研究所という名にそぐわず、外観はまるで古い洋館のようである――実際この建物は、十九世紀末まで市内の有力商人の邸宅だったのだという。市に買い上げられた後、外装は当時のままで何回か用途を変え、今では検死官の住居兼作業所として活用されている。決して大きいとは言えないだが、検死官シュルツが一人で暮らすには十分すぎる広さだ。


 扉を解錠し、シュルツは研究所の中と進む。IV-11-01-MARIAも後ろに続いた。


「――ふん。私になんの断りもなく、そんな約束が取り決められていたとはな」

 IV-11-01-MARIAの製造依頼者ちちおやであるアドルフ・エレットは、生前にアドラー博士からその封筒を受け取っていたらしい。そして自身が死ぬときに、その封筒をMARIAに投函させた。彼は博士の助言に基づき、IV-11-01-MARIAをシュルツに託したのだ。


 シュルツ自身に何一つ知らせないまま、恩師がエレットとやらとそんな約束を取り交していたとは……恩師らしからぬ無茶な行動から、この事態の異常さがにじみ出ていた。


「父の死後、わたしはあの封筒を送り、あの慰霊碑のもとで待ち続けていました。あそこで待っていればあなたが必ず迎えに来てくれると、父が言っていたからです」

 IV-11-01-MARIAに向かって、シュルツは皮肉たっぷりに言った。


「それで君は、忠犬よろしく私を待ち続けていたということか? あんな墓場で、何日間も。それはまたご苦労なことだな」


 MARIAは皮肉に気づかずに、明るく笑って答えていた。


「いいえ、苦労なんてまったくありませんでした。あなたが必ず来てくれると、信じていましたから。それに私があの場所に着いてから、ドクターがいらっしゃるまでに経過した時間はたったの二七九二〇一秒です」

 シュルツは一瞬、沈黙した。

「――ならば『およそ3日』と言いたまえ」

 彼女が言った秒数をとっさに日数へと換算し、シュルツは面倒くさそうな顔で言った。


「人間同士の通常の会話で時間を説明するときには、スイス製時計のような正確さは期待されない。その正確さは、むしろ蛇足だ」


 感心したように、IV-11-01-MARIAはうなずいた。

「はい。分かりました、ドクター」

「それも蛇足だ。『はい』、『いいえ』といちいち言うな。耳に障る」


 うんざりしながら、シュルツは息を吐き出した。

 吹き抜けの玄関ホールを抜けて、大階段を上る。二人分の足音が、研究所内に静かに響いていた。


「それで? いったい君は、いままでどこに住んでいたんだ?」

 階段を抜けて、二階へ。絨毯張りだった床が、ここからは合成樹脂のタイルに変わる。天井も壁も、いかにも研究所らしい無機質なものに取って代わった。


「クレハ市のバートヴァイス地区です」

「古都クレハか」

 きょろきょろと周囲を眺めまわしていたIV-11-01-MARIAは、シュルツの返答を聞いて意外そうな顔をした。

「あら? ドクターはクレハの街をご存知なのですか?」

 シュルツの眉間にしわが寄る。

「君は私を馬鹿にしているのか? この連邦の国民で、クレハを知らない者などいるものか」


 クレハ市は、このエルハイト市から南東八百キロの距離にある小都市だ。最盛期だった十八世紀に造られた地下水道が、過去の大戦で反政府勢力パルチザンのアジトになっていたというエピソードはあまりに有名である。

「かつては栄えた都だが。今では風紀も乱れた片田舎だ。ずいぶん辺鄙なところに住んでいたんだな、君は」


 戦前までは風光明媚な古都市であったクレハだが、戦後は大いに廃れてしまった。空襲の焼け跡に興った闇市ブラックマーケットと風俗街が、治安を乱しているという。


「あら……クレハは今でも美しいところですよ? 緑も豊かで。映画の舞台になったこともあるんです」


「ふん、まったく興味が湧かないな」

 シュルツは“第一検査室”というプレートが付いた部屋の扉を開けた。大小さまざまな機材が並ぶその部屋には、簡素な机と、イスが二つ。物憂げに、シュルツはイスに腰掛けた。

 好奇心旺盛な子供のように、IV-11-01-MARIAは機材を眺めている。黒い棺のような装置を、恐る恐る指先でつつこうとしていた。

「勝手に触れるな」

 鬱陶しそうに、シュルツが横から声を挟んだ。

「あの。ドクター?」

「何だ」

 IV-11-01-MARIAはふしぎそうな顔をしていた。

「ロボットの研究所なのに、ロボットが全然いませんね。わたし、ここにはロボットがたくさんいるものだと思っていました」

「ひとつだけある。私の身の回りの世話をさせるための、旧式が」

 シュルツはMARIAに視線を合わせず、相変わらず不愛想だ。


「私はロボットが嫌いだ。必要最低限のものしか置きたくない」


 ――つまりは、君など置きたくないんだ。冷たい瞳に拒絶の色をにじませて、シュルツはちらりとMARIAを見やる。

「あら。ロボット工学者なのに、あなたはロボットがお嫌いなのですか?」

 シュルツの皮肉など、MARIAは意にも解さない。露骨に睨みつけられても、臆することなくこう言った。


「わたし、今まで一度もロボットを見たことがないんです」

 君自身がロボットだろう……シュルツは思わず指摘したくなったが、相手のペースに巻き込まれるのが不快で口をつぐんだ。

「ところで、ドクター。わたしは、この研究所で何をすれば良いのでしょうか?」

「それはこちらが尋ねたいくらいだな」

 シュルツはうんざりしていた。

「一つ尋ねるが……君には何ができるんだ?」


 このIV-11-01 MARIAは、トマス・アドラーが製造したロボットだ。凡庸な人形であるはずがない――しかしどんなにすばらしい性能を持っていたとしても、教育がなければ木偶人形と変わらないだろう。ロボット工学三原則と最低限の基礎情報以外は、稼働後に教育されて身につけていくものなのだから。


 MARIAは軽く首を傾げ、少し考えてから明るい声で言った。


「家庭料理が得意です」

「必要ないな」

「お菓子も作れますけれど」

「ますます必要ない」

 ため息を吐き出してから、嫌味な口調でシュルツは言った。


「君はいずれ私の検死業務の補助をするつもりらしいが――ならば当然、非モノ型ロボットの保存的開頭法を知っているな?」


「ひもの??」

 彼女が要領を得ない返事をすると、シュルツは一層不愉快そうな顔をして、意地悪くまくしたてた。

「調圧還流ユニット“心臓”の加圧操作による擬似血液の凍結・仮死化処置はできるか? 三原則逸脱の鑑別スケールを記憶しているか? そもそも“ロボット検死”について、君はどこまで理解している?」


「……あの。すみません。何もわかりません」

 IV-11-01-MARIAは、申し訳なさそうにうつむいた。

「それでは君は、何の役にも立たないな」

 シュルツの言葉は棘だらけだった。


「食事も清掃も、すでに、一台のロボットに任せてある。……SULLAスラ!」


 シュルツが声を上げると、待ちかねていたように一台のロボットが入室してきた。ずんぐりとした金属製のボディと腕と、キャタピラの足。見るからに古めかしい、子供向けアニメに出てくるような形のロボットだった。


「III-08-29-SULLAだ。この建物が検死研究所として使われる以前から、ここで働き続けている。一九六三年製の給仕ロボットで、古いが性能には問題がない。このSULLAがある限り、君の出番はないな」


 シュルツが冷たく言い放つと、III-08-29-SULLAはMARIAに向かって不恰好に会釈してみせた。

 MARIAは、少し悔しそうな目でIII-08-29-SULLAを見た。

「ドクター。あの……申し訳ありません。あなたのお仕事は、今日からがんばって勉強しますから。でも、今日は……ひとまずお料理を、作らせてもらえませんか? なんのお役にも立てないなんて、居心地が悪くて」

 一生懸命な顔で、MARIAはシュルツに申し出た。

「お願いします! わたし、そのロボットが作るのよりも美味しい食事を、絶対に作ってみせますから!」

 シュルツはため息をつく。

「だったら、好きにすればいい」

「はい。ありがとうございます!」

 MARIAは声を明るく弾ませた。

「この研究所、ドクターの生活スペースが付いているんですよね? キッチンはどこにあるのでしょうか」

「そんなものはSULLAに聞いてくれ」

 SULLAが無言で進み出た。

「はいっ!」

 彼女は張り切りながら、SULLAに導かれてキッチンに向かっていった。


 その後ろ姿を見送ってシュルツは思わずため息をつく。

 恩師は、違法に作った家政婦ロボットを新しく使えというのだろうか? そう思うと、なんだか頭が痛くなってきた。

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