第3話 反省会で


 上川修司たちが暮らしているライトノベル特別指定区域、通称ラノベ特区は日本海に面した海沿いにある。

 人口の五割が高校生、三割が中学生となっており、数ある特区の中でも平均年齢が低い地域だ。


 そこに点在する学校のほぼすべてが全寮制であり、傷心の上川が天城に連れられて帰る場所もまた男子寮の三人部屋になっている。


「おかえり、お二人さん」


 壁がひび割れ、蛍光灯が明滅する廊下をたどって、自室の扉を開けるとそこではもう一人の同居人が待ちかまえていた。


「で、どうだったん?」


 ワックスによって几帳面に逆立てられた髪が特徴的な少年、一ノ瀬浩太はニマニマと笑う。

 その手には、読みかけのライトノベルが開いたまま持たれていた。


 満身創痍の上川は、その質問に答える気力もない。

 這うようにして、二段ベッドの下にもぐりこんだ。


「やれやれ、見りゃわかんだろ」


 布団にこもってしまった上川の代わりに天城が答える。


「今回も失敗だ」

「あーらら。んで、何回目の失敗だっけ? 三回、えっと四回?」

「六回目」

「あちゃー。そりゃ、まだ通報されてないことを内田さんに感謝したほうがいいかもしれないレベルだぁね。今日も胸?」

「そうだ。こけるときに巻き込む、いつものパターン」

「さすがうえっち、巨乳好き。おっぱい星人。しかしまぁ、なんとも進歩のない結果だったのねん」

「あーもう! 好き勝手言うなよ!」


 上川はがばりと起き上がると、手近にあった枕を一ノ瀬めがけて投げつける。


「いやいや、やむをえまいて」


 枕はあっさりと一ノ瀬に受け止められ、すぐに投げ返されてしまう。


「だってさ、通算六回も胸もんだんでしょ? もうさ、いっそのことあきらめてさ、これからはその感触を支えに生きていったほうがいいんでない?」

「そんなん覚えてるもんか! 頭真っ白で、目の前は真っ暗だよ!」

「白黒と大変なのね。でも、せっかくラッキースケベのスキルがそれはもったいねぇべ」

「あー、うるさいうるさい!」

「やれやれ……おい、暴れるなよお前ら。ホコリが舞うだろうが」


 言葉と一緒に枕を投げ合う上川と一ノ瀬に、天城が渋い顔をする。

 上川はちょうど投げ返されたばかりだった枕を顔に押し付けてわめいた。


「俺だってこんな属性、欲しくなかったよ! うわーん!」


 ラノベ特区に暮らす上川らはそれぞれが独特の属性をもっている。


 二十数年前、フィクションとの〝壁〟が崩壊することによって人々に現れた特殊な力は千差万別。

 喜ぶべき効果のものもあれば、悪い方向にばかり働くスキルもある。

 上川の場合は言うまでもなく後者だった。


「常々思うけどさ、うえっちのスキルはハーレム主人公のダメな部分や嫌われるところばっかを集めたような属性だよね。女子にはわざとやろうとしてもできないようなラッキースケベを連発するし、男女問わず肝心な話を聞き逃すから忘れ物多いし」


 一ノ瀬は持っていたライトノベルをかかげてみせる。

 表紙のイラストは主人公らしき少年がたくさんの女子に囲まれているものだ。

 上川はその主人公を自分に置き換えてみようと想像力を働かせてみたが、うまくいかなかった。


「それでも、その短所を補ってあまりある長所があるからハーレム主人公って成立しているんだろうけど、うえっちはどれもなぁー。しかも、自分から女子に惚れるってどうなんよ。ハーレム属性なら普通、惚れられるほうなのに」

「俺はな、イッチー!」


 枕を抱えたままベッドから這い出ると、声を張り上げる。


「ハーレムなんかいらないんだよ! ただ、ごく普通に! 内田さんとお近づきになりたいだけなんだ。普通の男子高校生として!」

「あ。うえっち、今のでもう一つハーレム主人公としての欠点が露呈しちゃったぞ」

「え、なに?」

「女子とお近づきになりたいという、性欲がある」

「ふんっ!」


 したり顔で言った一ノ瀬に、上川はまた枕を投げつける。

 その一撃は一ノ瀬の顔面にヒットはしたものの、粘着質な笑みを剥がすことはできなかった。


「だから、もうやめろって上川。イチも、あんまり傷口えぐってやるなよ」

「へーへー、ごめんちゃい」

「もう知らん! 俺は深く傷ついたもんね!」


 再びベッドに飛び込んだ上川は掛け布団を頭までかぶって、殻にこもった。


「やれやれ、ふて寝しちまった」

「悪かったよ、うえっち。お詫びに秘蔵のお宝本貸すからさ、機嫌直しておくれ」

「それはいったい、どんななだめ方なんだよ」

「イッチーの持ってるのは特殊ジャンル過ぎて俺には合わない」

「返事するのかよ」

「心配ご無用。ノーマルなのも取り揃えてござる」

「え、マジで!」

「しかもノリノリじゃねぇか。やれやれだな」


 掛け布団を蹴飛ばして起き上がった上川に天城は溜め息をついた。


「で、本当にどうするんだ上川。映画のチケット、使えるのは明後日の日曜までだろ」

「うん……」


 制服のポケットから、結局内田には見せることさえできなかった映画のチケットを取り出す。

 二枚あるそれは一ヶ月以上も前に上川が購入した恋愛映画のものだった。


 買ってしまえば誘うしかない、と自ら退路を塞いだのだがあまりにも失敗が続いたためにもうすぐ映画の上映そのものが終わろうとしている。


「明日、七回目の挑戦するか?」

「うん、がんばる」

「おーっと、二日連続かぁ。こりゃ弁護士に連絡しておくべきかねぇ」

「おい、イチ。今度はお前も付き合え」

「え、アマギンってばマジで言ってんの? オレになにしろっていうのよ」

「もしかしたらついにキレた内田渚にぶん殴られるかもしれないだろ。そのとき致命傷にならないようフォローしてやれ」

「ま、たしかにねぇ。そろそろボコボコにされても不思議じゃないし、むしろ今まで一度もそうならなかったことが奇跡だぁね」

「あのさ、二人とも俺が失敗する前提でしゃべってない? ねぇ、どういうこと? 協力してくれるんだよね?」

「よし、イチ。景気付けに晩飯食いに行くか」

「がってん!」

「ちょっと待て。俺も一緒に行く!」


 あわてて布団から這い出ると、上川も友人たちに続いて自室をあとにした。


***


「さぁ、はったはった! ダメハーレムでおなじみ上川修司がまた挑戦するぞ! さてさて、この誘いがうまくいくかどうか! 一口五百円からだ!」


 男子寮の一階にある食堂では、メガホンを片手に持った生徒が椅子の上に立って叫んでいた。

 娯楽の少ない男子寮は、こんなことでも大いに盛り上がる。

 学年関係なく男たちは声の近くに群がっていた。


「よし、失敗に賭ける!」「どうせまた押し倒すだろ」

「スカートずらすかも」「え、じゃあ見に行く?」

「これ、賭けになんのか?」「なんだっていいや。がんばれよー!」


 賭けている側はお祭り騒ぎだが、対象にされている上川としては面白いわけがない。

 眉間にシワを寄せ、聞こえないフリをして黙々と白米をかきこむ。

 横目で確認したかぎり、失敗のほうに賭けてるやつが多いのもまた腹立たしい。


「まったく、あいつらは人の純情をなんだと思ってるんだ」

「ま、いいんでないの? みんな応援してくれてさ」


 トレイを持った一ノ瀬が上川の隣に座る。

 どんぶりに山盛りの白米と皿からあふれんばかりの野菜炒めは、どちらも大盛りにしてもらったのが一目でわかる。


「さぁ、晩飯だ晩飯だ」


 嬉しそうに言いながら一ノ瀬は制服の胸ポケットに紙片を突っ込む。

 ずいぶん時間がかかっていると思ったら、賭けに参加していたようだ。


「ちなみに、イッチーはどっちに賭けたわけ?」

「聞いて幸せになれない質問はするもんじゃないね、親友」

「イッチーはそんなやつだよ。けっ、どーせどーせ」

「食堂ではあばれんなよ」


 そう言いながら現れた天城も上川の横に腰を下ろした。

 天城はいつも少食で、米の量もおかずの量も通常の半分以下になっている。


「じゃあ、早速明日の作戦練るか。まずは、厄介なラッキースケベの対策だな」

「はーい、せんせー。いっそのこと、両手両足しばっちゃうのはどうですかー。で、アイマスクと首輪をつけて、猿轡を噛ませたら完璧。どうよ、うえっち」

「いやだよ。それじゃただの不審者だよ。元から低い好感度が、マイナスになるよ」

「よし、だったら発想の転換をするべ。うえっちはもう内田さんに会いに行かないってのはどうなん?」

「意味不明だって。少なくとも俺があきらめるのは映画のチケットが紙くずになってからだから。そしたら多分一晩中泣くから二人とも気をつかって廊下で寝てよ」

「いや、そうじゃなくてね。代理告白、代理告白」


 箸で空中をかき回しながら一ノ瀬は続けた。


「おっ、これは我ながら名案じゃね? ラッキースケベはうえっちが行かなきゃ絶対に起きないじゃん? あ、そうだ。代わりにアマギンが行けばいいよ。見てくれはうえっちよりもいいしさ。女子からの人気もあるべ」


 たしかに三人の中でもっとも運動ができて、勉強もできるのは天城だ。

 加えて普段から落ち着いた態度を取っているせいか、女子からの評判もいい。

 その点で、一ノ瀬の提案は理解できたが納得はできない。


「そんなのダメに決まってんだろ。なぁ、天城」

「いや……案外、それはいけるかもしれないな」

「はい?」

「あれま、意外な反応」


 上川も一ノ瀬も困惑する中、天城だけは不敵に微笑んでいた。

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