異世界召喚が進んで自分が選ばれなかったら、どうなるかって話

うみたか

本編

 去年、高校に入ったばかりの時に出来た友人が言っていた。


「あーあ。突然地球がピンチになったり、異世界に飛ばされて勇者になったりしないかなー」


 そいつはアニメやゲームが大好きな奴で、誰かと話をする時は必ずこんな感じの事を話していた。

 その時俺は、もちろん笑った。そんなもん現実にあるわけねーだろ、って。そいつも冗談だよと笑って、なんだか和やかになった。


 それが一年前の事だ。今思えば、俺達がその現実とやらを網羅しているわけではなく、幾何学的な現象も起こりうるという事を考えておかなければならなかったと思う。


 そんな下らない回想を一人でしながら、駅のホームで蝉の演奏を鑑賞する。夏の熱気は服のように肌にまとわりつき、ベンチに座っているだけにも関わらず、額から汗が流れ出している。

 俺が座る隣には、黒いスーツをきたサラリーマン。目は虚ろで、ただ遠くを見ている。このオジサンも、俺のように昔を思っているのだろうか。このほぼ無人のプラットホームには、その答えを教えてくれる人なんていない。

 右を見ても、左を見ても、いるのは俺とそのオジサンだけ。比較的都会に位置する駅であり、しかも今は朝の通勤ラッシュの時間帯だが、今ではもうこんな光景が、俺やこのオジサンの中でもごく普通のことになってしまった。


 誰かが言った。これは神隠しだ、と。

 去年、連日テレビ番組を占拠したニュースでは、謎の失踪事件が取り上げられていた。白昼の町中から、突如人が消えるのだという。もちろん俺はそんな下らないこと興味なかったし、他の人も同じだと思う。

 でもその被害者は日に日に増していき、100人、1,000人、一ヶ月立つ頃には集計が難しくなるほどに人が消えていた。

 俺の日常にも変化が現れた。

 まず、学校では欠席者が目立ち始め、町からは明らかに人通りが減った。ニュースから二ヶ月経った頃にはクラスの半数が謎の失踪を遂げていて、教員も半分ほどの人数になっていた。消えた生徒の中にはあのアニメ好きの友人も入っていた。

 そして今では、都市機能が麻痺するほどに人口が減少し、テレビは毎日砂嵐、電気も一部では止まっているらしい。あの時友人が願っていた通り、今この世界には世紀末が訪れようとしてるようだ。


 フォー、と電子音の汽笛を鳴らし電車がやって来た。高速で通り過ぎる窓の奥には、人は見当たらない。ベンチを離れて、電車に乗りこむ。俺とオジサンが乗ると扉は閉まり、電車は発射した。

 誰もいない椅子は座り放題だが、俺はいつも立ったままだ。座っているとなんだか、あのすし詰め状態だった頃の景色が蘇って虚しくなるから。

 車窓から見える町は心做しか薄暗く見える。空は清々しい青空なのにだ。やはり町は人がいないと廃れていくのだろう。今はもはや、活気という言葉が当てはまる場所はない。もうこの町では、人間の数より蝉とか烏の数の方が多いだろう。

 電車は無人の駅を四つほど飛ばし、五つ目の小さな駅で止まった。俺はいつもここで降りるので、運転手の人がそれを覚えていていつも止まってくれるのだ。その運転手も同僚がみんな消えたからと言って、いつも一人で電車を走らせている。

 俺は電車を降りて、いつも通り先頭車両に向かって手を振る。すると窓から白い手袋をつけた手が出てきて、後ろ手に振り返して来た。なんだかクールだ。

 そのまま電車は走り去っていき、駅には俺一人になった。ここでも蝉の演奏しか聞こえてこなかった。




 この世紀末と言われるご時世、真面目に学校に通う俺は結構偉いと思う。まあ、誰もいなくなった家に一人でいるのが怖いだけだが。

 土間で靴を履き替えて、階段を二つ上がる。静まり返る廊下を歩き、2-Bと書かれた看板の垂れ下がる扉の前で立ち止まる。二ヶ月くらい前から、この扉を開けるのが怖くて一度立ち止まってしまう。もしもあいつらがいなくなってたらと思うと、どうしても怖くて。

 深呼吸をしてから扉を開ける。瞬間、冷房の冷たい空気が肌に触れる。無人の机が規則正しく並ぶ中に、二人の男女が並んで座っていた。男の方は瀬口夏海。女みたいな名前だから、よくみんなにからかわれていた。今日も胸元のボタンを開放してチャラ男オーラ前回だ。女の方は相川愛。名前にアイが二回入る以外、とくに取り柄のないまあまあかわいい系女子だ。

 広い教室にこの二人、これを多いと捉えるか少ないと捉えるかと言われれば、俺は多い方だと思う。話によると、三年生以外は俺達を残して全滅しているらしいから。


「おはよっ、宮野」

「おっす優太。なかなか来ないから、ついにお前も消えたんじゃないかと心配したぞ」


 俺に気づいた二人が、手を上げて声をかけてきた。


「いやすまん。電車が遅れてな」

「宮野、電車やめて自転車にすればいいじゃん。自転車はいいぞー」

「お前みたいに家が近くないんでな、相川」

「じゃあ歩きは?」

「夏海は黙ってろ」


 いつものように軽い会話を交わして、二人の並ぶ席の後ろに座る。本来は違う席だが、状況が状況なのでどこに座っても何も言われない。

 弁当以外特に何も入れていない鞄を横の荷物掛けに掛けて、時計を見る。時刻は8時35分、先生がやって来るまでにはまだ時間がある。この学校には教師はもう三人ほどしか残っていない。だから先生達他のクラスを回ってからくるので、いつも朝にはやって来ない。

 この朝の暇な時間。二ヶ月ほど前までは十人くらいで会話をして盛り上がっていたが、今ではそれも叶わない。それでもいつも三人で、暇を潰している。


「そうそうお二人さん、今日はいいものを持ってきたんですよ」


 相川が鞄の中から、何かを取り出す。


「パッパカパーン。けーたいげーむきー」

「どこのネコ型ロボットだよ」

「お、これってPSCじゃね?」

「ピンポーン、瀬口君せいかーい」


 相川が取り出したものには見覚えがあった。ひと昔前に流行った携帯ゲーム機だ。よく小学生がやっているのを見たことがある。


「で、どうしたんだこれ。相川ってこんなんに興味あったのか?」

「いやいや、全く」

「俺も」

「夏海には聞いてない」

「実はですね、お隣のお婆さんが、息子がいなくなったからあげるよー、って今朝くれたの」

「ああ……そゆこと」

「……………………」


 いなくなったと言う言葉に、俺達の間に冷たい空気が流れる。それをかき消すように、相川が続ける。


「でですね、今日はこれをみんなでやらないかって話なんですよ」

「ソフトは何なんだ?」

「まだ見てない。やってからのお楽しみと思って」


 相川はそう言いながら、ゲーム機を起動する。パソコンの起動音にも似た音の後に、画面にデカデカとタイトルが現れた。夏海がのぞき込む。


「なになに? 異世界冒険譚、俺氏勇者になる……なんだこれ?」

「んー……宮野分かる?」

「多分あれだな、見た目からしてシュミレーションゲーム。内容は主人公がファンタジー世界に飛ばされて、なんやかんやする話かな」

「なんでタイトルでそこまで……まさか宮野ってヲタク!?」

「うわキモッ、近寄るな」

「違うわい。ちょっと知り合いにそういうやつに詳しいやつがいてだな。それと夏海は黙れ」

「何はともあれ、とりあえずスタートっと」


 相川がスタートボタンを押すと、名前入力画面に移る。空欄の隣には、爽やかな顔をした青年の顔が写っている。こいつが主人公なのだろう。


「うわ、主人公の人かっこいいねー」

「まあ俺ほどじゃないかな」

「だから夏海は黙れって。名前何にする?」

「おい優太君よぅ、今日はちと冷たくはないかね?」

「んー、男の子だから、宮野か瀬口の名前がいいよねー」

「じゃあ間を取って宮野夏海だ」

「あの、お二人さん。俺を無視しないで悲しくなるから」


 相川は瀬口を無視して、ボタンを操作して名前を入力していく。ピッ、ピッ、と静かな教室に電子音が響く。画面にはミヤノナツミと表示された。


「よっし入力完了。ではではスタートといきますか」

「俺こういうのやったこと無いから、ちょっとドキドキするわ」

「私もー」


 相川がスタートボタンを押すと、画面は小さな部屋に移る。寝ているミヤノナツミが何気ない朝を過ごし、学校に出発する。台詞はかなりの速さで流れていき、読むのに苦労する。


 無言でそれを読み続ける俺達の間に、長閑なBGMが流れる。


「宮野くん、なんか普通の子だよね。もっとこう、青い鎧とか光る剣とか持ってるのかと」

「それは違うやつだろ」

「なんか宮野くん、って呼ばれるとこそばゆいな。いちいち反応してしまう」

「我慢して、君はこれから勇者になるんだから」

「俺も勇者になるわけだな!」

「瀬口が勇者とか………はぁ」

「なんだそのため息は」


 そんな会話をしている間にも、ミヤノナツミはトラックに引かれて死んでしまった。そして女神に異世界へと導かれる。友人からよく聞いていた話と全く同じよくな展開だ、このタイプのストーリーではこれが定番らしい。死ぬのが定番って、とたまに思う。

 画面の中のことでも、自分が死ぬのはいい気がしない。それ夏海も同じみたいで、隣で難しい顔をしている。対して相川は、涼し気な顔でボタンを押し続けている。薄情なやつだ。

 異世界にやってきたミヤノナツミは、とある村に行き着いた。そこで二人の女性に出会い、どちらかが村を案内するから選べと言われる。初めての選択肢だ。


「これ、どっちがいいんですかね」

「特にいいとかないと思うけど、選んだ方はこの先攻略対象になるな、多分」

「攻略ってなんぞや」

「要は俺達が、ここで選ぶ女の子を自分に惚れさせるわけ」

「マジかよ」

「そりゃ私には選べん。男に任せた」


 相川はそう言って、俺にゲーム機を渡してきた。俺はそれを受け取り、二人の女の子の写真を吟味する。

 一人は長い青髪でタレ目。柔らかい笑顔を浮かべていて、正統派ヒロインって感じ。もう一人は肩で揃えた茶色いボブヘアー。目は少しつり上がっていて、まあ普通の顔。

 あれ、ていうかこれ……


「あれ、この子相川に似てね?」


 俺の思った事を、夏海も思っていたようだ。相川はどれどれとゲーム機を覗く。


「んー、似て、る? 自分の顔なんてあんま見ないから分かんないや」

「目元はお前の方がタレ気味だけど、髪型とか顔のパーツとかそっくりだぞ」

「夏海に同じく」

「マジすか、じゃあ私がヒロイン?」


 なんとなく、相川が俺の彼女になった事を想像した。顔も悪くないし、まあ言葉遣いは不思議だが面白いやつだ。意外と悪くないなと思った。でも攻略は苦労しそうだ。


「で、どうするよ優太。俺は青髪の子がいいんだけど、まあお前に任せるわ」

「うーん、俺はどっちでもいいけど……」


 ふと相川に目をやると、こちらを睨んでいた。冷房の風がさらに冷たく感じる。


「相川似の方がいいな」


 謎の圧迫感に迫られて、相川似の子にカソールを合わせてボタンを押す。すると女の子は嬉しそうな顔をして、町の案内を始めた。本物の相川も満足そうな顔をしていた。


 その後もピコピコと物語を進めていく。俺達はそれを無言で読み進める。その間教室には、冷房の稼働音と時計の音しかなかった。

 ふと時計を見ると、時刻は九時を過ぎたところだった。そろそろ先生が来るころだが、何故か気配がない。


「……先生、来ませんね」

「ああ、そうだな」


 ピッ、ピッ、と静かな空間に音が鳴る。ミヤノナツミはモンスターに襲われている。モンスターは相川の素早い操作で一掃され、テレレーンと明るい音が教室に響いた。その音はやがて冷たい空気に溶けて、後味の悪い虚しさが残る。


 先生はまだやって来ない。


「……俺、様子見てくるわ」


 夏海が席を立ち、教室を出ていった。そしてまた教室は静まり返る。俺の頭には、ついに先生も消えたのではという考えが過ぎった。それは相川も同じらしく、開けっ放しの扉の方をジッと見つめている。


「……大丈夫だよ、多分」


 重い空気に促されて、相川に言う。


「あの人何かそんな感じするじゃん。適当な人だけど、やる時はやる、みたいな」

「まあ、確かにそうだけどさ……」


 相川の薄い笑顔には、どこか儚げだった。


 しばらくすると、夏海が戻ってきた。顔は暗い。俺達は察して、何も言わなかった。

 宮野夏海は、そんな俺達を知らん顔して、偽相川とイチャついてる。それを見ているとなんだかやるせなくなってきて、俺はゲーム機を夏海に託して一人で教室を出た。

 どこまでも静黙な教室の空気が耐えられなかった。




 屋上は地上とは別世界で、夏の太陽が降り注いでいるにも関わらず爽やかな風が吹いて、蒸し暑さを感じない。蝉の鳴き声も程よい音量で、黄昏るにはちょうどいい雰囲気だった。

 雲ひとつ無い空を見ながら、ため息をもらす。先生はいい人だった。しょうゆ顔のイケメンでタバコ臭くて、大雑把でゲスで。だけど俺達みたいな残された生徒の面倒を、誰よりもしっかりと見てくれて。


「……なんで消えたんだよ、先生」


 ポツリと呟いた言葉は、蝉の鳴き声にかき消された。

 大の字に寝転がって、青い空と向き合う。先生は、消えた人達はこの空の向こうにいるのだろうか。それともミヤノナツミのように、異世界に辿り着いているのだろうか。青い鎧と光る剣を持つ先生の姿を想像したら、自然と笑いがこぼれた。


「何笑ってんですか、宮野優太」


 頭の上に、逆さまな相川の顔があった。


「いや、ちょっとね」


 一瞬の沈黙。微風が相川の髪を揺らした。


「……みんな、どこに消えちゃったのかな。とか考えてた?」

「……さあな」


 俺達の声は、蝉の鳴き声よりも小さなものだった。


「みんな異世界にいったりしてるんですかね。それか宇宙人とよろしくやってるとか」

「俺も似たような事考えてたよ。ま、現実的じゃないけど」

「そんなこと言ったら、今この状況が現実的じゃないよ」


 相川はくすりと笑った。

 相川はそれ以上何も言わずに、俺の隣に座って同じように空を見上げた。先生のことを思っているのだろうか、なんだかんだで一番世話になった人だし。

 物思いにふけりながら、クラスメイトの女子と二人で空を眺める。こんなのも悪くないなと思った。

 俺達は長い間、空を見ていた。その間会話は交わさず、俺達の間にはただ爽やかな微風が吹き抜けるだけだった。


 ふいに相川が立ち上がった。


「さ、そろそろお昼にしましょう。瀬口も長い間独りぼっちはさすがにこたえるだろうし」

「……そうだな」


 俺達は立ち上がり、昇降口に続く扉を開けて、階段を下りた。


 教室に戻ると夏海の姿はなく、ゲーム機が電源を入れっぱなしで放置されていた。画面の中ではミヤノナツミが立ちつくしている。


「どこいったんだ、あいつ」

「トイレでも行ったんじゃないですか?」


 相川はそう言って、鞄から菓子パンを取り出した。俺も弁当箱を出して、本日のメニューである日の丸弁当をつつく。自炊なんて出来ないし、最近ではスーパーに行っても保存食くらいしか置いていないので、いつもこんな感じの寂しい弁当になる。俺もパンの方がいいだろうか。

 相川はメロンパンを頬張りながら、いつの間にか勇者に昇格したミヤノナツミを操る。時計を見ると、時刻は既に十二時を回っていた。


 しばらく電子音だけの時間が流れた。


「瀬口、遅いですねぇ」

「遅いなぁ」


 相川は淡々と勇者宮野をモンスターと戦わせる。俺はそれを横からボーッと眺める。柔らかいカールを描く淡い茶色の髪、細い顎のライン、薄ピンクの柔らかそうな唇。


「なに、顔に何かついてる?」

「口と鼻」

「目がないぞ」

「お前には必要ない」

「ざけろー」


 会話は途切れて、再び静寂が教室を支配する。時計を見ると十二時半、どこかに飯でも食いに行ったのだろうか。あいつよく何も言わずにいなくなるし。

 しかしまたしばらく待っていても、夏海は現れなかった。


「…………消えた、とかないよね」


 相川がぽつりと呟いた。その声はボタンを押す音よりも硬かった。


「……さあ、どうだろうな」


 連絡をとるためにスマホを取り出す。


「またメール? あのメール見ると悲しくなるんだよねー」

「いや、今回は電話」


 メールを送って所在確認をするのは、俺達の中ではジンクス的な扱いになっているので、なんとなく避けたかった。夏海の携帯の番号は電話帳に入っているので、タッチパネルを手早く操作してコール画面を呼び出す。

 静かな教室に、コール音が鳴り響いた。

 三コール目で画面の向こうから声がした。


「あ、なつ……」


 ──おかけになった電話番号は、電波が届かない所にある……


 画面を耳から離す。今の音声が聞こえていたはずの相川は、何も言わずにゲーム機をみていた。


「……メール、送っとくな」

「……うん」


 画面を操作して、メールを打ち込む。件名は無し、本文は単純。


 ──いるか?


 過去に七人ほどにこのメールを送ったが、帰ってきた試しはない。俺は送信ボタンを押して、静かに相川の隣の席に座った。

 教室が一層静かになったような錯覚に陥った。その静寂を破るように、パッパカパーとファンファーレがなった。相川の手の内にあるゲーム機の中では、勇者ナツミが魔王を倒した喜びを分かちあって、偽相川と抱き合っていた。


「屋上の話の続きだけどさ」


 相川が顔を上げて言った。


「もしもみんな、ミヤノナツミみたいに異世界に行ってたら、魔王を倒したら帰ってこれるのかな?」

「……どうだろうな」

「アニメとかだったらどうなの?」

「普通に帰ってくるか、それとも異世界を気に入って帰って来ないか。どっちとも言えない」


 会話が途切れる。ゲームはフィナーレを迎えて、ミヤノナツミは異世界に残ることを決意したようだ。相川はそれを見届けてから、静かにゲームの電源を切った。


「……帰るか」

「うん」


 二人だけの教室は、三人でいた時よりも広く感じた。





 時刻は九時過ぎ。少し遅め夕飯を食べていたら、メールの着信音が鳴り響いた。驚きのあまりお茶をひっくり返してしまった。

 急いでスマホを取り出す。ついにジンクス崩壊か、と俺の脳内は黄色い妄想が過ぎった。

 しかし画面に表示されていたのは『あいかわ』。落胆しつつも、この時間になんだと首を傾げてみる。


 ──宮野、暇?


 件名にそう書いてあったので、すぐに返信する。


 ──暇だけど。どうした?


 一分ほどで返信が来た。


 ──ちょっと会えないかなって。家が、ね


 ──じゃあ学校の裏の河川敷公園で


 俺は少し考えた後、送信ボタンを押した。部屋着から八分袖のパーカーに着替えて、家を出た。久しく使っていないママチャリを庭から引っ張り出して、夜の町を走り出す。

 夏の夜にしては涼しくて、蒸し暑さは感じない。家々からは暖かい光が消え、住宅街の道は月明かりに薄く照らされている。ぽつぽつと灯る街灯を辿るように自転車を走らせた。


 この辺りから学校までは、だいたい一時間くらいかかる。しかしそれはまだ人が大通りに溢れかえっていた時期の話なので、今はスイスイ進める。大通りには人影どころか生き物の気配すらなく、世界に自分一人になったのではと錯覚してしまう。

 赤のまま止まった信号を幾つも無視し、大通りをまっすぐ進んでいく。時より道に漏れる人家の光が、太陽の光のように暖かく感じた。


 三十分ほどで目的地に着いた。学校の裏に流れる川の、河川敷にある小さな公園。そこには相川の姿はなかったので、俺は自転車を下りて土手を歩きながら相川を探した。

 五分ほど上流に歩くと、土手の坂に寝転がっている相川を発見した。自転車を止めて、何も言わずに相川の隣に寝転ぶ。都会の光は消えているので、天ノ河が鮮明に、壮大に見えた。相川もそれを眺めている。俺達はしばらく無言でそれを見ていた。


「……ごめんね、急に呼んで」


 相川が、静かな声で言った。


「ちょっと眠れなくてさ」

「……いいよ別に。俺もお前と同じようなこと考えたから」

「そうなんだ」

「嫌でも考えるだろ」


 ──家が。相川のメールにはそう書いてあった。その一言だけでも何が言いたいのかは、痛いほど分かる。


「なんかさ、怖いんだ。誰もいない家が。一人でご飯食べてる時とか、お風呂入ってる時とか、あーあ、みんな消えちゃったんだなー、って」


 相川の顔は、夜の闇に飲まれて見えない。


「瀬口から返信来た?」

「いや……まだ」

「ね? やっぱり。身近な人が消えてく度に思うんだよね、次は自分じゃないかって」

「………………」


 それは俺も同じだ。今日だって、あのまま布団に入ってもきっと、夏海の亡霊にうなされていたことだろう。次はお前だ、お前も消えるんだ、って。それは見えない故の恐怖なのか、それとも得体の知れない恐怖なのか。それは自分自身分からない。でもそれは、平和な人生を歩んできた俺達にとっては十二分に大きな、底知れない恐怖だ。


「でさ、今日は瀬口がその…………ね? だから宮野も消えるのかな、それとも自分かなって。それで眠れなかったの」


 相川は起き上がって、俺の方を見た。月明かりに照らされた相川の表情は、美しくもあり儚げでもあった。


「……宮野は、消えないよね?」

「……だといいな」


 言い切ることなんで出来なかった。

 沈黙が訪れる。生暖かい風が、河原を駆け抜けた。


「もう、私達だけだよ。みんなみんな消えちゃった」


 相川の声は震えていた。

 

「みんなが勇者になったならさ、私達はどうなるの? 残された人達は? みんなが宇宙にいるなら、私達は何すればいいの?」


 その言葉は、静かな夜に染み渡るようだった。


「このままみんな消えてくの? 異世界に行っちゃうの? 宇宙人に連れ去られるの? それともあの世? 町から人が消えるまで一年。じゃあ最後の一人が消えるまでは? 私が、宮野が消えるまでは?」


 相川の頬に、一筋の光が浮かび上がった。そして、月に向かってぽつりと呟いた。


「ねえ、教えてよ、誰か」


 デネブ、アルタイル、ベガ。三つの星はこんな俺達を無視して、鮮やかな光を放っている。天ノ川は壮大で荘厳で、俺達を小さな存在と指摘するように、そこに流れている。


 空に吐いた息は透明だった。


「相川はさ」


「……うん」


「この世界、好き?」


 魔法の無いこの世界。

 魔王のいないこの世界。

 宇宙人なんて定かじゃないこの世界。

 タイムマシンなんて無いこの世界。


 相川は何て答えるだろうか。

 俺は何て言って欲しいんだろう。


「私は…………」


 相川は涙を拭ってから、はっきりと言った。


「私は好き。大好き。この世界が、地球が、現実が。魔王がいない、宇宙人なんているか分からないこの世界が。それに……」


 相川は、最後にいつもの明るい声で付け足した。


「それに、宮野優太のいるこの世界が」

「…………………そうか」


 耳が熱くなるのが分かった。相川は「言っちゃった」と、隣でゴロゴロしている。

 心臓の鼓動が早く、大きくなって、胸がはちきれそうだ。


「夏海じゃなくて、俺なのか?」

「うん、宮野がいい。瀬口はいいやつだけど、なんかねぇ、肝心な時にいなくなったりするし。消えちゃったし」

「俺は?」

「宮野は一緒にいて安心できる。一緒にいて楽しいし、優しいし。宮野なら私の前から消えない気がするし」

「……そうかい」


 いつものように、会話が途切れる。しかし今回ばかりは、その沈黙がムズ痒い。

 相川が寄り添ってくる。


「手、握っていい?」

「……ああ」


 俺の手に重ねられた相川の手は、柔らかくて暖かかった。相川は俺の肩に顔をあずける。茶色い髪からは、リンスのいい匂いがした。

 なんとなく、幸せな気分になった。


 しばらくそのまま空を見ていたら、ポケットのスマホからメールの着信音がなった。急いで取り出して、相川と食い入るように画面を見つめる。


 ──差し出し人︰なつみ


 件名:すまん


 本文

『すまん、返信遅くなった。いろいろ立込んでてさ。俺異世界で勇者やることになったからしばらく帰れんわ魔王なんてすぐ倒すから



 待ってろよ

 PS

 名前はミヤノナツミって言っといたぞ感謝しろ』


 メールの最後には、青色の鎧と光る剣を持った夏海の写真があった。エルフやら小さな妖精やらに囲まれていて、当の本人は顔を赤くして恥ずかしがっている。

 俺達は顔を見合わせてから、笑った。それはもう盛大に笑った。笑い声は夜空に響いて、そして染み渡っていく。


「そうだ、いいこと思いついた」

「ふぇ?」


 隣で笑い泣きしている相川の肩を抱き寄せて、自分たちの写真を取った。それをメールに付属させて、本文は打たずに夏海へ返信する。

 相川は顔を真っ赤にして固まっていたが、しばらくしたらまた俺の肩に頭をあずけた。今度は俺から、手を握る。


 メールは電波に乗って、町を巡って異世界へと飛んでいく。

 願わくば、叶うならば、この俺達の思いが残された人達に、異世界の勇者達に届いて欲しい。

 この残された俺達の、ほんの小さな、でも確かなこの思いが。


 天ノ川は、より一層明るく輝いていた。

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