8.あなたを「本当の場所」に連れて行ってくれる、魔法の馬車

 数台のモニターが並べられた、超心理学研究室。ひとつには、小部屋ブースに閉じ込められたキャシー。ひとつには、やはり同じように別の小部屋にいるマシューの姿が映っている。

 マシューは写真を見つめ、そこに写っているものを強く思い浮かべる。キャシーはテレパシーでその内容を受け取る。彼女が独り言でも言うようにその内容をぽつりぽつりと語るのが、マイクを通してスピーカーから聞こえてきていた。


 テレパシーの送り手と受け手がテレパシー以外の方法で連絡を取ることができないように、彼らは離れた場所にある、それぞれ密閉された小さな部屋に隔離されていた。どちらも外部の音を完全に遮断する、特別製の壁で覆われている。

 実験中の三十分間、彼らは完全に孤独な状態に置かれる。しかも、受け手であるキャシーのほうは――。


『オーケー、キャシー。もういいよ』


 スピーカーから、実験者のブライアンの声が聞こえた。言いながら、ブライアンは小部屋の扉を開く。

 モニターの中で、キャシーがホッとしたように力を抜いて、装着していたアイ・マスクとヘッドホンを外した。

 被験者であるテレパシーの受け手は、視界を白一色に保つアイ・マスクとノイズの流れるヘッドホンを三十分間装着する。超感覚ESP以外のすべての感覚機能を遮断し、不正を起こす余地をなくさせるためだ。


 開け放たれたドアの奥で、小部屋の中の安楽椅子に腰掛けたままキャシーはブライアンに目を向けた。

 ブライアンはそれに軽く目配せで答え、それから自分を映しているカメラに視線を向けて、

『要点を復唱します――』

 そう言って手元のメモに目を落とす。


 ブライアンの声がスピーカーから流れてくる中。モニターを囲む一同の前に、マシューの部屋の外で待機していたアシスタントが彼から受け取った一枚の写真を持ってきて見せる。今回の実験の、ターゲット。


『白い、一面雪に覆われたような場所。晴天。青い屋根の教会。その扉にはクリスマスリース。雪だるま。左下に、赤いソリ――』


 キャシーが三十分間かけて要素を、手元のメモを見ながら復唱するブライアン。

 彼が一言発するたびに、研究員や見学者たちからどよめきの声が上がった。

 じかに写真を見た者が、写真の説明として挙げそうな特徴的な要素が、ほとんどブライアンの読み上げる「キャシーのもの」の中に入っていたからだ。


 モニターの正面に座っていた楠見は、隣で腕を組んでいるウィルソン教授と顔を見合わせた。


「大したもんだ」

 ウィルソン教授は心底感服したように、震えるような吐息混じりにそうつぶやいた。


 自分も鳥肌の立つような興奮を覚えながら、楠見は「ええ」と声を殺して頷く。


 三セッションを終えて、実験を見守る研究者や見学者の間にはそろそろ共通の見解が生じ始めていた。彼女は本物のテレパスだ。超能力は、存在するのだ――。

 最初の一回こそ、緊張が勝ったためか正答率は低めだったが、後の二回でキャシーは恐るべき能力を見せていた。


「完璧だ」今回の主賓であるロチェスター社の社長も、思わずといった調子で驚愕の声を上げる。「彼女は本当に、超能力者だって言うんだね。ドクター、あんな人材をどこで見つけてきたんです?」


「ハハハ、うちのマシューという者が見つけたんですよ。今回の実験の、『送り手』になっている」上半身を後列に向けて、ウィルソンは得意げに答える。「どうして気づいたのかは、後で本人にでも聞いてください」


「しかし――」首を捻るようにして声を割り込ませたのは、先ほどマシューが「強烈なアンチ」だと紹介した学会の研究員だった。「完璧すぎやしませんか。これまで彼女ほどの結果を出す者はおろか、それに近い成績を上げた者すらいなかった。一足飛びにここまでの能力を持つ者が現れるといのは、ちょっと考えにくい……」


 言いたいことはもっともだった。

 一般人を対象としたこの手のテストでは、「白っぽいイメージ」だとか、「建物が一軒立っている」だとか、その程度の一致でもわずかながらにテレパシーを検出したとされるのだ。キャシーの語る内容は、それと比べて飛躍的に、正確に過ぎる。

 彼女の能力を信じている者からすれば「彼女こそ本物のテレパスだからだ」ということになるが、疑えば、「当たりすぎて不自然だ」とも言えるだろう。


「まるで、もともと写真の内容を知っていたみたいじゃないですか」

 案の定、アンチの研究者はそう言ってまた首を捻る。


「そうは言っても」別の研究員から声が上がった。「彼らが事前にターゲットを知る手段はないと、さっき確認したじゃないですか」


「それはそうだが、ここまでの成績を上げてくると、逆に怪しい」

「それじゃ、どこで彼女がターゲットを知る隙があったって言うんです?」


「彼女は本物だよ」椅子にふんぞり返るようにして、ロチェスターが深く何度か頷いた。「今それを証明しているところじゃないかね。まあ、見ていたまえよ」


「けれどミスター、そう頭から信じるのは危険です。信じてしまえば、あからさまな不正さえも見落としてしまう。そういうケースが何件も報告されていますよ。たとえば――」


 背後にそんなやり取りを聞きながら、楠見は腰を上げた。


 一世紀以上繰り返されてきたやり取り。

 将来どんな能力者が現れようとも、この会話がなくなることはないだろう。


「クスミ?」

 席を立つ楠見に、ウィルソン教授が声を掛ける。


「キャシーの様子を見てきますよ。だいぶ疲れているでしょうからね」

「ああ。そうだな。三十分の休憩だ。ちょっと気分転換をさせてやってくれ」

「ええ」


「さて、長丁場だ。我々も一息入れましょうか」

 そう言って、ウィルソン教授は後ろの面々を振り返る。喧々諤々の論議に入りかけていた研究者たちは、それにひとまず頷いて、まだ舌戦を続けたそうな気配を見せながらも腰を上げた。


 楠見はモニターに映っていた、少々顔色の悪いキャシーが気がかりだった。

 実験室は、被験者に過度なストレスを与えぬよう環境に配慮されてはいるものの、そうは言っても通常の感覚をすべてシャットアウトした状態で何十分も集中し続けるのだ。負担のかからないはずがない。

 厳しいようなら、ここで中断するように提案しなければ。そう思いながら、休憩室に向かった。




「クスミ」

 目が会うなり、キャシーは数年ぶりに友人に再会したような懐かしげな声を上げた。


「キャシー、お疲れさま。調子はどうだい?」

 後ろ手にドアを閉め、椅子に座っている彼女を覗き込む。


「ちょっと疲れたけれど、まだ平気よ。はあ、集中するって疲れるのね。それに、能力を使い続けるっていうのも。これまでのテストは、ほとんどあのマークだけのカードだとか、ひとつの単語だとか、単純なものばっかりだったでしょ? いろんなものが写っている写真を全部読み取るのって、けっこう大変なのね!」


 疲労の色をにじませてはいるものの、興奮が勝ったのか饒舌に語るキャシー。苦笑しながら楠見は彼女の向かいに腰を下ろした。

 キャシーの言う通り、彼女がこれまでにやってきたテストと言えば、ESPカードを用いたものや、同じようにカードに記された単語を当てる程度のもの。今回のように画像を見て細部まで読み取る形式の実験は、予備実験のときに練習しただけで慣れているわけではない。


 楠見の見る限り、キャシーの能力では、相手が強く思念した一事項を感知するのがせいぜいだ。人間の通常の思考がそうであるように、雑然と頭のどこかで思い浮かべている程度のものまで読み取ることはできない。記号、図形や単語といった単純な伝達事項を受け取ることはできても、対象物のはっきりしない風景写真のような複雑な情報を受け取るのは苦手なようだった。

 今回はだから、送り手であるマシューがひとつひとつ思い浮かべる事柄に集中し、単語を読み上げるようにそれを受け取っているのだろう。


 そうだとしても、一般の人間にはあるべくもない特殊な超心理学的能力であることに変わりはない。だが――サイとして、非常に不完全ではある。

 初めてバーでESPカードを使ってテストしたときも。自分に向けられる周囲の強い意識に動揺し、彼女のテレパシーを外させようとした楠見の思考誘導に簡単に騙された。


 本来ならば、記号や単語程度の簡単な実験でやめておくべきなのだ。ストレスのかかる状態で、何十分も能力を働かせ続けるのは酷だろう。


「予定じゃまだあとツー・セッションある。どう? 続けられそう? 厳しければ中断するように言うけど?」


「大丈夫」にっこりと、キャシーは微笑んで返す。「もうあとたった六十分でしょ? それで研究室の存続が決まるなら、楽なもんだわ」


 そう言って、両手を伸ばして「うーん」と大きく伸びをする。

 そこで動きを止めて、腕を広げたままキャシーは楠見へと目を向けた。


「早く終わらせて、思いっきり歌いたい。ね、クスミ。今夜、バーに来て」

「今夜? これだけ疲れて、この後で仕事するのかい?」

「歌っていれば平気よ。疲れなんか吹き飛んじゃうわ。そうやって、発散させてるの」


「健康的だな」

 楠見は笑った。


 キャシーは腕を下ろし、テーブルに身を乗り出すようにして。

「リクエストにも応えるわ。今度こそ、ちゃんと聞いて。Swing lowスウィング・ロウ――」


「ああ。楽しみにしてるよ」


 またにっこり笑って、キャシーは椅子の背もたれに寄りかかる。そして、


「子供の頃にね」目を伏せて、ふいにそんな言葉を落とす。「子守唄みたいにして、母親が歌っていたの。あの曲――」


「へえ……」

Sweet Chariotスウィート・チャリオット……聖書に出てくる、預言者の乗った戦闘馬車のことだって大きくなってから聞いたけれど。母は、『あなたをに連れて行ってくれる、魔法の馬車なのよ』って言ってたわ」

「本当の場所……」


 そういえば、以前もバーで、そんな言葉をキャシーは口にした。繰り返すと、「ええ」とキャシーは至極真面目な顔で、頷く。


「『home故郷』……『天国』って解釈されてるけど。でもね、死ぬことでやっと安楽の地に辿りつくことができるなんて、そんな考え嫌じゃない」

 そう言って、キャシーは小さく笑う。


「本当の場所……誰もが安らげる、その人にとっての唯一の場所」

 今朝見た夢の内容でも思い出すような調子で言いながらキャシーは頬杖をついて、遠くを見つめるように視線を上げた。


「それが、いま生きているこの世界のどこかにあって、いつかその場所に行くことができるの。その時に、魔法の馬車が迎えに来て、そこへとあなたを運んでくれるの……って。そこであたしは必要とされて、認められ感謝されて、大切にされて。なんの心配もなく笑って暮らせるの」


 必要とされ、認められ感謝されて、大切にされて。なんの心配もなく笑って暮らせる――安らぎの地。

 楠見は心の中で、繰り返す。


「その場所を見つけるために、あなたは生きるのよって。あなたにはたくさんの苦労があるけれど、全部その時のための、大事な試練なのよ、って。母はいつもそう言ってたわ」


「素敵なお母さんだね」

 率直に、楠見はそう感想を口にしていた。


 キャシーは柔らかく、けれども少しだけ苦い色を浮かべて、控えめに笑う。

「小さい頃に、死んじゃったんだけどね」


 どう返していいのか分からずに、楠見は「そう……」と相槌を打った。


「あなたにもね、楠見」キャシーはそこで、瞳を大きく見開く。「バーで初めて会った時。少しだけ、同じようなニオイを感じたのよ。あなたにこの歌が必要だって言ったのは、だからよ」


「……俺もその、本当の場所を求めているってこと?」

「そう……そうね、そうかもしれない。だけど、あたしとはちょっと違うの」

「違う?」

「ええ。あなたは……そうね」


 言いながら、キャシーは視線を逸らして少し考えて。

「それを与える人。そういう役割を持った人」


 真面目な口調で言われ、楠見は目を見張った。


「あなたのことを必要としている誰かを、『その場所』に連れて行く……」

 どこか預言者めいた口調で言うキャシー。


 吸い込まれるようにしばらくの間、楠見は言葉を失って彼女の黒い瞳を見つめていた。

 何か。楠見の中にある、核心に近い部分を彼女に触れられたような気がして。慌てて楠見は心を隠そうとした。そうして、言葉を捜す。


「だけど、キャシー……」視線を引き剥がして。「それで。だからきみは、この実験に協力しようって言うのかい? 認められて、感謝されるために? そりゃいいことだとは思うけど、でもきみはこの研究室のために無理をしなきゃならない義理はない。そう――あと六十分。辛ければ投げ出したっていいよ」


 するとキャシーは、黒い瞳を細めてふわりと微笑んだ。

「あのね。あたし、以前にもこんな実験に誘われたことがあったの」


 唐突に変わった話題に、少々戸惑いながら、楠見は続きを促す。


「小さい頃よ。小学生だったかな。母が死んで、父が再婚して。あたしって、ちょっとこの家にはジャマな人間なのかなって思ってたとき。変な能力があるから、周りからは敬遠されていて」


「……うん」

 想像はついて、楠見は遠慮がちに頷いた。


「そんなときにね。あたしの能力のことどこかで聞きつけたっていう人が、家を訪ねてきたの」

「研究者かな」

「たぶんね。少しテストして、大学に来て正式に実験に協力してくれないかって。あたしはこの能力が好きじゃなかったし、知らないところへ行くなんて怖かったし、家族にも反対されて。――行かなかったの」


 そうしてキャシーは、また少し遠い目をする。


「だけど、ちょっと後悔したわ。あの時、あの人と一緒に行っていたら、どうなっていただろうって。もしかしたら、あたしはあたしを『本当の場所』に連れて行ってくれるChariotチャリオットを逃したのかもしれない。……だからね。マシューに出会って、実験に誘われて。嬉しかったの。ああ、挽回できる。またチャンスが来たんだって」


 だから、とキャシーは悪戯っぽい顔で肩を竦めた。

「本当は研究室のためなんかじゃないの。自分のため。自分勝手でしょ。嫌になっちゃう」


 両手に顎を乗せて、懐かしい記憶を取り出すように言うキャシー。

「東洋人だったわ、その人。クスミ、あなたとおんなじ。小さかったからどこの国の人かは分からなかったけれど、アメリカには来たばかりだって言ってた」


「へえ。名前は? 覚えてない? もしかしたら今も活躍している研究者かな」

 そう聞いたのには特別な意味はなく、続きを促す軽い相槌のようなつもりだったが、キャシーは少しばかり難しい顔になる。


「ケイおじさんって呼んでたの。フルネームは……なんだったかしら……。聞いたことのない外国人の名前でしょ? 子供だったから覚えられなくて。最初の文字はたしか、Nだったわ。ナ……ナル……?」


「クスミ! キャシー!」


 唐突に、休憩室のドアが開き背後から声を掛けられる。

 振り返ると、至極切羽詰ったような顔をしているジェシカが立っていた。


「どうしたんだ、ジェシカ」

「休憩中にごめんなさい。実験室で、ちょっと問題が発生したの。クスミ、ちょっと来てくれる?」


「え? ああ……」

 わけの分からないまま、慌てた様子のジェシカに促されて席を立つ。


「キャシー。あなたはこのまま休んでいて。大丈夫、大したことじゃないわ。些細なことなの」


 無理やりこしらえて貼り付けたような笑顔で早口に言うジェシカに、キャシーは不安そうに、それでも小さく頷いた。

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