第5話 一ノ瀬の奮闘


 一ノ瀬浩太は自分の役割をちゃんと理解していた。


 男子寮からここに来るまでに、天城から何種類かの作戦を伝えられている。

 もしも当番が最悪の相手であったなら、そのとき自分は囮になるのだ。


 仙石の注意をひくために勢いよく立ち上がる。


「こ、こんにちはー……」

「やっぱりあんただったのね、一ノ瀬」


 こちらの姿を認めた仙石の顔つきが険しくなる。


 どこかで見たことのある表情だな、と一ノ瀬は思った。

 あぁ、そうだ。

 台所でゴキブリを見つけたとき、女子はああいう心底嫌そうな顔をする。


「ここがどこかは当然わかっているのよね?」

「えっと、男子寮はこっちじゃなかったかなー、なんて。ははは……」


 ふざけた一ノ瀬を威嚇するように仙石は竹刀を振り上げ、地面に叩きつけた。

 普通ならせいぜい竹刀が威嚇音を出すだけだ。


 しかし仙石の場合は違う。


 どかん、という恐ろしい音がしてコンクリートが砕け散る。

 まるで発泡スチロールのようにあっけなく。

 その破片が周囲に飛び散る光景を前にすると、さすがに一ノ瀬の笑みも凍りつく。


 知っていた。


 仙石真由美はライトノベルのヒロインが持つ中でも、たちの悪い属性を持っていることを。


「ぼ、暴力系ヒロイン……」


 無意識に口からこぼれた。

 相手の属性を知っていても、目の前にする衝撃を薄められるわけじゃない。


 仙石は感情表現がすべて過剰な暴力につながってしまう性質をもっている。

 その力はおよそ細腕の女子高生が出せるものを凌駕していた。


 男子の間でささやかれる武勇伝には事欠かない。

 いわくピアノを指一本で持ち上げたとか、ビルを足で蹴り折ったとか、その気になれば走行中の電車を片手で止められるなどなど。

 どこまでが本当なのかは知らないが、ビルを折るあたりまでは本当ではないかと思う。


「暴力系って言うな! あたしは武闘派なだけよ!」

「いやぁ……それはちょっと無理がある言い分でない? 普通の剣道部はコンクリートを割らないし」

「うっさい!」

「わ、わっ……!」


 一気に距離をつめた仙石が竹刀を振りかぶる。

 一ノ瀬はそれを後ろ向きに転がってかわした。

 頭上を竹刀が横薙ぎに通過する。


 その刹那、普段は見られない光景を目にした。

 ひらりとした布の向こう側の隠された景色。


 あれは――


「水色! ふむふむ、眼福眼福」

「はい?」

「いやほら、スカートでそんな風に動くから。どうも、ありがとうございます!」

「なっ!」


 仙石のスカートを指さし、両手を合わせて拝んだ。


 それだけでなにを見たのか察してくれたらしい。

 仙石の顔が真っ赤になる。


 ただ下着を見ただけだなら黙っていればいいと思うかもしれない。

 でも、こうして赤面するところまで見てこそ、パンツを見た意味がある。

 たとえそれで仙石の怒りをあおり、コンクリートをも打ち砕く一撃が目の前に迫ることになっても、一ノ瀬の中に後悔ははなかった。


「忘れろぉ!」

「う、うげっ――!」


 今度は避けられない。

 仙石の竹刀が脇腹に叩き込まれる。

 一ノ瀬は野球ボールのように吹っ飛び、塀に頭から激突する。


「げほっ、げほっ……あ~、びっくりした」


 立ち上った土煙にむせながら、起き上がる。

 痛みはあまりない。


 普通の人間なら、すぐに治療が必要な状態に陥ることだろう。

 しかし、一ノ瀬は無傷だった。

 せいぜい服に土埃がつく程度の被害しかない。


「この! 相変わらずしぶとい!」

「踏んで、踏んで! どうせならおみ足で踏んで! 靴は履いてていいから!」


 囮としての役割を果たすべく、よりいっそうおどけてみせながら仙石へと飛びかかる。

 そして竹刀で頭を叩かれた。

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