第11話
きれいに整えられた眉の下、つりあがり、見開かれた目が僕を見ている。
二つの輝く緑の虹彩。
魔性を持つ怪物の瞳だ。
うろたえる僕。
きょ、距離が近い。
未来の白目に浮かぶ赤い雷光のような毛細血管が見て取れる。
さらには背中に柔らかな二つの圧力を感じて僕の下半身の一部が硬くなる。
だが、営業中はジーンズ地のような厚みのある前掛けをしているので目立つことはない。
前掛けを作ってくれた先人に感謝。
「おい、返事しろよ……」
今度は威圧する響きを含んだ未来の低い声。
しろよの『よ』のところで僕のケツに未来のヒザが入る。
しかも肉の薄いところを的確に当てている。
激痛にヒザが砕けそうになる。
ありがたいことに下半身の一部が瞬時に縮んだ。
僕は「ハヒッ!」と変な声を出してしまい赤面する。
「オメー『カエシ』に何いれた?」
未来の問い。
カエシ、つまりは最終的にラーメンのスープの味をキメる特製タレのことだ。
特殊な形態を除いて、塩、味噌、醤油、その他、店舗で出すほとんどのラーメンのスープにはこのカエシが入っている。
たまに誤解している人もいるので説明しておくと、バカでかい寸胴で作っているものはスープのベースとなるものであって、それがそのままお客の前に出てくるわけではない。
スープには……というか食事を提供する店の料理にはいろいろな鉄則がある。
その中のひとつ、味がブレてはいけない。
当たり前の話なのだが、客は来店しなくなる。
店に来て同じラーメンを頼んだはずなのに毎回違う味付けだったら客は逃げてしまう。
ずっと火をいれているデカイ寸胴は当然ながら水分が蒸発していくため煮詰まっていく。
もしも大きな寸胴のスープのみで味を決めるなら、一杯のラーメンごとに味を足したり薄めたりする作業をしなければならない。
これを行列店でやったら客に食事を出す待ち時間が増え、やはりお客は逃げてしまう。
まぁ完成されたスープを出す方法がないわけではないが……それはさておき、未来に返答しようにも……何かいれた感覚は確かにあるのだが、悲しい想像に気をとられてしまい何をどの分量で入れたのか覚えていない。
無意識に手が動いてしまったようだ。
「えっと……適当にいれたので覚えてません」
しりすぼみになる僕の返答。
見る間に眉を般若のようにつりあげつつ、「はぁッ!?何言ってんだァッ、オメェ!?」と威嚇する声をあげる。
畏怖とは大切な感情だ。
こういった状況に陥ると切に感じる。
そこから沸き上がるのは対岸にある神への敬愛であるはずだからだ。
『なすべきことはただひとつ。後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けよ』
子供の頃、世話になった神様もそう言っていた。
スープへと意識を集中する。
そこで大事なことを忘れていたのに気づいた。
鉄則の味見。
これは未来から厳命されている鉄則だ。
たとえまかないだろうと味見をしなければならない。
人は間違いを起こす。
料理人はその可能性を最小限にするため必ず味見をする。
先に未来のスープを味見したせいもあるのだが、最後に味見をするのを忘れている。
言い訳はできない。
「すいません」
チッ。
僕の返答にイラだった舌打ちをする未来。
未来がTシャツの首元に人差し指をかけて引っ張る。
雄大な双丘の一端が覗き、視線をはずせなくなる。
白い二つのバストの谷間を、きらめく汗が流れていく。
世界遺産クラスの絶景だ。
シルバーのチェーンが見えた。
その先にあるのは銀のスプーン。
未来は小さな銀のティスティングスプーンを取り出すとかるく水で洗った。
そして北京ナベからヒラリと掬い、唇へとスープを吸いこむ。
あぁ、あの斜陽を創った太宰治ならなんと比喩したのだろうか。
いや、大切な未来を形容してもらうならリスペクトしている嘉村礒多だろうか。
そんなバカなことを考えていると、未来の眉根がくもり、ひどく嫌そうな表情を浮かべた。
何を思ったのかもう一度スープを口へと運んだ。
今度は音をたててスープを口に入れる。
麺をすする要領だ。
未来はこのスープの香りを確実に知りたかったということになる。
「いいセンスしてる。早いとこ食っちまえ」
未来の最上級に類する誉め言葉。
不意討ちの言葉に思わず涙腺へと熱いモノがこみ上げる。
奥底から『下半身の方じゃねーの?』と怪物君がチャチャを入れるが当然無視する。
この言葉は僕にとって宝玉にも比する価値を持った言葉だ。
「何だよ、オメー泣いてんのか?なんだ……まぁ、がんばれ」
オッサンの怒りすらわく勘違いも当然のごとくスルー。
クッソ!
いつもならザマーミロって顔をするくせになんで急に優しいこと言ってんだ。
しかも時と場所を考えずにデレやがって。
これじゃまるで……僕がおっさんに慰められて泣いてるみたいじゃないか。
サイアクだ!
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