3.能力を使って、人助けができるんだ

 高級住宅街の一画。「豪邸」と呼んでもいいだろう、いかにも部屋数の多そうな大きな洋風の住宅を角の電柱の陰から見つめながら、美和は大きく深呼吸をした。


 内部の写真は事前に見せてもらってある。高級そうな革張りのソファ。瀟洒な湾曲を持つ脚のついた、どっしりとしたテーブル。壁の全面にしつらえられた作り付けの棚。そこにはセット物の百科事典や花瓶、外国のお土産のような置物が、余裕を持って置かれていて、中央に大型の液晶テレビ。

 そしてその下の引出しに、目的のものが――。


 の写真も、あらかじめ見て記憶してある。

 美和は目を閉じて、ゆっくりとそのイメージを頭の中に浮かべる。


「おいっまだかよ」せっかちな男が、後ろから声を掛けた。

「まあまあ、見てろって。悟。すぐだからよ」もうひとりの男がそれを宥める。


「けどさ、さっきからこの辺、警備会社の車がウヨウヨいんじゃん。俺ら完全にマークされてんじゃね?」

「ったくおめえはよぉ。こないだだって、見ただろ? 楽勝だったじゃんか。しかも今は俺らなんだからよ。警備会社とか来たって、関係ねえし」

「ったって。盗みがあったって分かったら、ここにいた俺らが疑われんだろ?」

「どこに俺らが盗んだ証拠があんだよ。家ん中なんか近寄ってもいねえって、逆に警備会社の防犯カメラが証明してくれんだろ」

「けどさあ」


 背後の会話を頭から追い払い、美和はイメージに集中しようとする。

 引出しの中にある、一通の書類。

 あれを、ここに。


「だいたいなあ」能天気な声が、もう一方をいなすように。「今回は、犯罪じゃねえの。盗られたモンを取り返してやろうってんだぜ? かわいそーなおばーさんがよぉ」

 そこで、ふざけて泣き真似みたいな声色を作る。

「あくどい息子夫婦に奪い取られた、えーと、ケーヤク書? ケンリ書? なんだっけ。とにかく、それを取り戻してやったら、おばーさんは土地を売って老人ホームに入れるわけだ。むしろ人助けだろが」


「ったくー。雅史は気楽だよ、ほんと」

「おめえが小心すぎんだろー」呆れたような笑い声。


 あれを、ここに。

 書類を、この手に。


 美和は、両手を胸の前に持ち上げて、ものをいただく形に手の平を上に向ける。

 イメージの中で、この手と書類が重なって。頭の芯で、何かが解き放たれるような、いつもの感覚。

 その瞬間、同時に手の平に感じる、軽い紙の感触。美和はゆっくりと、目を開ける。


 イメージした通りの一通の書類が、目の前にあった。


「おおー!」声を上げたのは、雅史。紙を持って振り返ると、雅史の隣で悟は、驚きに目を見張り固まっていた。雅史ほど何度も間近に美和の能力を見たことがない悟は、まだ美和の能力がいまひとつ信じきれずにいるらしい。何度か瞬きをすると、ふるふると首を振って、それからまじまじと美和の顔を見た。


「すっげえ。杉本お前、ホントに超能力者なのかよ」

「だから言ってんだろ」

「つったって。やー。……やっぱ、まさかって思うじゃん」

「いい加減で慣れろよな。これからこの『仕事』、組んでやってくんだろ?」

「まあ。だけどさあ、なんか……」


 眉を顰めるようにしてそこまで言って、悟は言葉を切った。

 続く言葉は想像できて――不気味だとか、怖いとか、気持ち悪いとか――、美和は軽くため息をついた。


「ねえ。これでいい? あたしもう行くけど」

 言いながら、美和は書類を雅史に手渡す。


「ちょっ待って。『完了』って報告すっから。これからのこととか聞かねえと」

 慌てたように悟は言って、ポケットから携帯電話を取り出した。そのままメールを打ち始めた悟に、雅史が「ちょっと場所、動こうぜ」と促し、三人は数百メートルほど離れたコンビニの前へとやってきた。




 お疲れさん。そう言って、コンビニの前のベンチに座らされた美和。ベンチの脇に立って、悟は、「おー」とか「わちゃー」とか「そーかよー」とか、後は何か聞き取れない独り言をぶつぶつつぶやきながら、メールで誰かとやり取りしている。


 雅史が「無二の親友だ」というこの男が、美和はあまり好きになれない。調子が良くて単純で、真面目という言葉が大嫌いなのは雅史と同じ。だが、磊落らいらくでどこか泰然とした感じのある――それは、幼稚で世間知らずということの裏返しなのであるが――雅史と違って、悟は常に自らの保身を第一に考えている小心者で、臆病なくせに自意識ばかり強い。

 社会に利用されるのではなく、利用するのだ。そんな大層なことを言いながら、やっていることは美和からすれば小悪人の使い走り程度にしか見えず、そのくせ自分を使い走らせている人物たちのことは、自分と対等な「自慢のコネクション」と認識しており、自分が彼らを利用しているのだと思っている。


 だから、そんな悟が「コネ」で渡りをつけてきたという仕事に、美和は乗り気ではなかった。


『バイト先の先輩の、前に勤めていたバイト先の店長の知り合いの紹介で』

 そんな冗談みたいにいかがわしい「コネ」を辿ってやってきた「仕事」を、いかにも素晴らしい取引相手を見つけてきたみたいな口調で説明した悟。誰だ、それは。知らない。そんな問答が数回交されて。


 最終的には、成功すれば一回で十万円という報酬の魅力から心が引き剥がせなくなってしまった雅史に拝みこまれて、仕方なく承諾した。

『美和の能力を使って、人助けができるんだ。いい仕事じゃんか』

 頭の中にあるのは十万円だろうが、無邪気な顔でそんなことを言われると、美和としても心が動かないわけではなく。

 訳も分からず、「この場所からこれを盗って来い」とメールで指示を受け、実際に難なく成功させたのではあるが。


 ただ、一抹の不安を、美和は心の中から消し去ることができずにいた。


「美和ぁ。餅巾着なかったから、代わりに牛すじ買って来たぜー」

 呑気な声を上げながら、雅史がコンビニから出てきた。手にはおでんの容器。それに、ビールや何かが入った袋をぶら下げている。


「なんで牛すじが餅巾着の代わりになるかな」

 ベンチに座って睨んだ美和を、雅史は「うっせー、いいだろー」とかわし、隣に座る。おでんを二人の間に置いて、それから袋をあさって雅史は缶ビールを三本出した。


「ほいよ。ビール」

「あたしはいい。まだ行くとこあるから」

「あ? これから? もう日が暮れるぜ?」

「いいの」

「歌いに行くのかよ」


 呆れたような雅史の口調に、腹が立つ。


「そうだよ。悪い?」

「悪かねえけどさあ。けどもう、サイフ盗んのはやめたんだろ?」

「そのために歌ってるわけじゃないもの」


 言いながら、ふっとあの男の顔が頭に浮かんでしまった。


――金を持っていそうな人間を探す間の暇つぶしに歌っていただけなのかな。


 違う。美和は内心で首を振る。そんなことのためにやってたんじゃないもの。


「まあいっけどよぉ」大根を割り箸で刺して口に運びながら、雅史は横目で美和を見た。「こないだのあの男みたいなヤツに、また見つかってグダグダ言われんなよ?」


 ドキっとしたのを隠すために、美和は精一杯嫌な顔を作って雅史を睨み返した。

 あの男に、中央線沿いで歌っていると伝えた、今日は火曜日だった。


(あいつに会いたいわけじゃない)


 美和は心を鎮めて、自分にそう言い聞かせる。当然だ。むしろ、会いたくない。

 そう言い聞かせる一方で、しかし我ながらその愚直さに呆れるほどに、彼に伝えた日時、伝えた場所に、真面目に出かけてしまう。会いたくなければ、行かなければいいだけなのに。


 だけど。彼にもらった一万円札は、まだ折り目もつかないまま、美和のサイフの中に入っていた。

(お金をもらった分の歌を聞かせるだけだから)


 それから。と、美和は思う。あたしがあの場所で歌っているのは、他人のサイフを盗るためってわけじゃないことを、あいつにちゃんと知ってもらわないとならない。誤解されたままじゃ、気分が悪いから。


「えぇ? ちょっと、杉本。これから用事あんの?」

 間抜けな声を上げたのは、悟だった。メールの用件は終えたらしく、携帯電話をポケットにしまいながら。

「まだ次の仕事があんだけどー」


「はあ? なにそれ。聞いてないけど? 終わったんじゃないの?」

「だってさ。いま連絡したら、次の指示受けたんだけど?」

「なにそれ。どういうこと?」


 悟は悪びれる様子もなく、雅史の横に置いてあった缶ビールを手に取ってプルタブを開けた。

「れ? 言ってなかったっけ。雅史、杉本に説明してねえの?」


「ん? さわりだけちらっと言ったと思うけど」

「だからさぁ」


 悟はビールを一口飲んで、ふーっと息を吐き出してから言葉を続けた。

「『研修期間』なわけ。今って。『試験採用』っつーの? ま、どっちでもいいや。んで言われた仕事を三件こなして、ちゃんと使えるってなったら、『本採用』。報酬も上がるってわけ。ちなみに今回の仕事は一件十万円で、三件こなしたら一括でもらえるってよ。だから今日中に、あと二件やっちまいたいんだけど? そしたらすぐに金もらえっし」


「ちょっと待ってよ」美和は声を荒げた。「研修とか、本採用とかって、なに? 今回これだけやって、十万もらって終わりじゃないわけ?」


 雅史を睨みつけるが、彼は悟と顔を見合わせただけで、説明は放棄したというように缶ビールに口をつけた。


「ってなー」悟が仕方なさそうに、コンビニのウィンドウに寄りかかって髪をかき上げながらため息をつく。「超能力だろ? だって。普通さあ、すぐには信じらんねえし、本当にできっか分かんねえじゃん。試してからじゃねえと、本格的な仕事任せられっか決めらんねえって言うからさ。んでさ、まずは言われた仕事三件やってみて、成功したらそれから考えるって言うんだよな」


「考えるって。何を?」

「だから。もっと難しい仕事を任すかどうかだろ?」

「もっと難しい仕事って、なに?」

「知らねえよ。こっちはただ、指示したモンを取ってくればいいって言われてるだけなんだ」

「ねえ、その、『考える』とか、『言われ』たとか。それ誰?」


 じわじわと胸に不安が込み上げてきて、美和は両腕を抱いていた。眉を寄せて深刻な口調で聞く美和に、悟は困ったような面倒臭そうな目を向ける。


「だから。バイト先の先輩のさ、前勤めていたバイト先の店長の……えっと、なんだっけ、ともかく、知り合いの知り合いだよ」

「だから。どんな人なの、それ」

「知らねえよ。直接の知り合いじゃねえし。俺、メールでやり取りしかしてねえもん」

「会ってもいないの?」

「必要ねえじゃん」


 信じられない! 呆れて次の言葉が継げずにいると、悟は美和の機嫌を取ろうとするかのような卑屈な笑みを顔に浮かべた。


「だからさ、杉本っちー。もう二件、付き合って。お願い!」

 缶ビールを両手で挟んで拝む真似をする。腹立ちがつのり、怒鳴りだしそうになったところで、それまで黙っておでんを食べていた雅史が隣から声を上げた。


「あー大丈夫大丈夫。あと二件だろ? ちゃちゃっと行って、終わらせちまおうぜ」

「マジで? サンキュー。あ、杉本っちの用事は?」

「いいのいいの。どうせ行っても行かなくてもいいような用事なんだよ」

「ちょっと!」


 美和は立ち上がった。雅史と悟を交互に睨みつける。だが、雅史はまったく気にする様子もなく、取り出したタバコに火をつけながらもう片方の手をひらひらと振った。

「まあまあ。パパっと稼いでさ、美味いもんでも食おうぜ。別に『この後の予定』っつったって、時間とか決まってねえんだろ? ならさ」


「勝手に決めないでよっ!」

「いいじゃんか。さっきのだって楽勝で終わったしさ。この調子なら、二件ぐらいすぐだろ。なあ、悟。次どこ行きゃいいの?」

「あ? 待ってな」


 悟は携帯のメールを呼び出して、目を見張る。

「渋谷だって。れ? けど次は人んちじゃなくて、会社みたいだぜ? 六階建てのビルの五階……って」


「はー。で、なに取ってくんの? また写真とか来てんの?」

「おう。これ」


 そう言って、悟は携帯を美和の目の前に突きつけるようにして、そこに表示されている写真を見せた。

「なんかどっかの会社の社員証。だって。誰かが落として、間違って拾われちまって、取り戻せなくて困ってんだってさ」


「うっしゃーっ」威勢のいい声を上げて、雅史はビールをがぶりと飲んだ。「じゃあ、行こうぜ。人助け人助け」


 時間だとか、労力だとか。そういうことで不満があるわけじゃなくて。漠然とした不安を拭い去ることができずに、しかし「人助け」などという崇高な使命を負って張り切っている雅史を、思いとどまらせる言葉を見つけることもできずに。

 美和は、どこで離脱を図ろうかとタイミングを考えながら、二人について次の「仕事」場所である目黒へと向かっていた。

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