第四章 俺たちのための日曜日

第21話 一ノ瀬と方向音痴?


「ねぇ、委員長。今何時? なんかオレ、すごく眠くなってきたんだけど」


 一ノ瀬は大きく口をあけてあくびをこぼす。

 その反動でにじんだ涙を「ねむねむ」とぼやきながらぬぐった。

「あんたこの状況でそんなこと言えるのって、よっぽど図太いのねっ!」


 仙石が気合を入れて建物の壁を殴りつけると、まるで卵の殻のようにあっけなく吹き飛ぶ。

 何度も繰り返されたために、もはや衝撃的でもなんでもない光景だ。


「だって、もう委員長がいたら恐れるものがないし。この安心感たるや、眠気を思い出すレベルですことよ」


 これまで通ってきた道のりにはなぎ倒された黒服のマネキンたちが足あとのように転がっている。

 生身の研究員たちも例外なく仙石に倒されている。

 ただし、彼らはみな一ノ瀬のスキルで気絶にとどめられていた。


「はぁ……なんであたし一ノ瀬なんかを連れてるんだろ。文香は大丈夫かしら」

「お姫さまの心配ならいらないって」

「なんでよ。天城ってただのやれやれ系なんでしょ。役に立たないじゃない」

「アマギンが役立たず……? あぁ、委員長はあの大活躍を見てないもんね。でもほら、アマギンはこれまで何回もお姫さまを助けてるわけだからさ。心配するだけ無駄だって」

「文香って今までそんなに何度もさらわれてたの?」

「みたいよ。アマギン、ちょくちょくケガして帰ってくるしさ。ま、男はどんな世でも、好きな女の子のためにはがんばれるものなんよ」

「え、天城ってそうなの?」


 やだ、と喜ぶように仙石が両手で口を押さえる。

 女子ってわりと恋愛話が好きだ。

 特に人のものが……いや、男子も一緒か。


「そりゃそうよ。いくらアマギンが世話やきって言っても、普通はあそこまでがんばれないって。本人はしれっとしてように見えるだろうけど、結構必死なのよ」


 天城が白河のことが好きということは、別に隠された秘密というわけではない。

 上川も知っているし、大抵の人は見ていればなんとなく気づく。


 もっとも、当事者である白河文香がピンと来ていないのだから報われない。

 挙句、あらぬ誤解を受けた日には、気の毒すぎて笑えてくるくらいだ。


「必死? そのわりには、あいつっていつも気取った態度で『やれやれ』って言ってる印象しかないんだけど」


 仙石は大袈裟に肩をすくめて「やれやれ」と言ってみせた。

 あんまり似ていないが面白いことには面白い。


「それこそがアマギンの能力なんだよ」

「やれやれ系ってやつ? あれって、あんたのと違ってイマイチどういうものかわかんないのよね」

「実はね、あれ本人は『やれやれ』って言ってる自覚がないんよ。まったくの無意識」

「はぁ? すっごくじみー、なスキルね」

「たしかにね。でも損なスキルなんよ。本人がいかに必死でがんばっても、あれを言うだけで周りには不真面目みたいな印象を与えちゃうんだから」


 天城の場合、真剣であればあるほどまた窮地に陥ったときほど「やれやれ」とつぶやく回数が増えるのだ。

 地味なスキルだが、ひどく損なものでもあるだろう。


「なんか、そう言われると結構迷惑なスキルなのかもしれないわね……」

「まぁ『やれやれだ』っていうのはわざと言ってるみたいなんだけどね」

「なんなのよ、それ。同情して損したじゃない」

「はっはっはー。そんなわけでアマギンのスキルは、ある意味でうえっちのと一緒なんよ。だから、うえっちの告白をなんとかサポートしてあげようとしてたのかも」

「え、上川が告白? どういうことよ?」


 仙石が不思議そうな顔をする。

 意外な反応だ。


「あれ、知らなかったっけ? 内田さんはうえっちと一緒のとこをさらわれたんよ」

「なにそれ! じゃああんたたちが女子寮に来てたのって、ほんとにラブレターを届けに来てたの!?」

「そーそー」

「なるほどねぇ。で、あんたはいったいなにしにここまで来たのよ?」

「え、なにが?」

「上川も天城も、その、好きな人のためにがんばってるんでしょ? あんたは、そういうの……まぁ、ないでしょうね」

「ひ、ひどい! 委員長だってないくせに!」

「あたしは文香への友情で動いてるの」

「あ、じゃあオレもオレも。あついあつい友情のもとに……」

「ウソくさいわ」

「ホントのことなのにウソくさいっていうのもコメディ系の宿命か。くぅっ!」

「あんたのそういう態度が問題なんだと思うわよ。でも、少し意外だったわ」


 仙石はにやりとした笑みを浮かべる。

 こちらの心を読むような笑みだ。


「あんたもたまにはマジメなことを言えるのね。内容は意味不明だったけど、上川に忠告するなんて思ってなかったわ」

「おっと惚れちゃった?」

「全然。バッカじゃないの」


 心底冷めた声で罵られると、いい感じにゾクゾクする。

 マジメなことを言うよりもこうしてふざけているほうが好きだ、と一ノ瀬は思う。


 できることなら、ずっとふざけていたい。

 ああいうマジメなことを言う機会は少ないにこしたことはないのだ。


「ところで、委員長。自信満々に歩いてるけど、そろそろどこに向かってるのか教えてくれん?」


 ひと通りなぎ倒したせいか、周囲に追手の姿はない。

 そのため探索はスムーズなのだが、一向になにも見つからなかった。

 そもそも仙石の後ろについて歩いているだけなので、どこが目的地なのかも想像がつかない。


「どこって、駐車場よ」


 仙石はさも当たり前かのように答える。


「あたしたちは来るとき車でこっちに来たんだから、同じようにあれに乗って帰ればいいわ」

「いやさ、委員長……どう考えてもこんな上のほうに車停まってないと思うんよ。立体駐車場じゃあるまいし」

「え、上? なんで? 車は地下の駐車場に停まったのよ? 下に向かってるに決まってるじゃない」

 きょとんとして仙石は小首をかしげる。


 ぞぞぞと、全身に寒気が走る。

 先ほどのものとは違う、危険を感じるものだ。


 思わず振り返ってしまう。

 これまでの道のりはどう考えても、下に向かっているものではない。

 傾斜も、階段も、あがってきたはずだ。

 それにこれまで気付かなかったということは。


「もしかして、委員長。方向音痴だったりする?」

「そ、そんなことないわよ! ほら、ここをぶち壊せば!」


 あわてた様子でどかん、とまた仙石が壁をぶちやぶる。

 そこは薄暗いだけの部屋だった。

 気まずくて、お互いに少し黙ってしまう。


「……ちなみに、ぶち壊したらどこに出るつもりだったん?」

「……外」

「ねぇ、委員長。そろそろ方向音痴だって認めようよ。今朝お姫様とはぐれたっていうのも、委員長が方向音痴なら納得できるし」

「違うわよ! だって、ロケット投げ飛ばした後、ちゃんと合流出来たでしょうが!」

「あれって投げた方向に直進してきただけじゃね?」

「そうよ、だから場所さえちゃんとわかってたら、迷わないの!」


 癇癪を起こしたように、仙石が地面を踏みつけるとそれだけで床がビシリとヒビ割れた。

 かなり怒らせたかもしれない。

 あわてて口をつぐむと、仙石はなぜかハッとしたような顔で足元に目を落とす。

 その姿には嫌な予感しかしない。


「そうよ、思いついたわ!」

「それはやめよう!」

「なによ、まだなんにも言ってないでしょ。ふふん、この方法なら絶対外に出られるわ!」

「そこまで言うなら一応聞くけど……その方法とは?」

「簡単なことよ」


 得意気に胸をそらして仙石は言った。


「床をぶちやぶっていけば、必ず地下駐車場にたどりつくわ。まぁ見てなさい、あたしが方向音痴じゃないってことを証明してあげるから」

「やっぱりろくでもなかったよ! くそぉ!」

「いいから、一緒に来なさい!」

「ぐえっ!」


 襟首を掴まれてしまい、逃げそびれる。

 すぐにドン、と地響きのような音がした。

 仙石が足で床を踏み壊したのだろう。


「うふふっ、なんでさっきまで思いつかなかったんだろ」


 バラバラと飛び散った破片を浴びながら、仙石は笑う。

 ぐいっと口角が上がり、目を見開いたその笑みは、恐ろしい鬼のようにしか見えなかった。


「中途半端に壁をやぶるくらいなら最初からこうしとけばよかったのにね」

「ねぇ、それって文明人が考えること? もしかして脳みそが筋繊維でできてない?」

「だまりなさい。ほら、とぶわよ」

「やだー!」


 暴れても無駄だった。

 仙石は一ノ瀬の襟首を掴んだまま、飛び降りる。

 次の床も落下を利用して蹴破り、地下まで止まることなく落ち続けていく。


 本日二度目の絶叫に、一ノ瀬の声も命も枯れ果ててしまいそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る