真に致命的な事態

 フレースヴェルグのブリアス支社のすぐ近く。

 海沿いのカフェテラスにて。


「いやー、びっくりしたぜ。夜中の便でこっちに到着したらお前が宿にいないんだもんなあ」


 ひひひ、と人好きのする笑みを浮かべながら、ラインハルトはモーニングプレートの料理をつつく。


 ラインハルトが注文したのはガーリックライスに目玉焼き、甘辛く炒めた豚肉がついたプレートとコーヒーのセットだ。

 向かい側に座るレナードが注文したプレートには、豚肉の代わりに干した魚を油で揚げたものがついている。


 店員の説明によるとこの辺りの伝統的な朝食らしく、食べてみるとガーリックライスのぱらっとした歯ざわりに薄く塩味がつけられた魚が良くあっていて、なかなか美味しい。


「……おかげで助かったよ。色々と手を回してくれたんだろ?」

「いいっていいって。大したことじゃねえよ」


 オーレリアの青空みたいにからからと笑うラインハルト。

 それなりに苦労があっただろうに、事が済めば一顧だにしないあたり友人は大人物だ。


「ところで兄貴を知らないか? ぼくと一緒に拘束されたんだけど」

「え、アルフレッドさんが? いや、聞いてないぞ」

「そうか……」


 一抹の不安がよぎるが、自分がこうしていられる以上、兄にかけられた容疑も晴れてるだろう。

 なんなら、食事が終わったあとでさっきの建物に戻って聞いてみてもいいかもしれない。

 その時、


「――レナード」


 かけられた声に目を上げ、驚いた。


「え、ウェイン……?」


 昨日別れたきりの少女が、思いつめたような表情でそこに立っていたのだ。


「……よく場所がわかったね?」


 とりあえず、気になったことを聞いてみると、


「……少しだけ探しました」


 言われてみれば、赤銅色の髪がかすかに乱れている。

 もしかしたら、走り回って探してくれたのかもしれない。


「……どちらさま?」


 ラインハルトがこそっと聞いてくるのに、


「保安部の人」

「へぇ……」


 友人の感心したような声に、しかしウェインは唇を強く引き結んだまま微動だにしない。


「ええっと……それで、一体どうしたの?」


 驚きから覚めないまま尋ねてみると、


「その……一言あなたに謝りたくて、」


 伏せられた目には罪悪感が満ちていて、レナードの心から、彼女に対して抱いていた疑念がきれいに消えていく。

 今思えば、昨日最初に出会ってから別れるまでの間、何かを言おうとしていたことが何度かあった。

 もしかしたら今回のことを伝えてくれようとしたのかもしれない。

 レナードは微笑み、


「きみに謝られるような話じゃないよ」


 するとウェインが石でもぶつけられたように悲しそうな顔をするので、そうじゃなくてさ、と慌てて手を振り、


「秘密の仕事だったんだろ? 事情を話せないのは仕方ないよ」


 そりゃあまぁ濡れ衣で拘束されたことは腹立たしいが、でもそれはフレースヴェルグに対する思いであって、ウェインを恨むとかそういう話じゃない。

 どちらかというとウェインに銃口を向けられたことのほうがショックだったけど、彼女だってやりたくてやったわけじゃないのはわかってるからノーカウントだ。


「ですが……」

「気にしてないからいいよ。それに、きみはこうして謝りに来てくれたじゃないか。別に誰かにそうしろって言われたから来てくれたわけじゃないんだろ?」


 すると彼女は必死な目つきで、


「は、はい! これは私個人の意志です!」

「でしょ? だから、これで十分さ。わざわざ謝りに来てくれてありがとう。ウェイン」


 にこりと笑うと、それでようやくこちらの意志が伝わったのか彼女の表情からこわばりが抜けた。

 それまで黙ってやりとりを聞いていたラインハルトがにやりと視線を投げてくるので、まずまず及第点の答えだったんだろう。


「ところでレナード。そろそろ俺にもそちらの美人さんを紹介してくれよ」


 美人さん、という言い方に反射的にむっとなると、おや、と面白そうな顔をされたので完全にバレたなこりゃ。

 レナードは箔押し作業のように唇の上下を圧着し、友人に黙っておくよう無言で命令。

 すると閉じた唇の代わりかラインハルトがあからさまに目元を緩ませるのを黙殺し、席を立ってまずはウェインに声をかける。


「紹介するよ、ウェイン。こっちはラインハルト・ファーヴニル。中等学校の頃からの友人だ。――ラインハルト、彼女はウェイン・ワーグナー。さっきも言った通りフレースヴェルグの保安部に勤めていて、ちょっとした縁があって仲良くさせてもらってる」

「レナードの友人のラインハルトです。よろしく、ウェインさん」


 同じく立ち上がった友人が同性ながら惚れ惚れするような整った姿勢ですっと手を差し出し、ウェインに握手を求める。

 ウェインもまた握手に応じながら、わずかに眉を上げた。


「ウェインと言います。ラインハルト…………ファーヴニル、さん、ですか?」


 まぁ、さすがに気づくよね。


「ラインハルトはファーヴニル航空開発の創業者社長の三男坊なんだ。ファーヴニル航空開発は……さすがに知ってるよね?」


 航空産業大手、ファーヴニル航空開発。

 知名度こそフレースヴェルグに及ばないが、堅実な機体を製造する会社としてよく知られている。

 実際、大陸ではフレースヴェルグにシェアで勝っている地域も少なくない。


「はは。見ての通りの遊び人ですけどね」


 如才なく語るラインハルトを見つめるウェインの目に驚きと感心の色が宿るのがやや面白くない。

 だから話題を変える意味も若干あり、先ほどから気になっていたことを尋ねてみる。


「ところでウェイン、ぼくの兄貴を知らないか? 今頃どこかをほっつき歩いてると思うんだけど」


 ほら、あの家出したライオンみたいな髪の、と伝えるとウェインはほんの一瞬笑みをこぼし、しかし彼女の唇が紡いだ答えは予想外のものだった。


「アルフレッドさんにかけられた容疑はまだ晴れていません。現在も拘束中です」

「――え、そうなの? でもさすがに決勝レースまでにはなんとかなるんでしょ?」


 そう尋ねると、しかしウェインは答えをためらうように沈黙する。


 え、なに?


 彼女はしばらく黙っていたが、やがて覚悟を決めるように一つうなずくと、まっすぐにこちらを見つめて口を開く。


「アルフレッドさんのレースへの出場資格は、停止される可能性があります」


 …………………………………………なんだって?


「待ってくれウェイン! なんでそんな話になってるんだ!?」

「そ、その……、アルフレッドさんは当社の機密を帝国へ漏洩した疑いがあって、」

「馬鹿げてる! 前大会優勝者だぞ! 兄貴がそんな事するはずないじゃないか!」

「レ、レナード、」


「おい、レナード。ちょっと落ち着けって」


 ラインハルトが浴びせた冷や水に、いつの間にかウェインを壁際まで追い詰めていたことに気づく。

 どうやら頭に血が上っていたらしい。


「あ、ご、ごめん」


 慌てて一歩下がると怯えたように縮こまっていた彼女は「いえ……」と首を振り、


「怒るのも当然だと思います。大切なお兄さんのことですから」


 慰めの言葉にレナードは視線を外すが、動揺は収まらない。


 ……兄貴がレースに出られない、だって?

 ……なんだよ、それは。


 昨晩の兄の嬉しそうな笑みが脳裏をよぎる。


「……機密の漏洩ってさ、具体的には何をしたの?」

「……すみません。それは、私の立場ではお話することができなくて……」


 反射的に怒鳴りそうになるのを、拳をきつく握ってこらえる。

 さっき自分で言ったばかりじゃないか。彼女を責めたって何にもならないのだ。

 ウェインの向けてくる痛ましげなまなざしが、逆に胸に刺さる。


 横たわった沈黙に、助け舟を出したのはラインハルトだ。


「だったらさ、ウェインさん。話ができる立場の人間に俺たちを会わせてくれないか?」


 レナードとウェインから注目を浴びたラインハルトは軽やかにウィンクを決め、


「なにしろ容疑者の家族と身元引受人だ。それぐらい要求する権利はあるだろ?」

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