2.恩師の影

 ――なぜ、ロボットが人間を殺せたのだろうか?


 その理由を、シュルツは知らない。

 世界中の誰も知らない。

 十四年前に起こった、ヒューマノイドの自爆事件――あの事件は、“C/Feシー・フィ事件”と名付けられている。


 三原則第一条の拘束により、ロボットは絶対に人間に危害を加えられないはずなのだ。にもかかわらずその日、一体のヒューマノイドが二千人の人間を巻き込んで自爆した。ロボットが人間に反逆した、世界でただひとつの事例。それがC/Fe事件だった。

「…………」

 シュルツは右手を見つめていた。

 C/Fe事件のことを思うと、痛みがますます強くなる。眉を寄せ、ロベルト・シュルツは険しい目つきで指先を睨んだ。


 ロベルト・シュルツは、ロボットが嫌いだ。

 だが彼は安易な思考停止に陥ったりしない。

 検死官として何千でも何万でもロボットの死体を漁って、いつか真相を解明してやるのだと決めていた。それが彼なりの、ロボットへの復讐なのだ。


「……復讐、か」


 いつの間にか拳を握りしめていたことに気づいて、シュルツは自嘲の笑みをこぼした。


「トマス先生がお聞きになったら、さぞや悲しむだろうな」

 給仕ロボットが空になったコーヒーカップを下げて退室するのを眺めながら、シュルツはため息をついていた。


 ――トマス先生は、ご無事だろうか?


 当代きっての天才ロボット工学者、トマス・アドラー。シュルツの恩師であり、親代わりであり、命の恩人だ。


 しかしその恩師とは三年前から接触が取れない。治安当局によって危険人物と認定されたアドラー博士は三年前に召喚され、今では当局監視下にある。


 ――当局は何を考えている? あのトマス先生を危険人物とは、笑わせる。

 シュルツの顔はふたたび険しくなっていた。


 アドラー博士が危険人物と判断されたのは、彼がロボット友愛主義者であり、“完全ヒト型ロボットヒューマノイド”の開発者でもあったためだろう。


 ヒューマノイド。

 乱暴な言い方をするならば、それは『人間の皮をかぶったロボット』だ。ヒューマノイドも他のロボットも、内部構造は変わらない。だがヒューマノイドは他とは違い、人間のようにほほえみ、人間的な仕草をする。その“温もり”がいつの日か人間とロボットの溝を埋めてくれることを、アドラー博士は願っていた。


 だが現実は残酷だ。

 世界唯一の人間殺戮事例となったC/Fe事件を引き起こしたのは、ヒューマノイドだった。ゆえに国内ではヒューマノイドは全面的に禁止されることとなり、アドラー博士はしばしば『悪魔の科学者』と批判されることになってしまった。


「……だが。C/Fe事件と召喚の時期が隔たりすぎている」


 事件から十年以上たったある日、恩師は唐突に当局に召喚され、そのまま帰ってこなかった。当局の動きになんらかの政治的事情があると考えるのは、邪推ではないだろう。


 ――先生はおそらく、反ロボット主義者どもの思惑に巻き込まれたのだ。


 恩師は今年で七十六歳だ。足も悪く、決して健康とは言えない。恩師への当局の仕打ちを思うと、胸が灼けつきそうになる。そして、何の役にも立てない自分の無能さにも。


 悶々と巡らせていた思いを遮ったのは、コツ、コツ、というノックの音だった。給仕ロボットが何かを伝えるために戻って来たのだ。

「SULLA、入れ」

 SULLAの金属腕アームには、封筒が挟まれていた。

「……郵便か」

 シュルツは無表情に封筒を受け取った。封筒には汚れはないが、なぜか古びていた。差出人の名に目を落とし――シュルツは、凍りついた。


     Thomas Adler


「トマス先生……!?」

 差出人は、トマス・アドラー。誰より大事な恩師の名だった。

 シュルツは顔色を変えた。恩師から郵便が届くなど、ありえないことである。

 すばやく封を切り、中の手紙に目を馳せた。

 読み終わるのと走り出すのは、同時だった。

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