意志の在り処

 フレースヴェルグの支社へ戻ったレナードたちは、ウェインの先導で清潔な廊下を進んでいく。しばらく歩いていくと、やがてそれまでとは少し雰囲気の異なる、ピリッとした緊張感が漂う一角に出た。

 レナードは周りを見回し、すぐにその理由に気づく。行きかう社員の全員が銃を携帯しているのだ。受付のカウンターに置かれた札にはこう書かれていた。

『保安部』


「……ここで少し待っていてください」


 カウンターの前に並べられた椅子を示したウェインはレナードを励ますように眉を浅く立て、そのままフロアの奥へと姿を消す。彼女のまっすぐに伸びた背中を黙って見送ったレナードは、沈みこみそうな気持ちを抱えたまま椅子に座り込む。


 ――けれど、詳しい事情を聞いたところでいったい自分に何ができるだろう。

 なにしろ相手は国家権力。こっちはただの飛行家だ。

 抗議するだけ無駄――とは思わないが、どんな話をすれば兄を解放してもらえるのか皆目見当がつかない。


 深々と息を吐いていると、同じく隣に座っていたラインハルトがちらりとこちらを見やり、


「心配するなって。取ったりしねえからよ」

「……は? いきなりなんの話!?」


 すると友人はなぜだか応援するような笑みで、


「いい娘じゃねえか、って話だよ。お前のために親身になってくれてさ。惚れてんだろ?」

「あー、それは、うん」


 あんな風に口止めしておいて今さら否定するのもおかしな話だ。


「だったら、あんまりひどいことは言ってやんなって」

「うん。わかってはいるんだけど……いや、まさか自分でもこんなに怒るとは思わなくてさ」


 レナードはとまどいを覚えながら、開いた両手をじっと見下ろす。

 たとえ自分がレースに出場できなくなったとしても、ここまで心を揺らしはしなかったかもしれない。

 なんというか、生きる目標を突然横から奪われたような気分だった。


「まぁ前からブラコンの気があったもんな、レナードは」


 聞き捨てならない一言に、軽く友人を睨む。さすがに心外だ。


「……使う言葉は選んだらどうだい、心の友よ?」

「おお、こいつは失礼。レナードくんにおかれましては大変お兄さん思いでよろしいんじゃねえかなと」そこでラインハルトは口角を上げ、「そんなに皮肉で言ってるつもりでもないんだぜ? 前も話したけど、うちって兄弟喧嘩が絶えねえからさぁ」

「ああ……」


 ファーヴニル航空開発は一族経営の会社で、ラインハルトの二人の兄は次の社長の座を巡って熾烈な争いを繰り広げているらしい。争いを外から見る分には会社の急成長と受け取ることができるが、内幕を知っているラインハルトからすれば素直に喜べる話ではないのだろう。

 今年入社したラインハルトも、いずれはそうした争いに巻き込まれることになるのかもしれない。


 ……もっとも、彼の普段の振る舞いを見る限り、後継者争いに積極的に加わるつもりはさらさらなさそうだし、似合ってるとも思えない。なんというか、ラインハルトは小さな事業所でも起こして悠々自適にやっていくのが合ってる気がする。

 見ての通りの自由人気質だしね。


「妹さんは、元気? 最近会ってないけど」

「おお、元気元気。お前のことを話したら応援してるって伝えておいてくれってさ。――っと、来たみたいだぜ」


 友人の声に顔を上げると、ウェインが壮年の男性を伴って戻ってくるところだった。感情がわかりづらい目は老練なキツネのようで、昨日の男だとすぐに気づく。

 椅子から立ち上がったところで、ちょうど四者が向かい合う形になった。


「保安部のハーマン・ディートリッヒだ。申し訳ないが立て込んでいてね。手短に頼む」

「レナード・シュナイダーと言います。わざわざ時間を取っていただき、ありがとうございます。ぼくの兄、アルフレッド・シュナイダーにかけられた容疑のことで幾つか質問させてください」


 ハーマンと名乗った男の高圧的な態度に怯みそうになるが、しかし思ったよりも言葉はすらすら出た。先ほどよりもいくらか胸が楽になっていたのは、ラインハルト流の気遣いのおかげだろう。


「帝国のスパイ容疑、機密漏えいの疑いとのことですが、具体的には何を?」

「捜査の内容に直接関わるため、部外者に教えることはできない」

「兄の拘束期間はいつごろまでを予定していますか?」

「捜査の内容に関わるため、答えることはできない」


 取り付くしまもないとはこのことか。表情を変えないハーマンの隣でウェインが申しわけなさそうにする。攻めあぐねていると、ラインハルトが前に出た。


「失礼。レナード・シュナイダーの身元引受人、ラインハルト・ファーヴニルです。俺からも一つ、いいですか?」

「……なんだ?」

「アルフレッド氏に容疑をかけているとのことですが、氏がやったというはっきりした証拠はあるんですか?」


 む、とハーマンの唇がわずかに動く。


「……捜査の内容に関わるため、答えることはできない」

「それで本当に大丈夫なんですかね?」

「……何がだ?」


 するとラインハルトはにこやかに笑い、


「ええ、つまり。……昨年度優勝者であるアルフレッド氏を長期間拘束して今年のレースへの参加の機会を奪った挙句、かけた疑いが間違いだと判明したら、オーレリアの守り手と名高い御社の評判もさすがに地に落ちるんじゃないかなあと思いまして」

「……脅迫のつもりか?」

「いやいや。リスクわかってますよね? ってことですよ。老婆心と言い換えてもいい。しかし――――せっかく手に入れた情報ですからね。隙があれば容赦なく食らいつきますよ、ファーヴニル航空開発(ウチ)は」


 あくまでもにこやかなラインハルトに、ハーマンはさすがに渋い顔をする。

 いかに国から警察権を預かっているとはいえ、フレースヴェルグも営利企業であることには違いはない。悪評をばらまかれるのはさすがに堪えるだろう――――そう思っていたのだが、


「……オーレリアの警察権を預かる者として、無論覚悟はできている。これは当社の総意として受け取ってもらって構わない」

「それは……」


 さしものラインハルトも言葉を失う。共和国法に名を刻む彼らは、文字通り覚悟が違った。同じ国の人間として頼もしいことこの上ない回答だが、今回ばかりは歯噛みしたくなる。

 万事休すか。そう思ったとき、


「――私からもよろしいですか、班長?」

「……なんだ、ウェイン?」

「彼らを、協力者として捜査に加えることはできませんか?」

「なに?」


 ウェインの提案は、その場に居合わせた誰にとっても予想外のものだった。

 全員が注視する中、ウェインは静かに意見を述べていく。


「アルフレッドさんへの聞き取りはスムーズには進んでいません。……これは問題ありませんよね?」

「……ああ」


 渋々、といった様子でハーマンが認める。それはそうだろう。仮にスムーズに進んでいたら、『容疑者』なんて中途半端な扱いがずるずる続いているはずがない。


「ご家族や親しい方にご協力いただければ聞き取りが進む可能性がありますし、もしかしたら兄弟にしか分からないことに気づくかもしれません」

「それは、そうかもしれないが……」

「それに、」


 不意に、ウェインの口調が熱を帯びた。


「私たちは人々の幸せを守るために活動しています。その中にはアルフレッドさんも含まれているはずです。ラインハルトさんの言葉ではありませんが、仮に私たちがかけた疑いが間違いであれば、アルフレッドさんの幸せは一方的に奪われることになってしまいます。それは、私たちフレースヴェルグ保安部の本意ではないはずです」

「ウェイン……?」


 まっすぐな目で見上げるウェインを前に、ハーマンが目を見開く。


「班長。ご一考をお願いします」


 深々と頭を下げるウェインに、レナードはとまどいを覚えた。

 昨日会ったばかりのぼくに、どうしてそこまでしてくれるんだ?

 ぼくはともかく、きみのほうでは理由なんてないだろうに。

 ハーマンもまた意外なものを見るように彼女の頭を見つめていたが、わずかな時間瞑目すると、


「レナードといったか。きみはそれでいいのか?」


 不意にそう尋ねられ、レナードは一瞬だけ逡巡する。


「……兄の、レースへの出場権――シード権は、まだ取り消されてないんですよね?」

「取り消されてはいない。容疑が固まるか、固まらないまま決勝レースを迎えるまでは当社として取り消すつもりはない」

「つまり、決勝レースが始まる瞬間までに兄の容疑が晴れれば、兄はレースに出場できるんですね?」

「そう考えてもらって構わない」


 実直な返事にレナードは考え込み、しかし結論なんて一番最初から決まっていた。

 ぼくは兄に勝つためにレースへやってきたのだ。

 兄がいないレースで勝ったところで、なんの意味もない。

 だから、


「……捜査に協力させてください。よろしくお願いします」


 頭を下げると、ハーマンはしばらく黙ったあとでうなずいた。


「……わかった。協力の申し出を受けよう。ただし、ラインハルト氏にはお引取りいただく。捜査に関わる人数は最小限に抑えておきたい」


 え、とラインハルトを振り返ると、妥当な判決を聞いたというような顔。


「競合他社の関係者を入れるわけにはいかないだろうからな。……行ってこいレナード。俺はまぁ、適当にぶらぶらしてるからさ」

「ハルト、…………その、ありがとう」


 彼の提案がなければここに戻ってくることはなかったし、そもそも自分は解放されていなかったかもしれない。

 するとラインハルトはにやりと笑ってこちらの肩を叩き、


「いいってことよ。だけどレナード、忘れるなよ。お前には予選レースだってあるんだからな?」

「わかってるさ。兄貴の容疑を晴らしたって、そもそもぼくが決勝まで進めなければ無意味だからね」

「そういうこった。まぁ、こっちも何か協力できることがないか考えておくさ。じゃ、また夜にでもな」


 ひらりと手を上げ、ラインハルトは保安部から立ち去っていく。

 感謝の気持ちをこめて友人の背中を見送るレナードへ、


「……こっちだ。着いてこい」


 ハーマンが踵を返し、奥へと導く。

 その隣、ウェインが力強く頷いてくるのに頷き返し、レナードもまた歩き出す。

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