第5話


「お待たせしました、あんかけチャーハンです。それとこれはサービスのスープになります」

 そう言ってあんかけチャーハンと三人分のスープを置く。

 三人とも押し黙ったままだ。

 女の子は若干赤くなった目をぬぐいつつレンゲを手に持った。

 レンゲを湯気の立つあんの中へ入れると、女の子は香りを味わいながら、まずはあんののっていないチャーハンをすくいあげた。

 卵でコーティングされた黄金チャーハンの粒たちが、レンゲの端からほろほろとこぼれ落ちる。

 一口めを女の子が口に含んだ。

 その目に生気がよみがえり、頬に桜色の赤みがさす。

 続いて、チャーハンにあんをからませつつ、白髪ネギも一緒にレンゲですくいあげた。

 祈るような気持ちで女の子を見つめる。

 目の前で香りを楽しむと、女の子はゆっくりとかみしめた。

 安心したのだろうか、表情がやわらぎ、リラックスした雰囲気だ。

 女の子が再びレンゲをチャーハンにのばしたのを見届け、僕は背中を向けるとキッチンへ向かった。

「どうだ、普通に白髪ネギ食ってるか?」

 センターで動いている未来が、こちらには顔を向けず小声でに聞いてきた。

「問題なさそうです」

 僕の返事に「よし」と言って、少し笑った。

 僕はいつものように手を洗い、シンクに入った皿を洗い始める。

 手洗いは無意識の行動として仕込まれているので、必要がなくても条件反射で行ってしまう。

 シンクの中、大量の皿が洗剤を含んだ温水の中に沈んでいる。

 おっさんがしばらく洗い物をしていたので、ためられた温水は汚れを含んで濁っているし、残り物を残飯入れに入れてないので浮遊物が水面に浮いている。

 さらに言うなら、皿、コップ、丼、すべてが適当に投げこまれた状態で沈んでいるので洗いにくいことこの上ない。

 それにしてもこの状態はいやがらせか?

 おっさん、しばらくしたら鍋にもどるとふんで適当に仕事しやがったな。

 いつもの事ながら、人としての器がちっちぇなぁと思いつつ洗い物をはじめる。

 シンクの中から一つ丼をとりだして、水面に浮かんでいる油や残版をすくい取ってシンクの端にある生ゴミ用のあみに入れる。

 そして洗剤をいれて水を泡立てると、温水を使って、コップ、平皿、丼の順番で洗っていく。

 ザクッ!

 鋭い痛みに急いでシンクから右手を引き出す。

 深く切ったせいか、けっこうな勢いで右手の親指の腹から流血している。

 血がとまらずに右往左往してると、未来がやってきた。

「トロッ!ちょっと一人でがんばってろ、すぐ行く!」

 すぐに状況を理解した未来がおっさんに声をかける。

「親指を動かしてみろ」

 親指を動かすと痛みがはしったが、意思通りに動いてくれた。

 僕が普通に指を動かすことが出来るとわかり、傷口を観察した上で未来は救急箱と謎の白い粉を持ってきた。

 傷から流れる血を流水で洗ったあと、ちょっとがまんしてろと未来が言った。

 未来は謎の白い粉を傷口にすりこんだ。

 あまりの痛みに悲鳴が出そうになるのを押し殺す。

 僕は腹に力をいれながら、これなんの薬ですかと聞いてみた。

「塩だ」と答えつつ未来が再び塩をすりこむ。

 そうそう、やっぱり傷口には塩を……ぎゃああぁ、と脳内で声にならない絶叫をあげる。

 純粋で結晶化した痛みが正常な思考を邪魔する。

 あー!傷口に塩ってこのことか!と、苦痛に耐えかねた頭が暴走しておかしなことを考えはじめる。

 未来は手洗いをして血を流すと、今度は棚にあった瓶をもってきて傷口に液体をかけ始めた。

 今度は未来に何をかけたのかは聞かなかった。

 鼻にツンと抜ける匂い。

 まぎれもなくお酢だ。

 塩よりは痛みもなくホッとしていると、驚いたことに出血が止まった。

「よし血ィ止まったな。あとは……」

 そういって、未来が小皿に持った白い粉を持ってきた。

「また、塩ですか?」

 恐る恐る聞くと、「いや、砂糖だ」と未来が答えた。

 さ、砂糖!?

 塩、酢、砂糖……大根の漬物かよ!とつっこみたかったが、未来は真剣な顔つきで傷口に砂糖をふりかけている。

「あとはこの水絆創膏塗って……と。よし、あと乾いたらこの指サックはめとけ。それと、このやり方は民間療法だからな。家に帰ってからもしも指に異常を感じたら、迷わずすぐに病院へ行け」

 傷口に接着剤のようなものを塗ると、指にはめるゴム状の物を渡して未来はセンターに戻っていった。

 見ていると、未来はおっさんに近づき「てめェは洗い物もまともにできねェのか!」と怒鳴りつつ、おっさんの尻を足で蹴り飛ばした。

 目を下に向け傷口を観察する。

 ゆっくりと傷口を触ってみると、未来が水絆創膏とよんだジェルっぽいものは固まってくれているようだった。

 鈍い痛みはあるが、血は止まっているし仕事に支障はなさそうだ。

 僕は指サックをはめると念のため根元を輪ゴムでとめ、右手を握ったり広げたりしてみた。

 見事に復活してる。

 そうか、こういうことも知っとかなきゃいけないな。

 頭にメモをとると、僕はシンクの片付けを始めた。

「少し時間もらいます」

 僕の声に、「ゆっくりでいいから確実にかたずけてくれ」と未来が返事する。

 近くに積んである古新聞を持ってきて床下にひろげると、僕はその上に丹念に拾ったガラス片を置いていった。

 シンク中の食器類を空にすると、排水口のゴミ受けにひっかかったガラスの小片もかたずける。

 手早く新聞紙を丸めてガムテープでとめ、「捨ててきます」と未来に声をかけて裏のゴミ置き場へと歩き出す。

 裏口のドアを開けると、まだ肌寒さを残す四月の空気が体をつつみこむ。

 店舗と隣のビルの隙間にある狭くて薄暗い場所だ。

 ガラス・ビン割れ物とマジックで書かれた箱に丸めた新聞紙を入れる。

 僕はのびをしつつ、ゆっくりと深呼吸をした。

 上を向いた拍子に目を開けると、ビルに切り取られた細長い青空が見えた。

 遠く、踏切の音が聞こえてくる。

 僕の真上では、おぼろ月が光を取り戻す夜を待っていた。



 

 



 



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