第一章 お手紙書いた

第2話 何度目かの失敗


「準備はいいか?」

「う、うん」


 放課後の下駄箱で上川かみかわ修司しゅうじは、緊張した面持ちでうなずく。


 友人の天城あまぎ恭平きょうへいは下駄箱に身を隠しながら、廊下の様子をうかがっている。

 上川もその隣で同じような姿勢で息をひそめていた。


 窓から差し込む六月の夕日が二人の横顔を赤く照らしている。

 すでにほとんどの生徒が下校したため、下駄箱にいるのは二人だけだった。


「今日こそうまくやれよ、上川」

「あ、ちょっと待って。もう一回だけ台詞の練習を……」

「はいはい、気が済むまでやっとけ」

「えぇっと、その、内田さん……よかったら今度の休みに、あ~、えっと」


 上川は手にした映画のチケットをぎゅっと握り締める。

 そうするとわずかでも勇気が得られるような気がした。


「やれやれだな」


 呆れ顔の天城が下駄箱の影から首を伸ばす。

 が、すぐに引っ込めた。


「前言撤回。そんな時間はないみたいだぞ、上川。ターゲットが接近中だ」

「え、ホントに」


 あわてて二枚のチケットを制服のポケットにしまう。


 下駄箱の影からちらちらと廊下をうかがう天城は、かけてもいないメガネを押し上げるような仕草をした。


「いいか、落ち着け。お前が落ち着いていれば、あの悪い発作はでないんだからな」

「わ、わわわかってる!」

「すでに落ち着いてねぇじゃねぇか。どう、どう。とりあえず深呼吸だ」

「深呼吸。な、なるほど!」


 うながされるまま深呼吸をする。

 なぜか天城も一緒に深呼吸をしてくれた。


「変に気負うなよ、上川。落ち着いて、冷静に。それでいて相手に伝わるようはっきりと映画に誘うんだ。そうすればきっとうまくいく」

「うん、今度こそちゃんとやってみせるよ」

「よし、行ってこい」


 天城に勢いよく背中を叩かれ、上川は前につんのめるように廊下へ出た。

 その向こうからは一人の女子生徒が接近している。

 背筋を伸ばした、姿勢のよい姿に思わず目を奪われる。


 真っ黒な髪が美しく伸ばされ、歩くたびに規則的にそれが揺れる。

 赤とかピンクといった髪色が当たり前のように存在する学内で、黒い髪というのは珍しいことだった。


 内田渚。

 上川とは同じクラスだが、あまり話したことはない。

 誰かと話している様子もあまり見たことがない。

 どこか浮世離れした感じを受ける女の子だ。


 内田のそういった姿に上川はどうしようもなく惹かれていた。

 思わず仲良くなりたいと思ってしまうくらいに。


 映画に誘うのは、そのきっかけ作りだ。

 だから変に緊張してはいけない。

 天城の言うとおり、落ち着いて冷静に。


 気合を入れて顔をあげると、廊下を歩いてくる内田と目が合ってしまった。


 それだけで息が止まってしまいそうになる。

 額から流れる汗は止まらない。

 下駄箱の影から天城が「落ち着けー」と小声でささやくのがかすかに聞こえた。


「…………」


 内田は、棒立ちしている上川に一度目を向けたがすぐに視線を外す。


 足を止める気配はない。

 このままではなにごともなく女子寮に帰ってしまうだろう。

 それは困る。


「あの、内田さん……うわっ!」


 そう声をかけた瞬間、つまづいた。


 見えないなにかに足首を掴まれたかのように、なにもない廊下でつまづいた。

 目を見開く内田の姿がストップモーションのように見える。


 上川は内田を押し倒すように巻き込んで、もろともに倒れこむ。


「い、っ……」


 やってしまった。


 こみ上げてくる強い後悔に、目の前が真っ暗になっていく錯覚をおぼえる。

 自分がついた手の下には、好きな女の子の胸がある。

 倒れた拍子に、胸を揉むように手をついていたのだ。

 頭の芯が急速に冷えていく。


「ご、ごめん!」


 あわてて内田の上からどいて、廊下の壁に貼り付くように距離をとった。

 緊張と罪悪感による汗が止まらない。


「…………」


 無言のまま起き上がった内田は、服の汚れを何度か手ではたいて取り除く。

 その表情は先ほど廊下を歩いていたときとまったく変わらない。


 内田は冷や汗に濡れた上川を一瞥すると、なにも言わずに下駄箱へ向かう。

 そのまま靴を履き替え、出て行ってしまった。


 内田の姿が見えなくなると、上川は力なく膝をついた。


「うわー! やっちゃった! また、やっちゃったよ!」

「か、上川。えっと、まぁ、その、なんだ……元気出せよ」


 下駄箱で一部始終を見ていた天城が出てくる。

 適当な言葉が思いつかないのか、珍しく歯切れの悪い言葉しか言ってくれない。


「無視っていうのはビンタをくらうよりもダメージ大きいだろうけどな……う~ん、とりあえず」


 今にも口から魂が抜けていきそうな上川の肩を、天城ははげますように叩いた。


「帰って反省会でもするか」

「くそー! もうこんなのはイヤだぁ!」


 やけになって叫んだその声は、放課後の校舎にむなしく響いた。

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