消えた翼
当然といえば当然だが、どうやらフレースヴェルグにおいて保安部というのはかなり大きなウェイトを占めているようで、受付を過ぎた後もレナードはしばらく歩かされることになった。
「……結構広いんですね」
しかも、一つの支社でこれなのだ。オーレリア海全体でフレースヴェルグの拠点はいくつあっただろうか――――記憶を掘り返していると、先を行くハーマンがちらりと振り返り、
「業務範囲が広いからな。住民同士の諍いの仲裁から殺人事件の調査、国境の警戒活動まで全てウチで引き受けてる。もっとも、ここブリアスの支社はかなり大きいほうだが」
「そう…………なんですか」
先ほどまでに比べて微妙に雰囲気が砕けているのは、一応こちらを身内と認めてくれたからだろうか。
隣を歩くウェインの様子を伺うと、視線に気づいた彼女は律儀に頷き返してくれる。
「……この後は具体的にはなにを?」
「まずは事件の概要を知ってもらう。容疑者の尋問に立ち会うのはその後だ。
――ここだ」
ハーマンの案内で到着したのは、小さな酒場が開けるぐらいの広さの部屋だった。
中央に置かれた木製のテーブルにはオーレリア海の地図が広げられていて、腕組みしながら地図を睨んでいた若い男がこちらの気配に顔を上げる。
「ダメだ班長、まるで手がかりがない。こいつはいよいよ……って、どちら様?」
「容疑者の弟だ。協力してもらうことになった」
「弟? ああ、そういえば昨日の……」
昨晩の面々に混じっていたのか、男の顔に興味の色が現れる。
年の頃は二十歳半ばぐらいか。浅黒く日焼けした肌に伸ばしっぱなしの髪を背中で束ね、すっきりと整った顔立ちに無精ひげを生やした、どことなく海の男といった雰囲気がある人物だ。
「レナード・シュナイダーです。お世話になります」
お辞儀すると、感じのいい笑みが返ってくる。
「ジョセフ・デ・ロス・サントスだ。よろしく」
「デ・ロス……? 珍しいお名前ですね?」
「この辺りの生まれなんだ。ジョセフでいいよ、みんなそう呼んでる」
「よろしくお願いします、ジョセフさん。ええっと……、他の方は?」
昨晩見かけた人数に反して、室内には他に誰もいない。出払っているのだろうか。
「我々の班はここにいる三人とあと一人、それに事務方のメンバーで構成されている」
ハーマンの説明にレナードは首をかしげる。
すると、こちらの疑問を理解したのかジョセフが朗らかに笑い、
「昨日のアレは他の課に応援を要請しただけさ。いつもあんなに大勢で動いてるわけじゃない。なにしろオーレリアは広いし、うちの課は忙しいからね」
「課、ですか?」
「保安部特別対策課……表には出しにくい特別な事件を担当するための課です」
隣に立つウェインの説明に、かえってレナードの中で疑問符が膨らんでいく。
特別な事件だって? いや、帝国のスパイなんて言葉が出てくるぐらいだ。ただごととは思ってないけど。
「……そうだな、ちょうどいい。ジョセフ。我々が追っている事件の経緯を彼に説明してやってくれ」
「いいんですか?」
「構わない。今は少しでも多くの手がかりが必要だ」
「了解。それじゃレナードくん、こっちに来てくれるか?」
招かれるままにテーブルのそばへ移動すると、ジョセフはどこから説明したものか、としばらく天井を仰いでからレナードを見つめてくる。
「一言で言うと、うちで開発中だった機体が盗難にあったんだ。きみはトレシアは知ってるか?」
――いや、知ってるもなにも。
「ぼくが使っている水上機はトレシアⅠを改装したものです」
「へぇ? だったら話が早い。盗まれたのはトレシアⅢの試作機。現在軍で採用されているトレシアⅡの後継機だ」
トレシア……Ⅲ!? そんな計画が進んでたのか!
よほど興味ありそうな顔をしていたのだろう。ジョセフがにやりと笑う。
「まぁ、トレシアⅢについては後で詳しい人間に説明してもらおう。――事件が起きたのは昨日の午前、大陸沿岸の都市ヴェスベルでのことだ」
ジョセフの指先が、地図上、大陸側の一点を示す。
昨日、大会の参加登録を済ませてきたクローデンベルグから、そう離れていない場所だ。
「当時、試作機はここブリアスからの試験飛行を終えたところで、ヴェスベルの港に停泊していた。現場にはデータの収集のために開発部のスタッフが残っていたんだが、そこで爆発事件が起きた」
そこまで聞いたところで、ふと思い当たった。
「……あれ? ヴェスベルって、昨日大陸鉄道の事故があった……?」
するとジョセフはその通りと頷く。
「実際には、爆弾を使ったテロだったんだ。爆発は駅と港湾部を中心に複数の地区で発生し、スタッフは一時的に現場から避難していた。幸い、けが人はそれほど出なかったそうだが、騒ぎが収まってスタッフが現場に戻ってきたら、港に停泊していたはずの試作機が消えていたというわけさ」
「消えていた……、目撃者はいなかったんですか?」
「何しろ騒ぎの最中のことだったからな。大陸側の警察とも連携して聞き込みをしたが、今のところは全部空振りだよ」
「爆発に巻き込まれて破壊された可能性は?」
「機体を停泊していた場所に破壊の痕跡はなかった。周囲に停泊していた他の機体が無事だったことからも、盗難にあった恐れが強い。加えて、爆発事件の現場に残っていた幾つかの証拠から、帝国が関与している疑いが浮上してきた」
……なるほど。それで帝国のスパイなんて冗談みたいな話が出てきたのか。
もしも今回の事件の首謀者が帝国で、狙いが試作機にあったとすれば、盗まれたと考えるのが妥当だろう。
そこで、一つの疑問が浮上する。
「……事件の経緯はわかりましたけど、それでなんでぼくの兄が容疑者に?」
「試験飛行を担当したのが、きみのお兄さんだったんだよ」
うわ。そういう事情か。
「……だけど、いくらタイミングよく事故が起きたからって、それだけで兄を疑うのは……」
「ああ、その通り。それだけならただの偶然だろう。だがな――、」
そこでジョセフは一度言葉を切る。そして、落ち着いて聞いてくれよ、と断った上で、
「試験飛行が不自然に長引いた。当初予定していた時刻に比べ、半刻以上到着が遅れたんだ」
「……………………それは、」
半刻。
試験飛行ということは事前に飛行計画だって組んだはずだ。
それに、レナード自身クローデンベルグからここまで飛んできたから断言できる。
天候や気流を考慮に入れた上でも、そこまでの遅れは出るものではない。
……途中で何かあったのでもない限りは。
「兄は、なんと?」
「全速力でぶっ飛ばした。その一点張りさ。付け加えると試験飛行の随伴も断られてる。これはまぁ、今までもずっとそうだったから判断を左右するほどではないんだが、今回に限ってはマイナスの材料だ」
「そうですか…………」
ここまで聞いた話を整理すると、こういうことになる。
昨日午前、ブリアスを出発した試験機はなぜか予定よりも半刻以上遅れて目的地であるヴェスベルに到着。スタッフがデータを収集しようとしていたところ、たまたま爆発事件が発生する。事件が収まり避難していたスタッフが戻ってきたら、ピンポイントで試作機が無くなっていた。
当時のテストパイロットは、飛行中おかしなことはなかったと断言しているが、随伴機がいなかった関係上、彼の主張を証言できる者は誰もいない。
付け加えれば、随伴機がつけられなかったのはテストパイロットの要求によるものである。
……まいった。話を聞くまではただの誤解に違いないと信じてたけど、これは確かに状況が悪い。一つ一つの要素を取り出せば偶然で片付けられるけど、それらが組み合わさって描かれた今の絵には素人の自分でさえ明らかな意図を感じる。
……あの兄貴が帝国に加担した? ありえるのか、そんなことが?
「でも、」
たかが試作機が一機盗まれたぐらいで大げさじゃないのか。
そう口走ろうとしたところで、気づいた。
トレシアはただの水上機じゃない。軍用機なのだ。
帝国空軍を追い払った実績を持つ機体の流れを受け継ぐ、開発中の最新機。
それが帝国に奪われた可能性があるという、その意味。
「……また、戦争になるかもしれない……?」
そう呟くと、テーブルの横についていたウェインがわずかに頬を硬くする。
「すぐに彼らが侵攻してくるようなことはないにせよ、その引き金となる恐れは充分にある。我々はそう考えている」
ジョセフに代わって低い声を発したのは、ハーマンだ。
それを聞いたとき、レナードの身体に理由のわからない震えが走った。
それまでどこか遠い出来事のように捉えていた戦争という言葉が、急に現実味を帯びた瞬間だった。
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続きは少し、お待ちください。
巡る光のエアロギア ねめしす @nemesis
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