第6話
裏口のドアを開けると洗い場をやっている未来の後ろ姿が見えた。
すばやく的確で無駄のない動き。
未来の額から汗がつたい、きらめく水滴となって落ちていった。
告白しよう。
僕は汗が好きだ。
いや、正確に言おう。
可愛い女の子が流す汗が大好きだ。
奇妙な言いまわしになってしまうのだが、ほのかなノスタルジアを含んだセクシュアリティを感じる。
高温多湿の厨房で流れている汗が好きだ。
学校の体育の時間、激しく流れている汗が好きだ。
夏の昼下がり、木陰で涼んでいる少女の頬を伝う汗が好きだ。
ラーメンを食べる女の子が髪をかきあげた時にのぞく、額に浮き上がる汗が好きだ。
満員電車へ走りこんできた女の子の激しい息づかいを聞きながら、汗で肌にはりつくブラウスを間近に見るのは最高だ。
夏祭りの熱帯夜、浴衣を来て歩く女の子のうなじを伝う汗はたまらない。
プールサイド、サンオイルを塗って寝転がっている女神たちの肌に浮かぶ珠のような汗などは芸術の域に達している。
温泉の……。
「何見てんだ?さっさとホールにでて新人バイトと交代しろ。まかない休憩だ」
未来の言葉に妄想を中断され、慌てて返事すると僕は手を洗ってホールに向かった。
時間はちょうど午後三時になるところで、客足がにぶる時間帯だ。
入口の自動ドアがあき、バイトの子が「列の最後のお客さんです」と言って最後のお客と一緒に入ってきた。
女の子の名前を思い出そうとネームプレートを見ると、丸みをおびた文字でユイと書かれている。
「ユイちゃん、まかないの時間だからホールかわるよ」
僕の言葉にユイちゃんはきょとんとした表情をみせた。
「マカナイって何ですか?」
「あぁ、えっとね、飲食店従業員の食事だよ。バイトの募集に書いてあった食事つきのこと。何食べたいか店長に言ったら作ってくれるから」
ユイちゃんの顔がゆるみ、しまりのないにへら顔になる。
あぁ、未来の笑顔で妄想トリップしている僕もこんな感じなのかと思い、気をつけねばと自戒する。
「店長ぉォー!」
ネコがご飯をねだるような甘い声を出しつつ、ユイちゃんが未来のもとへとかけよる。
「ユイちゃん、何食べたい?最初だからメニューを覚えてもらうために、しばらくはお店のメニューを食べてもらうけど」
未来の言葉にユイちゃんが考えこむ。
「このお店で一番人気のメニューをお願いします!」
ユイちゃんが期待にふくらんだ表情で声高らかに未来へと告げる。
「それじゃ、タンメンになるけど大丈夫?好き嫌いある?」
「大丈夫です!」
「よし、それじゃ端っこの休憩室で休んでて。激うまのタンメン作ってあげる」
「はい!」
元気よく返事すると、ユイちゃんは未来の指差した休憩室とは名ばかりの物置へと歩いて行った。
聞きながら、やっぱり最初はタンメンだよなと思う。
タンメンはこの店で一番の看板メニューだ。
僕の配属先がこの店に決まり、やはり最初にまかないで食べたのもタンメンだった。
作り方はこうだ。
熱した北京鍋に油をひいたら豚ばら肉を油通しする。
そこへ、キャベツ・人参・玉ねぎ・長ネギ・もやし・きくらげ・ニラ、直前に油通しした豚バラ肉といった具材をいれて炒める。
さらに中華スープを加えて野菜を煮つつ、調味料をいれて味を整える。
味が決まったら、茹で上がった麺を丼に落とし、上からスープのみをかける。
最後に野菜を入れるのだが、この時、色味のある食材(この場合は人参・きくらげ・ニラ等)を上にだすよう心がけながら山のような形に盛るのがポイントだ。
もちろん、店や料理人によって具材や作り方は様々だ。
さっきいった手順に加えて上から炒めた野菜をのせて食感を出す店もあれば、多国籍風にトマトなど変わった食材をのせるところもある。
また、タンメンは非常にシンプルな料理なので応用も幅広い。
海鮮を入れて海鮮タンメン、辛味を足して旨辛タンメン、塩だけでなく味噌や醤油を使ったタンメンもあるし、基本的にスープはチンタン(透明なスープ)のところをパイタン(白濁したスープ)にしているところもある。
ふと、研究中のタンメンを思いだし、胃袋がグゥと鳴いた。
今度の新作メニュー検討会に出そうと考えているタンメンだ。
ちなみにそれは熊本の春雨を使ったタイピーエンをヒントにして……。
「おい、そこの」
背後から声をかけられ、ビクッとする。
悪癖である妄想癖が止まらなくなっているようだ。
できるだけ自然なポーズを装いながら振り向くと、ネギ嫌い女子の爺さんだった。
視線の端に女の子がいた。
大事に育てられたのだろう、女の子は料理が出されてから三十分も経つというのにいまだに食べ終わっていない。
一口入れてからの咀嚼時間が長いのだ。
泣き顔はキュートな天使の笑顔に変わり、女の子はもぎゅもぎゅとあんかけチャーハンを食べている。
その正面、爺さんのとなりにいる母親はなぜか爺さんの顔色をうかがいながら黙っている。
「ネギ嫌いの孫娘が食べれるようになったんじゃ。作ってもらった料理人に礼がしたい」
赤く染まった顔を震わせ、どうみても激怒しているとしか見えない爺さんがしわがれ声を出した。
嵐を予感させる不吉な声だ。
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