第9話 誤解、誘拐


 上川たちの学校がある近辺は都会とは言えず、ショッピングモールが唯一にして最大の遊び場だった。

 そのため男女問わず、友人と遊びに行くにしても恋人とデートをするにしても、行く場所はみなそう変わりはしない。


 上川たちが映画館へ向かい、それを天城たちが尾行しているのと同じ時刻。


 同じアーケードの下を、白河文香は仙石真由美と共に歩いていた。


「え、昨日寮の中で天城に会ったの!?」

「はい。実は、夕食の前くらいに玄関で」


 黙っておいたほうがいいのかと思ったけれど、ついつい言ってしまった。

 仙石は悔しそうに歯噛みする。


「くっ、まんまとしてやられたわ。あいつら、今度はなにを企んでるのかしら」

「恭平さんは郵便配達をしていると言ってましたよ。あ、それと内田さんの部屋番号も訊かれました」

「内田さんかぁ……あいつらと接点なんてなさそうだけど」

「内田さん宛にお手紙があったんでしょうか? あ、ラブレターかもしれませんね」


 そうだったらステキだなと白河は思った。

 書いたのは誰なのか、どんな言葉で気持ちを綴ったのかと想像を働かせるだけでなんだか幸せな気分になってくる。


「ラブレター? いくらなんでもそれはないでしょ。果たし状のほうがまだありうるわ」

「そうですか? ラブレター、いいなって思いますけど……あっ」


 気づいてしまった。


 ラブレターだとすれば、それを届けに来たのは誰だったのか。

 そして、誰の部屋番号を訊かれたのか。


 恭平さんが内田さんにラブレターを渡したんだ。

 なら、もしかして恭平さんは内田さんのことが――


「どうしたの、文香?」

「い、いえ、なんでもありません」


 いくら友達でも、これを仙石に話すのは良くない。


 天城もまた白河にとっては大切な友達なのだ。

 その恋は応援しなければならない。


「そう? なんにしても、今どきラブレターなんてないわよ。まぁ文香ならもらってても不思議じゃないけどね」


 そんな会話をしながら二人は並んで歩いて行く。


 今日はこれから夏に向けて、新しい服を見に行く予定だった。


 ***


 映画が始まってすぐ、上川はこっそりとため息をついた。


 映画を選んだのは失敗だったと、過去の自分を恨む。

 席が隣同士なせいで、内田の存在ばかりが気になり映画の内容がまるで頭に入ってこない。


 公開してずいぶん経っているせいか、座席はほとんど埋まっていない。背後の席がいくつか埋まっているだけだ。


 上川は横目でちらりと内田の顔を盗み見る。

 特に動揺している様子もなく、綺麗な姿勢でスクリーンに向かっていた。

 やっぱり緊張しているのは自分だけらしい。


 続くため息を飲み込んで、スクリーンに目を戻そうとしたとき、背後の客が動いた。


「んぐっ……!」


 突然、白い布が口元から鼻までを覆う。


 ハンカチになにかを染み込ませているのか。

 強い刺激臭を感じる。

 そのこめかみに刺さるようなにおいをによって上川は意識を失ってしまった。


 ***


「ねぇ、アマギン。わたしも映画観た~い」

「気持ち悪いぞ、イチ。お前、尾行の意味が全然わかってねぇだろ」

「ちぇっ、わかってんよ。だから、こうしておとなしくケーキ食って待ってんでしょうが」


 映画館の向かいにある喫茶店。

 その窓際の席に天城たちは陣取っていた。

 ここからなら、いつでも尾行を再開することができる。

 コーヒー一杯で粘れるのもいい。


 向かい側には一ノ瀬が座っており、注文したケーキをやけになったように食らっている。

 テーブルには似たようなケーキが三つも並んでいる。

 見ているだけで口の中が甘ったるくなるような気がして、天城はコーヒーを口にした。


「よくそんなに食えるよな」

「だって、これから二時間近くここで待たないといけないんっしょ? だったら、これくらいは余裕で食えるっす。うっす」

「いや、そうじゃなくて。財布の話。ケーキって安くないだろ」

「え、経費で落ちるんじゃないの?」

「どこに申請するんだよ。いやー、イチは裕福だなぁ。おれは新しい探知機と爆弾を頼んだせいで、すっからかんだよ」

「今かなり変なお金の使い方を聞いた気がしたけど、そんなことはいいや! お願いします、アマギン! 割り勘で! ケーキ一口あげるから!」

「そこはウソでも半分って言えよ」


 割に合わない取引を聞き流しながら、なにげなく窓から外の様子をうかがう。

 すると上川たちの代わりに怪しい集団が目をひいた。


「ねぇ、割り勘にしようって!」

「うるさいぞ、イチ。それより見ろ。なんか、妙な連中がいるぞ」


 映画館の出入口からはちょうど三人の怪しい男が出てくるところだった。


 黒いロングコートと白いマスク、そして手袋。

 三人のうちの二人はそれぞれ女子と男子を肩に担いでいた。

 どちらも意識がないようで、人形のように無抵抗だ。


「ん? あれって、うえっちと内田さん? うえっちってば、いくらモテないからって不審者でハーレム作るこたぁないのにね」

「んなわけねーだろ。ありゃ、どう考えても異常事態だ。行くぞ、イチ」

「じゃあまず通報?」

「特区の警察が役に立つもんかよ」


 ラノベ特区にも警察官はいる。

 しかしその業務内容は「不法な特区の出入りを取り締まる」というものだ。

 人手不足もあって事件に駆けつけるのは決して早いとは言えない。


 警察に頼み、手続きに時間を取られるくらいなら自分たちで解決したほうがいいというのが特区における共通認識であった。


「でも、まだオレケーキ食べてる途中……あー、もったいねぇ!」

「やれやれ、割り勘にしてやるから勘定急げ」


 薄い財布から出した千円札を机に置いて、先に店を飛び出した。


「おい、お前ら! なにやってんだ!」


 駆け寄ってくるこちらの姿を見て、三人組は顔を見合わせる。

 帽子と襟に隠されて表情は見えない。


 なにを思ったのか連中は、担いでいた上川を天城に向かって投げつけてきた。


「うわっ……」


 まさか避けるわけにもいかず、身動きひとつしない上川をなんとか受け止める。

 だらりと動かない人間の身体は重い。

 その隙に三人組は内田を抱えて走りだした。


「あぁくそっ! おい起きろ上川! か・み・か・わ! 寝てる場合じゃねぇぞ!」


 ビシバシと頬を叩いてみるが、上川は伸びたまま動かない。

 そうしている間にも黒服はどんどんと遠のいていく。


「うわ、アマギンなにしてんの? 往復ビンタ? 雪山で遭難ごっこ?」


 遅れて出てきた一ノ瀬がにへらと笑う。

 こいつのいつでも明るいところは美点だ。


「ちょうどいい。イチ、このバカを任せた。叩き起こしてから追って来い」

「え、アマギン? なに、どういうことよ?」

「多分、誘拐だ。外なんだから携帯持ってるだろ、あとで電話する!」

「誘拐って、マジで? 起きろうえっち! 愛しの内田さんがさらわれちゃうぞ!」

「おら、待て! そっちの子も置いてけ!」


 つくづく上川のやつは運がない!


 内田を抱えたまま逃げ出した連中を、天城は追いかけた。


 ***


「あれ? あそこを走ってるの、恭平さんですよね?」


 隣を歩いていた白河がそう言って急に足を止めてしまう。

 ぶつかりそうになって、仙石もあわてて立ち止まった。


 できればせっかくの休日まで、あのバカな男子たちの面倒を見たくはない。

 そう思いながらも仙石は、走る天城の姿を見つけてしまった。

 アーケードから脇道に入り、すぐにその姿は見えなくなってしまう。


「あ、ホントだわ。なにやってんのかしら」

「待てー、って叫んでませんでしたか?」


 たしかにそんな声がかすかに聞こえたような気もする。


「なにかを追いかけてるのかしら?」


 話していると、別の道から女の子を担いだ黒服の三人組が飛び出し逃げていく。

 少し遅れて天城が現れ、彼らの姿はまた別の曲がり角に消えた。


 あまりにも非日常的な光景を前に唖然としてしまう。


「な、なにがあったのよ、あれ……」

「あ! もしかして誘拐じゃないですか?」

「え、そんなまさか。あんないかにも怪しい連中が犯罪なんて……」

「大変ですよ! あたしたちも手伝わないと! せっかくのデートが台無しになってしまいます。先回りしましょう、真由美ちゃん!」


 言うが早いか白河は動き始めてしまう。

 こういうときの白河は素早い。

 太陽の色をした長い髪がマントのようにたなびくとあっという間に白河は視界からいなくなってしまう。


「え、ダメよ、文香は一人で動いたら……ってもう、いないし! 待ってよ、文香!」

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