2.常人の能力で行われた犯罪には見えなくて
喫茶ベルツリーの店内でカウンターに向かって座っていたハルは、大きな窓の向こうに楠見とキョウの姿を見止めると、勢いよく椅子から飛び降りた。
ドアベルを鳴らしながらドアを開け、キョウの背中を押して店内に入れると、ハルは駆け寄ってきてキョウの首筋に飛びつく。
「キョウ! おかえり!」
飛びつかれたキョウは「ぐえっ」と妙な声を上げたが、振り解くでもなく、ハルも構う様子はない。
「寒かったでしょ。どうだった? 仕事は。楠見。キョウはちゃんとやれた?」
キョウに抱きついたまま楠見に目を上げる、キョウと同じ背の高さ、同じ瞳の少年。キョウの同い年の兄の、過激な歓迎に、楠見は苦笑する。
「ああ、もちろん。優秀だったよ」そう答えたのは本音ではあるが、そうでなかったところで、ハルがそれ以外の答えを許すはずがない。
「さすが! お疲れさま、キョウー!」
「ハル、ちっと苦しい……」
嬉しそうにさらにギュッと抱きしめて、キョウの頭をごしごしと撫でているハル。ささやかに抗議の声を上げるキョウ。二人を入り口に残し、楠見はカウンターの奥で微笑んで迎える店主の
控えめにインストゥルメンタルのクリスマスキャロルが流れる店内。夕方の商店街でも流れていた「あら野のはてに」をバックに、鈴音は顔全体でにっこり笑って、〈いらっしゃい〉というように軽く首を傾げた。
「クリスマスツリーの電飾、買ってきましたよ」言いながら紙袋を掲げると、鈴音は〈わあっ〉という形に口を開けて目を見開く。
楠見は入り口の脇に設えられた、大人の背丈ほどもあるツリーに目を向ける。この店が開業して初めて迎えるクリスマス。慌てて買ったツリーにはまだ飾りが少なく、電飾がもう少し欲しい、などという話を先日していたのだ。
「さっそく二人に飾ってもらいますか」
そう言うと、ハルはパッとキョウを解放し、椅子へと引っ張っていき座らせた。コートを脱ぐのを手伝いながら、「飾りつけは俺やるよ。キョウは疲れたでしょ。ココアでも飲んでなよ」
されるがままになっていたキョウは、ふと思い出したように顔を上げる。
「そうだ! ハル、くすみがクリスマス・プレゼントくれんだっ」
「へえっ」
「なるとなんだ!」
「……ん?」
わずかに興奮をにじませるキョウに、ハルの笑顔が一瞬固まる。が、すぐにまた嬉しそうな表情を
「そうか、良かったね」
ハルは、ことキョウの語る内容、身に起きた出来事に関しては、驚異的に理解が早い。またキョウの頭をごしごしと撫でた。
鈴音にコーヒーとココアを注文し、楠見はハルに紙袋を手渡す。
「ハルにもプレゼントをやるよ。何がいい?」
「うーん」受け取った紙袋をあらためながら、ハルは考え、すぐに答える。「俺はいいよ。俺の分もキョウに、なると巻きをあげてよ」
「ハルっ」するとキョウが慌てて、困ったような声を上げた。「ハルももらえ。一緒に食おう」
美しい兄弟愛だが、何かがおかしい。楠見は微笑みの裏で、二人へのプレゼントは自分で考えようと心に決めた。
「それで、今度の仕事はこれで完了したの? PKの女の子、だっけ」
キョウの隣に腰掛け、ハルは袋から出した電飾の包装を解きながら聞く。その向かいに楠見は腰を下ろした。
「ああ。週明けに様子だけ見に行って、問題なければこれで終了だな」
「来週? 何曜日?」
「月曜日だ。キョウ、また頼むよ」
「ん。いいよ」
キョウはこくりと頷いたが、隣のハルは不満そうに目を上げた。
「月曜日! また俺、用事のある日だよ。俺も行ける日にしてくれたらいいのにー」
「そうか? そりゃ悪かったな」
「キョウ一人で仕事に行かせるなんて、心配だよ」
似たような能力は持っていても、ハルにはできないことがある。キョウの代わりは務まらない。その上、学業成績も優秀で教師の覚えもめでたく校内活動にも積極的なハルは、小学生ながら放課後も何かと忙しいらしい。
「次は確認するだけだから、問題ないよ。それに一人じゃあない。俺が行くんだから」
弟を心配するハルの不満を宥めるように言う楠見。だが、ハルはそれに冷たい目を向けた。
「一緒に行くって言っても、楠見は本当に一緒に行くだけじゃない。危ないことになったら、キョウだけじゃ大変だよ」
グサッと来た。が、助け舟のようにやってきた鈴音がテーブルにココアとコーヒーを置き、目の前で湯気を立てるカップにキョウが目を輝かせると、ハルの興味はそちらに移る。
「ゆっくり飲みなよ。火傷しないようにね」
「ん」
ココアにフーフーと息を吹きかけるキョウを、ハルはしばらく嬉しそうに眺め、それからツリーの飾りつけに取り掛かった。
そうしているうちに、またドアベルを鳴らして入り口のドアが開く。
「楠見さん、ああ、良かった。ここにいましたか」
言いながら入ってきたのは、警視庁の
「学校に電話したんですが、繋がらなかったんで。近くまで来たから、もしかしたらと思って覗いてみたんです」
楠見よりも三つ四つ年上だが、まだ三十前だというから刑事としてはかなり若手の部類。加えて刑事にしては迫力の足りないソフトな風貌の船津は、言い訳めいたそんな話し方まで柔らかく丁寧だ。
「ああ、『サイ』絡みの仕事で早めに出てしまって。手間を取らせてすみません」楠見は軽く頭を下げた。「それで、何かあったんですか?」
「ええ、ちょっとご相談したいことが……」
そう切り出しかけて、楠見の向かいでココアのカップに口をつけて目を上げているキョウと、ツリーの飾り付けをしながらこちらをうかがっているハルを、気にする素振りを見せる。
「ああ、お前たちは……」言いかけた楠見に、
「俺は構わないよ」カップを大事そうに両手で持って、偉そうに頷くキョウ。
「俺も。気にしないでください」ツリーが一番美しく見える、絶妙な電飾の巻き方を調整しながら微笑むハル。
「まあ、小学生に聞かせちゃ不味い類の事件でもないかな」苦笑しながら、船津は楠見へと目を向ける。「成り行きによっては二人の『協力』が必要かもしれないし」
仕方ない。楠見は軽く肩を竦めて先を促した。
「こちらもまだ、所轄の担当の者から非公式に相談を受けただけなんですが――不思議な事件なんです。いや、事件なのかどうかも分からない。けどこれが事件なんだとして、どうも、常人の能力で行われた犯罪には見えなくて」
鈴音にコーヒーを注文して、そんな持って回ったような切り出し方をする船津。彼自身も、半信半疑なのだろう。
「最初の事件――らしきものが起きたのは、一ヶ月ほど前。世田谷区の銀行でした」
テーブルに肘をつき、わずかに身を乗り出して。夜になると客はほとんど来ない住宅街のこの喫茶店。楠見たち以外の客はいなかったが、船津は声を潜めるようにして説明した。
先月のはじめごろのことだ。世田谷区の銀行に二人組みの強盗が押し入る。ただしこれは、幼稚で間抜けな二人組みの、ちょっと行き過ぎた悪戯程度のものだった。手にしていた武器はモデルガン。ドラマのセリフのような言葉で行員と客を脅して動きを封じた後は、支店長が即座に通報したことも、客や行員のほとんどがハッタリに気づいていることも知らぬ様子で金を要求し続けた。
数分後に警察が到着し、あえなくお縄になったのは、高校時代の同級生という十九歳の二人。
未成年で初犯の上に、あまりにも稚拙な犯行。強盗未遂が罪に問われるかどうかは微妙なところだが、ひとまず緊急逮捕とあいなって、事件はあっさり解決した。――はずだった。
「ところがね」船津はますます声を低くする。「三百万円が、銀行からなくなっていたんです」
銀行員がそれに気づいたのは、騒ぎの直後のことだ。強盗が未遂に終わったことは誰の目にも明らかなのに、百万円の札束が三つ、消えていた。
消えたのは。強盗が、金を入れるようにと窓口の行員に渡したバッグの、三つの札束。警察到着までの間に犯人を刺激しないよう、行員が、たっぷり時間を掛けて金庫からバッグに移していたものと思われた。
警察がやってきて犯人逮捕となった後、金庫に戻そうとした札束が、なぜか足りなかったわけである。
「あくまでも、強盗は未遂に終わったはずです。客も行員も、全員が見ていました。金を受け渡す隙も素振りも、一切なかったと。それに、犯人はその場で逮捕されているわけですからね。その時にもちろん、金を奪っていないことは確認しています」
「実は、最初からなかったという可能性は? その前に、横領や詐欺が行われていたとか」
「それもありません。
「誰かが強盗に便乗して、取っちゃったとかは?」
ハルが横から口を挟んだ。言いながら、ツリーの電飾のコードをコンセントに差し込み、点滅を確認する。
「その筋が一番疑われるんだけどね」
ツリーを一瞥して船津は幾分口調を和らげ、ハルとキョウを交互に見ながら、
「ただ、それもないよ。札束が足りないことはすぐに分かったからね。その場で全員が軽く調べを受けたし、支店内もくまなく捜査した。それ以前に客が札束に近づく隙がなかったのは全員見ていたし、札束の近くにいた行員にしたって、その状況で強盗犯に罪を着せられるなんて思わないだろう?」
もっともだ。楠見は腕を組んで、頷く。
「そうだよね」ハルも、一応の確認で口にしてみただけらしい。新しい電飾の、ツリーへの巻きつけ方にも点滅具合にも満足が行ったらしく、ハルはテーブルにやってきてキョウの隣に腰を下ろした。
「それで」再び楠見に目を向けた船津に、楠見は続きを促す。「『最初の事件』と言われましたね。続きがあるんですか?」
そうなんです、と船津も首を縦に振って、
「同じように、どうしたって不可能な状況で金が消える事件が、この一ヶ月でそのほかに数件起きているんです。最初の銀行から半径五キロ以内。駅で言って、隣の隣くらいまでの狭い範囲で、です。コンビニやスーパー、商店。最初の銀行から消えた三百万に比べると、ひとつひとつの額は小さいけれど、銀行から合わせて四百万ちょっとになります」
そう言って、船津は腕を組んだまま心底不思議そうに首を捻った。
「どれも、レジやなんかに入っていた金です。店員や客が大勢いるときに、閉じてあった箱の中から一瞬でなくなるみたいに。一件だけなら関係者が疑われるんでしょうが、似たようなケースがあんまり多いもんだから」
その言葉に反応したのは、キョウだった。楠見へと視線を向けて、目を大きくして。
「くすみ。アポーツかな」
楠見は軽く両手を広げるだけの動きで、それに答える。
「アポーツって、なんです?」船津が聞く。
「モノを引き寄せる能力です。箱や、建物の中や、壁の向こう……障害物があったり閉じられた空間だったりする場所から、自分の元へとね」
「……そういう能力者が、いるんですか?」
「いることは、います。ただ、船津さんの説明された事件にこの能力が利用されたのかどうかは。これだけの状況では、なんとも言えませんけどね」
楠見は夕方の出来事を、簡単に説明する。船津は眉間にシワを寄せて、困ったように唸り声を上げた。
「ううん……。それはなんとも……微妙な事件ですね。盗ったのが本当だとしたら、犯人を捕まえたいが。窃盗と言えるかどうかは……」
予想通りの反応に、楠見もテーブルの上で手を組んで頷く。
「ええ。犯罪を行ったという証拠があるわけでもありません。キョウが感覚で察知しただけだ」
楠見の言葉に、ハルがまた横からキョウに抱きついて抗議の声を上げた。
「楠見? キョウが間違えるはずないよ。『タイマ』の使い手なんだからねっ」
「分かってるよ。俺は分かるが、世間はそれじゃ納得しない」
「世間が、ねえ」唸り声の続きのように、船津が複雑な声色で言う。それでも、コーヒーを一口飲んで、顔を上げると、仕切り直したようにしっかりとした口調に戻った。「ともかく、そういう能力者がいるんだっていうのは参考になりました。まあ……それだとすっきり解決するかどうかは微妙ですが」
「ひとまず……」少々申し訳ない気持ちになって、楠見は声を掛ける。「歌手の彼女に関しては、こちらも気に掛かっているんです。探してみますよ。何かあればご連絡します」
そう言うと、船津は決まり悪そうに頭を下げた。
「毎度、すみません。また状況を報告します」言いながら席を立って、電飾の瞬くクリスマスツリーに目を留めた。「クリスマスですね。……もう一年か。早いな」
「ええ」楠見も頬を緩ませる。「ハル、綺麗に飾ったじゃないか」
ハルは得意げに笑い、隣でキョウも満足そうな顔をした。
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