第7話 電話のコールは三回以上


 泥のような眠りから覚めた上川は、一日分を取り戻すように食堂で飯を食らっていた。


 味もなにもあったもんじゃない。

 胃袋と脳が求めるままに、食べ物をかっ食らう。

 ペンを持ちすぎて右手首が痛むのもお構いなしだった。


 そうしていないと「内田さんは手紙を読んでくれるのだろうか」なんて気にしても仕方のないことばかりが頭をよぎってしまう。


 天城と一ノ瀬が疲れた様子で戻ってきたのは、三膳目の白米が空になるころだった。


「おかえり。二人とも、面倒をかけてごめん」

「気にすんな上川。むしろ感謝したいくらいだ。女子寮に忍び込む大義名分があるなんて経験はめったにないからな」

「オレも委員長のパンツ見れたしね。まぁ、その分お星さまも見たんだけどさ……」


 委員長、と聞いて今日の当番が仙石だったことを察する。

 仙石はクラス委員であって委員長ではないのだが、多くのクラスメイトにそう呼ばれている。

 言ってしまえばアダ名のようなものだった。


 天城と一ノ瀬も夕食のトレーを取りに行き、昨日と同じように三人で並んで食事をとる。

 そういえば、天城に伝えないといけないことがあった。


「そうそう、天城。宅配便届いてたよ。部屋に入れといてもらったから」

「ああ、悪い。そろそろだったな。あとで確認しとくよ」

「毎回思うけど、誰からなにが届いてんの?」


 一ノ瀬が味噌汁をすすりながら尋ねる。


「いつも触るなって言うし、アダルティーななにかなわけ?」

「バーカ、お前と一緒にするな」


 寮には毎日宅配便が届く。

 内容は家族からのものであったり、通販で買ったものだったり、人によって様々だ。

 天城のものがどちらなのかは、上川も知らない。


「触るなっていうのは精密機械が入ってるからだ。結構高いから壊されると困る」

「あー、なるほどなるほど。よし開けよう」

「やめとけ。爆発したら困るだろう」

「マジかよ。絶対開けないっす」


 他の誰かが言っても冗談にしか聞こえないが、天城が口にする「爆発」はなぜか現実味を帯びている。

 実際に爆弾を持っているのを見たわけではないのだが、妙な説得力があった。


「必要なものを、知り合いに頼んで用意してもらってるだけだ。もう宅配便の話はいいだろう。それより、上川。聞きそびれてたんだが、手紙の内容はどうなってるんだ?」

「どうって……」


 奇をてらう内容も考えてみたが、結局最後はオーソドックスな文章に落ち着いた。

 拝啓から始めて、何度も押し倒したことに対するお詫びを綴り、それから映画に誘う言葉を書いて、敬具で結ぶ。それだけだ。


 だからラブレターとは言っても、愛の言葉を書いたりはしていない。

 それでも内容を話すのは恥ずかしかった。


「恋文なわけだから、なんとなく察してよ」

「文面は別にいい。知りたいのは、どうやって相手の返事を受け取るかってことだ」

「ああ、それなら返事はあれだよ」


 上川は食堂の隅にある固定電話をあごで示す。


「寮の電話を三コール以上ならしたら返事はイエス。電話に出て、具体的な話をする。それ未満で切ったならノー。ふて寝するから」

「ほうほう。でもさ、うえっち。そもそもかかってこない可能性もあるんでないの?」

「心配はいらないよ、イッチー。十円玉も手紙と一緒に入れといたから」

「いやいや、そうじゃなくて……」

「あー、聞こえなーい! 今日はいつにもましてごはんがおいしいなー!」


 話をごまかすために、茶碗で顔を隠していると他の寮生が波のように押し寄せてきた。


「おい、上川。結果どうなったんだよ」

「はえーとこ教えてくんねぇと明日の駄賃が返ってこねぇ」

「こっちはお前がフラレる方に全賭けしてんだぞ」「発表してくれ」


 無遠慮な言葉の一つ一つに刺激され、段々我慢がきかなくなってくる。


 もう限界だ。

 上川は椅子の上に立ち上がって叫んだ。


「うるさい、うるさい! そんなん俺が一番知りたいよ!」


 そのとき、電話が鳴った。


 素朴なベルの音が、さっきまでわめいていた男たちを静かにさせる。

 食事をとっていたものも箸をとめ、口の中のものを噛むことさえ忘れていた。


「あ、天城……」

「うろたえるな、上川。まだ一回目だ」


 一コール目が終わる。


「い、イッチー……」

「色々と早い男は嫌われるよ、うえっち」


 二コール目が終わる。


 全員が息を呑んだ。

 しかし、三コール目が鳴り終わる前に電話は切れた。


 食堂が一瞬の静寂に包まれ、そして再びざわめきを取り戻す。


「ま、そうだわな」「想像できたオチだった」

「げーっ、大穴狙いだったのに!」「奇跡は起きないから奇跡だよなぁ」

「ほら、配当金出せ」「あー、つまんねぇ」


「はは……ははは……そ、そうだよな、そうだよな……」


 これまでに何回も押し倒しているのだ。

 映画に付き合ってくれる理由なんかない。

 むしろ、電話がかかってきただけでも感謝しないといけないだろう。


 頭ではわかっているのだが、その頭の中が真っ白に染まっていく。

 納得するための理屈を並べようとしても全て溶けてしまい、あとにはショックだけが残る。


「まぁ、その、なんだ……映画はオレたちが付き合うからさ。元気出せよ、うえっち」


 一ノ瀬が軽く肩を叩くと、上川は抵抗なくそのまま椅子の上から転落した。


「わーっ、うえっちが燃え尽きてる! 死ぬな、うえっちー!」


 一度静かになった食堂だが、賭けの結果が出たことで再び騒がしくなる。


 再び電話が鳴り始めても、今度は誰もコールを数えたりはしなかった。


「やれやれだな……」


 誰も出ようとしない電話が四コール目を鳴らしかけたとき、近くにいた天城が仕方なく受話器をとる。


「もしもし、こちら男子寮。事件ですか、事故ですか? ……え、ああ、どうもこんばんは」


 天城にしては珍しくはっきりしない受け答えだなと思ったが、上川は傷心に忙しく気にしていられなかった。


 ***


 電話をとった天城は、少なからず驚いていた。

 あの反応から見てかかってくる可能性は正直ないと思っていたのに、意外だ。


「ちょっと待ってくれ」


 受話器を手で押さえると、ひっくり返ってる上川を蹴っ飛ばした。


「いってぇ!」

「起きろ、バカ。電話だ」

「電話って……まさか」

「他の連中はともかく、お前がまさかとか言うんじゃねぇよ。ほら」


 差し出した受話器を上川が飛びつくようにして受け取る。

 その光景を、周囲は固唾をのんで見守っていた。


「は、はいっ! も、もしもしもし?」

「いかん、電話とラッキースケベしそうなあわてっぷりだ! どうしよう、アマギン!」

「電話とラッキースケベってなんだよ」

「え~っと、電話線に引っかかって、ダイヤル押すとか?」

「それはスケベじゃなくてマヌケだ。もしかしてイチ、お前もあわててんのか?」

「はい。うん……えっ、ごめん。聞こえなかった」

「うわー、このタイミングで難聴スキルを発動しちゃってるよ! アマギン、もう補聴器買ってあげよう! オレたちで補聴器買ってあげようよ!」

「それで直るようなもんじゃないだろ。あとイチ、うるさい。少しは周りを見習って静かにしろ」

「えっ、ほんとに? うん、ありがとう! そ、それじゃあ明日! おやすみなさい」


 がちゃん、と受話器を落とす。

 振り向いた上川は指を二本立ててピースサインをした。


「映画付き合ってくれるって!」


 その言葉を皮切りに、食堂は男たちの歓声に包まれる。

 ひびの入った寮の壁が壊れそうなほどの大騒ぎだ。


「良かったな、うえっち!」

「ありがとう、イッチー!」


 一ノ瀬と上川は、がしりと抱擁をかわしてグルグルと回り始める。

 他の男子も手を叩いたり、口笛を吹いたりと賑やかだ。


 天城はその中で唯一冷静なふりをして「やれやれだ」とつぶやいたが、口元に浮かんでしまう笑みを隠すことはできなかった。

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