第七話 お屋敷での休日

 こんなに叫んだのは初めてじゃないだろうか?

 ヴィクターは息を整えながら閉まりきった扉を見た。

 外は静かになった、流石に皇族の屋敷に突撃してくる事は無いようだ。


「や、やっと落ち着ける」


 気が緩むと体の痛みや疲れが一斉に襲ってきた。

 ヴィクターは床だろうが構わず、その場に座り込んでしまった。

 いつか出迎えてくれた老執事が水を持ってきてくれた、こちらが落ち着くまでは語り掛けてこないようだ。


「あ……、ありがとう……ございます」


 受け取った水を一口飲み、深呼吸を繰り返す。


「「大丈夫ですか?」」


 コップを執事に返し、声の方向見てみれば足早にイニスとイリゼがやって来た。

 あれだけ大きな声で喜べは気づくだろうと、今更になって少しだけ恥ずかしくなる。

 双子は肩を貸してくれた、とりあえず客室まで手を貸してくれるらしい。


「一体、何があったのです?」

「色々、色々ありすぎて一度には話せません、ギルバート様にお渡ししなければいけない物もありますから」


 肩を貸してもらいながらギルバートの部屋まで行くはずだったが、ギルバートはロビーで出迎えてくれた。


「良く戻ったヴィクター、歓声を聞くとは思わなかったがの」

「嬉しくてつい、申し訳ございません」

「許そう、近くの客室で話そうじゃないか」


 客室へ移動し、ヴィクターはソファに座った途端にそのままよろけそうになった、自分でも感じている以上に疲れていたらしい。


「大丈夫かね?」

「なんとか……、では、依頼の品です」


 鞄から布に包まれた刺突剣を取り出し、テーブルの上に刺突剣と短剣を置く。

 老執事が受け取った後にギルバートへと手渡される。

 ギルバートと老執事が刀身を見た瞬間、直ぐに布に包み直していた。

 何かに怯えるような表情で、息を落ち着かせていた。


「確かに、よく届けてくれた」

「これが仕事です、しかしギルバート様」

「なんだね?」

「今後は刺客に追われるような依頼は引き受けませんからね……」

「……駄目かね?」

「はい、信頼してくれるのは嬉しいですがこれでは体が持ちませんよ」


 その後は砦の後の出来事をギルバートに伝えた。

 湖畔、東部前線、ついさっきの逃走劇。

 包み隠さずギルバートへと語ったのだ。


「報酬の一部を、クリス・バーネット殿に渡して頂けると助かります、無理でしたら僕が直接向かいますが」

「そのくらいはお安い御用だ、これを手元に戻す事が出来たのだからな……、この剣は――」

「失礼ですがお聞きしたくありません、それには関わりたくありません!」


 ハッキリと物を言わねば伝わらない、無礼だろうが構っていられなかった。

 疲れのせいで言葉を選べなかったというのもあるが、兎に角その剣だけは見たくもなかった。


「そうだな、先ほどの話を聞けば納得というものよな、ハッハッハッ!」


 厳重に保管しておけと、老執事の手に渡り、そのまま客室から出ていった。


「しかしヴィクターよ」

「なんでしょうか?」

「本当に依頼を受けてくれぬのか?」

「お言葉ですが、ギルバート様専属運び屋ではありません、父を使ってください」

「そのセドリックから、お前を使えと言われたのだが……」

「あ、あの野郎ッ!」


 なんて親だと、ギルバートの前であろうと口に出てしまった。

 その様子に部屋に居る全員が苦笑いだ。


「ギルバート様の報酬は魅力的ですが、命と釣り合うかと言われると……」

「君は数々の兵士達を見たはずだ、防衛地帯、南部砦、馬車の警護兵や街道巡回兵、これは彼ら全体への貢献なのだ」


 兵を大事にする皇族達、クリスの言うとおりだった。


「頼む、兵達の力になっては貰えぬか?」


 頭を下げられてしまった、これは非常によろしくない。


「やめてください、皇族の方が頭を下げるのは命令と同じです」

「むぅ、これも駄目か……、イニスとイリゼの奉仕でもか?」

「うっ、なんでそう卑怯な手ばかり言うのですか!」


 双子の眼つきが変わる、命令など無くても身の危険がある、期待感も無くはない。


「……では時期が合えばというのはどうでしょう、連続での依頼は受けない、この街に仕事以外で寄った場合にお尋ねする形です」

「……全くしない訳ではない、と?」

「連続は絶対に嫌ですが帝国兵の方には恩義があります、全てお断りというのは気が引けますから」

「ヴィクターが兵達を気に入ってくれてよかった、今後もよろしく頼む」

「はい」

「今日は二~三日泊まってくれても構わない、というか泊まっていくと良い、外はまだ慌ただしい連中が居るかもしれないのだからな」


 黒装束の彼女の叫びを思い出す、敵ながら悪い事をした。


「ではお言葉に甘えて」

「うむ……イニス、イリゼ、任せるぞ」

「「はい」」


 ギルバートは部屋から出ていった。


「終わったー」


 二人の前だと言うのにヴィクターは脱力していた。

 鞄を置き、旅装束の装備を外す。

 ハンドアックスがこんなにも重かったかなと苦笑する程、体が軽くなった。

 双子が手入れを手伝ってくれるようで、道具一式を持ってきてくれた。


「……手入れは、あっ」


 ふと気になってショートソードの刀身を確認すると、砦での戦いで欠けていた。


「仕方ない、後で城下町の鍛冶屋にでも行こう」


 刀身に問題はないが、見て貰って使い物にならないなら新しい剣を用意しなくてはいけない。

 ハンドアックスは全く使っていないので問題は無かった。


「ヴィクター様、気になるのはわかりますが体を休めた方がいいのでは?」

「そうですね、少し我儘を言っても?」

「なんでしょう?」

「包帯と、体を拭くモノを」


 抜糸したとはいえ、浅い傷はそのままだ。

 刺客からの傷は完全に癒えてはいない。

 上着を脱ぎ、傷の様子を確認していった。


「イニス、お願い」

「はい」


 イリゼは残り、包帯を外していく。


「随分、傷が増えましたね」

「戦闘は得意ではないので生き残れただけでも幸運ですよ」


 竜人族と森のエルフの治療、バラノフの精霊薬がなければ辿り着けなかっただろう。

 思い返すだけでも刺客の強さには溜息しか出ない。


「やっぱ、護衛は必要なのかな」


 しかし、専属の護衛と契約を結ぶのは難しい。

 護衛の事も考え、仕事の数と報酬を増やさねばお金が無くなるのだ。

 その分忙しくなり、危険は増える。

 効率の良く、適度にこなせるとなるとどこかの専属で運び屋になればそこから護衛も貸してもらえるだろうが、ヴィクターはそれが嫌だった。

 色んな場所に行ってみたいという欲求と、制限される事が嫌なのだ。


「一人の方が動きやすいが、しかし……」


 相棒となれば違うのだろうが、そういった人物にアテは無い。


「まずは休息です、考え事はその後の方がいいと思われます」

「そうでした」


 傷は開いていないが気を付けなければいけない。

 包帯は数か所外しても良さそうだと、鞄から汚れていない衣類を取り出そうとすると制止された。


「この屋敷内での衣類は用意してあります、その間に傷ついた衣類は処分し、使えそうな物は洗濯します」

「そこまでしてもらう訳にも――」

「します」

「……はい」


 あまり遠慮しすぎても失礼なのかもしれない。


「食欲はありますか?」

「体を拭いて包帯巻いたら一度寝ます、そろそろ辛くなってきました」


 馬車の中で寝たとは言っても仮眠に過ぎない。

 今回の依頼で休めたのは砦に着くまでだっただろう。

 剣を受け取ってからは何時でも頭の片隅に荷物の事を気にかけていた。

 深くソファに腰かけて、天井を仰ぐ。


「一度アグアノスに戻って、遠征前の仕事もした方が体の為か……」


 そうして瞼を閉じた瞬間、ヴィクターの意識は眠りに落ちていた。





 目が覚めるとベッドに横になっていた。

 窓の外は暗くなっていた、随分寝てしまったらしい。


「しまったな……」


 二人に手間をかけさせてしまったなと反省しつつ、体の様子を確認していく。

 問題は無い、少し重く感じるが許容範囲だろうとベッド横にある衣服に着替える。

 旅装束以外は久々かもしれないと袖を通した瞬間、自分に似合っているのだろうかと不安になった。

 派手な服飾もなく、明るくもない白系で落ち着いた色だというのは安心する。


「なんだか落ち着かないな……」


 となると、体は自然と道具の手入れしようとするが、双子によって仕上げられていた。

 ショートソードだけはどうにもならないが、旅装束は洗濯されているのか見当たらない。


「……困った、休むって何すればいいんだ」


 アグアノスに居た頃の事を思い出せば、街に出て情報収集や仕事仲間と喋るくらいだが屋敷内で休むとなるとそうはいかない。

 刃こぼれしていても素振りは出来る、だが訓練できそうな場所が無さそうだ。

 この部屋から出て、屋敷内を歩き回るのは躊躇われた。


「本を持ち歩く奴の気持ちが解ったかもしれない」


 荷物の邪魔になるとヴィクターは持ち歩かなかったが、体を動かす以外の時間を潰す方法も覚えなくてはいけないようだと唸ってしまった。

 貴族様は一体どうやって家で過ごしているのか気になる。

 目を覚ましたからと二人を呼びつけていいのだろうか?

 屋敷の使用人ともなればそれなりに忙しいのではないか?

 客人だからと横暴はあまりしたくない、故に着替えたが何も出来ない状態になっていた。


「二日も耐えられるだろうか?」


 明日には無理言って城下町に行った方がいいかもしれないと考えていると、ドアを叩かれた。


「どうぞ」

「失礼します」


 イニスかイリゼか、やはり判断は出来ない。


「すいません、途中で寝てしまって」

「お世話は慣れていますので、お気にせずに」

「僕の装備一式は?」

「明日の朝に、綺麗に仕上がった状態でお届けします」

「ありがとうございます」


 一先ず様子を見に来た、そんな感じだった。


「お食事にしますか?」

「そうですね、お願いします」

「承知いたしました、では、少々お待ちください」


 部屋に運んできてくれるらしいと、背伸びした瞬間、再びドアを叩かれた。


「どうぞー」

「失礼します」


 おそらく、さっき出て行った方ではない。

 双子の区別が出来れば混乱する事も無いのだろうけどと、苦笑してしまった。。


「お食事はもう少しお時間が掛かるので、飲み物をお持ちしました」


 葡萄酒だった、硝子のグラスで飲むのは初めてかもしれない。

 グラスに葡萄酒を注がれながらふと考える、以前はギルバートと会話しながらの食事だったが、今回は二人が見ている中で黙々と食べなくてはいけないのかと。

 考えると落ち着かない光景だ。

 しかし使用人という立場である以上、一緒に食べましょうとは提案しても困らせるだけだろうと、それは仕方がないのかもしれない。


「……、やはり上層の人間は違うな」

「どうかしました?」

「上層の方の生活はホントに違うなと思い知ってしまって、どうやって時間を潰すのか、食事も静かに黙々と食べるのかと想像してしまうと息が詰まりそうで」


 湖畔の竜人族やエルフと談笑しながら食べた時の事を思い出すと、空気が違い過ぎた。


「仮にですが、一人だと嫌なので貴方達と食事をしたいと言ったら、困るでしょうか?」

「それは……」

「やっぱり、困りますよ――」

「お酒は飲めませんが、それでもよろしいのでしたら」


 あれ、思っていたのと違う。

 予想とは覆されるモノなのか、彼女は嬉しそうだった。


「無理していませんよね? 別に命令とかではないんですからね?」

「少々お待ちくださいね」


 聞いちゃいないと、彼女は出て行ってしまった。


「ま、いいか」


 ポツンと置かれたグラス、注いでくれたのだからと一口飲む。

 とろりとした、甘みを感じていた。

 グラスを眺め、紫色の液体が揺らぐのを見るとつくづく庶民だなと感じていた。


「葡萄酒で甘みを感じたのは初めてかもしれない」


 酸味が強くて避けていたが、飲みやすいのもあるんだなともう一口。

 強い葡萄酒なのか、回る速度が少し早い。

 味を楽しんでいると、双子が食事を大きなトレイ複数回運んできた。

 本来はヴィクターの分だけで少ないのだが、今回は三人分という事で手間が掛かってしまった。

 仕事を増やしてしまったかなと考えていると、双子は嬉しそうだった。


「では、いただきましょうか」


 そう声を掛けられ、三人は食事を始める。

 大皿に盛られた料理を小皿に取り分けて、ヴィクターに渡してくれた。

 取り分け終わったら食べ始める、知り合い同士がお互いに気遣いしながら食べる食事だった。

 そう要求したのはヴィクターだが二人も肩を張らずに済むのか笑顔である。


「お二人も楽しそうでよかった」

「「これもヴィクター様のおかげ」」

「普通は、お客さんと一緒に食べるっていうのはないのでしょう?」

「そうです」

「お食事の場は社交の場であり、戦いの場でもありますから」

「戦い?」


 作法、品格を見せ、政の腹の探り合い。

 人脈を広げるための交流場。

 好き勝手楽しむ訳にはいかない。


「まぁ、僕は無縁ですもんね」


 正直待遇が良すぎた、一介の運び屋に接する態度ではない。

 セドリックの功績と、ギルバートの性格が関係しているのだろう。

 他の屋敷ならこうはならない。


「ところで、もう葡萄酒は結構ですよ?」


 少々強いので遠慮しているが、話の合間に良く注がれる。


「そうですか?」

「ええ、流石に酔って吐くなんて事は無いと思いますが、飲み慣れないせいか回りがはやくて」


 その後も談笑は続き、食事は終わった。

 ご飯もお酒も楽しんだ、今日はぐっすり休めそうだと安堵する。


「何かあればお呼びください、ベルを鳴らせばすぐにでも駆けつけます」

「ありがとう」


 食事前も寝ていたというのにまた眠くなってくる。


「あ、着替えなきゃ……」


 二人が出て行くのを確認してから再び寝衣へ。

 ランプを消し、再びベッドの中へ。


「贅沢だな……」


 窓の月明かりを眺めながらごろごろと過ごす。

 瞼が徐々に重くなってきた、このまま眠れると思ったがそうはいかない。

 訓練で鍛えた感覚だけはどうにもならなく、静かにドアを開けてもヴィクターは気が付いてしまった。

 足音を完全に殺す事は出来ない。

 横目でドアを見れば、やっぱり双子だった。


「……」

「「……」」

「相変わらずですね」

「「起こしました?」」


 そう尋ねながら以前と同じく両脇を固められてしまった。

 ベッドが大きいので三人並んでもおさまってしまうのも相変わらずだ。


「「失礼します」」

「入ってから言うんですね」


 確かに眠いが前回よりは冴えている、気に入ったからと迫られてもどうしようも出来ない。

 手を出してしまうのも、なんだか気が引けた。

 好意は嬉しい、だが手に収まらない程の好意は悩む。


「「私達では不満でしょうか?」」

「そんな事は無いです」

「「では、どうして困っているのです?」」

「どうして僕なのか、それがわからないから不安になるんですよ……」


 そう言った後、二人は更に密着してきた。


「では、それを……」

「たっぷりとお教えしましょう……」


 この日の夜は、ヴィクターにとって長く甘い夜となるのであった。

 




 翌朝、いつもよりも遅い時間に目が覚めた。

 日の出が昇る頃には目を覚ますヴィクターだが、既に外は眩しくなっている。


「……」


 ヴィクターは自分の指で唇に触れ、ハッとなって体を起こした。

 二人は居ない、仕事をしているのだろう。


「……、何時包帯外したっけ?」


 傷は塞がっていた、シーツや衣服を血で汚す事は無い。

 衣服に着替えようと上着を脱いだ後に、双子が入って来た。


「「おはようございます」」


 何時もより声が明るい、そして二人の顔を見ると言葉が出なかった。

 昨晩の扇情的な姿と言葉が一度に蘇り、後ろを向いてしまう。


「おはよう、ございます」

「「フフッ」」


 記憶から消せない、それ程までに長い夜だった。


「ヴィクター様、随分と寝汗をかいている様子ですね?」

「へっ?」


 確かになんだが寝衣がしっとりしていた。

 少しだけ汗臭く、ちょっと気持ち悪い。


「体を拭くのなら、浴場を使いますか?」

「いいんですか?」

「何時でもお湯がありますからね」


 洗濯済みの綺麗な衣服を受け取り、浴場に案内してもらう。

 脱衣所に入り、二人は仕事があるのでと何処かへ行ってしまった。


「二人が居ないうちに済ませないとな」


 揶揄われるのは御免だと、手拭いを片手に浴場へ向かった。


「おはよう、ヴィクター」

「え、あ、ギルバート様!?」

「朝に風呂に浸かるのは日課でな」

「そう、なんですか」


 とりあえず少しだけ距離を取って体を流す、お湯がこれだけあるというのは羨ましい。

 洗った後に二度目の温泉に浸かる。


「あぁ~」


 やっぱり声が出てしまった、思わずギルバートの方を見てみると笑いを堪えていた。


「いいですね、温泉」

「そうであろう? ワシの依頼を受ければ何時でも入れるというのに……」

「そうですけど……、昨日の事は変えませんよ」

「仕事は多い、何時来ても頼む事があるだろうさ」

「覚えておきます」


 不敬罪で捕まらないのはセドリックのおかげだろう、こちらの態度にも気分を害した様子はない。


「血は争えんな、もうワシに敬意すらないだろう?」

「そんな事は、ないです、よ?」

「堅苦しいのはワシも嫌いだ、安心せい」

「ありがとうございます」


 しばらく無言で浸かっていると、ギルバートは何か思い出したように話しかけてきた。


「イニスとイリゼなんじゃが」

「……二人がどうかしました?」

「今日の朝、何時も以上に元気でな、お主は何か知らんか?」

「どうして僕に聞くのでしょう?」

「思い当たる事があるのではないかとな?」

「無いとは言いませんが、言いたくはないです」


 もうわかったと言わんばかりの下種な笑みを向けられる、皇族と言えどおじいちゃんな所は変わらないらしい。


「食べられた訳じゃな?」

「…………何の事でしょうね」

「美人に迫られて悪い気はせんじゃろう……、ヴィクター、お主は真面目すぎる」

「駄目でしょうか?」

「割り切る事も大事じゃ、全部抱えて生きていける人間なんぞ、ワシは知らんぞ」

「それは……、しかし……」

「あの二人と寝るのは感謝だと思えばいい、洗濯や手入れをしてくれるからそのお礼をしているのだと」

「二人の事は、その、大切な友人です」

「それでいい、向こうも重く受け取って欲しくはないだろう」


 良いのだろうか?

 二人が喜ぶなら、問題は無いのだろうか?


「そもそもお主、悪く言えば襲われたんだろうに」


 そうでした。

 その通りでした。


「……、でも、嫌じゃなかったです」

「素直じゃな」


 二人は湯船から出て着替える。

 その後は脱衣所で水を拭き取り、ヴィクターの少々長い髪には布が巻かれた。

 なんでも乾くのを早くしてくれる物らしく、イリゼが巻いてくれた。


「ありがとうイリゼ」

「はい……、え?」


 ギルバートとイニスも手が止まっていた。


「皆さんどうかしました?」

「わかるのですか?」

「何がです?」

「私と、姉の違いを」

「そういえばそうでした、何故でしょう、感覚的に貴方がイリゼかと思いまして……、あれ、間違えました?」

「いえ、合っていますが」

「良かった、間違えたら失礼ですからね」


 近くで接したら僅かに違いある、それだけの事。


「なるほど、姉さんより私の事を意識してくれた訳ですね?」

「え?」

「違うわイリゼ、私の方を意識しているから違和感があって気付くのよ」

「違う、意識されているのは私」

「いいえ、それは違う」

「「私よ」」


 感覚的な問題だから説明出来ないと、双子の争いは朝食が済むまで続いていた。





 ヴィクターは旅装束を身に纏っていた。

 二日もこの環境では鈍ってしまうと、屋敷を出る準備を済ませていた。

 ギルバートにはその事を朝食の時点で了承してもらい、報酬を受け取っている。


「「もう一日駄目ですか?」」

「魅力的な話ですが、僕が駄目になってしまいそうですからね」


 双子に別れを告げ、屋敷を後にする。

 向かう場所は城下町下層にある、職人通りと呼ばれる工房街だ。

 急ぐ必要もないと、ゆっくりと街を観光できた。

 工房街は賑わっている、傭兵や帝国兵で溢れているからだ。

 ハリルトン中央で稼げる人間以外の種族、ドワーフも多い。

 どの工房も質が良さそうだとヴィクター店選びに悩んでいた。

 そして利用している客の表情も悪くないと、頑固そうなドワーフの居る工房に入る。

 早速ショートソードを見てもらった。


「アンタ、結構長く使ってるみてぇだな」

「ええ」

「変え時だな、何時折れても不思議じゃねぇ……、武具を大切に扱う奴は好きだ、コイツを下取りにしてうちの作品を買わねぇか?」

「重さと長さが同じか、近いなら馴染みやすい、選んでもらっても?」

「おう、少し待ってな」


 工房奥で鍛冶師は祈りを捧げながら特殊な薬液を武具に使用し、打っている姿が見えた。


「精霊信仰の工房だったか」


 祈りの力で、魔法の力を得る。

 教会から認可された工房のみ許される製法だ。

 通常の剣よりも壊れにくく、劣化しにくい物が一般的だ。

 技術を磨けば魔獣の皮膚すら切り裂く聖剣が作られると噂されるが、現物は見た事が無い。


「エルフの兄さん、これなんてどうだ?」


 先程のドワーフが持ってきたのは、どれも精霊製法の剣だ。


「値が張るのでは?」

「こいつは弟子の作品だ、銘も刻んである……、大切に使うアンタなら宣伝してほしいと思ってな」

「工房とその人の作品を、ですね?」


 値段を聞けば一般的な価格と変わりせず、問題が無い。

 それで精霊製法、銘付きの一品となれば格安の条件だ。

 普段使っている感覚で何度か素振りしてみるが、違和感は少ない。


「少し、軽いですね」

「駄目か?」

「扱いが難しくなるだけです、そこは僕が訓練すればいいだけですから問題はありませんよ」


 剣と鞘、ついでに金具の位置調整も行ってもらう事になった。

 なのでしばらく工房内に売られている作品を見る事に。


「知り合いの商人にも紹介できそうだ……、あれは?」


 細身の長剣、コンツェシュと呼ばれる騎兵用の鎧通しがあった。

 その長さは馬に乗る前提の物だ。

槍が使われる事が多いので、作っている事がハリルトンでは珍しい。

馬に乗る事もあり、剣を愛用している者ならば一考するかもしれない。

 ヴィクターが手に取ってみようとした瞬間、近くの剣士が手に取ってまじまじと見ていた。


「「あっ」」


 その剣士は、黒装束の彼女だった。

 再び紫色の瞳と目が合い、思わず後ずさりしてしまう。


「貴様ッ! あの時はよくも!」

「ああしないと死んじゃうからです! 仕方ないでしょう!」


 品物のコンツェシュで貫かれるかと思ったが、睨み付けた後に彼女は棚に戻した。


「……、それで、今は依頼を請け負っているの?」

「いいえ、馬車内でも言いましたがアグアノスに戻る予定です」

「そう」


 例の剣はもう渡した、とりあえず八つ当たりで刺される事は無さそうだった。


「貴方、私の依頼を引き受けなさい」

「えっ」

「我が組織は貴方の力を評価しています……、例の物で、報復をと言い出す者も居ましたが、次も敵とは限らないという事で貴方は泳がされています」

「喜んでいいのでしょうか?」

「私達の依頼を受ける事によって、貴方は延命出来るという事よ」


 撫でられて喜んでいた姿を見たヴィクターとしては、今の状態が背伸びしているようにしか聞こえなかった。


「……何笑っているの?」

「ごめんごめん……いいですよ、深く事情を説明されない、刺客に襲われない事が望ましいですけど」

「ではここで待っていて、本部にその旨を伝えてくる……どっか行かないでよ?」

「はい」


 彼女には元々悪い事をしたなと感じていた。

 仕事上仕方なく襲われていたのだ、話が出来るような関係になれるなら嬉しい限りだ。


「待たせたな」

「あ、出来ました?」

「おう、依然の物と同じ位置に取り付けた、問題ないだろう」

「ありがとうございます」

「ホントはエルフなんぞに武器はと思ってたんだがなぁ、アンタからは嫌な気配がしない」

「ハーフだからでしょうか?」

「いまいち違いがわからねぇが、そういう事かもしれねぇな」


 代金を渡し、ベルトにショートソードの鞘を取り付ける。


「鞘も少し軽い、助かります」

「いいって事よ、ところでアンタあの子と知り合いなのか?」


 あの子、そう言われると先ほど話していた黒装束の彼女しか思い当たらない。


「彼女がどうかしたんですか?」

「いや、常連というだけさ、あの子にも弟子の武器を渡してあるんだ、体に合わせた専用の剣さ、エストック系で作ってある」


 馬車の中で使われたあの剣が、そうなのかもしれない。


「ちゃんとアーシャって名前も彫ってある、ま、偽名だろうけどな」

「色々複雑ですね……」

「あの子とは付き合いが長くてな、仲良くしてやってくれ」

「はい」


 その後は、工房の様子や武具を見ながら時間を潰す事にした。

 彼女が戻ってくるのにそれ程時間は掛からなかった。


「はい、これが伝票」

「……、ところでアーシャさん」

「なんッ!?」


 返事をしようとして思いとどまっていた。

 そのままでも仕方がないので話を進める事にする。


「北の国境で荷物を受け取ればいいんですね、受け取った後に襲撃されるなんて事は――」

「待てまてまって! なんで名前を!」

「さっきのドワーフさんに」

「親方め……」


 ぐぬぬ、そんな感じの表情だった。


「……、結構楽しい方なんですね」

「貴様のせいよ!」


 結構若いのかもしれない、刺客として襲って来た時の冷酷さは何処に行ったのやら。


「それで……、どうなんです?」

「襲われない、それは我々の専売特許よ」

「報酬は?」

「二十銀貨、五精霊金貨」


 ギルバートの報酬よりも高い、今回の遠征分で消費した額を補える額だ。

 宿に銀貨一枚でいいこの世の中に、精霊金貨は取り扱う店を探す苦労すらある。

 一般的な買い物は銅貨と銀貨、特に銅貨が多い。

 金貨は大取引で使う物だが、精霊金貨は勝手が違う。

 教会で祝福されたこの金貨は特殊、幸運の金貨とも呼ばれ一枚で通常金貨五枚分、信仰の強い土地ならさらに価値は上がる。

 つまりこの報酬は破格で、しばらく仕事せずに済むような額だ。


「……、降りていいですか?」

「不満なの!」

「額が大き過ぎる! 怪しいですよ!」

「え、減らしていいの?」

「銀貨二十! それだけでも十分な額です!」


 信じられんといった表情でアーシャはヴィクターの顔を見ている。


「ちゃんと、伝票を見て言っているの?」

「ええ、十六番北部国境街で荷物を受け取る、その際に専用の箱も貰う、荷は……荷は?」


 剣と書かれている、古代の騎士が使用したと言われ、精霊製法で作られた伝説の聖剣。


「……アーシャさん、なんですこの依頼? というか本当に聖剣なら運び屋でいいのですか?」


 運び屋に頼むような依頼ではない。

 個人がやるような依頼とは思えない。


「仕方ないのよ……、アレを運べてしまったのだから」

「アレ? それは例の剣ですか?」


 布に包まれた刺突剣。

 あれが関係しているのだろうか?


「でも、アレの運搬とどのような関係が?」

「知らないで、あの剣を運んでいたの!?」

「運び屋ですから事情は聞きません、終わった後も聞きませんでした」


 彼女は立ち眩みを起こした様に頭を押さえていた。


「わかった、いいから、それの回収よ……、銀貨二十でやれるって言うならやって」

「言ってはなんですけど聖剣なんてホントにあるんですか? 嘘くさいんですけど」

「あるの……、後、北部は国境まで馬車があるから、馬車代を渡しておくわ」


 そう言って麻袋を手渡してくれた。


「では、行ってきますね?」

「お願いね」


 心底呆れた、疲れた、そんな顔をされなきゃいけない理由はなんなのか?

 おまけに馬車もあるなら本当に自分が行く理由がわからない。


「ま、楽ならいいか」


 そう言って、ヴィクターは北を目指す。

 

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