第7話
爺さんの話を未来のところまで言って告げると、「お客さん、オーダー終わるまで待っててください」と未来が爺さんに向かって叫んだ。
お客に顔を向けているときは笑顔だが、手元のチャーシューを切るため視線を落とした瞬間、表情が呪詛を唱える魔女の顔に変化する。
『このクソ忙しい時にクソジジイが』
客に聞こえないようボソボソと、飲食店では言ってはいけない二文字を未来は二度繰り返した。
未来の作業スピードが上がり始める。
また怒ってるよと思いつつ、さげた食器をシンクにかたずけると手を洗った。
奥の休憩室を見ると、ユイちゃんが「いただきます」と可愛い声をあげてタンメンを食べ始めるところだった。
休憩室は細長い二畳ほどのスペースに経理用PCセット、麺箱、それに食材がおかれている半分物置と化した場所だ。
見るとお冷を持って行ってないようなので、コップに氷と水をそそいで持って行ってあげた。
「はい、お冷」
「あ、ありがとうございます」
コップを受け取るとユイちゃんは返事をして頭を軽くさげた。
淡い茶色に染めたショートボブの前髪がゆれる。
「飲み物は自分で持ってきてもいいし、お店のお冷でもいいなら勝手に用意して大丈夫だからね。時間になったら教えるからそれまでゆっくりしてて」
「はい!」
戻る前にタンメンをチェックする。
きれいに盛り付けられ、しっかりと人参やきくらげが外側に出ている。
未来の仕事だ。
これなら間違いないと思い安心する。
おっさんがやると、鍋から食材を流し入れるだけなのでこうはならない。
ユイちゃんは長続きしてくれると予感がした。
未来の作った料理に胃袋をつかまれると、抜け出すのは困難だ。
グゥ。
腹の虫がせつない音をたてる。
僕のまかないはあと数十分後だ。
「ジン、センターかわってくれ!」
未来が洗い場で手を洗って、ホールに向かいながら声をだした。
「はい」
返事をしつつ、未来の背中を見送る。
洗い物に区切りをつけると手を洗ってセンターへと向かう。
食券を確認し麺のタイマーを確かめると、意識の半分は未来と爺さんに集中する。
こちらからながめると、ボックス席に座る爺さんと未来の横顔が見えている。
狭い店内のボックス席から爺さんの声がした。
「孫にネギを食べさせてくれて、まずは礼を言っておく。」
「よかったです」
未来の表情に笑顔はなく、爺さんを真っ直ぐに見据えている。
「いや、こんな化学調味料漬けの大衆中華店で食事などしないのだが、孫がここだったらネギが食べれるといって押し切らてきてしまったんじゃ」
未来の顔が強張り、目尻がつり上がって見えた。
母親と孫娘はハラハラとした様子で二人のやりとりを見ている。
「お客さん、その呼称は今使われてないんです。旨み調味料ですよ」
「ほう、今は旨み調味料というのか。わしはどうもチャイニーズ・レストラン・シンドロームらしくてな。このての化学調味料まみれの料理を食べると舌がビリビリとしびれていかん」
「チャイニーズ・レストラン・シンドロームですか。アメリカにおける中華料理店の旨み調味料が原因で起こったとされる病気ですね。ですが、国連機関、米国食品薬品局(FDA)、ヨーロッパ食品情報会議等で大規模な調査が数回にわたって行われましたが、結局旨み調味料との因果関係は否定されてます」
「ふん、実際にわしの舌はしびれるんじゃぞ?一流日本料理店を経営している料理人であるわしの舌がだ!」
「昔ならいざ知らず、現代の旨み調味料は基本的に自然由来の原材料を使っています。ですから私は因果関係はないと思っています。どうしても因果関係を証明したいなら医者へ行ってください」
「わしを……病人扱いする気か?」
「論点をすり替えないでください。あなたが病気かどうかじゃなくて、旨み調味料がチャイニーズレストランシンドロームを引き起こしているかどうかという話です。舌が感じるしびれを調べるのに病院以外のどこへいくんですか?」
「大衆中華の料理人風情がわしにたてつくのか。日本人は砂糖・塩・味噌・醤油・酢を使い、旨みは昆布や鰹節の出汁でとるのが伝統だ。化学調味料なんぞこの世から無くしてしまえばいいんじゃ!」
「……あーまた論点がずれてるよ。礼をつくしたけど、アンタ礼を欠く人だからもう普通に言っちまうよ。あのね、醤油だろうが塩だろうが大量にとったら体おかしくなるどころか死んじまうだろうが。バランスが大事ってことだよ。旨み調味料は適度に使えば優れた調味料だよ。それに爺さん、旨み調味料を作った池田菊苗は日本人だよ。日本人が生み出したすごい発見だし素晴らしい発明じゃないか。さらに言ったら日本料理の源流の一つは大陸から坊さんが持ちこんだ精進料理だろ。その伝統を否定するのか?」
「ふん、知った風な口をきくな。明治ごろにできたもんを伝統とは言わん。大陸が源流の一つというのは確かだが日本はそれに手を加えてさらなる進化を遂げたのだ。だいたい日本でなぜ中華料理なぞ食わねばならん。日本人には日本料理があるではないか。知らないのか?日本料理は世界無形文化遺産になったほど偉大なものだ」
「知ってるよ。それじゃ爺さん、総務省統計局の飲食店における事業所数構成比を知ってるか?」
「知らん!」
「はいはい。それによると今日本の飲食店数の種別で日本料理店が全体の10%、中華料理店が14%なんだよ。ごりっぱな日本料理は中華料理に店舗数で負けてるんだよ」
「なんだと!?」
「こっからが、面白いんだけどね。収入額になると日本料理が全体の15%で、中華料理が14%なんだよ」
「ふん、それみたことか。日本人なら日本料理に金をかけて当たり前だ」
「わかっちゃいないね。数で少ない方の売上が勝ってるんだよ。つまりは金持ち相手の商売ってことさ。年収三百万以下が人口の約四割の国で金持ち相手してたらそりゃ店舗数で負けるだろうさ」
「小娘が日本料理のことを何も知らんくせに偉そうなことを言うな!」
「言ってやるよ、まだ手をつけていない目の前のスープを飲んでみな」
爺さんが目の前のスープに視線を落とす。
「どうせ化学調味料だらけの中華スープだろうが」
「飲んでみなよ。もう一つの理由がそのスープの中にある」
怪訝な顔をしつつも、爺さんはスープに手をのばした。
レンゲをとってスープに入れると口に運ぼうとした爺さんの動きが止まった。
白くなった眉の下にある目を見開き、スープの香りをかいでいる。
未来の口元に魔女の笑みが浮かんだ。
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