第4話

 未来がコンロに火をいれた。

 バーナー全開の炎が北京鍋の底をあぶる。

 ラーメン屋は基本的に中華料理の技法を使う。

 その大きな特徴の一つは火力だ。

 鉄製の北京鍋はすぐに高熱の状態にはいる。

 高火力により料理にすばやく火を通すことができるのだ。

 未来が油を中華用のおたまですくい、鍋をまわしながら油をなじませる。

 この時、いつもと違う場所から油をとっていたので気になったのだが、この理由はすぐに理解した。

 うちの店では、ネギの香味油を使っているのでそれを避けたのだ。

 未来が鍋から軽く煙が出かけるタイミングでとき卵とご飯を鍋にいれた。

 すかさず鍋を前後にふりながら、おたまでご飯のかたまりをほぐしていく。

 中華の特徴そのニ。

 鍋ふりだ。

 食材が移動して鍋肌と接触することにより、熱をまんべんなく吸収するのだ。

 未来が手を動かすたびに米のひと粒ひと粒がパラパラになり、鍋にあわせて踊り始める。

 完成された職人の動きだ。

 未来はさらに数回動かしたところで手を止め、調味料とネギをぬいた具材を入れて仕上げにかかる。

「ジン、あんかけチャーハンこの前教えたよな?」

 手を動かしつつ未来が魔女の声で不意打ちの質問を放った。

 ホールから戻ってきたおっさんが、ちょうどバインダーにはさんだ食券を僕に渡しているタイミングだった。

 悪意に満ちた笑みがおっさんの口元に浮かぶ。

 一瞬、おっさんから受け取った食券の手が止まりかけたが、落ち着けと自分に言い聞かせつつ「はいッ!」と返事をした。

 おっさんみたいに声が震えていなかったか心配だ。

「この時、チャーハンの味付けはどうする?」

 完成したチャーハンを皿に盛り付けながら未来が質問する。

 思い出せ、思い出せ、思い出せええェ!

 三日前のまかないを作った時だ。

 あの時未来は……。

「後であんが乗っかるので基本的に味付けは薄め。大事なのは味見であんがのって完成した時の味をイメージすること」

 冷や汗をかきつつ返答すると、未来が「満点!」と答えた。

 おっさんが「チッ!」と耳障りな舌打ちをたてて洗い場へと向かう。

 胸の鼓動を感じながらも再び未来に意識を向ける。

 未来はチャーハンにのせるあんの調理に入っていた。

 そして出てくるのが中華の特徴その三。

 油通しだ。

 調理に使う食材を一度油の中で熱を加える作業だ。

 習った当初は、こんなに油まみれとか信じらんねー、とか思っていた。

 そんな顔つきを見て察したのか、未来はまかないの時に自分で両方作って試してみろと教えてくれた。

 実際やってみるとその違いに衝撃を受けた。

 油通しした食材は、色・味・食感において油通ししなかった食材より優れていた。

 何より驚いたのは油っぽくないことだ。

 勘違いして逆に食べたのかと思い始めた僕に未来が説明してくれた。

「油通しすることによって、熱と油が食材の外面を固くするのと同時に油のしみた層をつくるんだよ。それによって必要以上に油をすいこまない。結果、油っぽくならねーんだ」

「スゲェ……」

 単純に感動していると、さっさと食っちまえと未来が笑いながら言った。

 未来の微笑みを思いだし、再び頭の中が幸福感に満たされ始める。

「……オイッ、聞いてんのか!?」

 魔女化した未来の声に現実へと引き戻される。

「なに、ボケっとしてんだ!ボウルの中にキッチンペーパーいれとけッ!」

 今度は本気で慌てながらボウルの上にキッチンペーパー置いて用意した。

 用意し終えて、未来が何をしようとしているかに気づいた。

 いや……だけど聞いたことがない。

 できるのか!?

 未来は油通しを白髪ネギでやるつもりだ。

 通常、油通しにおいて野菜の葉の部分は入れない。

 そう教えてくれたのは未来だった。

 なぜなら、急速に熱が伝わり素材を揚げてしまうからだ。

 しかも相手は白髪ネギ。

 極細状のネギが真っ黒に揚がってしまう姿が容易に想像できた。

 戸惑っている僕をよそに、未来は準備してた白髪ネギを掴み取ると、油の中に均等に投げ入れた。

 白髪ネギが油の中で泡につつまれる。

 中にある水分が出ているのだ。

 案の定、すぐに熱が伝わり白髪ネギがきつね色になり始めた。

 その瞬間、未来は鍋をジャーレン(穴杓子、油をこしたり食材をひろいあげたりする)にあげて油をきった。

 だが、まだ白い部分が残ってる。

 ジャーレンをかるく油受けにたたきつけて油をきると、未来が僕の目の前にあるボウルに白髪ネギを入れていった。

 未来は一口つまむと「よし」と小さくつぶやいた。

 魔女の魔法にかけられたのか、僕の前で白髪ネギがきれいなきつね色に変化していく。

 余熱だ。

 未来は素材自体が蓄えた熱で仕上げたのだ。

 絶妙のタイミングでやってのけた未来は、ボウルの白髪ネギをトッピング用の菜箸を使ってチャーハンの周囲に盛り付けた。

 そこへ作っておいた塩味のあんをかけていく。

 透明なあんの中では野菜の他にカニ身と溶かしいれた卵白が絡み合い、美しい紅白のパターン構造をみせている。

 仕上げを確認し、「トロッ!交代だ、鍋やれ!」とおっさんに向かって叫んだ。

 おっさんがドタドタとやってきて、鍋の持ち場を未来と交換する。

 このあとのオーダーを数秒確認すると「鍋かわります!」とおっさんが未来に声をかける。

「ちゃんと確認したね、エライよ」

 冗談めかしつつも、しっかりおっさんを褒める未来。

「ジン、口をあけろ。こいつを覚えておけ」

 は?と半開きになった僕の口へ、未来ができあがった白髪ネギの残りをいれる。

 一瞬、舌先に未来のやわらかな指の感触が伝わる。

 このまま吸いつきたい欲望にかられたが、おとなしく白髪ネギを試食する。

 油通しされた白髪ネギは初めての経験だ。

 香ばしい上品な香りがミックスされ、ネギ独特の香りはかなり減少している。

 これならいろんな料理の添え物としてもいけそうだ。

 ふと、未来の背後で鍋をササラ(鍋等を掃除する竹製の用具)で洗いながらスゴイ形相でこちらを睨んでいるおっさんに気づいた。

 しばらくおっさんに近づくのはやめておこうと頭にメモする。

「ちょっと待っててくれ」

 そう未来は言うと、チャーハン物につけるスープをおっさんの隣で温め始めた。

 いつものスープではなかった。

 試作のスープだといっていた寸胴から入れたものだ。

 つづいてスープ椀の中へと暗緑色の物体をひとつまみふりかけた。

「ニシシシシ!このスープを他の二人にもサービスだと言ってだしとけ」

 魔女の笑みを浮かべて未来が言う。

 いつもの笑い声に安心した。

 機嫌がなおったサインだ。

 僕はあんかけチャーハンとスープを三つトレイにのせると、ネギ嫌いの少女のもとへと向かった。


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