第3話
未来の言葉で急速に高揚感は失われ、冷静な思考がもどってくる。
家族と思われる三人にお冷を用意しつつ観察する。
和装の老人はボックス席の片側に腰掛け、娘と孫と思われる二人の前で腕をくみ、背筋をのばして座っている。
真っ白な髪と白ひげの下、口元は不機嫌そうなへの字に結ばれていた。
ボックスそばの客がしきりにちらちらと母親と子供へ視線を向けている。
どうやら女の子が泣いているようだ。
小学校高学年ぐらいだろうか。
肩まであるつややかなロングストレートの黒髪が嗚咽にあわせて震えている。
母親が声高に子供を叱っている声が聞こえる。
カウンター十席にボックス席二つの小さな店だ。
客の話す内容までつつぬけになる。
「大きくなったっていうのに、どうしてネギが食べれないのッ!?」
ヒステリックな母親の罵声にカウンターの客がビクッと背筋を震わせた。
さっきネギ抜きのラーメンを頼んでいた常連のヒデさんだ。
「家族でネギを食べれない人なんて誰もいないわよ!?」
母親に怒られた昔を思い出したのだろうか、土建業で培った大きな体を小さくして、ヒデさんがしょんぼりと丼に視線を落とす。
「だいたいあなた、お爺さんみたいにりっぱな高級和食の料理人になりたいんでしょ?そんなんじゃこんなラーメン屋の料理人にしかなれないわよ!」
キンキンとした大声で叫ぶ母親。
この言葉に、客を含めた全員が凍りついた。
いやいや、えーっと……ちょっと待て。
ツッコミどころが多すぎて頭がまわらない。
まず、第一にこんなラーメン屋とこの店をけなした。
次にラーメン屋は日本料理より劣っていると見下す。
さらには、そんなラーメン屋に来ているお客さんと働いている俺らの気分を害した。
しつけかもしれないけど、だいたい飲食店に入って子供を怒鳴り始めるってどうなんだよ?
結論。
だったらこんなラーメン屋にくんじゃねーよ、このクソババアァ!!
と、胸の内で叫びながら、少々ひきつった営業スマイルでお冷を置いていく。
「でもお父さんと来た時は食べれたの……」
子供が半べそをかきながら小声で言った。
「あ、あんな、慰謝料も満足に払えない他人の話はしないでェッ!」
地雷を踏んでしまったのか、さらにヒステリックになった母親のキーが1オクターブ上がる。
「おい」
初めて老人が口を開いた。
老人がやっと母親を止めてくれるのかと思い僕はほっとした。
そうそう、こういうタイミングで止めてくれるのが爺さんの役目だよな。
だが次の瞬間、耳を疑った。
「わしのネギ料理が食えなくて、ここのなら食えると言うんだな!?よし、だったらネギ増しにしてやる。食ってみろ!」
爺さんにも怒鳴られ、女の子の目からボトボトと涙が落ちる。
だ、だめだ。
このジジイとババア……だめな人だ……。
ネギ増し用の百円を爺さんからもらい、オーダーを『通す』。
「ボックス二番のお客さん、ネギ増しでお願いします!」
ホールから戻った僕はすばやく手を洗いつつ、そっと未来をのぞき見た。
未来が神速の動きでオーダーをこなし始めた。
激怒モード突入時の未来の癖だ。
おっさんの背後でガンガンとセッティング済みの丼が並んでいく。
慌てふためいたおっさんの動きがギクシャクし始める。
限界まで並べると、間をおかずに下の冷蔵庫から長ネギを取り出す。
未来は長ネギを5センチ幅に切ると、それぞれに切りこみを入れ、中の芯を取り出しつつ層になったネギをまな板に並べ始めた。
白髪ネギ!
今度は僕が慌てる番だ。
急いでステンレスの中ボウルを棚から取り出し、水洗いしたら氷と水を入れて未来のまな板の横に置く。
ほぼ同時に切り終えた白髪ネギを未来が中華包丁で持ち上げてボウルに落とす。
セ、セーフ。
「五分後、キッチンペーパーで水気をきれ」
未来の言葉に、冷や汗をかきながら「ハイ!」と答える。
未来は余ったネギ頭と芯を集めスープ用の寸胴に入れると、おっさんのすぐ後ろに張り付いた。
ガタガタと震えだすおっさん。
タオルを巻いているはずのおっさんの頭から大量の汗が流れている。
期待に胸おどらせて、目をキラキラさせはじめるカウンターの客たち。
「さっきオメーに通したオーダー……次のやつから最低三つ言ってみろ……」
サバトの開宴を告げる魔女のささやき声。
「エェっとぉおォ!?」
緊張で語尾が裏声になったおっさんは、必死に後ろを見ようとする。
なぜか?
後ろに並んでいる丼を見ればオーダーのヒントになるし、なにより一列に並んだ食券が答えを教えてくれるからだ。
必死に横目でカンニングしようとするおっさんが哀れだった。
「こっちを向け」
震えながら鍋をおき、火を止めたおっさんが未来に向き合う。
「たっ、タンメン!中華丼!チャーハンセットです!」
パニック起こしたおっさんは、あろうことかオーダーのバインダーにはさまった食券をガン見しながら答えた。
未来が背後にまわした手に持っていたバインダーをおっさんの眼前にかざした。
おっさんの背後につく直前にとりあげた次の料理のバインダーだ。
おっさんが「うへぇ」と奇妙な声を出す。
「タンメン、タンメン、タンメンだ」
言い終えるやいなや、未来のつま先を上にむけた前蹴りがおっさんの股間にすいこまれた。
カウンターの男性客たちと僕はタマヒュンを覚え、股間を抑える。
「倒れるな、そのまま洗い場へいけ」
股間を抑えつつ、おっさんは内股になったゾンビのような動きで僕の方に向かってきた。
ゾンビをかわしつつセンターへ向かう。
「ジン、センターへ入れ」
未来の声に「ハイ!」と答えつつ、既にセンターに入った僕はオーダー順を脳細胞に叩きこみ始めている。
最初の方を覚えると、茹で麺機に向き直り茹で上がりまでの秒数を確認する。
あと30秒ある。
再び向き直り白髪ネギ用のキッチンペーパーをまな板の端にセットした。
逆算して、このタンメン三つが終わり次第白髪ネギをしぼって水分をとることを頭にメモする。
向き直り、茹で麺機横のタイマーを止める。
体感で数秒待った上で湯切りする。
トライアングルにならべた丼に麺をおとしていく。
ちょうど三人前のタンメンを作り終え、味見をした未来が丼に具材とスープを均等にいれていく。
そのまま振り向きテポを移動させ、新しい麺を入れつつタイマーを押す。
そしてお待ちかねの白髪ネギだ。
手を洗った上で、白髪ネギを両手でしぼる。
水滴がきれたら、キッチンペーパーの上にひろげて丹念に水分をとる。
次にステンレスの小ボウルに白髪ネギを盛り、最後尾の丼の後ろにおく。
つづけざま三つのタンメンをデシャップに出して、僕が運ぼうと動きだした瞬間、未来が叫んだ。
「トロオオォッ!!」
へたりこんでいたおっさんが、声にならない叫びをあげながら立ち上がる。
痛みを精神力で抑えこめるものなのか、おっさんの紅潮した顔には青筋が何本も浮き上がっている。
血走った目を極限まで見開き、「ホールはまかせろ」とおっさんがドスの効いた声で僕に言った。
よくやるよと半分あきれながらおっさんの背中を見送る。
その後、順調にオーダーは進み、いよいよ女の子のオーダーにさしかかった。
難問だ。
ネギ嫌いの女の子にネギ増しの料理を出さなくてなならない。
僕自身はネギ好きなので知らなかったのだが、ネギ嫌いのネギを探知するセンサーはすごい。
以前、おっさんが間違えてネギを入れてしまった時など、ほんのひとかけらのネギまできれいによりわけて食後の小皿に残されていたことがある。
重度のネギ嫌いになると香りがしただけでも不快らしく、作り直せと激怒される。
だが、女の子の話によると、この難問を未来はクリアしてるらしいのだ。
僕は手を動かしながらも未来の動作を見守った。
まさに、興味津々。
オーダーは、あんかけチャーハンだ。
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