第十一話 クーシーの民
翌朝、宿屋で合流する事になり、キアランとは酒場で別れていた。
大森林を通るのに必要な道具などは案内人が用意するが万が一に備えておく必要がある。
何度かヘケア大森林を通っていたヴィクターは既に持っているが、ディアナは持っていない。
その事を酒場で思いだし、少々酒の入った頭ではあるが用意する事にしたのだった。
既に月は高い位置になっているが、この開拓地では昼夜問わず物を売っている場所が多い。
朝早く出発する二人には嬉しい話である。
「それにしても、夜なのに随分活気があるのね」
「ええ、ここは昼の方が人が少ないので、夜の方がにぎやかになるんですよ」
「そうなの?」
「開拓地ですからね、作業員たちも昼は此処を離れますし、商人達も朝早く出ていくので何かするなら夜に、となってしまうんですよ、勿論昼仕事の人もいますから全く活気がないと言うことはありません」
今回必要なのは虫除けや記号表だった。
記号表とは、森の中に作られた記号、目印の意味がわかるように記された物であり、万が一孤立した場合でも遭難しないようにする物であった。
虫除けもお香といった煙や臭いではなく、精霊の加護を利用した輝石、光による虫除けだった。
この輝石は淡い紫の色を放ち、長持ちもする。
ヘケア大森林だけではなく、小さな虫を寄せ付けないので長旅でも『持てるなら持ち歩きたい』品でもある。
「僕やキアランは馴染みの職人から買いますけど、露店も見てみますか?」
「うん、どんなのあるか気になるし」
ディアナの顔は酒のせいなのか少し紅く、浮ついていたがヴィクターはそれ以上に浮ついていた。
酒場の店員が少し悪戯をしていたせいでヴィクターも思いっきり酔っていたが、本人は気がついていなかった。
陽気な二人は露店を巡ってはこれはいい、あれもいいと手にとっては戻すという冷やかしのような事をしていた。
「あ……、そろそろ行きますか」
「えっ!? ああ、虫除け売ってるところね、すっかり忘れてた」
「僕も忘れそうでした」
「こう楽しいとつい……、いいね、こういうのも」
「というか、ディアナと一緒だから、楽しいのかもしれませんね」
「そ、そうかもね!」
照れるディアナを逃がさないようにヴィクターは手を握り、馴染みの職人の店へと足を向けていた。
子供のように抱きつきたい衝動もあったが、我慢する事が出来たヴィクターは、まだ自制心があるなと内心で自分を誉めていた。
周りから見れば二人は只の酔っぱらいである事に、まだ気付くことはない。
……
ここ開拓地で、ヴィクターはそこそこの有名人でもある。
ドルイドの民が集まり、顔馴染みの店でヴィクター酔っぱらいながら入ってきたとなれば、なんだなんだと人が集まってしまうのは仕方のないことだった。
「おやっさん、虫除けを買いに来たんですよー」
「こんなに浮かれたヴィクターは初めて見たぞ、なんだ、そのお連れさんの分か?」
「ええ、彼女が着けても可愛くなるようなヤツを是非に」
「お、おう、装飾込みだと少し高くなるが――」
「構いませんよ!」
浮かれたヴィクターの隣では、すっかり酔いが醒めたディアナが先程までとは違う意味で紅くなっていた。
「……すいません、ホント」
「気にすんな、ヴィクターがここまで嬉しそうなのはアンタのおかげなんだろ?」
「そう、だといいな」
「もっと自信持ってもいいんじゃねぇか? 自分の物でもアイツはここまで熱心になった事はないかもしれねぇ」
職人が持ってきた品を、ヴィクターは真剣に見つめていた。
周りがなにかちょっかいを出して邪魔しようとしても、ヴィクターは揺るぎもしなかった。
「ったく、ヴィクターが相手を見つけたとなれば、狙ってた連中はさぞ悔しがるだろうな」
「酒場で聞きました、羨ましいねって」
「ここの女共が奥手なのはまぁ、それでも昔は男が寄ってきたからなんだ、だから上の連中も誘い方を知らんというものあってな」
「私も別に誘った訳じゃないんですけどね、でも、ここじゃ言わない方がいいのかも」
「だな」
ディアナが職人と話している間、ヴィクターは虫除け選びに悩んでいた。
贈り物を届ける立場であっても選んだ事はない、機能だけで選べば済む話だが、それではヴィクターが納得しないのだ。
「普段でも使えるようなヤツで、壊れにくくて、綺麗なヤツとか、何か無いんですか?」
「丸投げしまくってんなコイツ……、しょうがねぇな、これでどうだ」
そう言って職人が用意したのは、ブローチだった。
女性が身に付けるようなアクセサリーであり、輝石も大きくなく、控えめな印象が悪くない。
決して自己主張は強くなく、ディアナに添える綺麗な紫の花だと思った途端にヴィクターはこれだと即決していた。
精霊の加護付き、しかも虫除けの加護は長旅では役にも立つが邪魔な事も多い。
野営や馬車で使うものが多いせいか大きく、個人用というのは少ないのである。
持ち歩けるなら持ち歩きたいと言われるのは、常にランプのような物をぶら下げるのは、重い上に壊れやすいと評判が悪いのだ。
このブローチのように個人用で作られているのは珍しく、更に出来がいいとなれば値打ち物でもある。
「いいですね、これいくらです?」
「タダでやるよ、おめぇには世話になってるし、これも余りもんで気まぐれに作ったもんだ」
「それにしては、凝っているような……」
「気にすんな、いいからもってけ」
職人は照れたようにヴィクターに渡すと、奥に行ってしまった。
「……似合うかな、私こういうの着けた事ないよ」
「きっと似合いますよ、ちょっと失礼します」
ブローチを胸元よりも少し上の位置に取り付け、ヴィクターは近くのガラス窓へとディアナを引っ張っていく。
うっすらと反射して写る自分の姿に、ディアナは口元を緩めていた。
「悪くないかも」
「タダでいいとは言われましたけど、ちょっと押し付けてきます、これには価値があるんですから」
そう言って、ヴィクターは奥に入っていく。
取り残されたディアナは、近くにいたドルイドの女性達から質問攻めにあったのは、また別の話であった。
……
翌日、身支度を整えた二人は宿屋の前でキアランを待っていた。
「ねぇヴィクター、ホントに覚えてないの?」
「なぜ覚えていないのか自分でも不思議なんです、そこまで飲んだ気はしなかったのですが……」
やけに楽しかったという、曖昧な感覚はあってもヴィクターは昨晩、特に宿屋に戻ってからの記憶がなかった。
宿屋に帰ってきた途端、昔馴染みが集まっており、再び飲んだところはヴィクターも覚えていた。
そういえば女性が多かったような気もすると、ヴィクターは必死に思い出そうとするが、無駄であった。
「僕、変な事してないですよね?」
「ああ、うん、貴方はどっちかっていうとされそうになった方かな」
「え?」
「結局されなかったから安心して、というかアレ、無自覚だったのね……」
「なんの事です?」
「気にしないで」
そんな話をしていると、キアランがやってきた。
「待たせたか?」
「いや、大丈夫だよ」
「では行こうか、まぁウィリンゲールまで特に問題はないと思うが」
「問題が起きても困るだけですからね」
「だな、えっと……、ディアナで、よかったよな?」
「ええ、よろしくね、キアラン」
「ああ、よろしく」
開拓地からウィリンゲールまでは大体三日ほど歩かなくてはいけない。
街道が出来上がれば早くもなるが、今は案内人の道を頼るしかないのだ。
ヘケア大森林は危険も多い、迂闊に魔獣の『戦場』に迷いこんでしまうという事も少なくない。
「街道を作っている方は正直危険が多い、安全な道で、少し遠回りでもいいのだろう?」
「いつも通りですが、それでいきましょう」
キアランの装備は野営するための道具と保存食を中心に、案内人として同行者を補助するモノが多い。
数人用の虫よけ輝石やテントや、応急処置が出来る様に止血用の布や添え木等も用意されていた。
武器は槍と投石紐であった。
扱いは難しいが、道端の手頃な大きさの石を武器に変える事が出来き、当てる場所によっては大きな音も出せる。
投石紐は、ドルイドの案内人ならば必ず持ち歩いていると言っても過言ではない。
案内人の詰め所に、一人雇う分の料金を支払い三人は大森林の奥へと向かっていく。
開拓地を離れ、奥に進んでいくが暗くなる事はない。
視界は妙に広がっており、遥か頭上の木の隙間から太陽の光が見えた。
遠くには光が柱の様に差し込んでおり、大森林という名に恥じない広大さがあった。
「なんだか自分が小さくなったみたいね、木が大きすぎてそんな感じがする」
「この森にいると、自分達の祖先が巨人というのも納得してしまうだろう?」
「確かにね、じゃあここの獣も大きかったりするの?」
「外よりは大きいのがいるさ、特に鳥がな」
「厄介そうね」
「ここは木が大きすぎてな、その近くの草花はどんどん育たなくなって小さなものばかりになるが、上は別だ、魔境と言ってもいい」
「そうなの?」
「上には鳥や虫の魔獣が常に移動し戦っています、好敵手らしいのでお互いに食べたり食べられたりと忙しいみたいですよ」
「うわぁ……」
「魔獣にとっては木の上が戦場でな、今俺たちがいる場所は狩り場にもならん、鳥は飛びにくく、虫は隠れる場所が少ない……、お互いの餌も少ないし、ヒトなんぞ小さすぎて足しにならんみたいだからな」
「それでも襲われない訳でもない、事実街道方面は傭兵が常に戦っている、木を切らねばいけない時は特に」
「結構危険ね、今私たちが歩いている方は安全なの?」
「森が明るい場所は上の密度が少ない、つまり大きな魔獣は居ない事が多い、結果落ちて生きてる魔獣も多くない……、鳥共は上に戻るし、虫は倒せる、魔獣以外の虫は輝石で離れていく、安全であろう?」
「比較的、だけどね」
ふと、アスラクならばそういった魔獣とも話せてしまうのだろうかと、ヴィクターは考えてしまった。
邪神の加護を持つ者は多くないが、旅をするなら悪くない加護とも言えるだろう。
精霊の加護、特に道具に関する加護も助かるが、邪神の加護と会わせて使えるならより安全な気がしていた。
「ヴィクター、なにか良からぬ事を考えているな?」
「わかります?」
「付き合いは長いからな」
「キアランにとってはいい話ではないですが、邪神の加護も悪くないなと思ってね」
「……まぁ、そうだな、気持ちの問題はあるが加護は悪くない、事実、この森の奥には邪神の領域がある」
「え、大丈夫なのそれ?」
「開拓に加わってはいないが、邪神の加護を得ている民が奥にいてな、たまに交流がある」
「あ、敵対してる訳じゃないのね」
「同じ森の民だ、協力して森から生き延びねばな」
キアラン達、ドルイドの民の他にもこの森には多くの民がいる。
話題に出ていたのは邪神の加護を得た魔獣使い、クーシーの民である。
獣人族でもある彼らは、木の上でも狩りを行っており、魔獣すらも倒してしまうと言われていた。
生きるためというよりは楽しむために狩りをしているらしく、その気儘な民は開拓地に興味を持っても手は貸してくれない。
「あ、昨日見たかも、可愛い耳した人、犬っぽいの」
「そう、そやつらだ、物々交換をする程度だが、開拓地で商売の真似事をしにくる」
そう話をするキアランの顔はどこか苛々しているように見えた。
クーシーの民の話をしたくない、そんな感じだった。
「あれ、周りから好まれてないの? その、くーしーの民って人達」
「違いますよ、キアランが好きではないだけです」
「奴らは好きになれん! 馴れ馴れしいわ、文句は言うわ、勝手に背中に飛び乗るわ、飯を横取りするわで救いようがない!」
「…………、ねぇ、もしかしてその人達じゃなくて誰か個人的に嫌いな人がいるんじゃないの?」
「そうなんですよ、僕は会った事ないんですけどたまに話に出てくるんです、キアランの幼馴染みでしょうけど、紹介してくれないんですよ」
「腐れ縁だ! あんなの!」
この話は止めだと言わんばかりにキアランは足を早めていた。
……
その日は特に問題もなく、夜になるまで歩くことが出来た。
ディアナにとっては新鮮な道中であると同時に疲れやすく、慣れない土地というのもあって早めに休む事になった。
日が落ちれば途端に真っ暗になる、虫除けの輝石や火で灯りを確保し、寝床を作る。
杭と棒、テント用の布を使った非自立式テントを作り、見張りを決める。
「では、三人で見張りを変えながら休むというのはどうだ?」
「私の時が不安ね、異変に気付きにくいかも……」
「確かに判断に迷うかもしれませんね、どうします?」
「私とヴィクターは組んで見張り、熟練のキアランなら一人でも慣れているでしょう?」
「名案ですね!」
知っていたと言わんばかりにキアランため息を一つ。
呆れたようにヴィクターを睨んでいた。
「ヴィクター、貴様は何があっても助けんぞ」
「そのための相棒ですよ、僕より遥かに強いディアナに守ってもらうのでキアランは自分の心配をするといい」
「それでいいのかディアナ?」
「まぁね、守られるのは柄じゃないし、戦うのは不本意だけど得意だからね」
「そういうものか、俺もなんだかんだと身近な当たり前が全てだと思っているのかもな、女性は戦えぬと」
「まぁ、それが普通でしょ、精霊の物好きとか言われて女性が精霊騎士になるのが増え始めたのって最近よ?」
「そんな話があるのか?」
「この辺りの文明圏じゃ戦争は少ないかもしれな……、あ、ハリルトンは別ね、まぁ女性も戦いたいって人が増えて精霊の武具が人気なの、私は昔からなのに流行り者って煽られた事もあったわね、ドワーフに」
「ここでも精霊の武具ではないが道具は人気だな、軽くて丈夫、それだけでも価値があるだろう」
「でも、道具なのに個人差が出るのは欠点よ、使い手によってはすぐに壊れるわ」
「心底仕事が嫌いだと道具が壊れるというアレですね」
「そうそう、だから武器も同じよ、弱気になるほど脆くなる」
「万能なモノはない、か、俺はそう思ったことはないが、確かに人によっては不便な道具か」
「ドワーフ達も、結局普通の道具を作ることもあるってね」
精霊の加護は万能ではない。
聖剣を作る事も、便利な道具を作る事が出来ても、性能を維持する事が難しいのだ。
持ち手に左右される道具は良くも悪くもムラが出来てしまう、最悪の結果として高価なガラクタにも成り得てしまうのだ。
勿論、その欠点を防ぐ方法がない訳ではないが非常に高価であった。
「……ところで話は変わるがその虫除けのブローチ、ずいぶん凝っているな?」
「えっ! あ、うん、似合ってるかな?」
「いいと思うぞ、ヴィクターが選んだのか?」
「最終的に決めたのはヴィクターかな…………って、どうしたの?」
「買ったときの事を思い出すと、かなり恥ずかしい、ですね」
「酔っぱらってたもんね」
その後も焚き火を囲みながら話をしていたが何時までも惚気話を聞いていては休めぬと、キアランが横になった。
適度に灯りを確保しながら、お互いの体を寄せ、見張りをする事に。
「静かな森ね、なんだか不思議」
「でしょう? 風も少ないし、なんだかんだと穏やかではあります、荒れてるところもありますが」
「キアランに感謝ね、広大な道のりを覚えているだけでも凄いわ」
「仕事に関しては優秀なんですけどね、ちょっと真面目過ぎる事もあって、そこが堅苦しいだの言われてる事があったります」
「だよネー、イイヤツなんだけど、細かいし五月蝿いのがネー」
「そうなんですよ、以前に……って、え?」
聞き慣れぬ声に二人は武器を手に取り身構えると、近くに獣人族の女性が座っていた。
「ヤッホー、キアラン寝てる?」
「……キアランの知り合いですか?」
「そそ、キミがヴィクターでしょ? キアランから聞いてるヨ、そっちのヒトは知らないケド」
「確かに僕がヴィクターですけど、もしかしてクーシーの民? キアランの昔馴染みですか?」
「お、キアランったらアタシの話もするんダネ、意外ダネ」
「でも、名前は知らないんですよ」
「おっと、紹介が遅れたネ、アタシはクーシーのリリー、よろしくネ」
リリーと名乗った女性は狼のような尻尾と耳をもった赤毛の女性であった。
音もなく現れたリリーに対しディアナは警戒していたが、敵意が無い事は直ぐに分かった。
殺す気があるなら話すよりも先に攻撃する、何より彼女は腰の武器、鉈のような武器には落下防止の為にある固定用の紐が結ばれたままだったのだ。
警戒を解き、ヴィクターとディアナが改めて自己紹介をし、軽く雑談をしようとした時、リリーは寝ているキアランに対し、思いっきり飛び掛かるのだった。
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