5.意外な依頼

 画面の向こうで、鏡越しに恩師が笑う。昔と同じ、穏やかな笑みだ。


 シュルツの手はふるえていた。


 トマス・アドラー博士。雪のような白髪とひげに縁どられた、穏やかな老顔。その優しげな表情とは不釣り合いに、額から鼻先にかけて刃物で切られた古傷がある。顔の傷も足の障害も、二十年以上も前に、反ロボット主義者によって負わされたものなのだということをシュルツは知っている。


「先生!? どういうことです。これは――」


『私の目に映ったものが、その機器を通して君に見える。私の耳に聞こえた音が、機器を通して君に聞こえる。当局に召喚される前に、そんな細工を施しておいたんだ……私の脳に』


 老いた顔に、いたずらをやり遂げた子供のような笑みが浮かんだ。


「生体デバイス……ですか?」

 恩師はうなずいた。鏡に自分の姿を映し、ひとり言のようにささやき続ける。

『受信機が無事に君の手に渡ってよかった。アドルフ・エレットの没後に君へ届くよう、あらかじめ手配しておいたんだ』

 恩師の顔が、悲しく笑った。

『危険を承知で、私はこんな手段を取った。――端的に言おう。君にしか頼めぬことだ』

 罪を告白するかのように、老人は声を絞り出す。

『今、君の隣にはひとりの女性がいるはずだ。彼女を、君に守ってもらいたい』

「このヒューマノイドを!?」

 シュルツは声を裏返らせた。

『ほう。さすがは君だ。彼女が人間ではないと見抜いたのかね?』

 感心したようにトマス・アドラーは笑う。


「いいえ。外見では判別できませんでした。これほどまでに完全なヒューマノイドが存在するとは……信じられません」

 いくぶん悔しそうな声で、シュルツは告白した。

 人間の姿をしたロボット――それが“完全ヒト型ロボットヒューマノイド”だ。バイツェル法で固定化した培養ヒト細胞を、多孔性軟プラスチックの支持体に定着させることで、人間と同一素材の外表を持ったヒューマノイドを造ることが出来るのだ。


『彼女の製造コードはIV-11-01-MARIAマリア。かつて私が造ったヒューマノイドだ』


 シュルツはふり返り、IV-11-01-MARIAの手を掴んで引き寄せた。息のかかる距離まで迫り、間近で肌を観察する。

 頭髪の一本一本、あるいは毛穴の一つ一つ。IV-11-01-MARIAは完全だった。量産型と比べ物にならないのはもちろんのこと。富裕層向けのオーダーメイドのヒューマノイドでさえ、ここまで精緻な造りの物は見たことがなかった。


「さすがは、先生のお造りになったヒューマノイドですね。まるで、神の御手みてが人間を作り出したかのようだ……」


 直立不動で突っ立つMARIAを、シュルツは無遠慮に観察していた。

 彼女の首すじに手を触れて、体表の熱を確認する。人間と同じ温度ぬくもりがあった。バラ色のくちびるから生まれる吐息も、同じく湿度と熱を持つ。そして彼女の呼吸に合わせ、胸と肩が自然な上下を繰り返すのだ。


「これはもう、完全な人間にしか見えません」


 シュルツはIV-11-01-MARIAの瞳を覗き込み、街灯の光に合わせて収縮している様を見た。――そして気づいた。IV-11-01-MARIAの頬が、りんごのように真っ赤に染まっていることに。

「?」

 IV-11-01-MARIAの不可解な反応を見て、シュルツは怪訝な顔をした。


「先生。たしかに彼女は、外見かたちは完璧ですが……挙動がおかしいのでは? だから私は、彼女が人間でないと気づいたのです」

『そう。それがIV-11-01-MARIAの問題点だ』

 恩師の声は、通信を始めたときよりも掠れていた。


『今のままでは、彼女いつか当局に見破られ、殺されてしまう。そこで君に、彼女を保護してもらいたいのだ』


 画面越しの恩師の目は、シュルツにすがるようだった。

「ま、待ってください!」

 シュルツは、息もつかずにまくしたてる。

「ヒューマノイドは今や、存在自体が違法です! もし当局にIV-11-01-MARIAの存在が知られたら……」


 C/Fe《シー・フィ》事件――あの忌まわしいテロ事件の後、国内ではヒューマノイド根絶の機運が高まった。ヒューマノイド活用の是非を巡って経済界と治安当局はじりじりと争い続けていたのだが、連邦政府は八年前、ヒューマノイドの全例廃棄に踏み切った。


 つまり彼女を生かしておくこと自体が、違法なのだ。

「あまりに危険です……こんな物は、今すぐ廃棄すべきだ!」


 噛みつくようにシュルツが言うと、恩師は悲しい顔をした。


『それは駄目だ、ロベルト。私はMARIAを守りたい』

 恩師の声にはノイズが混じり、映像もやや不鮮明になっていた。脳に仕込んだというデバイスの、耐久性の問題なのかもしれない。だとすれば、残された交信可能時間はあとわずかのはずだ。


『君以外の人間には頼めない。MARIAを守ってもらいたいんだ――彼女を襲うあらゆる危険から。当局の目からも、何もかも。この社会で生きていけるよう、MARIAを育て上げてほしい』

 シュルツの目に、困惑の色が浮かぶ。

「なぜ、それほどまでに守りたいのです? 先生はこのヒューマノイドを、何のために造ったのですか?」


『MARIAは、“形見ロボット《メメントイド》”なんだよ』


 “メメントイド”。その単語を耳にした瞬間、シュルツは顔を歪ませた。

「“メメントイド”……ですか?」

 ヒューマノイドの製造技術を利用して、かつて富裕層の間では死別した人間の複製コピーづくりが流行した。そうして作られたヒューマノイドがmemento 形見-oidロボット;“メメントイド”。別名、“遺族用ヒューマノイド”と言った。

 シュルツは、“遺族用ヒューマノイドメメントイド”が何より嫌いだ。

「すまない、ロベルト。君にとってはメメントイドなど見たくもないだろうが……」

「ええ……。先生がメメントイドを手掛けていたとは、意外でした。メメントイドの製造については、先生も否定的だったはずです」


 メメントイドは、一時的には遺族の心を慰めてくれる……だが所詮コピーだ。偽物と本物との差異に苦しんだ遺族が、造ったメメントイドを廃棄する事例が頻発し、当時の社会問題となっていた。『人間のエゴを象徴するかのようだ』と言って、トマス・アドラー博士も“遺族用”目的でのヒューマノイド製造に反対していた。

 そんな恩師が信念を曲げてまで製造したというのなら。製造依頼者のアドルフ・エレットという男は、さぞや大事な人物だったのだろう。


『アドルフ・エレットは私の恩人だった。許されないことだと分かっていても、どうしても彼の最期の願いをかなえてやりたかった』


 トマス・アドラー博士は、画面越しのIV-11-01-MARIAを見つめた。

『不治の病に侵されたエレットは、死んだ娘に看取られたいと懇願してきたのだ。もちろん私も初めは断ったよ――だが』

 結局は、願いを聞き入れたのだという。


 そんな会話を続けるうちにも、画面がますます暗くなっていった。可視部はすでに、当初の半分未満になっている。

 恩師は声をかすれさせた。

『IV-11-01-MARIAは、私にとっても特別だ。どうしても助けたい。ロベルト、どうか彼女を守り、彼女に教育を与えてほしい』

「それは、彼女に人間としての演技を徹底させろ、という意味ですね? 人間社会の常識を教育し、人間に紛れ込ませろ、と――?」

 恩師は口をつぐんだ。その沈黙は肯定を意味するのだとシュルツは思った。

 だが、恩師の要求はそれだけでは終わらなかったのだ。

『……検死を』

「はい?」

『君の検死しごとを、IV-11-01-MARIAに教えてやってはもらえないか?』

「検死を!? なぜです?」


 あまりにも無茶な依頼だ。


『生きるためには死を知る必要がある。死を知り、自らの生を知ることで、彼女は完成されていくはずだ。すぐに学ばせてくれとは言わない。彼女の有能さを確信し、頼もしい助手になり得ると判断した時点で徐々に教えてやってほしい』


 画面はますます暗く、狭く。もう時間がない。トマス・アドラーは疲れたように微笑んだ。

『二十歳の女性に為しうることのほぼ全てを、IV-11-01- MARIAも為すことができる。君の教えたことはなんでも覚えるし、必ず君の役に立つだろう。どうか、使ってやってくれないか。時期が来たら必ず、私はMARIAを迎えに行く。それまでどうか――』


 シュルツはためらっていた。違法行為に一枚噛むともなれば、躊躇するのは当然だろう。IV-11-01-MARIAがもし見つかれば、恩師も自分も監獄行きは免れない。


 恩師の依頼を受けるか。否か。

 普通ならば、到底受け入れられる依頼ではない。

 だが――


「……わかりました」

 長い沈黙の果て、苦々しくも、シュルツは言った。


「トマス先生の依頼、お引き受けします」


 危険を承知で覚悟を決めた。そうすることが、恩師を守ることにもなるのだから。


「先生に救っていただいた命を先生のために使うなら、断ることなどできません。あなたは私にとって、父親以上の存在だ。あなたのご恩にようやく報いられるというのなら――」

 シュルツは短い息を吐いた。

「喜んで、お引き受けします」


『ありがとう。ロベルト』


 画面はすでに真っ暗だ。それでもシュルツには、恩師の笑顔が見えた気がした。

『ロベルト。巻き込んでしまって、本当に申し訳ない……』

「お受けしたことです。そんな顔をなさらないでください」

 黒変しきった画面には、恩師の顔などすでに見えない。それでもシュルツは、恩師に向かって笑って見せた。


「いつか先生にお会いできる日が来ることを、私は信じています。先生の無事をお祈りしています」


『ありがとう。必ず、必ずマリアを迎えに行く。それまでどうか――たの、……』


 花がしおれていくように、恩師の最後の声が途絶えた。

 シュルツは息を吐き出して、受信機を握りしめた。


 長い沈黙。それから思い出したように、横目でちらりとIV-11-01-MARIAを睨む。

 IV-11-01-MARIAはおとなしく静止して、事の顛末を見守っていた。まるでよく出来た人形のように――いや。実際、よく出来た人形なのだ。


「ついて来たまえ、IV-11-01」


 不愛想に言い放ち、シュルツは歩きだしていた。その顔は、いつも通りの冷たい表情に戻っている。

 ――さて。面倒な物を引き受けたものだ。

 恩師の願いとあって断ることなどできなかったが。違法ヒューマノイドなど、“お荷物”以外の何物でもない。今後は自分が、IV-11-01-MARIAを守らなければならないのだ。


 と、シュルツは足音がついてこないことに気づいた。怪訝に思ってふり返ると、IV-11-01-MARIAは慰霊碑のもとに突っ立ったままでいた。

 十メートルほど距離を隔て、シュルツは眉をしかめて呼びかけた。


「聴覚ユニットに問題トラブルでもあるのか? 返答しろ、IV-11-01」

「? ……あの。IV-11-01というのは……わたしのことですか?」

 あどけない顔をして、そのロボットは首を傾げた。

「君でなければ、誰のことを言っていると思うんだ?」

 冷え切った声でシュルツが言うと、

「すみません。そういう呼ばれ方をされたことは、いままで一度もなかったので」

 IV-11-01 MARIAはシュルツに駆け寄り、彼の顔をまっすぐ見上げた。

「わたしは、マリア・エレットです。ドクター・シュルツ、よろしければわたしのことは、マリアと呼んでください」

 にっこりと笑いかけられたシュルツは、これ以上ないほど不愉快そうな顔をした。

「いや、結構だ」

 ロボットがファミリー・ネームを名乗るなど、滑稽以外の何物でもない。造り物のくせに、妙なところで人間ぶる――これだからメメントイドは嫌いだ。

「君には色々と、教え込む必要がありそうだな」

「はい。一生懸命勉強します!」

 シュルツは三原則に基づいた命令言語を組み立てて、IV-11-01-MARIAに告げた。

「IV-11-01-MARIA」

 呼ぶと、今度は彼女もうなずいた。


「大変不本意だが、私は今後あらゆる障害から君を守らなければならない。君自身、ロボット工学三原則・第三条に照らし合わせて最大限自らを防衛するように。トマス先生が迎えに来るというその日まで、私は君が死ぬことを絶対に許さない。理解したか? これは、命令だ」


 マリアはそれをきょとんとして聞いていたが、

「はい、ドクター!」

 陽だまりのような笑顔でそう答えた。

 ――ならばさっさとついて来たまえ。にべもなく言い放ち、シュルツは自分の車に引き返した。時刻はすでに十九時近く。美しいヒューマノイドを助手席に乗せて、第六検死研究所へと戻っていった。

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