第12話

 まだ目元がうるんでいる状態で休憩室へ向かうと、ちょうどユイちゃんがタンメンを食べ終えたところだった。

 今時めずらしいことに、ユイちゃんが両手をあわせて小さく「ごちそうさまでした」とタンメンの丼に向かって頭を下げつつ声をかけている。

 いい子だなぁと思いつつ、彼女に「ユイちゃん、僕もまかないだから入るね」と告げる。

「あ、今席空けます」

 そう言って立ち上がろうとしながら、僕の方を見て少しばかり驚いた様子を見せる。

 そんなにあからさまな涙目かよと思いつつ、「朝早かったから」と無理やり大口を開けてあくびをする。

 それでもごまかせなかったのか、気まずそうな様子のあかりちやんがギコチナイ笑顔を見せつつ前を通りすぎる。

 くそーと思いつつ、まかないに向かい合う。

 まずは麺だ。

 やさしい湯気が上がっている。

 麺の上には刻みネギと半熟玉子といったシンプルな素材のみ。

 僕が作った半熟玉子のとろけた中心部から夕陽の色がのぞいている。

 そして、おっさんにオッセーゾッ!と怒鳴られながら刻んだネギが彩りを添えている。

 となりには豚ニラ玉飯。

 芳しい香りと、肉のエロティックな照りが早くわたしを食べてと誘惑する。

 レンゲをまずは麺に差し入れようかと思ったが、肉の誘惑に負けてワシワシとご飯をかきこむ。

 ミシミシと音をたて大量の飯粒が喉を通りすぎる。

『うっめえぇー!!』

 生まれが下品なせいか、僕は喉一杯にご飯が通ると幸せを感じる。

 すかさず、むせないように半ラーメンのスープを喉に流し込む。

 未来の手による、深くて繊細な淡麗系の旨味が、舌の味覚センサーを愛撫する。

 あぁ、幸せだ。

 人はうまい飯を食うと幸福になれる。

 中国の諺で……、

 一日幸せになりたければ酒を飲みなさい 。

 三日幸せになりたければ結婚しなさい。

 七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。

 一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい

 ………というのがある。

 この諺から得た教訓は、たっぷりの食事は結婚するより倍以上幸せになれるということだ。

 ただ残念なことに未成年で酒を飲めないし、未婚で釣りも知らない。

 だが、喰らう事の幸せを僕は毎日感じている。

 この場所にいる限り僕は永久に幸福だ。

 そうやってささやかな日常の小さな幸福を享受している僕の耳に、ドタドタと慌しい騒音が届いた。

 オッサンだ。

 因果応報、自業自得に自縄自縛。

 時間がないのに習いたてのレシピをまかないで作ろうとするからだ。

 もう、食事の時間は残り二分をきっている。

「ぐぉらッ!さっさと席あけろ!」

 額から汗をながし、ハァハァと肩で息をしつつ、まさにトロールな形相でオッサンがすごむ。

 さらには口の端からはよだれをたらし、乱杭歯をむき出しての威嚇。

「忘れたんですか?昨日食べ終わりそうなころ見計らって俺がきたら『ホントに仕事がおっせぇな。はえーもん勝ちだ、ブァーカ』って言ってたの福店長ですよ」

 一瞬ポカンとした顔つきのあと、数秒とたたずにオッサンの顔が赤黒く変色する。

 攻撃色。

 キケン!キケン!エマージェンシー!!

 脳内の怪物君が楽しげに絶叫をあげる。

 おっさんのプルプルしている両手にはヒドイ見た目のあんかけチャーハンとラーメンが握られている。

 熱々のあんとラーメンスープをぶっかけられたらただ事ではすまないだろう事はおおよそ予測できた。

 以前、オッサンがナベをまわし始めたころ。

 チャーハンがうまくできずに作りかけのナベをそのままブン投げられたことがある。

 たまたま避けられたが、熱々の飯粒が頭上からふってきてひどいめにあった。

 その時は僕が少しやわらかめにご飯を炊いたせいだったのでまだ理由はわかるけど、今回は全面的にオッサンが悪い。

「食べ終えたし、今かわりますよ」

 ビビッていることを悟られないよう、できるだけ平板な声をだす。

 何か言いかけたオッサンだったが、時間がないことを思い出したのかさっさと席を入れ替わった。

 着席したとたん、ものすごい勢いでまかないを口にかきこみはじめた。

 フードバトルでもしているような鬼気迫る食いっぷりだ。

 未来は時間に厳しい。

 あと一分少々で夜勤の仕込みが始まる。

 僕は洗い場でまかないに使った皿を洗うと未来の号令を待つ。

 オッサンの飯をかきこむスピードがあがる。

 あと十数秒。

 視線を未来にとばすと携帯で会話中だった。

 視線が重なると、右掌を歌舞伎の大見得張りに広げて『待て』の指示。

 支度中は店内の照明を節電のために暗くしている。

 傾きかけた陽光の加減だろうか、未来の瞳が緑色に燃えたって見えた。



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