第8話 日曜日が始まる


 翌日。

 日曜日の朝、午前九時過ぎ。


 待ち合わせ場所の時計台前に上川が立っているのが見える。

 今にも倒れそうなくらいにフラフラと不安定な様子なのが遠目にでもよくわかった。


「あちゃー、ありゃ今にもぶっ倒れかねんよ」


 天城の隣で、その光景を双眼鏡で見ていた一ノ瀬が声をあげる。

 二人は横断歩道を挟んだ反対側の道からこっそりと上川を尾行していた。


「返せ」


 天城は一ノ瀬の手から双眼鏡を取り返すと、再び上川の様子をうかがう。


 街行く同年代の人々が、不審者を見る目と共に上川を避けて歩いていく。

 天城もあれが友人でなければ怪しく思うだろう。

 双眼鏡のレンズ越しに見える上川の目元には、黒々としたクマが刻まれおり、見開かれた目も不気味に血走っていた。


 髪型は一ノ瀬がワックスを使って整えてやり、服は一部天城が貸すことで、いつもよりかは容姿を整えたつもりだ。

 なのにそのすべてを不健康な顔つきが台無しにしている。


「あいつ、やっぱり寝られなかったみたいだな」

「ラブレターの執筆から二日続けての不規則な生活。そりゃデリケートなうえっちにはこたえるわ」

「いや、でもこの分ならあの厄介なラッキースケベは発動しないかもしれないぞ」


 スキルの発動は感情が引き金になっている。

 上川の場合は、女子の前で緊張したり興奮すると様々な形でラッキースケベを引き起こすのが主だった。

 あるいは同じく緊張すると、難聴スキルで相手の言葉を聞き逃すということもある。


「いや、アマギン。男というのは不思議なもので、疲れているときにかぎって――」

「あ、内田さん来たぞ」

「え、ウソ。見せて見せて」

「おいバカ、返せ。だからお前も双眼鏡持って来いって言ったんだよ」

「だって、そんなん持ってねぇもん。当たり前みたいにして持ってるアマギンのほうがおかしいんよ」


 強引に双眼鏡を奪った一ノ瀬が上川のいる時計台前を覗き見る。

 仕方なく天城は裸眼で目をこらした。


 ちょうど内田が上川のところにやってくるところだった。


 細かい部分はわからないが姿勢のいい歩き姿と、清楚にまとまった私服であることは色合いから察することができる。

 薄手の長袖を羽織り、足を出さない濃い色のロングスカート……いや、あれはマキシ丈というんだろうか?

 ファッションに詳しくない天城ではそのあたりのことがよくわからない。


 一ノ瀬もまた内田の姿を見て「おぉ」と感嘆の声をもらした。


「なるほど、なるほど。こうして内田さんをまじまじと見るのは初めてだけど、ありゃたしかにうえっちの好みだわな」

「おれにはどうしてあんな気難しそうな女が好きなのかわからん」

「そりゃ二人とも好みが違うもん。ほら、うえっちって姿勢のいい女の子が好きじゃん」

「あ~、たしかにそうだったな」

「ちなみにオレはまばたきの多い子が好きです」

「誰も訊いてねぇよ。それに、なんだその微妙な基準」

「アマギンはよくさらわれる子が好きなんだよね?」

「ちっ。おい、使わないなら双眼鏡返せ」

「いえいえ、覗きますともグヘヘ」

「やれやれだ。上川が心配で来てみたが、そっとしておいたほうが良かったかもな」

「おっ、移動し始めた。追うぜ、アマギン。げっへっへ」

「はいはい。言っとくが、邪魔だけはしてやるなよ」


 移動を始めた二人には気付かれないよう、天城と一ノ瀬は尾行を始めた。

 向かう先は、アーケードの下にある映画館だろう。


 ***


 上川修司の足取りはフラフラとしているが、それでも目だけは内田渚の姿を追っていた。

 内田のほうはあちこちへと落ち着きなく目を向けている。


 会話はない。

 なんとか言葉を探してみるが、ただでさえ冴えない脳みそが今は寝不足でさらににぶくなっていた。

 今、沈黙という気まずい空気を味わいながらつくづく思う。


「え、映画でよかった……」


 同じ映画を見れば、話題もできるし、仲良くなるきっかけには最適だろう。


「…………」


 ぼそりとつぶやくと同時に前方を歩いていた内田が立ち止まる。

 上川は独り言が聞こえてしまったのかと思い、ひやりとした。


「ど、どうしたの、内田さん?」


 その質問には答えず、内田はまたぐるりと周囲をうかがうように視線をめぐらせた。


「内田さん……?」

「誰かに後をつけられている気がしない?」

「え、そう?」


 上川も内田にならって、注意深く背後に目をこらしてみるとすぐにわかった。


 横断歩道の向こう側に、見慣れた人影が二つコソコソと動いている。


 どちらも地味な服装を選んではいるが、あれはどう見ても天城と一ノ瀬だ。

 思わず溜め息がもれる。


「ごめん、内田さん。あれ、俺の友達」

「そう……変わったお友達なのね」

「ちょっと待ってて、今文句を言ってくるから」

「別にいい。それより上映時間に遅れると困るから」

「あ、そうだね」


 再び歩き出した内田に遅れないよう後を追う。

 そうだ、これを会話のきっかけにしよう。


「その、尾行してるけど二人とも良いやつなんだ。だからあんまり悪く思わないで」

「二人?」

「うん。ほら、昨日手紙を持って行ってくれたと思うんだけど」

「私の部屋に来たのは一人だったわ」

「そうなんだ。じゃあ天城かな」

「天城?」

「そう。よく『やれやれ』って言っちゃうほうの友達でさ――」


 なんとか話題を見つけることができた。

 そのことに上川は安心する。

 同時にまた天城たちに助けられた、とも思った。


 ***


 上川たちの背後には天城と一ノ瀬の他に、別の人影もあった。

 その三人は全員同じ格好をしている。


 襟を立てた黒いロングコート、神経質そうな白い手袋、そして目深にかぶった帽子と口元につけたマスク。

 それらすべてが、全身をくまなく覆い隠す助けになっている。


 三人組は服装だけでなく、背丈や体型までまったく同じだった。

 それだけに、周囲からそそがれる奇異の眼差しだけが三倍になっている。

 三人のうち、二人の目は映画館へ入ろうとしている上川と内田に向けられていた。

 残った一人は手にしたトランシーバーのような機械と内田を見比べている。


 三人組は言葉なく顔を合わせると、なにかを確認するようにうなずきあう。


 そして上川たちの後を追うように、映画館の中へと入っていった。

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