第14話 消えた車


「ダメ……!」


 そのときの静かな声が誰のものであるのか。


 上川修司が誰よりも早く気がついた。

 迫っていたトラックが砂のように砕けて、破片さえ残さず消え去ってしまう光景を。


 それゆえに上川だけが見逃さなかった。


 その直前に、内田渚の目が一瞬だけ光ったことを。


「へ、あれ?」


 誰よりも早く地面に伏せていた一ノ瀬が頭をあげる。

 迫り来るトラックの影が突然なくなったことに、違和感を覚えたのだろう。


「なに、どういうこと?」

「わかりません……」


 なんとか逃げようとマネキンたちに立ち向かっていた仙石と、その背後にいた白河も、まだ事態が飲み込めていないようだ。


「消えた、のか?」


 いつも冷静な天城さえも、よくわかっていないようで今は呆然と空を見上げている。


「内田さん……?」


 一部始終を見ていた上川だけは、憂いを帯びた内田の横顔を見ていた。


 疑問はあったが口に出せない。

 尋ねていいのかもわからない。


 視線から逃れるように、内田は背を向けてしまう。

 それは言葉よりもわかりやすい明確な拒絶だった。


 騒がしかったその場に一瞬の静寂が訪れる。

 それを打ち破ったのはひときわ大きな拍手の音だった。


「すばらしい!」


 場違いな明るい声と共に、宮永が歓喜を表している。

 先ほどまでの落ち着いた風貌など微塵も残っていない。

 子どものように、無邪気に笑っていた。


 その様子で上川は理解する。

 あの人もまた、内田のしたことを見ていたのだと。


「なおさら君たちに協力してもらいたくなったよ! ぜひ、一緒に来てもらおうか」

「ちょっと、調子に乗らないでくれる!」


 仙石が手近なマネキンを持ち上げると、宮永に向かって投げつける。

 それは当たる寸前でチカと呼ばれた少女の能力によってそらされた。


「あのトラックさえなければ、こんなマネキンくらいあたし一人で!」

「うむ、たしかにそうだね。しかし、残念だけどもう休憩時間は終わりなんだ」


 突然エンジン音が響くと森の奥から次々と車が駐車場へと乗り入れてきた。

 そこから白衣を来た人間が続々と降りてくる。

 その手には、銃が握られていた。


「くそっ、間に合わなかったか」

「なに? どういうことなのよ、天城!」

「なんでここにトラックが止まっていたのかってことだ。つまり――」

「そう、ここで他の研究員と合流する予定だったんだよ」


 銃を構えた研究員らはあっという間に上川ら六人の退路を塞いでしまう。


「もちろん実弾じゃないけれど、抵抗する気がなくなるほどには痛いよ」

「ど、どどど、どうすんのアマギン!」

「そりゃお前、決まってんだろ。こういうときは!」

「こういうときは?」

「両手を上げて、抵抗の意志がないことを示す」

「降参かよ……」


 天城にならって、一ノ瀬と上川がゆるゆると降伏した。


「うん、懸命な判断だね。さてと、トラックがなくなった以上は連れていく人数もしぼらないといけないか」


 宮永はポケットからトランシーバーのようなものを出し、こちらに向ける。

 伸ばされたアンテナの先端が、六人を順番に行き来する。


「うーん……全体的に少年たちは大したことないね。そうだな。お嬢さま方にはご一緒してもらうけれど、彼らのほうは別にいいか。チカ、拘束したまえ」

「了解」

「うぉ、たけぇ!」

「なるほど、対象の指定は指でやるのか」


 少女が指を立てる。

 今度は上川だけでなく、一ノ瀬も天城も同じように地面から浮かんでしまった。


「安心したまえ、すぐに解放はする。もっとも、ぼくたちがここを離れた後だけど。それでは女性のみなさんはそれぞれ車に乗ってもらおうか」


 浮かんだ上川たちの目の前で、内田たちがそれぞれ一人ずつ車にのせられる。


「内田さん! 必ず、助けるから」


 そう声をかけたが、内田は振り向くことなく車に乗ってしまった。


「行くよ、チカ」

「…………」


 チカと呼ばれた少女は浮かんだままの上川たちを一瞥した後、宮永と共に車で走り去ってしまう。

 内田たちをのせた車も同様だ。

 下山する方向ではなく、森のなかへと入る道を走っていった。


「せめて行き先くらいは見届けるか。二人とも、手を貸せ」

「あ、うん」


 頭上をただよう天城が手をのばす。

 上川は言われるがままにその手をつかむ。

 天城のもう一方の手は一ノ瀬がつかんだ。


「おぉ、そりゃかまわんけどこれでなんか解決すんの?」

「空中遊泳くらいはできるさ。作用反作用の法則だ。今から二人とも地面に向かって投げる。いいな」

「いいなって……うわっ!」


 大きく振りかぶって、天城に投げられる。

 ふわふわとしたまま、地面に向かってゆるやかに落下していく。

 かわりに天城はさらに高く上がっていった。


「イッチー、俺のことも上に押し上げてくれ。車の行き先が見たいんだ」

「えぇー? まぁ、オレはもう足がつくからいいけどさ。じゃあ、行くべ」


 下にいる一ノ瀬に足を押しあげてもらい、上川も上昇する。


 空中の天城はポケットから取り出した双眼鏡で車を追っているようだった。


「まだ遠くには行っていない。だが、目的がわからないな。あの先にあるのは湖くらいだろう」

「そういえば天城。黒い車はあの山道を通って現れたよね」

「ああ。それも不思議だ。湖のあたりで待っていたにしても、引き返す理由は解せない」


 上川は裸眼のため、見えることには限界がある。

 森が切り開かれた道と、ぽっかりと開いた穴のようになっている湖。

 そこを黒い車が四台並んで走って行く。


 ついに先頭の一台が湖のそばで停車する。

 運転席から降りた白髪の人影は多分、宮永なのだろう。

 宮永はポケットから取り出したなにかを湖に放り投げると、車に戻る。

 そして車は湖に向かって前進を始め――


「いっ……!」


 急に落下が始まる。

 今まで忘れていた重力が、上川と天城を地面へと叩き落とす。


「マジかよ! うぎゃっ!」


 落下地点にいた一ノ瀬の上に、二人まとめて墜落する。

 普通なら骨折してもおかしくない高さだが、一ノ瀬のスキルのおかげで全員無事だった。


「い、一番の被害者ってオレじゃね……? ぐふっ」


許容量をオーバーしたのか、一ノ瀬ががくりと首を落とす。

こうなるとしばらくはコメディスキルを使えない。


「ありがとう、イッチー! でも、いそがないと」

「湖へ向かった。走ればまだ間に合うだろう」


 すぐに立ち上がり、天城が気絶した一ノ瀬を担ぎ上げる。

 車の行方を追うために、上川たちは走りだす。

 けもの道を踏み越えて、木々の間を突っ切り最短距離で湖へ到達する。


 そのとき、最後の車が湖の中へと消えるところだった。

 まったくわけがわかない。


「待て、くそっ!」


 上川は考える前に思い切り踏み切って、車が消えたばかりの湖へと飛び込む。


 水の音。

 周囲の音が消え、水の中で空気がゴポゴポと音をたてる。

 目を開いても、緑色に濁った視界に車の姿はない。


「ぷはっ!」


 水面にあがって確認する。

 ただの湖だ。

 なまぬるく、草のにおいがするだけの湖。


 だが、たしかに内田たちをのせた車はこの湖に消えた。

 宮永の得意げな顔が思い出されて腹が立ってくる。

 追ってこれない、と言った理由はこういうことだったのだろう。


 だとしても。

 まだ内田とちゃんと話ができていないのだ。


 こんなことで、あきらめるわけにはいかない。

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