第4話 女子寮に用がある!


 翌日の土曜日、その放課後。


 天城恭平は一ノ瀬と共に女子寮の周囲を囲む塀に身を隠していた。


「昨日は下駄箱で今日は塀……なんか身を隠してばかりの気がするな」

「見つかったら反省文と罰掃除で忙殺されちゃう。やだ、イッチーこわ~い」

「気持ち悪いぞ、イチ」

「いや、でも本当に女子寮はまずいっしょ。男子が行っちゃまずい場所トップスリーに入るよ」


 女子寮は男子寮から見て、校舎を挟んだ反対側にある。

 言うまでもなく、男子禁制であり、不容易に近づけばそれだけで処罰されてしまう。

 なんとかここまでは女子の目をかいくぐってきたものの、すんなりと中へは入れない。


「そもそもこんなところに忍び込もうだなんて、アマギンの作戦は相変わらず無理あるんじゃね? これって難易度で言ったら、女湯に入るのと似たようなもんでしょ」

「もうターゲットが寮に引っ込んじまったんだから、仕方ないだろ」


 視線を空に転じれば、すでに傾いた太陽が見える。

 それだけですでに計画は狂ってしまっているのだ。


「それに、これは今日中に届けてやらないと」


 天城が持つ手紙の表面には「内田渚さまへ」と宛名が書いてある。

 裏面には「上川修司」と差出人の名前が控えめに書かれていた。


 このラブレターが書かれた経緯は昨晩にさかのぼる。


***


「ようは、上川が直接内田渚に会わずともデートに誘えればいいんだ」


 食堂で提案された一ノ瀬の思いつきを元に、天城が提案したのはラブレターを届けるという作戦だった。

 食器を返しながら、説明を続ける。


「ラブレターというのは古典的だが、それだけに効果が保証されているということでもある。試してみてもいいだろう」


 面と向かって想いを告げられない男たちを救う最後の砦。

 一度思いつくと、今までそれに思い至らなかったのが不思議でならないくらいだった。


「よし、書く!」


 閉店直前の購買で買ってきた便箋を手にした上川は、そう意気込むと勉強机に向かった。

 そんな上川の背中を見て、一ノ瀬がぼやく。


「なぁ、アマギン。これって成功するんかねぇ?」

「さぁな。ま、あとは手紙の内容次第だろ。先に寝ようぜ、こりゃ徹夜する勢いだ」


 大体明け方までには終わるだろう。

 そう考えて特に心配することなく天城は眠った。


 そうして土曜日の朝がやってくる。

 目を覚ました天城たちが見たのは、昨夜と変わらない姿勢で執筆を続ける上川の姿だった。

 変化といえば書き損じと思われる便箋と、プリントの裏紙を使った下書きの山が床一面に転がっていることだけだ。


「寝る前とおんなじこと訊くけどさ、これって本当に大丈夫なん?」


 目をこすりながら尋ねる一ノ瀬は、上川の体調を心配しているようだ。


「大丈夫だろう。大抵の場合、こういうのは朝になったら冷静さを取り戻す。真夜中のラブレター現象ってやつだ」


 天城はなにげなく床に転がった便箋をいくつかまとめて拾い、内容を確認する。


 そこには、くどいくらい詩的な文章もあれば、妙に簡潔なものもあり、やけに軽めな文章で書かれたものもあった。

 迷走しすぎて筆ペンを使っていたり、なぜか色鉛筆で一文字ずつ色を変えた形跡まである。


「……やっぱり大丈夫じゃない気がしてきた」


 少し楽観的すぎたかもしれない。

 上川の真面目な性格から言って〝完璧〟を追求するのは想像できたはずなのに。


「おい、上川。そろそろ休めよ」

「ちょっと待って。もうすぐだから」


 血走った目を机上に向けたまま、雑な答えが返ってくる。


「やれやれ、本当だろうな」


 信用した天城たちは始業ギリギリまで待ったが、ラブレターが書き上がる様子はない。


「おい、上川。さっきもうすぐって言ってから、一時間以上かかってるぞ」

「ちょっと待って。もうすぐだから」

「うえっち、学校はどうするん? 急いで準備してもギリよ?」

「ちょっと待って。もうすぐだから」

「……上川、今日は何曜日だ?」

「ちょっと待って。もうすぐだから」

「ダメだ、こりゃ」


 机から視線を離さない上川は、壊れたテープのように同じ言葉を反射的に繰り返している。

 ここまで熱中してしまうともう手がつけられない。


「仕方ないな。学校に行くぞ、イチ」

「え、うえっちとラブレターどうすんの?」

「こうなったら、昼休みにでも様子を見に来るしかないだろ」


 やむなく上川は本日病気で欠席。

 天城と一ノ瀬は、その旨を伝えるべく登校した。

 まさか「恋の病」だとは説明できなかったので、原因は風邪にしておいた。


 予定通り昼休みに一度寮へ様子を見に戻った天城たちは、相変わらず変化していない上川を目撃する。

 もはやここまで来ると軽いホラーだ。


「やれやれ。なぁ、イチ。あれは止めるべきなのか?」

「いやぁ、もう無理でしょ。なんか取り憑かれてるね、ありゃ。悪霊退散、悪霊退散」


 一ノ瀬がふざけて十字を切っても、上川はまったく気にもとめずペンを動かす。


 ラブレターが書き上がっていないのではどうしようもない。

 天城たちは学校へ戻り午後の授業を受けた。


 この作戦は失敗だったかもしれない。

 そう思いつつ、帰宅すると上川は床にのびていた。

 便箋の山に埋もれ、仰向けに倒れているその姿はたった一日程度のことでひどくやせ細って見える。


「う、うえっち!」


 あわてて駆け寄った一ノ瀬が上川を抱え起こす。


「しっかりするんよ! あぁ、こんな干物みたいになって!」

「こ、これ……」


 薄目を開けた上川はきちんと封をした手紙を天城に差し出した。

 表には「内田渚さまへ」と丁寧に書かれている。


「頼ん、だ。う、内田さんに……」

「わかった、おれが責任をもって配達してやる。だからゆっくり休め」

「あ、ありがと……」


 上川の腕ががくんと力なく垂れ下がる。

 一ノ瀬は血相を変えて、上川を揺さぶった。


「しっかりしろ、うえっち! うえっちー! ……って、これ寝てるだけだわ」


 ぐおーという、いびきが聞こえると一ノ瀬はぱっと手放す。

 上川がぼすんと書き損じの海に沈むが、それでも起きる気配はなかった。


「やれやれだ」


 不眠不休でラブレター書き続ければ、こうなっても不思議じゃない。

 眠り続ける上川を他の寮生に任せると、天城たちは女子寮へと向かい……


***


 そして、今にいたる。


 ここまで来た目的は一つ。

 とっくに下校してしまった内田渚にラブレターを届けることだ。


「上川のやつ、色々残念だけど悪いやつではないんだよな」

「うん、残念だけど悪いやつではないんだよねぇ」

「で、イチ。お前、本当はどっちに賭けたんだ?」

「そりゃもちろん。アマギンと一緒だよ」

「そうかい。よし、じゃあ行くか」

「がってん!」


 女子寮の前には当番制で見張りが立っている。

 言い換えれば、ラブレターを届ける難易度はこの当番によって大きく左右されるのだ。


 今日は誰なのか、それを確認するために身を隠していた塀から顔を出す。


「げっ」「うわっ」


 天城と一ノ瀬は同時に声をあげ、元いた場所に身を隠した。


 入り口に立っていたのは肩ほどまでの髪を短いポニーテールにした女子生徒。

 手に竹刀を握った彼女は、切れ長の眼を油断なく周囲に向けていた。

 闘志が染み込んだように真っ赤な髪が天城たちの恐怖をあおる。


 彼女の名前は仙石真由美。

 同級生の男子に恐れられている女子の代表格で、想定していた中では最悪に近い相手だった。


「よりによって仙石かよ……つくづく上川のやつ、運がねぇな」

「この場合、運がないのってオレらじゃね? 帰っていい? ねぇ、帰っていいよね?」

「おい、イチ。さっきまでのやりとりはどうなったんだよ。いい感じの雰囲気出てただろうが」

「ちょっと、誰かそこにいるの?」


 仙石の声に、二人はあわててお互いの手で相手の口を塞いだ。


「お前のせいでバレたぞ……!」

「アマギンのせいでしょうが……!」

「今、聞き覚えのあるバカの声が聞こえたと思うんだけど」


 仙石の足音はどんどんと近づいてきている。


 天城と一ノ瀬は責任を押し付けあうようにお互いを指さし、同じタイミングで首を横にふって否定した。


 このまま隠れていても、すぐに見つかってしまう。

 そうなれば忍び込むのは絶望的だ。


『覚悟を決めろ、イチ』

『うぅ……絶対助けに来てくれよ、絶対だからな!』

『わかってる』


 それだけを目で会話すると、天城と一ノ瀬はそれぞれに行動を開始した。

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