6.サイ犯罪者がどうなるか、教えてくれたかい?
「遅かったな」
窓に載ってこちらを見下ろす男に、楠見は小さく笑いかけた。
「危うくもう少しで、眠っちまうところだったよ」
執務机の回転椅子に、足を組んで深々と座っている楠見の姿を眺め下ろし、サカキは軽く鼻を鳴らした。
「雑談はいい」低く言って、サカキは室内へと足を踏み入れる。わずか数メートルの距離から楠見を睨みつけながら。「どこへ隠した」
「何を?」
「とぼけるな!」首を傾げた楠見を一喝し、「彼らをどこへと隠した」
楠見は腕を組み、口もとに笑みを浮かべたまま、サカキを睨み返す。
「杉本美和、渡辺悟、津本雅史。それに、あのナナミという少女。全員、警察に引き渡したよ。取調べを受けている頃だろう」
サカキは舌打ちをして、「やはり貴様か。あのガキ――津本雅史の弟という子供も――」
「名演技だっただろう?」
目を細めて笑った楠見に、サカキは苛立ったようにまた舌を打って、拳を固める。
ちらりとそれを一瞥し、楠見も笑いを引っ込めた。
「サカキ・ダイスケ」低く、呼びかける。サングラスに隠れた大男の表情に、変化は見られない。「警察も今、お前の過去を洗っている。杉本美和やナナミという少女を使ってしていたことも。そこから派生して、ほかの人間を使ってやったことも。お前のやったことはすべて、じきに警察にも知られる。もう終わりだ。大人しく捕まって、罪を償え」
「
サカキは楠見を睨み据えたまま、ゆっくりと執務机の脇へと回り込む。
慎重にそれを目で追いながら、「ふざけているのはそっちだろう。俺が知った以上、その能力を使って罪を重ねることはさせない」
フッと、サカキが頬を緩めた。
何が可笑しい? 怪訝に眉を寄せた楠見を、サカキはあざ笑うように口を開く。
「神戸の、楠見家、か――。サイたちの上に百年以上も君臨し、『治安の維持』を標榜する組織」
「……調べたのか? 半日で。……物知りな協力者がいるんだな」
静かに、楠見は応える。
「それならなおさら、よく分かっただろう? お前は逃げられないよ。諦めろ」
「ずいぶんと、悪名高い組織のようだ」
サカキは片頬を歪ませてニヤリと笑う。
「犯罪組織も顔負けのやり口で、サイの警察気取りとは。笑わせる」
頬に歪んだ笑みを浮かべ、それでも隙のない視線で楠見を見据えたまま、サカキは楠見の退路を絶つようにゆっくりと執務机の正面へと回り込んだ。
こちらも油断なくその不吉な影を追いながら、楠見は息をつく。
「せめて『功罪
可笑しそうにますます唇の端を吊り上げるサカキ。
「だがそこの三男坊は、組織の後継者と目されながらもそのやり方に反発し、組織を出て学校経営に専念している。組織を動かす力はない、と――物知りな協力者からの情報だ――」
言いながら、握っていた拳を引くサカキ。
瞬間。
体格に似合わぬ身軽な動きで、ガタつく執務机に飛び乗って机面を蹴り、じっと動かずにいる楠見へと頭上から飛び掛かる。
眼前で、金属のぶつかり合う鋭い音が鳴り、目に見えない火花が散るのを感じた。
サカキの拳を、忽然と現れたキョウの刀が、楠見の目の前数十センチというところで受け止める。
机の上で片膝をつき刀の柄を逆手に握って、キョウはじりじりと押してくるサカキの文字通りの鉄拳を、横へと流した。即座に刀を構えなおし、サカキへと切っ先を向けるキョウ。
楠見には背を向けたまま、無言で大男と対峙する、「神剣」の使い手――。
しかし昼間と同様、サカキは余裕の表情を崩さない。
キョウが居眠りをしていなかったことに内心で安堵した楠見だったが、気を抜くことはできなかった。
案に違わず、サカキはキョウと、キョウの手にする刀に視線を向け、突きつけられたその切っ先に怯むこともなく笑みを浮かべなおした。
「昼間も見せてもらったが――?」
そう、この子供の腕力では、大男には敵わない。一度はサカキを撃退させた膨大なサイコキネシスの能力は、しかしおそらくもう、脅しにしかならないだろう。サカキの
楠見のこれまでの仕事や、組織に反発している理由までも調べたのなら。相手がどれだけの巨悪であろうと、楠見がこのサイの子供に、能力を使って他人を傷つけるなどさせないことも、分かっているかもしれない。
自分に向けられているキョウの刀を素手で掴むと、サカキは楠見に視線を向け、いたぶるような嘲笑をにじませた。
「一緒に来てもらおうか。それが嫌なら、この子供と一緒にここで死んでもらう」
黙って白刃を握らせているキョウに、次の手はないと見くびったか――。
だが。
(甘く見すぎなんだ)
執務室の出入り口。ドアが破壊され、廊下まで見える状態になったそこに黒い影が差し込むのを視界の端に収めながら、楠見は考える。
個人で動いているサイというのは、往々にして、組織やその中枢にいる人間というものを舐めてかかるもんだ。それがどういうものであるかなど、想像が及ばないのだろう。
「選ばせてやろう」楠見の内心など知らず。サカキは刀を、柄を握り締めているキョウへと押し返すようにしながら、一歩詰め寄る。「大人しく来るか、ここで死ぬか」
「あのね。笑えないジョーダンやめてもらえませんか、サカキのおじさん」
ふいに背後の出入り口から掛かった声に、サカキがサッと振り返る。
そこには。執務室と廊下の境界上に立って、剣呑な瞳で大男を見つめているハル――。
「楠見だけならともかく、キョウまで殺すとか、冗談でも怒りますよ、俺」
口調は軽いが、ハルはかなり本気で怒っているのが楠見には分かった。
(……だけど、おいハル! 俺だけならともかくって、どういうことだ?)
楠見の心中には構わず、ハルはさらに冷え冷えとした声で。
「それと。汚い手でその刀を触るのも、やめてください」
「貴様は、あの時の……」
サカキはハルを鋭く見据え、唸るような声を上げた。
冷ややかに、ハルは口もとだけで微笑む。
「嘘ついてごめんなさい。俺、『弟クン』じゃないです。どっちかと言えば、『兄』です」
そう言うと、ハルは目を見開きサカキをぎゅっと睨みつけた。
味方であり、幾つも年上の大人であるはずの楠見でも総毛立つような、威圧感。ゆらり、と、ハルの体の周りの空気が揺れたような気がしたのは、錯覚か。
瞬間。サカキは握っていた刀から手を離し、もう片方の手をハルと自分の間に体を庇う形に上げる。一瞬、次元が捻じれたかのような、空間の震動。
ものではなく、宙空に向けて放たれたハルの、サイ・エネルギー。
身に襲いかかってきたそれを、サカキは硬く変質させた腕で危うく防いだ。が、こんなものはハルからすれば、ちょっと脅かした程度であることも楠見は知っている。
刀を解放されたキョウは、その場でわずかに体勢を整えた程度で、なんの感情の変化も見せずに改めて白刃をサカキへと向ける。
これも「作戦」通り。
楠見の想像した、そしてキョウの見立てた「仮説」を立証するための、確認行為に過ぎない。
キョウが机の上に片膝をつき刀を構えた姿勢で、ちらっと楠見へと視線を向けた。仮説は正しい。作戦通りで行け。――そう意図を込めて、楠見は頷く。
それを確認し、キョウは跳び上がってサカキに斬りかかる。
大上段から振り下ろされた刀を間一髪でかわしたサカキの足元で、ローテーブルが爆発でもしたかのように大音を立てて粉々に砕け散った。ハルだ。
咄嗟に身を翻して部屋の端まで飛び退くと、サカキは床に片膝と片手をついて踏みとどまり、忌々しげに舌打ちをする。
壁際へ追い詰められた形になっているサカキの、右手ではキョウが刀を緩く携えて。左手ではハルが、次の攻撃の契機をうかがいじっと立っている。一見して無防備にすら見える体勢の、二人の子供。だが、二人に隙はない。
ひしひしと。大男が両側からの圧迫に耐えているのが、楠見には分かっている。
動きを止めた室内。
「――『この子供』たちの能力まで調べ切れなかったのが、惜しかったな」
楠見は椅子から立ち上がり、机の向こう側へと静かに歩み寄った。
「観念したらどうかな」距離を保ちつつ、サカキを見下ろして言う。「こちらも、無駄なことはしたくない。これ以上、部屋を壊されるのも困るんだ」
片頬を引きつらせながら、サカキはじっと黙って楠見を見上げている。
もう一度、長いため息を落として、楠見は顔を顰めた。
「たしかに……俺は、組織のその『功罪』の、『罪』の部分が嫌いでね。今は神戸とは離れて、個人的にやってるだけだ。けれど、こっちが縁を切ったつもりでも、向こうはなかなか放してくれない。常に付かず離れず監視されているんだ。仮にここで俺を仕留めたところで、逃げのびようなんてのは無理だよ」
そう言って、正面からサカキを見据え。
「組織に捕まったサイ犯罪者がどうなるか、『協力者』は教えてくれたかい?」
もの言いたげに、しかし続く言葉の出てこないサカキを待たず、楠見は目を細めて続ける。
「こっちも、選ばせてやるよ。ここで能力を奪われて大人しく警察に行くか。組織に捕まって『犯罪組織も顔負け』の私刑を受けるか。――前者をお勧めするね。少なくとも、命は助かる。それに――あの組織のやりたいようにさせておくのも、俺には本意じゃないんだ」
数秒、視線を対峙させ。
緊迫した室内の空気を動かしたのは、サカキだった。
「おおおおおおぉ!」
狂ったように吠えながら、力任せに右腕を振るうサカキ。
拳の向かう先。刀を手に提げたキョウは、怯んだ様子もなく表情も動かさずに、垂直に跳び上がる。そうして振るわれた拳の先を蹴ると、さらに天井ギリギリまで跳躍し。
同時にハルが、反対側からサカキに飛び掛かった。
「くっ!」
瞬時に反応したサカキだが、動きを取らせる前にハルはその片腕にしがみつく。
サカキの腕を破壊しようとする、ハルのサイコキネシス。この少年が全力で破壊にかかれば、一瞬のはずだ。そうならないギリギリのところで力を調整しているのは男にも分かっているだろうが、かと言って力を抜いて均衡を崩しては、無傷では済まない。
大男は、腕にその能力を漲らせて必死に抵抗する。
「キョウ!」
振り払おうともがくサカキの腕にしがみついていたハルが、叫んだのと同時に、サカキの頭上からキョウが両手で柄を握って力いっぱいに斬りかかった。
サカキがサングラスに隠された顔を、飛び掛ってくる少年に向ける。
少年が、美しい弧を描いてその手に握った細身の日本刀を振り下ろす。
袈裟懸けに。
サカキの左肩から切り下ろして、キョウは床に片膝をつき残心を取る。
ハルは、大男の振り回していた腕から離れ、危なげない足取りで部屋の中心に降り立った。
男はよろけ、壁に背中をぶつける。そのまま壁伝いにゆっくりと腰を落とし。崩れるように床に膝をつき、その体が完全に地に伏すのが、スローモーションのように見えた。
一瞬、静まり返る室内。
キョウの手から、刀の姿が消えて。
まだ油断のない瞳で、床に転がった大男を見つめているハル。
大きく息を吸い込むと、サカキの正面で腕を組んで立っていた楠見は、フーっと長い吐息を漏らした。
「終わったな。ご苦労さま。二人とも」
楠見はにっこりと笑って、サカキから視線を上げたハルと、立ち上がったキョウへと両手を伸ばして頭を撫でた。
「ん」
キョウが真面目な顔で頷く。
「はあぁ」反対側でハルは、頭に載せられた手を少々鬱陶しそうに上目遣いに見ながら、ため息をついた。
「たまたま上手く行ったからよかったけどさあ」抗議の形に、ハルはその綺麗な眉を寄せる。「体の一部分しか変質できないから、同時に両側から攻撃すれば大丈夫とか、完全に希望的観測だよね? もしも違ったら、大ピンチだったよ?」
「でも、キョウの見立ても同じだったじゃないか」楠見は苦笑しながら、「ハルだって、本人に会ってみて行けるって思ったから、作戦に乗ったんだろ?」
「まぁね。キョウが間違えるはずはないし、俺もそうかなと思ったけど。でもさぁ」
「ご苦労さま。お前たちは本当に優秀だよ。」
抗議を続けようとするハルを遮って、その頭をポンポンと撫でるように叩くと、ハルは迷惑そうにさらに片方の眉を上げながらも口を閉じる。
「くすみ」
もう片方の手の下で、キョウが声を上げた。
「ん?」
「眠い」
「……あ? ああ……ってちょっと待て」
ふわりと体の力を抜いたキョウを慌てて支えて、とりあえずソファに座らせる。
「送って帰るから、もう少し我慢するんだ。ちょっと待ってろ、船津さんに連絡してサカキを引き取りに来てもらうからな」
隣に座ったハルにキョウを預け、携帯電話を取り出す。
船津の番号を呼び出している楠見に、ハルが途方に暮れたような声を上げた。
「これもう無理だよ。眠っちゃうよ、キョウ」
「……ああ。仕方ない。抱えて帰るか」
「まったく楠見は。俺たち、小学生なんだよ? 夜の十時以降は働いちゃいけないと思うんだよな。労働基準監督署にバレたら大変だよ」
「安心しろ。労働基準監督署とか夜何時以降とかの前に、『サイの能力を使って仕事をしている』ってとこから信じてもらえない」
「むー」と不満の声を上げるハルと、目をしばしばさせているキョウに目をやりつつ、電話の呼び出し音を聞きながら。
「まあ、怒るなよ。何か美味いもんでも食べに連れていくからさ。何がいい? ハンバーグでもすき焼きでもピザでも」
「俺は何でも。キョウの好きなものでいいよ」
瞬時に瞳から不満の色を消して、ハルは肩を抱いているキョウに、優しく微笑みかける。
「んー」瞼が半分閉じかかっているキョウは、寝ぼけたような声で、「カニカマかな」
「……は?」
楠見とハルは、同時に声を上げていた。
「一本ずつ、裂いて食うんだ」
寝言みたいな口調で言って、キョウはハルの肩に、こてっと持たれかかった。
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