第23話 つい勢いで


 内田渚は広い空間に一人きりでいた。


 声を出せば反響しそうな、ひどく空虚な部屋。

 まずは能力を使ってほしい、と言われて案内された場所だがなにもする気はなかった。


 冷たい空気を吸い込む。

 数々の後悔が頭を埋め尽くしていた。


 中でも一番の後悔は、上川修司と出かけてしまったことだろう。


 上川はこの数ヶ月やけに内田のことを気にかけてくる男子だった。

 初めて彼のことを認識したのは、四月に廊下でぶつかってきたときだ。

 わざとでも難しいような姿勢で押し倒された。

 そのときはあまりにも恥ずかしくて、思わずスキルが暴発しそうになったくらいだ。


 二度目は階段から落ちてきた。

 同じように胸をさわられ、腹が立った。

 けれど上川がこの世の終わりかというほど落ち込み、平謝りしてくる姿に毒気を抜かれてしまい、許した。


 三度目に押し倒されたとき、もしかしたらスキルのせいではないかと気がついた。

 気にして耳をすませてみると、上川がダメハーレムや、ラッキースケベと呼ばれている程度の情報は入ってくる。


 謝罪する上川の青ざめた顔に、昔の自分が重なった。

 ものを分解してしまう力は、感情と共に発露する。

 怒ってしまっても、泣いてしまっても同じように周囲の「嫌なもの」を消してしまう。


 だから内田は子どものころから人付き合いを避けてきた。

 もしも自分が他人との付き合いで怒ってしまえば、その人を傷つけてしまうかもしれない。

 そう思うと怖くて、無感情に徹することも苦ではなかった。


 上川はそれからも内田の前に何度も現れた。

 四度目、五度目、六度目……と回数を重ねていくうちに、上川に対して怒るよりかは呆れて、呆れるよりかは感心の気持ちが強くなった。


 反省していないわけでも、悔やんでいないわけでもないのに、どうして何度も私に声をかけるのだろう。


 そんな折、手紙が届き映画に誘われた。

 返事の電話は迷い、一度かけた電話を切ってしまったほどだ。


 けれどそれ以上に気になった。

 上川修司と一度、きちんとスキルについて話してみたかった。

 だから思い切って誘いを受けた。


 その結果がこれだ。


 薄暗い部屋の天井を見上げる。

 私はまた我慢できずに物を消してしまった。


 あんな力を見れば、誰だって驚いてしまうし、これまで通りに接しようという気はなくなるだろう。

 自分もあの能力で傷つけられたら、と想像するから。


 上川がどういうつもりだったのか、結局内田にはわからなかった。

 だけど、もう自分に声をかけてくることもないだろう。


 ここにいれば、どうなるとしても能力で誰かを傷つけることはない。

 そのために「協力する」と言った。

 代わりに白河と仙石は解放するように頼んだ。

 これでもう十分だ。


 体温を奪ってあたためられた空気を、吐き出す。


 ひとりきりの部屋で思う。

 数々の後悔はあるが、その中でもこれが最善だったはずだと。


 そのとき背後で、扉が開いた。


 ***


 そこはまるで劇場のようだった。


 コンクリートがむき出しになった地面と壁が続く、ただ広いだけの部屋。

 高い天井に取り付けられた照明と監視カメラ以外にはなにもない。


 建設途中の体育館だったらこれくらい殺風景で広いのかもしれないな、と上川は思った。

 ここがいったいどういう目的で用意された場所なのか、さっぱり検討がつかない。

 研究施設だというからには、実験のための部屋なのだろうか。


 上川は天城のようにできるだけ色々と考えようとした。

 だが部屋の中心にいる少女の後ろ姿が見えた瞬間に、あらゆる考えは吹き飛んだ。


「内田さん!」


 声が部屋中に反響する。

 内田は振り向いてくれたが、その顔には不機嫌さがにじんでいた。


「……ないで」


 かすかに彼女が声を出す。

 よく聞こえなかったので、距離をつめる。


「内田さん、話をしよう」

「来ないで!」


 内田が声を荒らげた。

 その瞬間に踏みだそうとした地面が大きく消え去った。

 思わず後ずさりする。


 すり鉢状に大きくえぐれた床は、もっとも深いところでは十メートルほどありそうだった。


「どうして来たの?」


 えぐれた地面の向こう側から、内田は言う。

 顔はまるで仮面をつけたように無表情になっていた。


「納得できなかったから。こんな無理やり連れて来るような連中に付き合うことなんかないよ。一緒に帰ろう、内田さん」

「嫌よ」

「どうして?」

「……どうしても」


 理由はあるが、話せない。

 そういうことだろう。


「それじゃあ、やっぱり納得できない」

「待って。それ以上こっちへ来るのは危ないわ」

「でもここからじゃ、話すには少し遠いから」


 ためらうことなく、傾斜に向かって足を踏み出す。


「お、お……あ、いたっ!」


 映画で見るようにかかとで綺麗に滑り降りるつもりだったのだが、身体能力が足りないせいでうまくいかなかった。


 頭から転がり落ちる。

 上下の感覚を失い、全身いたるところを打ち付けてしまう。

 手錠のせいでロクに頭をかばうこともできず、めまいがした。


 ひときわ痛い一撃を腰に受けて、ようやく止まる。

 ここが最下部だろう。

 このまま底を歩き斜面をのぼれば、内田のもとへとたどりつける。


「やめて……来ないでって言ってるでしょう!」


 その声に呼応するかのように、再び地面が消失する。

 行く手を阻むようにして地面がえぐれ、目の前に細い線が引かれる。


 こちらと向こうを区切るライン。

 今度は深くない。

 飛び越えることは簡単だ。

 しかしそれは内田が自分との間に作った、精神的な溝のように感じた。


「私のことは、もう放っておいて」

「そうそう。女の子にしつこくするのは感心しないやり方だね」


 背後の――すでに頭上と言ってもいいほどの高低差があるが――扉が開く。

 そこから宮永が現れる。

 すぐ側に銃を持ったマネキンを二体従えていた。


「さて」


 宮永が片手をあげると、マネキンたちは素早く銃口を上川に向ける。


「おとなしくしてもらおうか。君にはそれほど価値を見出していない。素直に従うなら良し。そうじゃないなら痛い目を見てもらわないといけなくなる」

「聞こえないね。難聴スキルだから」

「面白いことを言うね。だったら――」


 あげた手を降ろそうとする。

 それが発砲の合図なのだと、なんとなくわかった。


「やめて!」


 内田が叫ぶ。

 一瞬にして、マネキンたちが構えていた銃と共に粉のように分解され、跡形もなく消え去った。

 その光景に上川は驚かされる。

 宮永も同じだろう。


 だがその場にいた誰よりも驚き、傷ついた表情をしていたのは内田自身だった。


「……これで、わかったでしょう? 私の力は危険なのよ」

「まったく、そのとおりだ」


 武器と部下を奪われたばかりだというのに、なぜか宮永は嬉しそうだった。


「彼女の力は個人が持つには大きすぎる。ここで研究されてこそ価値のあるものだ」

「価値とかなんとかそういう言い方、俺は好きじゃない」

「なら君になにができるというんだね? 彼女は力を制御できていない。あの力が生身の人間に向けられればどうなると思う? 今、銃を構えていたのがマネキンではなかったら? 彼女がそれをしないという保証はないはずだよ」

「そんなことない。内田さんは今、俺を助けてくれた」

「違うわ」


 上川の言葉を否定したのは内田だった。


「この力はそんなに便利なものじゃない。私の思い通りになんかなってくれない」


 天城と一ノ瀬が言ったとおりだった。

 内田は自分の能力を自由に操ることができていない。


 だからこそ宮永の言うがままに自分を閉じ込めようとしている。

 内田が宮永に協力すると言った理由も、ここに残ろうとしている理由も、ようやくわかった。


「今ならわかるよ。だから、君はこれまで一度も怒らなかったんだ。俺がなにをしても怒らなかった。必死に無感情を貫いたんだ」


 今まで上川は内田を何度も押し倒した。

 けれど一度として内田に怒られたこともなければ、悲鳴をあげられることさえなかった。


 それはいくら内田が冷静だったとしても、おかしな反応だ。

 けれど、自分の能力が暴走することを恐れていたならば納得がいく。


 どれだけ腹立たしかろうと、悲しかろうと、内田はその感情を抑えることに全力を傾けてきたのだ。

 だから無愛想にも見えたし、無感情にも思えた。


 本当はそうじゃないのに。


「……そうよ。あなたの能力だって、そうなんでしょう? 自分の自由にならない」

「知ってたの?」

「少しくらいは。あなたならわかるでしょう。自分の力に振り回される怖さが」


 上川は黙ってうなずく。

 感情が高ぶると、わざとやろうとしてもできないような姿勢で相手を押し倒してしまう。

 重要なことはいつも一度で聞き取ることができない。


 それが上川修司の保有する能力だった。


「だけど、内田さん。やり方は他にもあるんだよ。自分の力が怖くても、うとましくても、それと付き合っていく方法はこんなところに閉じこもらなくたってあるんだ」

「そんなの……」

「ある。俺だって自分の能力を好きだと思ったことは一度もない。女の子を押し倒すのも、大事な話を聞き取れないのも、最悪だ。だけど俺には友達がいる」


 天城や一ノ瀬、そして男子寮でバカ騒ぎする友人たち。

 いつも思い出すのは、彼らがうるさいくらいに笑っている姿だった。


「ラッキースケベだ難聴スキルだって言って、俺の失敗を笑ってなぐさめてくれる。あいつらがいるから、俺も自分の能力を笑えるんだ。だから内田さんも――」

「バカげているね。君と彼女を一緒にしてはいけないよ。それに、それではまるで根本的な解決になっていないじゃないか」

「そんなこと、そもそもできるわけないんだ。あの能力だって内田さんだ。その使い方やあり方を変えることはできても、消し去ることなんてできない」

「それは理屈に合わない。君のやり方では危険が常につきまとう。ここで我々が管理しているかぎりそれはない。どちらを選ぶのが合理的かなんてことはわかりきっている」

「それでもここに引きこもる方法がいいなんて俺は思わない。なにが正しいのかは、なにが大事かで決めるんだ」

「バカバカしい意見だね。正当性のかけらもない」

「あなたには、そうかもしれない」


 いくら言葉を尽くしても、宮永に理解できることだとは思っていなかった。

 この世界をおかしいと言う人間なんだ。

 いくら言い繕っても、スキルを持っている人間もおかしいと思っているのだろう。


 内田のほうに向き直る。

 上川にとって、なによりも大切なのは彼女の気持ちだ。


「これから俺が内田さんにひどいことをしたら、怒ってくれ。なんならひっぱたいてくれてもいい。そして、笑って泣いて、当たり前に生きていこう」

「そんなことしたら……」

「わかってる。だけど徐々に制御できるようにしようよ。なによりも、その能力もひっくるめて、俺は君が好きだ!」

「す、好き……!? いきなりなにを……!」

「あ」


 つい勢いで告白してしまった。

 内田が赤面するが、言った本人はもっと赤くなってしまう。

 ええい、こうなりゃもうやけだ!


「いきなりじゃない! 俺は必ず、君のことを受け止めてみせる。だから――!」


 上川は叫ぶ。

 理屈がないのだから、気持ちを伝えることしかできない。


「こっちに来てくれ、内田さん。俺たちと一緒に帰ろう!」


 一瞬の葛藤。

 迷いと動揺が内田の瞳ににじむ。


「…………っ!」


 内田は唇をきゅっと結ぶと、意を決したように足場から飛び降りた。

 上川は手錠がついたままの両手をできるかぎり上げて、受け止めようとする。


 しかし、そんなことを無事にできるわけがなかった。


「うわっ!」「きゃっ!」


 二人はもつれるようにして倒れる。

 内田のおしりによって顔を踏みつけるような形で。


「こ、こんなときにもラッキースケベスキルかよ……」

「ご、ごめんなさい。大丈夫?」

「大丈夫だよ、内田さん。これが俺のスキルだから。普段は呪ってばっかりだけど、たまには役に立つこともあったみたいだ」


 こんな風に高所からの衝撃を無効化するみたいな使い方もあるとは知らなかった、と幸せな重みの下で上川は思う。

 そうか、俺のスキルも大別すればイッチーと同じコメディ系なんだ。


「君たちはきっと後悔する。バカげてるよ。そんな感情論で理屈を捨てるなんて」

「いや、俺も内田さんもなんにも間違ってないよ」


 先に立った内田の手を借りて立ち上がる。


「俺たちはまだ高校生なんだから、大人の理屈で推し量られても困る。まだまだ遊び足りないんだ」

「愚かだよ、それは」

「なんとでも言えばいいさ。ともかく!」


 世界がおかしいとか、内田さんのスキルが危険だとか、そんなことは問題じゃない。

 ただ俺は、さらわれた女の子を取り戻しに来ただけなんだから。


「帰ろう、内田さん」


 改めて手を差し出す。

 しばらく不思議そうにその手を眺めていた内田だったが、やがて力強く握り返してくれた。


「ええ、帰りましょう。一緒に」


 二人は入り口に立つ宮永のもとへと、ゆっくり歩み寄る。


「武器がないからね、ここは通そう。だけど逃がすつもりはないよ」

「関係ないね」


 渋面を浮かべた大人を押しのけると、上川と内田は振り返らずに走りだした。

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