第8話
ちょうど出来上がった食券最後の海鮮ラーメンを持って、僕がホールに出るところだった。
爺さんが目の前のレンゲに入ったスープを口に入れた。
目を閉じて静かにスープを飲みこむと、爺さんのか細い首に浮き出た小さな喉仏が上下した。
「キレのあるいい吸い地だ。ひとつまみ入れた吸い口はアオサか……」
そう言うと爺さんは静かにレンゲを置いた。
「素人のサル真似にしてはよくできている」
爺さんの口元に硬い笑みが浮かび、生気を帯びた両目が輝く。
未来が前に両手を組んだ。
組んだ腕の上、豊かな胸が苦しげにとびだす。
「この店は大衆中華だけど、私は自分のことをラーメン屋だと思っている。ラーメンはね、なんでもアリなんだよ。和食の技法だって構わないし、中華、フレンチ、イタリアン、どこの国の料理法だろうが、よけりゃなんでも取り入れる懐の広さがラーメンにはある。うまけりゃいいし、安くて早いならもっといい」
爺さんが笑い出した。
「ふん、つまりは低価格の日本料理店が増え、しかもラーメンのような大衆受けする料理がいるという話か。そんなもの回転寿司や立ち食いそばで十分だ」
「ラーメンのようなじゃなくてラーメンをだよ!なぁ爺さん、あんたもそうみたいだけど未だにラーメンは中華のジャンルだと思ってないかい?ラーメンはね、あたしが思うには、もう和食だよ」
「日本料理店でラーメンをだせと言うのか?ふざけたことを抜かすな!中国が源流のものを和食とは……!?」
「あれェ?どっかで聞いたセリフだね?」
爺さんの苦々しい顔つきを見て、おかしくてたまらないといった様子の未来が大笑する。
聖ヨハネの首を所望したヘロディアの娘が笑ったとしたらこんな笑い声だったのかもしれない。
ひとしきり笑ったあと、未来が爺さんを真っ直ぐに見る。
「和食の歴史には敬意を表すよ。だが、完全な停滞は死だ。爺さん、あんたが追い回しの小僧だった頃に比べたら和食自体も進化したはずだよね。爺さんは納得しないんだろうけど、外国からみたらラーメンは和食だよ。観光立国日本を目指すならラーメンをやるべきだ。だったら、和食としてのラーメンを確立すべきは和食やっている爺さんの仕事だよ」
なめらかな動きで未来が爺さんの耳元に顔を近づける。
僕はカウンターの下げものをするフリをしつつ背中越しに耳をすます。
「カーネルサンダースがフランチャイズっていうビジネスモデルを確立して本当の大金持ちになったのは70過ぎてからだ。コレうまくやったら大儲けだぜ爺さん。オリンピックで外国からやってくる胃袋の大群を、最上の和食ラーメンで満たしてやんなよ」
囁くような未来の甘い声。
チラッと視線をはしらせると、爺さんの喉仏がグビリと大きく動いた。
何か言おうと口をパクパクとさせた爺さんだったが、結局口を閉じて鼻から大きく息をはいた。
そしてもう一口スープを飲むと、奇妙な笑みをうかべた。
「ふん、わかった。最後にお前に言っておくが目上の者の前で腕はくむな。不愉快な気分になる」
そこで奇跡がおきた。
カトリックローマ法王庁に奇跡認定の申請をしたいほどの。
未来が顔を紅くして慌てて腕をほどいたのだ。
支えを失い、たわわなパパイヤ状の物体が二つ、ユサユサと揺れる。
あの未来が慌てている。
深夜、酔っ払ったチンピラが凄みをきかせて金を返せと因縁をつけようが。
店のピーク時、バイト(21才体育会系男子)が泣きながら逃げ出して店内に一人になろうが。
ストーカーに胸を揉まれ刃物を目の前にかざされようが。
相手を口先だけでかたずけ、ニシシシシといつもの笑みを浮かべて平然と仕事をこなすあの未来が。
慌てふためき、さらには顔を紅くしているのだ。
激萌えした僕が胸中で爺さんに親指をたてて『グッジョブ!!』と叫ぶ。
「悪かった」
ばつが悪そうに頭を下げ、未来が謝意をしめす。
わずかな傾きに、バストがタプンと揺れる。
未来の殊勝な態度に、なぜかひどく嫌そうな顔つきで爺さんが口をひらいた。
「礼節を知るか……。ええぃ!あかり、お前の勝ちだ!認めてやるわ!」
爺さんの声に、ニパッと満面の笑みを浮かべる女の子。
「お爺様ありがとうございます」
凛とした女の子の声が響きわたる。
「ニシシシシ、あかりちゃんよかったね。仕事ぶりは知ってるし、いつでも働きにきてくれてオッケーだよ」
未来の声に店が静まり返った。
「いや……店長、小学生は……」
思わず僕が口をはさむ。
「あー、ナリはちっちゃいけど、あかりちゃん19だからオメーよりいっこ上だよ」
一瞬の静寂の後、「は?」と僕が間の抜けた声を出す。
「だーかーらー、松平あかり19才、管理栄養士を目指す短大一年生、ピッカピカのバージンだァ!」
悪のりし始めた未来に「最後に何言ってるんですか!」とあかりちゃんが赤面しながらつっこむ。
「ご……合法ロリ」
背後からボソッと聞こえた声に振り向くと、口ヒゲの端にチャーハンの米つぶをぶら下げたヒデさんがいた。
僕と視線があい、ヒデさんは聞かれたのをさとると赤面しつつ大きな背中を向けた。
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