7.俺たちはスーパーマンを発見したいわけじゃない

「少し……力を抜いて、リラックスしたらどうだい?」


 事務仕様の長机の向こう側で、傍目にもかわいそうなくらいにガチガチに固まっている女性に、楠見はそう声を掛けた。

「そんなんじゃ、実験が始まる前に疲れ果てちまうんじゃないのかな」


 いつもは明るく快活な光を宿している蠱惑的な黒い瞳が、不安げに揺れている。


「そうよ、キャシー」

 ちょうど室内に入ってきたジェシカが、トレイに載せて持ってきたマグカップを彼女の目の前に置く。

「これでも飲んで、ちょっと落ち着いて」


 湯気を立てるホットミルク。それを見て、キャシーは肩を上げ下げし、大きく息をついた。

「ありがとう、ジェシカ。クスミ――」

 薄く笑って、一口飲んで。


「はあ、だけど、落ち着かない。この部屋も、カメラで録画されてるって聞いたの。どういう格好をしていればいいのかしら。ねえ、この会話も、誰かに聞かれているの?」


 机に頬杖をついて、楠見は笑った。

「録画されてるって言ったって、実験中と違って今は誰かがそれを見ているわけじゃないよ」


「そうなの?」

 まだ、不安そうにかすかに眉を寄せているキャシー。カップを口もとに持っていって、顔に触れる湯気の感触でも味わうようにそのまま動きを止めて、クスミを上目遣いに見る。


「万一、実験に不備や不正があったと疑われたときに、休憩室で不適切なやり取りがなかったかどうかを後から確認するためのものだよ。何事もなけりゃ、そのまま再生されることすらない。銀行の監視カメラと一緒さ。ATMで金を下ろすときに、いちいちそんなにビクビクしないだろ?」


 キャシーの隣の椅子を引いて腰を下ろしながら、ジェシカも笑った。

「これだけ挙動不審な人物を警備会社が見ていたら、警官が飛んでくるわね。『お嬢さん、そのキャッシュカード、少し拝見しても?』」


 横から手を差し出す真似をするジェシカに、キャシーはやっと力が抜けたようにふわりと笑った。


「そう……ね。ああ。こんなに本格的なテストって初めてだから、緊張しちゃって」

 カップをソーサーに戻して、キャシーは両手で頬をパチパチと叩いた。

「偉い人がいっぱい見に来るんでしょう? それに、研究室の運命までこの実験にかかっているなんて言われたら……。ああ! しっかりやらないと!」


 気合を入れるといよりは、嘆くような表情で宙を仰いだキャシー。苦笑するようなジェシカと視線を合わせて、楠見は頬杖のまままたキャシーに笑いかける。


「いつも通りにやればいいよ。誰かが見てるなんか、気にしないで。予備実験のときだって、いつも上手く行っていただろ? あれと同じにやるだけだ」


 年が明けてから、三日間かけて行われた予備実験。それは、キャシーのテレパシー能力を研究室の中で正式にテストし、データを取ると同時に、公開実験の効果的な方法を検討するためのものだった。まだひと気もまばらな休暇中の研究室で、それは、ごく限られた人数のリラックスした雰囲気でつつがなく行われた。

 キャシーの成績に、立ち会う者は一様に、感心とも怖れとも付かない唸り声を上げた。

 彼女の能力は本物だ。誰もがそう、確信していた。表面には半信半疑を装いながらも――。


 楠見もまた、隠しきれないほどの興奮を覚えていた。

 サイの能力を引き出し、世に知らしめる。ついにサイが、白日の下に曝される。自分たちの手で。

 懐疑主義者スケプティックは、否定論者アンチは、この現実を目の当たりにして、いったいどんな顔をする? 無邪気に異能の者を迫害してきた社会は、彼女という存在をどう迎える?


 だが。ここへ来てもなお、楠見は心の中のわだかまりを消し去ることができずにいる。暴いてはならない。世間の好奇を集めてはならない。背後にあるものを忘れ、自分ひとりの探究心や承認欲求を満足させるなど、あっていいはずはなかった。


 いったいこの実験が、成功することを望んでいるのか。失敗するよう願っているのか。自分でも判断が付かずに、公開実験の日に至り。

 ただもうここまで来ては、楠見が実験に反対しようとも、中止になるなど考えられない。楠見はただ一部始終を見届け、それがどんな結末を迎えようとも、その後で起こることに始末を付けられるよう手はずを整えるだけだ。

 そう――その後に起こるであろうこと。キャシーもマシューも、研究室のトップであるウィルソン教授も。誰も知らない。想像すら及んでいない。彼らはサイの存在を証明し、支援者からの援助を引き出し、研究を存続させるところまでしか考えていない。


 そうだ。どんなことが起きてもそれに対応できるのは、自分しかいないのだ。自分が反対したところで実験が行われてしまうのならば、せめて。俺がその場に居合わせ見守って、フォローする。それが最善の策じゃないか?


 それは。反対を貫くことができなかった自分の優柔不断さを認めないための、意識のすり替えかもしれない。誘惑に抗えず禁忌の実験に立ち会ってしまったことへの、言い訳かもしれない。

 そして。この研究室の誰よりも、自分はサイを知っているのだと。サイの問題を解決できるのは、この場には自分しかいないのだという、驕りも。人知れぬ立場にある優越感も、あっただろう――。


 ノックの音に続き、ドアがかすかに軋む音を立てて開く。


「クスミ、いいかい?」呼びに来たのは、今回の実験のアシスタントだった。「準備が整ったから、チェックに立ち会って欲しいんだ。それと、ターゲットの選定もするから」


「ああ、行くよ」

 頷いて立ち上がり、姿を消した男に続いてドアを出るところで、キャシーを振り返る。

 まだ不安な色を瞳ににじませて、キャシーは上目遣いに楠見を見ていた。


「そうだ、歌でも歌っていればいいよ」ドアに手を掛けて、楠見は笑う。


「だって。後で聞かれるかもしれないんでしょ?」

 不満そうに口を尖らせるキャシー。


「ハハ。聞かせてやればいいじゃないか。プロの歌声だ。ファンになって、後でバーに来てくれるかもしれないよ?」


 文句でも言いたげなキャシーに背を向け、楠見は廊下に出た。




「あの先頭の、でっぷりずんぐりした男が、ロチェスターの社長だよ。隣の貧相なのが、ウチの担当者――まあ、交渉役だな」


 十数人の団体について歩きながら、マシューが横を歩く楠見に顔を寄せて小声でそう説明する。


「おい、聞こえるよ」

 そんな表現は不味いだろうとマシューに向けて渋面を作ったが、マシューは小さく鼻で笑う。


「聞こえちゃいないさ。係の説明に夢中だよ」

 顎で示した前方では、超心理学研究室の男性研究員が、室内や機材、実験の流れについて見学の者たちに説明している。ロチェスター社からの客人は、興味深そうにその説明に耳を傾け、もっともらしく頷き、いちいち機材や装置に顔を寄せてまじまじと検分していた。


「好きらしいんだ。超常現象サイキックってやつがね」

 バカにしたような口調で、マシューは言って嘲笑を浮かべる。


「ま、オカルトと科学の区別も付いていない、ミーハーなファンさ。だから超能力って言ったら、飛んだり消えたり、派手に目から光線を出したり、死んだ人間と会話ができたりするもんだと思ってる。俺たちの研究の、『コンマ何ポイントの有意差』なんか、鼻で笑って『ちゃんと研究しろ、分かりやすい結果を出せ』だよ。前の社長はもっと話の分かる人間だったんだがね」


 ロチェスターがこの研究への投資を決めたときの社長は、超心理学を真面目な科学として捉えていたと、楠見も聞いている。マシューの説明はさすがに大げさだが、数年前に世代交代した二世社長は、少なからずオカルト趣味の延長でこの研究に興味を持っているらしい。

 先代の頃からの担当者のおかげで、これまでロチェスターと研究室の関係は良好に持ってきたのだが、どうやらこの現社長が、なかなかイメージ通りの結果を出さないウィルソン研究室に痺れを切らしたらしい。


「俺たちはスーパーマンを発見したいわけじゃない。そんなもんは実在しないってのにな」


 独り言のような口調で、苦々しげにつぶやくマシュー。

 一瞬、返す言葉に迷った楠見だったが、待たずにマシューは「それから」と視線を転じる。


「その後ろの二人は、州立大学の心理学研究者。次のオールバックにメガネの男は学会員だが、強烈なアンチだ。今も必死に粗探しをしてるな」


 マシューは声を潜めて、十数人の見学者を楠見に説明した。

 ロチェスター以外はすべて、他大学や学会の研究者のようだった。いきなりマスコミなどが来ていないことに、ひとまず楠見は安堵する。


 だが。アンチやスケプティックはもちろんのこと、サイ研究者だってキャシーの能力を全面的に信じているわけではない。重箱の隅をつつくような粗探しは当然だろう。


 そんな中で、果たしてキャシーは本来の能力を発揮できるのか?


 絶対に失敗しない能力者など、訓練された本物のサイの中にもそう多いものではない。スポーツ選手や芸術家と同じだ。心理状態や体調に大きく左右されるし、ミスも出る。

 それに、たとえ成功したとしても。実験する側もされる側も、人間。疑いの目で見れば、どんな成績にだって付け入る余地はいくらでもあるものだ。

 様々なケースを想像して、楠見の足取りは重くなった。


 団体について歩きながら、手に持ったボードのシートにチェックを入れていく。

 室内や機材・道具に不審な点はないか。不正の起きる隙はないか。要は、被験者が超感覚ESP以外でターゲットを知る方法――カンニングの可能性はないかということだ。

 事前のチェックから始まり、実験が正しく行われていることを見届け、結果を精査する。この実験の証人となることが、楠見に振られた役割だった。


 最後に、腰の高さから上がガラス張りになった小さな部屋に、研究室のメンバーのみで入る。

 来賓たちが部屋の外から見守る中、楠見とマシューを含め五人が部屋の中心に置かれたテーブルを囲んだ。


「それでは、ターゲットの選定を行います」

 部屋の外では、案内役の男が客人たちに向かってそう説明する。

 後ろに控えていた女性研究者が、大量の封筒を載せたトレイを持って、見学者たちの前にやってくる。


「先ほど説明した通り、今回の実験では、テレパシーの送り手が写真を見て、そのイメージを、離れた部屋にいる受け手に伝え、受け手は自由応答フリー・レスポンスで『受信』したイメージを語ります。これからこの百枚の写真の中から、実験に使う五枚を選びます。ご覧の通り――」言って、トレイの上の封筒の山を指し示す案内係。「写真はそれぞれ一枚ずつ封入され、完全に封をしてあります。どの写真が選ばれたかは、被験者はもちろん我々にも誰にも、実験が始まるまで分かりません。被験者が事前にターゲットを知ることは、絶対にできません」


 女性研究者は、客にドリンクを勧めるパーティの給仕係みたいな動きで、トレイを見学者たちの目の前に掲げた。


「ちなみに今回の百枚の写真は、ロチェスター社で準備をしていただきました。封入もそちらで。ミスター、ご面倒な作業にご協力いただき、ありがとうございます」

 微笑む案内係に、ずんぐり男は鷹揚に頷く。

「ですから我々ウィルソン研究室のメンバーには、どういった写真がこの中に入っているか、一切分かりません。ああ、ロチェスター社特製のセキュリティ機器の写真は、残念ですが避けていただくようにお願いしました。被験者は機械に詳しくない若い女性でして。イメージを『受信』しても、言葉で説明できなければ厄介ですからね」


 冗談混じりの案内係の説明に、窓の外の客人たちから同意含みの小さな笑い声が起こる。


「どうぞ、お手に取って、封のされているのをご確認ください。封緘に、ロチェスター氏の美人秘書のサインがあるでしょう」


 ひとり二人がまた笑い声を漏らして、周囲を気にして咳払いをした。トレイを囲んだロチェスター社長はじめ数人の男が、封筒を手に取り、ひっくり返したり透かしたりを始める。


「おい……」その様子に目をやりながら楠見は、隣に立っているマシューを肘で突き、小声で話しかけた。「五枚って? 実験は三回って聞いているけど?」


「ああ、まだ言ってなかったかな……」いささか歯切れの悪い口調で、マシューは小さく肩を竦めながら、「ロチェスターが来てからだよ。三回じゃ不十分だ、もっとやってくれって言い出してな。小一時間前に、急遽そういうことになったんだ」


 楠見は眉を寄せた。

 一回三十分そこそこもかかる実験を、一日で五回も繰り返すだって?

 実験するのはテレパシーだ。並大抵のものでない集中力が必要とされる。

 しかも、被験者は実験の間じゅうずっと、カンニングを防ぐためにすべての感覚を遮断された状態に置かれるのだ。


「無茶だよ」

 低く、厳しい口調で言う楠見に、マシューは少々困ったように口を曲げる。


「俺もそれは難しいって言ったんだけどな。本物ならできるはずだろうって、聞きやしない。これでも五回で折れてもらったんだ。本当なら彼らが良いと言うまで繰り返して欲しいみたいな雰囲気だったからな」


「だけど……無茶だ」眉間にシワを寄せながら、楠見は繰り返す。「キャシーだって、そんなに実験慣れしているわけじゃないんだ。かわいそうだろう? ――彼女には?」


「言ったよ。むしろ彼女のほうが乗り気なんだ。『研究室の存続のためには、そのくらいしなくちゃ』ってな」


「それでは、選定に入ります」

 さらに苦言を重ねようとしたところで、案内係がそう声を掛け、外の見学者たちの視線が一斉に楠見たちのいる室内に向かう。

 トレイを持った女性研究者が部屋に入り、中央のテーブルにそれを下ろした。


 最初に、ひとり目の男が百枚の中から手に取った半分ほどを選り分け、封緘に掛かるようサインをして次の人間に回す。残りの半分は、使用しないカードとして箱に移された。二人目は、渡された中からやはりランダムに二十枚を取り、同様にサインを残してまた次の者に渡す。同じようにして、十枚が楠見の手に渡される。


 楠見は回ってきた十枚を受け取り、マシューを一瞥する。

 小さく目顔で「頼む」というように訴えてくるマシューにひとつため息をついて、楠見は適当に手に取った五枚にサインをした。


 五通の封筒が、トレイの上に並べられ、テーブルの中央に置かれる。

「この五枚が、実験のターゲットです。ここで、すり替えられたりしないように、実験開始までと実験中もずっと担当者が監視します。今この部屋は、大統領官邸ホワイトハウスみたいに厳重な監視体制になっていますよ」


 たびたび起こる笑いに調子付いた案内係がそう余計な一言で締め括って、準備は整った。


 予備実験は、ランダムに表示されるパソコンの画像を用いて行った。が、公開実験ではロチェスターはじめ来賓へのパフォーマンス性を考えて、あえて原始的な、そしていくらか劇場的な方法を取ることにしたらしい。


 この選択が裏目に出ることを、まだ研究室のメンバーは――ボスであるウィルソンやプロジェクト・リーダーのマシューでさえも――考えていなかった。




「五回、だよ? 五回。百五十分、集中しっぱなしなんて。どれだけ被験者の負担がでかいと思ってるんだ」


 部屋を出て二人きりになったのを見計らって、楠見はマシューに食ってかかる。マシューはまた、苦い顔で口を歪めた。


「そりゃあ、まあ。だけど休憩も挟むんだし、疲れや集中力は考慮してやるさ」

「考慮って、どういうことだよ」

「どういうことって言ったって……」


 テストに慣れている本物のサイだって、よほど特殊な事情がない限り一度にそんなに連続してテストを行ったりしないぞ。そう言いたいのを抑えて、楠見はマシューを睨む。

 常になく歯切れの悪いマシューに苛立ちを覚えて。


「こんなんじゃ俺は、『実験は正当に行われた』って証言できない。被験者にプレッシャーを掛け極度のストレス状態に置いて無理をさせた、非人道的な実験だ。そうまとめざるを得ないだろうな」


 すると、マシューは諦めたように両手を上げた。


「分かったよ、クスミ。だけど――ロチェスターは言い出したら聞かないんだ。ひとまずは五回ってことにしておいてくれないか? 様子を見て……もしもキャシーが辛そうだったり、能力を使うのは難しいと判断したら、そこで打ち切らせてもらう」

「……休憩は? どういうスケジューリングなんだ?」

「各回十五分の休憩を挟んで、三回目と四回目の間で三十分休憩。その間は、飲食も雑談も、仮眠だって自由だ。時間はきっちり守るよ。送り手の俺だって、キツイからな」


 絶対だぞ? そう念押しを込めて、楠見は腕を組んで数秒、マシューと視線を対峙させ。


「分かった」ため息混じりに視線を逸らす「……キャシーの様子を見てくるよ」


「ああ。緊張してるだろう? おしゃべりでもして、ちょっとリラックスさせてやってくれよ」

 ホッとしたように、マシューは言う。


 テレパシーの「送り手」役となっているマシューは、準備が整った今から実験が終了するまで、キャシーと個人的に口をきくことはできない。キャシーと接触できるのは、キャシーの世話係であるジェシカと、実験者、そして検分役の楠見だけだ。

 実験のターゲットは、マシューにも誰にも、各回の実験開始まで知ることができないようになってはいるが、余計な疑いを持たれぬための自粛だった。


「それと――」背を向けた楠見に、マシューが声を掛けた。「ブライアンがそこらへんにいると思うんだ。会ったら、『準備ができたからターゲットの管理に加わるように』って伝えてくれないか?」


「ブライアン?」

 楠見は足を止め、マシューに向き直って首を傾げた。

「だって、彼は……」


 この実験に反発していた、既存プロジェクトのリーダー。研究室のメンバーも、全員が今回の実験に携わるわけではない。当然、彼も不参加なのだろうと思っていたのだ。


「ああ」楠見の疑問を察したように、マシューは表情を和らげた。「予備実験の最終日。見学に来ていただろう?」


 そういえば、と思い返す。プロジェクトへの不参加メンバーも、経過を気にして入れ替わり立ち替わり見学に来ていた三日間の予備実験。最終日、たしかにブライアンは、プロジェクトメンバーの肩越しに遠巻きに実験を眺めていた。

 終始不機嫌そうに見えたその様子から、どうせキャシーやマシューや実験そのものに対して何かしら文句をつけるために、粗探しでもしているのだろうと思っていたのだが――。


 案に相違して、マシューはいつもの不遜な笑いを浮かべる。

「あの日の帰りにな。俺に謝ってきたんだよ」


「……謝った?」

「ああ。この間は悪かった。気持ちが変わったんだ、自分も実験に協力したいから、公開実験は立ち合わせてくれないか。ってな」

「なんだって、そんな……」

「キャシーの実験を見て、そういう気分になったんだろう? 彼女の能力は本物だ。自分もこの実験に関わりたいってな。研究者なら誰だって、そう思うさ」

「そりゃあ、そうだけど……」


 釈然としない楠見に、マシューは眉を上げる。

「なんだい。彼が実験に加わるのが不満か?」


「不満ってことはないけどさ……だけど、あんなに反対していた人だよ。そんなにすんなりプロジェクトに加えたりしていいのかな」


 言いながら、口ごもる。不満ではない。なんとなく、不安を感じたのだ。

 しかし――。大きな反響を呼びそうなプロジェクトに参加したいという研究者の気持ちは、ごく当然のものだ。予備実験でのキャシーの成績は、そう思わせるに足るものだった。

 先日のやり取りの後でどの面を下げて、などとくだらないプライドでこの好機を逃すくらいなら、マシューに頭を下げて名を連ねさせてもらうほうが後々有益だと判断したのだろうか。

 それが自然な人間の気持ちの変化というものなら、彼の参加に反対するほうが単なる私怨を引き摺っているだけのようにも感じられる。


 そう思いながらも、一抹の不安を捨て去ることができずに。

「でも。せめて実験中は見学ってことじゃ駄目なのか? ほかのお客さんと同じようにさ」


「おいおい、クスミ。どうしたんだ? お前さんがそんなこと言うなんてな」

 マシューは苦笑気味に、肩を竦める。

「あれでも研究室の中心メンバーなんだ。自分から参加したいって言ってきたら、『じゃあ見ててくれ』ってわけにはいかんよ。彼には実験者をやってもらう」


「実験者だって? そんな重要な役を?」


 驚く楠見に、マシューはさらに苦笑した。

「重要な役だからな。俺は送り手になっちまうし、それを除けば奴が一番このタイプの実験に慣れている。まあ適任だろう。……なんだ、奴が実験のジャマでもするって心配してるのか?」


 答えあぐねて顰め面をした楠見に、マシューはまた笑う。

「俺も最初はちょっと心配したけどな。まあ、これだけ厳重にカメラやらマイクやら人の目やらで監視されているんだ。まず滅多なことはできないさ」


 それにな、とマシューは少し小声になって。

「上手く行けば、当面はこのプロジェクトが研究室の本流になるんだ。奴を嫌な気分にさせたままよりも、ちょっと華を持たせてやったほうがいいだろう? 自分も名を連ねてるってなりゃ、ジャマしてプロジェクトを落とすわけにも行かなくなるからな」


 そう言って、不敵に笑ったマシューは。後から考えれば、彼の「世紀の大実験」を前に、やはり浮かれていたのだろうと思う。

 そして、それで不承不承ではあるものの引き下がってしまった楠見もまた。


 本来なら、もっと慎重に。何もかもを、疑ってかかるべきだったのだ。

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