第14話
久しぶりに酒井先生のお宅の前に車を止めた。何かしら頭の中を先日の電話の内容が駆け巡る。その為だろうか、僕の体が今までになく緊張している。何処かで缶コーヒーでも飲んでこれば良かったかななどと思いながら、先生の家のドアの前に立ちインターホンを押した。中から「はーい」と声が聞こえ、先生がドアを開けてくれた。玄関に入ると、誰かお客さんが来ているのだろうか赤いエナメルの靴と茶色い薄底の靴が並べてあった。
「お客さんですか?」
「ええ、ま、取り敢えず中へどうぞ」
「はい、お邪魔します」
応接間に入ると、そこには車いすの四十半ばと思える女性と、二十歳前後の若い女性がいた。そして、僕が中に入ると二人はこちらを見た。
「あ、紹介するわね。こちらは安田武士さん」
「え、武士ちゃんなの」
二人も僕も硬直した。今のこの現実がすぐには理解できないでいる。そんな感じだ。そんな、三人を見かねたのか、先生が声を発した。
「そうよね、武士君も一生懸命探してた二人が、今ここにいるなんて信じられないわね。察しの通り千鶴さんと雛ちゃんよ」
「お継母さん・・・。雛・・・」
「昨日、武士さんが電話をくれる前に、千鶴ちゃんから電話があったの。果たしてすぐに会わせて良いのかと思ったんだけど、でも本当に優しいお兄ちゃんだから、会ってもらった方がいいと思ったのよ。でも武士さんにとっては青天の霹靂よね。今まで一生懸命二人を探してきたのに・・・。」
正しく青天の霹靂だ。どんな小説だってこんなに簡単に出会えることはない。もっともっと主人公は試されなければならないはずなのに。いや、待てよ。試されるなんて言う事は、実は自分の期待であって、実際はそんなものではないのかも知れない。
そう、人生体験は人それぞれ違うものだ。多難な人も居れば、そうでない人もいる。恐らく僕はそれほど多難な人生を歩まずに済むのかも知れない。それよりも、継母と雛はもっと多難な人生を歩んできたのではないだろうか。僕の頭の中には、二人に対する申し訳ない気持ちが広がっていった。
「お継母さん。車椅子、どうなさったんですか?」
「実はね、二年前に交通事故に遭ったんですって」
「そうだったんですか……」
「それで、ずっと眠り続けて……、目が醒めたのはつい最近らしいの」
「……て、もしかして……」
僕の頭の中を過ったのは、もしかしたら継母が目を醒ましたのは、父の死の時でなかったかということだ。だとすれば、ここでこうして二人に会えたのも父のお蔭なのかもしれない。たとえ、そうでなかったとしても、そう思い込みたい自分がいる。人間というのは何かにつけ、身の回りで起こる小さな奇跡を喜ぼうとする習性があるのかも知れない。
しかして、色々と話をした結果、継母が目を醒ましたのは、父が亡くなった日ではなく、その一か月前だったようだ。ただ、不思議に思えることは、継母が昏睡状態の時に、何度か父と会ったような気がすると話していたことくらいだろうか。そして、父が亡くなった事を知って、何かしら心を痛めている様子だ。
恐らく、父と継母は離れていても、心が繋がっていたのかも知れない。そんなことをふと考えたりしていたら、継母が僕に語り掛けて来た。
「随分と立派になったわね。さぞかし私の事を憎んでいるでしょうね……」
「いいえ、そんなことはありません。一緒に暮らしていた時、どうすれば貴女に嫌われずにいられるのか、僕はそればかり考えていました。しかし、だからと言って憎んだことはありませんでした」
継母はとてもすまなそうな顔をしていた。
「そう言ってくれると、私としても有り難く思います」
「お継母さん。もしかして父と何か約束があったのではないですか?」
「というと……?」
「はい、僕はこの数か月間、二人を探してきた中で、その様な気がしてならなかったのです」
そう言った時、継母の顔色が少し変わったような気がした。が、間髪を入れずに声を出したのは雛だった。
「一体、どんな約束が有ったっていうんですか?」
彼女の声のトーンから、少し苛立っているような感じがした。もしかしたら、この十数年の月日は、雛を僕の妹ではなく赤の他人にしてしまったのかも知れない。
「それは……、僕には分からない。恐らく僕の考えを話したところで、全ては憶測に過ぎないのだから……」
どの位時間が過ぎただろう、部屋の中を沈黙が包み込んでいる。そしてそれは重たい空気となって、僕にのしかかって来た。恐らく継母にとってはそれ以上に重くのしかかっていたのかも知れない。継母は意を決したかのように思い口を開きはじめた。
「実はね……。もしも、あのまま一緒に暮らしていて、武士ちゃんと雛が本当に愛し合ったとしたら……。二人は兄妹として罪の意識が、先に立ってしまうんじゃないかって……。だから、一旦お父さんと別れる事にしたの。時間をおいて二人が再会したときに、本当の意味で二人が愛し合えるようなら、結婚させてあげようって。そうすれば、あらためて四人が本当の家族になれるような気がしたの」
「そうか……。そうだったんですね。僕と雛は血が繋がっていないから、結婚することには、なんら法的な障害は無い。でも、ずっと一緒に暮らしていれば、愛し合ってしまった時に道義的な罪悪感を持つかもしれない。それが心配だったんですね」
継母は静かに頷いた。両方の親が二人の子供に対してかなりの気を使っていたのだろう。その心遣いがひしひしと伝わって来た。
「お継母さん、良かったら僕の家に来て、一緒に住みませんか。先ずは昔のように雛の事を可愛がることができるのかどうか。長い期間離れていれば、やはり心は遠ざかっているかもしれません。だから、その時間を埋め合わせる事ができるのかどうか、確かめたいんです」
先生も一緒にいたので、話がしやすかったのかも知れない。みんなで話し合った結果、一週間後から僕の家で一緒に住むことになった。
雛 万里小路 頼光 @madenokouji
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