5.このままじゃ、どこにも行けないんだから

「しっ! 知らない! 俺は何も知らない! 何もやってねえってぇ!」

「あのな、渡辺くん……」

「うわあぁ! 寄るなやめろぉ!」


 腕を組んで向かいに座った渡辺悟をじっと見つめながら、楠見は苦りきっていた。

(ようやくひとり済んだと思ったら……)


 ハルとキョウによって楠見たちの待つ喫茶ベルツリーへと連れてこられてからというもの、楠見が話しかけるたび質問をしようとするたびに、悟はぎゃあぎゃあと大げさな叫び声をあげて震え上がり、会話にならない。


(どうして今日は、こんな相手ばっかりしなけりゃならないんだ?)

 内心で首を傾げながら、少し待ってもう一度話しかける。

「落ち着いて、質問に答えてくれないかな。きみたちがサカキに指示されてやってきた『仕事』というのは――」


「知らねえ知らねえ! 俺はっ何も――っ」

 ソファの上で身をよじる渡辺悟。明らかに楠見に脅えきっている様子なのだが、そんなに怖がらせるようなことをした覚えはないし、するつもりもない。なにか、誤解があるようだ。


 改めて大きなため息をつき、楠見は上半身を捻って別のテーブルに着いているハルとキョウに顔を向ける。

「お前たち……いったいなんて言って来てもらったんだ?」


 ココアのカップを両手に持ったハルと、クリームソーダのアイスクリームをつついていたキョウは、一瞬顔を見合わせてすぐにそれぞれの飲み物へと視線を落とした。


 別のテーブルには、ことの成り行きを見守っている美和と、その美和に背中を軽く叩かれながら、まだ小さくしゃくりを上げているナナミ。その向かいの席で雅史は、美和に「ボロいロープ」呼ばわりをされたことを自覚しているのか、悄然と黙り込んでいた。


 カウンターの向こうには、困ったような笑顔を浮かべている鈴音すずね

 ベルツリーの通常の閉店時刻を既に回っていることを気にして、楠見は目が合った鈴音に小さく頭を下げ、改めて悟へと向き直る。


「ともかく……きみの害になるようなことはしないから。少し静かに、話をさせてくれないかな」


 できるだけ柔らかく言うが、悟は取り乱しきった叫び声を上げるのみ。

 仕方ない。どの道この後で警察に引き渡すのだ。話はそちらでしてもらおうか。そう考え、嘆息混じりに宙を仰いだ瞬間だった。


 体のすぐ脇を風が掠めたような冷たい気配を感じ、「ん?」とそちらに視線をやって、楠見は目を剥く。


「お、おい! キョウ!」


 見れば、刀の柄を片手に握ったキョウが、楠見の横に立って居合いの寸止めみたいに悟の首筋でぴたりと刃を静止させ、無表情に悟を見つめていた。

 慌ててキョウの両肩を捕らえ、悟から遠ざける。

「お前! 何をやってるんだっ」


「けど、さっきこれで静かんなったんだ」

 引き寄せられながら、不服そうに眉を寄せるキョウ。


「だからってお前な、……こりゃ不味いだろ」

「なんで」

「あのなぁ……後でじっくり説明するから。とりあえず、刀をしまえ」


 不服の面持ちのまま、キョウは刀を消す。

 息をついて悟へと向き直り、

「ごめんな、渡辺くん。……ん? おい、渡辺くん……?」


 声をかけると、悟は白目を剥いて気を失っていた。


「ほら。静かんなった」口もとを膨らませるキョウ。


 楠見は額に手を当て、

「静かになればいいってもんじゃないだろ。これじゃ話が聞けないじゃないか……」

「あ」

 本当に、どういう仕事の仕方をして来たんだ? 苦い視線をハルへと送ると、ハルは気まずそうに曖昧に笑ってココアを一口飲んだ。


 と。それまでキョウの唐突な行動に呆然となっていた美和が、我に返ったように背筋を伸ばす。

「メール……」つぶやいて立ち上がり、気を失っている悟に駆け寄ってジャンパーのポケットを勝手に漁る。そうして携帯電話を見つけ出すと、やはり勝手に操作をしだして。


「あっ、これ!」目的のものを発見し楠見の目の前へとそれをかざす。「やっぱり、消してない。ここに、これまでにサカキから受けた指示が出てくるよ。最初の『仕事』は、十二月の……たしか十五日過ぎか、そこらへん」


「ああ――」

 美和からそれを受け取り、心の中で悟に謝りつつ、メールを見せてもらう。最新のメールは、今日の夕方。先ほどハルを向かわせた場所へと、悟と雅史を呼び出したものだった。

 遡る。数件目に、武蔵野市の宝石店から例のネックレスの箱を盗み出してこいという指示と、何枚かの添付写真。同様のメールがいくつも続く。


「なるほどな。ひとまずこれを、証拠として警察に渡そう」


 楠見は悟の携帯電話をテーブルに置き、自分の電話を取り出して船津の番号を呼び出しボタンを押す。待っていたのか、船津はすぐに電話に出た。


「楠見です。船津さん、関係者は揃っています」

 短くやりとりをして通話を切り、楠見は立ち上がって美和たち三人へと向き直った。

「これから警察が迎えに来る。きみたちの身も一旦、警察に引き取ってもらう」


 美和は諦めたように息をつき、ナナミはかすかに肩を震わせ。

 大きな反応を示したのは、雅史だった。


「ちょ、ちょっと待てよ……!」椅子を蹴って立ち上がると、楠見に向かい合って、「助けてくれるってから、一緒に来たんだぜ? 警察ってどういうことだよ!」


「サカキからはきみたちを守るさ」

 腕を組み、楠見は言いながら小さく息をついた。


「だけどきみたちには、これまでのことを警察で証言してもらう必要がある。それに、俺たちはこれからサカキを片付けに行く。その間きみたちは警察にいるのが一番安全だ。サカキをすぐに見つけられる保障はないし、万一取り逃がしたりしても、警察署の中にいればさすがに手出しはできないだろうからな」


「だ……けど!」雅史はいきり立って、拳を握り締めた。「警察って? 俺たち捕まんのかよ」


「きみたちのしたことを罪に問うかどうかは、警察や検察が判断することだ。俺には分からないよ」

「んな! だって、俺ら……利用されてただけだろう? 別に悪いことしてるってつもりはなかったんだぜ? サカキに指示されてただけでさ……人助けなんだって、そう聞いてたから」


 この期に及んでまだ言い訳をしようとする雅史に、楠見は呆れて。

「警察で、そういう風に説明しろよ。多少は事情を汲んでくれるかもしれない」


 少々脅すつもりでそう言った。彼らの身柄を警察に預けるのは、彼らの保護のため。そしてサカキの犯罪行為を証言させるため。彼ら自身が罪に問われることは、おそらくないだろう。

 美和のアポーツの能力を利用して盗みを働いたなど、裁判で取り上げられるはずはないのだ。


 だが、それはそれとして、雅史には少し懲りてもらわなければならない。


「けど、また警察なんかに行ったら……」

 往生際悪く、雅史は呻くような声を上げる。

「どうなんだよ……俺!」


「きみのやったことだ」楠見は突き放す。「きみだって、善悪の判断がついていい歳だろう? 少しは自分のしたことに責任を持ったらどうなんだ」


「だからっ! 知らなかったんだって言ってんだろ!」

「知らなかったことと知っていたことを全部、正直に警察で話せ。俺から言えるのはこれだけだ」

「ちょっと待てよお!」


 食い下がろうと楠見の目の前まで詰め寄ってきた雅史の腕を、美和が後ろから掴んで引いた。

「見苦しいよ。雅史」


「……美和?」

「もう諦めなよ。一旦警察に行って全部話して、終わらせようよ」

「……って。何言ってんだよ、お前。捕まるんだぞぉ? お前の能力のことだって……」

「しょうがないでしょう? このままじゃ……あたしたち、どこにも行けないんだから」


 冷たく言い放った美和。雅史は少しの間、言葉を探すようにしながら彼女を真っ直ぐに見下ろしていたが、やがて、

「……って。お前……」

 怒りに震えるように、静かに声を落とす。


「裏切る気かよ」

「はあ?」

「俺たち銀行強盗の件でも捕まってるし……俺や悟のせいにして、警察に泣きつく気なんだろ!」

「ちょっと、何それ。そんなつもりじゃないよ! あたしは――」


 美和も眉を寄せて抗議するが、雅史は激昂したように遮った。

「お前はいいさ、気楽なもんだよな。自分がすっきりすりゃ済むんだろ? けど俺には親だっているし、大学だってあんだぞ? 親になんて言うんだよ、大学はどうなるんだよ! お前みたいな何も持ってないやつと違って、こっちは事情ってもんがあんだよ!」


 止めようと、楠見が一歩足を踏み出した瞬間だった。

 憮然とした表情で雅史の言葉を聞いていた美和が、唐突に手を上げ、雅史の頬を思い切り張る。


 派手な音がした後、店内に、沈黙が流れる。ハルもキョウもナナミも鈴音も。全員の視線が、美和と雅史に集まっていた。

 頬を押さえ、愕然とした目を向ける雅史を睨み返しながら、美和が低く口を開く。

「これ以上……見損なわせないでくれないかな」


 と――。雅史の次の行動は、早かった。

 テーブルに置かれた悟の携帯電話をひったくるようにして奪いダウンコートのポケットに入れると、店の出入り口のドアに向かって駆ける。

 ドアベルを激しく鳴らし、止める間もなく店を出ていく雅史。

 追おうとして、しかし、美和が彼に向け意識を集中させているのが分かった。


 わずかに二、三秒。

 美和の手に、雅史が持って逃げたはずの、悟の携帯電話が出現する――。


 憤然とした表情のまま、美和は黙ってそれを楠見に渡す。

「ああ……ありがとう……」


「しょうがないなあ」と、それまで黙っていたハルが、ココアのカップを置いて立ち上がり、「捕まえて拘束しておくから、警察に迎えに回ってもらって?」


「ああ。頼む」

 戸口に向かうハルについていこうとするキョウの頭を掴んで、楠見は引き止めた。

「キョウ。お前は残れ」

 街中でまた刀を振り回されては困る。


「俺も仕事するっ」


「ん……? ううん……」やる気満々の瞳で見上げられて、楠見は考える。「……分かった。それじゃあ、この携帯を警察に渡す前に、メールに書かれている内容を覚えておいてくれ。十二月十五日ごろまで遡って。サカキの名前が最初に出てくるところまで、全部だ」


「ん。いいよ」こくりと頷き携帯電話を受け取って、キョウはその液晶画面に集中しだした。










 静まり返った夜の学校。年末、最後の授業も終えて冬休みを迎えるばかりとなったキャンパスでは、この時間に明かりのついている部屋はいくつもない。


 その中のひとつ、事務棟二階の執務室。昼間の乱闘であちこち傷んだままの室内で、危ういバランスでどうにか立っている机に向かって腕を組み、楠見はじっと宙を見つめていた。

 刻々と時間の過ぎるのを待つ一方で、この部屋を修繕する算段に頭を悩ませつつ――。


 壁の時計を見上げる。十時を少し過ぎたところだ。


(遅いな――)

 そっと息をつく。深夜を待つつもりだろうか? 宙に向かって、「早く来い」と念じてみる。あまり遅くなると、あの子が眠ってしまう。いや、もう既に、うとうとしている頃かもしれない。


 サカキは必ず、ここに来る。楠見はそう踏んでいた。

 ナナミという協力者がいない以上、他人の居場所を知る手段はおそらくサカキにはない。美和のように、直接の繋がりを持たずに仕事をさせていた能力者がいる可能性はあるが、ナナミのような優秀な遠隔透視リモート・ビューイング能力者はほかに何人もはいないだろう。


 警察に保護されたナナミが、ぽつりぽつりと船津に語りだした内容の報告を受けて、楠見はそう確信していた。となれば。楠見はサカキが思いつくような場所で、あの男を待っていなければならない。

 ならば、ここだろう――。幸い今は人の気配もない。


 胸のポケットの携帯電話が震動する。船津刑事からだった。


『楠見さん、船津です』

「お疲れさまです。その後、何か分かりましたか?」


 警察では、美和たち四人からの事情聴取とサカキに関する調査が並行して進んでいるはずである。何か進展があったのだろう。と、案の定、船津はかすかに気負い立った様子でいつもより心持ち早口に説明する。


『当たりです、楠見さん。サカキ・ダイスケ。七年前に、豊島としま区で起きた傷害事件の被疑者として逮捕されています。路上で口論になった男を殴打し、全治三ヶ月の重傷を負わせて逃亡。数日後に捕まり警察の取調べでは犯行を認めたものの、凶器が見つからず、裁判で供述を翻して証拠不十分で無罪――人間が素手で殴ったものであるとは考えられないという、医師の証言が決めてになったようです」


 やっぱり。電話を持つ手に思わず力が入り、持ち替えて続きを促す。


『三年前にも一度、都内で起きた似たような事件の重要参考人になっていますが、こちらも被害者がサカキの犯行を否定し、嫌疑を外れていますね』

「被害者が?」


 低く訊き返しながら、考える。たとえば、仕事に失敗した仕置きとして暴行を受けた渡辺悟。彼のような立場の人間ならば、果たしてサカキが犯人だと証言することができるだろうか?

 捜査が自分の身に飛び火するのを、あるいはサカキに報復されることを恐れて、口をつぐむかもしれない。それとも――。


『ええ。臭いますね』船津も釈然としないというように少々声を落とす。『被害者と、何かしらのがあったのかもしれない。調べなおしてみましょう。それと、他県にも手を広げれば、まだ出てくるかもしれません。引き続き調査中です』


 それから、と、電話の向こうで船津がメモを確認するような間があって。

『杉本美和たちがさせられたという『仕事』については、まだ一件ずつ確認中ですが、盗難届けが出ているものがありました。ただ、とても少ない。宝石店のように、盗まれた側も、表沙汰にはできないものが多かった可能性があります』


「ナナミという少女のことは? その後、何か分かりましたか?」

『ええ。こちらも会話がなかなか上手く運ばなくて、少々難渋しているんですが……』


 そこで船津は、困ったように小さくため息をついた。

『家出少女らしいというところまでは分かりました。サカキと会った経緯は分かりませんが、だいたい楠見さんの言っていた通り、奴の仕事の、ターゲットの在処ありかを調べる役割だったようです。その家なり事業所なり店なりへと、業者を装ったサカキやほかの『協力者』が潜入して確認し、後日、杉本美和たちに盗ませる。彼女の能力――アポーツ、と言いましたか。それ以外の能力者も使って、手広くやっていたようですよ。情報を手に入れターゲットを選定するところから、それを欲しがる人間の手に渡すまでに、おそらくまだ何人もの人間が関わっています』


 サカキを捕まえれば、そのラインを顕在化できる可能性があるというわけだ。犯罪グループ。あるいは不正に手を染めている人間が、芋蔓式に浮かび上がる。


 ひとりのサイを助けるという仕事が、思いがけず大きな事件へと繋がってしまったことに、楠見は内心で嘆息し、

「分かりました。ともかくこちらは、サカキを捕まえます。能力を発現できないようにするところまでは――」


『ご協力お願いします』電話の向こうで頭でも下げているような口ぶりだった。『その後のことは任せてください。でも楠見さん。気をつけて』


 通話を切って、携帯電話を胸のポケットに収めた、その時だった。

 背後の窓。ガラスが割れ、先ほどから十二月の冷たい空気が流れ込んできていたそこに、それとは違う、ひやりとした気配を感じる。


 サイの能力など何も持っていない楠見にもはっきりと分かる、それは、殺気――。


 腕を組んだまま、腰掛けていた椅子ごと振り返る。

 窓枠にしゃがみ込んで、こちらを見つめている大男の姿を認識した瞬間。

 男は不敵に唇の端を上げ、残っていたガラスを素手で叩き割る。鋭い音が、静まり返った建物に響いた。

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