第22話 逆転


「さぁ、選びたまえ」


 優しく微笑んだ宮永の言葉を聞いているうちに、上川は抑えてきた怒りを我慢できなくなってきた。

 内田さんの居場所を知るまでの辛抱だと思っていたけれど、もう限界だ。


「あ~、もううっとうしいな! ごちゃごちゃ言いやがって! 天城の話のほうがまだ耳に優しいよ!」


 無駄だと知りつつも、手錠を引っ張らずにはいられない。

 鎖がガチャガチャと耳障りな音をたてる。


「あんたの話は聞いたよ。けど、世界がおかしかろうがなんだろうが、それでこの日曜日を台無しにしていい理由にはならない!」

「日曜日?」


 こうなってはもう止められない。

 怒りに任せて、今まで隠してきた本音をぶちまける。


「ああ、そうだよ。俺たちが内田さんと映画に行くのにどれだけ苦労したと思ってるんだよ! 俺がこの日をどれだけ楽しみにしていたことか。それが全部台無しだ!」

「デートかい? くだらないね。君は今、世界の問題に直面しているんだよ?」

「それは大人の理屈だろ。俺にとっての今日は、世界の存亡より大事だったんだ! 大体内田さんとの約束は俺のほうが先だったんだからな! それなのに上から目線で、ごちゃごちゃと……!」


 上川が叫ぶのと、建物が不自然に揺れるのは偶然にも、ほとんど同時だった。

 天井についた蛍光灯が点滅を繰り返す。


 まさか誰かが建物の天井や床をまとめて蹴りぬいているとは想像できないだろう。

 さっきまで饒舌だった宮永も、銃を構えた研究員も、そちらに気をとられる。


 しかし上川はそれが可能な人間を知っている。

 それだけに衝撃が立ち直るのが早く、また相手に生まれた隙を逃さなかった。


「おりゃっ!」


 近くの研究員を二人とも体当たりで押しのけると、勢いをつけて扉を蹴破る。

 転がるように廊下へと飛び出すと、一心不乱に走りだした。

 依然として内田がどこにいるのかはわからない。

 それでも上川は廊下を走りだしていた。


 ***


 仙石が施設を破壊した揺れは天城たちのいるコントロールルームにも伝わった。


 予期せぬことに、水野の姿勢が一瞬崩れる。

 わずかなチャンスも逃すまいと神経を尖らせていた天城は、この機を逃さなかった。


「隙ありだっ!」


 振り向きざまに水野の腕を掴んで銃口をそらす。


「くっ!」


 水野がやぶれかぶれで発砲するが、弾は天井に突き刺さった。

 腕を掴んだまま水野の足を蹴り払うと、無理やり押し倒す。


「う……っ!」

「今度こそ、おとなしくしてくれよ」


 マウントポジションをおさえ、水野の手首を強く握って銃を落とさせる。

 さらにとどめの頭突きをくらわせようとして……ぶつかる寸前に考え直した。


「……ウソはついてなかったからな、頭突きは勘弁してやる。さぁ文香を降ろせ、慎重かつ丁寧にな。でないとこのまま顔をベロベロなめちまうぞ」

「…………」


 顔をそむけた水野はなにも答えなかったが、視界の端で白河が解放され地面に降り立つのが見えた。

 だがまだ安心はできない。


「文香、コントロールパネルを操作しろ! まずは扉のロックだ!」

「わ、わかりました。ど、どのボタンを押せばいいんでしょう? えぇっと、これでしょうか? あ、違う。じゃあ、こっちでしょうか?」


 白河がこわごわと装置に触れると、がちゃり、と重い音がして鍵がかかった。


「よし、上出来だ。次は監視カメラの映像から内田渚を探してくれ」


 白河に指示しながら、水野の両手首を片手でまとめて拘束する。

 それから空いたほうの手で落ちていた銃を拾い上げた。


「早く撃てばいい。そのほうがあなたたちは安全」

「やれやれ、物騒なことばかり言いやがって。その言葉はそのまま返してやる。さっきオレの足くらいは撃っとけばよかっただろう」

「私はあなたたちに危害は加えないよう、命令されている」

「文香たちに、だろ。おれたちは侵入者だ。手心を加えろとは言われていないはずだ」

「…………」


 水野は答えない。

 妙なことは他にもあった。


 さっき戦ったとき、水野は三人の人質を抱えていたのにそれを利用しなかった。

 文香と仙石は丁重に扱わなければならないとしても、一ノ瀬さえも人質にしなかったのは合理的ではない。


 水野の真意を確かめるべく、その瞳を覗きこむ。

 感情をうつさない無機質な瞳に、かすかな怯えを読み取ることができた。


「ま、男に押し倒されて、あまつさえ銃を手にされたら怖いよな」

「私は怖がってない」

「はいはい、悪かったよ」


 涙目で言われたところで、説得力などあるはずもない。

 天城は水野の上からどきながら、銃を手で分解する。

 他に落ちていた二丁も同じようにバラバラにした。

 まさか重力操作だけでは組み立てられまい。


 水野は床に倒れたまま、まるで信じられないものを見るかのような目をこちらに向けてくる。


「どうして? それを武器にすればあなたは」

「何回も言わせるなよ。おれたちは誘拐された友達を連れ戻しに来ただけだ。ケンカをしに来たわけじゃない。ったくもう、勘弁しろよな」


 水野に蹴られたときのダメージがまだ残っているのだ。

 極力、激しい運動をしたくはない。心情的にも、同年代の女子に暴力を振るうことには抵抗があった。


「恭平さん、恭平さん。見てください」

「お、見つかったか」


 白河の声にしたがって大画面のほうへと向かう。

 水野が自分を拘束しないことを不思議がっているのはわかっていたが、今はそれよりも優先すべきことがあった。


「この部屋にいるのが、多分内田さんです。それと、この廊下を走ってるのって……」

「やれやれ……やっぱり走ってやがったか」


 ***


『そんなことだろうと思ったよ、上川』

「天城! 無事だったの?」


 廊下を走っていた上川は、頭上のスピーカーから聞こえた声に足を止めた。


『いいから、止まるな。走れ、走れ』


 背後で防火用と思われる隔壁が降りてくる。

 天城の声に従って再び走りだす。


『お前が探している囚われの姫は別棟だ。正面の階段を降りて、渡り廊下を直進。突き当たりにある第三研究室にいる』

「え、なんだって? ごめん、聞こえなかった! もう一回言って!」

『まったく、こんなときでもブレない難聴スキルだな。もう一回言うぞ、まずは目の前の階段を降りろ』

「わかった!」


 天城の指示通り階段を降りる。

 すると研究員がいたが、頭上からのスプリンクラーによる放水で目くらましがなされた。

 その隙に脇をすりぬけていく。


 今の放水も、さっきの隔壁も、どこかで天城が操作してくれたのだろう。


『そのまままっすぐ。そこの渡り廊下を使って、別棟に行け。突き当たりにある第三研究室だ。追手はちょっとくらい防いでやるが、隔壁とスプリンクラーが限界だぞ』

「十分助かる!」

『内田渚を連れ出したらイチと仙石を探せ。脱出手段を確保してくれてるはずだ。合流したらさっさと脱出しておいてくれていいからな。こっちの心配は無用だ』

『恭平さん、外からドアが叩かれてます! どうしましょう?』

『そりゃ、この放送を聞けばこの部屋に連中が来るだろう。危ないからこっちに来とけ』


 スピーカーから、さっきまでとは異なる不穏なやりとりが聞こえる。

 声の合間に扉を叩くような音が混じっていた。


「天城?」

『大丈夫だ。監視カメラと集音マイクで、お前の見せ場はちゃんと見学しとくから。びしっと決めてみせろよ』


 その言葉を最後に放送はぶつりと途切れた。


「ありがとう、天城」


 感謝しながら、再び走りだす。

 手錠をかけられたまま走るのに最初は慣れなかったが、次第にそれも気にならなくなった。


 真っ白な廊下を進んでいるうちに、感覚が研ぎ澄まされていく。

 この先に、内田さんがいる。


 内田渚のことを好きになったきっかけは覚えていない。

 だけど、誰ともかかわらずにいる内田を見て、その浮世離れした魅力に心惹かれたのだ。

 会話をしたいと思う。

 仲良くなりたいと思う。


 付き合いたいとまでは言わない。

 手をつなぎたいとも言わない。


 いや、ウソだ。

 正直そういう欲望はある。


 それでも俺はただ単純に内田さんの笑顔が見たいのだ。

 無表情でもなく、悲しそうな顔でもなく、笑顔が見たい。

 それだけだ。

 それだけで俺はなんだってできる。


 天城の説明通り、突き当たりには体育館の扉にも似た大きな部屋があった。

 扉にある名称を確認する。

 第三研究室。


「天城が言ってたのはここか」


 扉にロックはされていなかった。

 最初からそうなっていたかもしれないし、もしかしたら天城が開けてくれたのかもしれない。

 どちらでもいい。

 今はこの向こうに彼女がいるということだけが大切だった。


 意を決して、扉を開く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る