第六話 黒装束の影

 そろそろ夜明けが近い、そう感じる頃には六番防衛地帯を抜けていた。


「……、もうひと頑張りしてくれよ」


 クリスは馬に語りかけ、ヴィクターは再びボウガンを用意する。

 三番街に向かうまではまだ気が抜けないのだ。

 貴族達の刺客と今まで遭遇する事はなかった、だとすれば防衛地帯を抜けた時が怪しい。


「諦めてくれていると助かるんですけどね」

「そうだな」


 速度を上げ、盆地に作られた三番街へと馬を走らせる。

 街の姿はぼんやりと確認出来るが、見通しが良いだけで直ぐに辿り着ける訳ではない。

 最後の門から死角になった瞬間、周囲から物音が僅かに聞こえてきた。


「やはり退路は塞いでくるか」


 弓等で馬を射る、という事はしてこなかった。

 態々馬に乗りヴィクター達の進路と退路を塞いできた。

 騎手は、二十三番砦で見た黒装束と同じ装備である。


「しっかりと掴まれよ!」


 クリスは迷う事無く脇道へ逸れていく。

 そこは整備されていない岩の道、クリスやヴィクターではなく馬の脚がやられてしまいそうだった。

 そんな場所で落馬すれば怪我では済まない可能性があるが、クリスには迷いが無い。

 黒装束達は進むか悩んでいた、整備された道で追いつく事を考えた連中と、降りて追いかける連中に別れて行動し始めた。

 クリスの馬の速度は速いとは言えないが、転ばずに進んでいる。


「ヘッ、ハリルトンの騎兵を甘く見るなよ、ヴィクター!」

「はいッ!」

「鐙に足を突っ込んで前屈みになれ!」

「はぁっ!?」

「いいから早くしろ!」


 少しだけ速度を緩め、クリスを掴んでいた手を放した瞬間だった。

 クリスは鐙から足を外すと、そのまま両足を背に乗せヴィクターの背中に跳ねる。

 ヴィクターが何をしているのか理解できぬままクリスは跳ねたのだ、強引にヴィクターは前側に押し出されボウガンを落としてしまう。

 手綱はクリスが握っている、ヴィクターは何か掴む場所が無いかと前を見ると不自然な棒が鞍から前に二本伸びている、先には滑り止めの布も巻かれていた。

 これか、そう考えて掴むと後ろから声が聞こえる。


「それでいい! 後ろの方が操りやすいんでね!」


 鐙はいいのか、そう考えている間にも馬は進んでいく。

 馬も恐れを知らないのか、クリスと意思が一体化しているように走っていた。


「馬鹿なッ」


 黒装束の驚きの声が聞こえると同時に、クリスは一気に離れていく。


「しばらく荒れ道だ、その体勢で我慢してくれ」

「は、はい」


 馬に覆い被さるような体勢でかなり辛い。

 カチャカチャと金属音が聞こえたので何とか体を捻ってクリスの体を確認してみると、鞍のちょっとした装備を着ける部分に、クリスの脚の装備から金具が着いていた。

 鐙の変わりにブーツを利用したモノらしく、鞍には腰を落とさず絶妙にバランスを取っていた。


「なんか凄い事してません?」

「岩場走りか? それとも今の状態?」

「両方ですよ」

「遠征部隊の軽装騎兵なら必須技能だ、槍と鎧の重装兵は無理だがな」


 荒れ道の間は黒装束は追ってこれない、だからと言ってゆっくりも出来ない。

 ハリルトン帝国騎兵部隊の技能には驚いてばかりではいられなかった。


「元々操るなら後ろの方がいいんだ、今みたいな事は……、俺の訓練部隊で流行った遊びだがな」

「遊び!?」

「乗り手を後ろと前で切り替える、そんな曲芸みたいな事が出来るとモテるとか、随分と下らない事をしてたが役に立ったよ」

「その足の装備は?」

「荷が多い時は乗馬しないんだがどうしても乗らなきゃいけない、けど荷は捨てれないって時の緊急用の鐙さ、今みたいな時とかな」


 この状態で馬と一緒に転んだら確実に骨を折るらしいが、クリスの心臓は相当鍛えられている様だった。


「ホント、練度高いですよね……」


 これにはヴィクターも苦笑いだが、何時までもそんな時間は続かなかった。

 岩場を抜け、街道に復帰すると再び前から黒装束が現れた。

 さっきとは別の連中らしい。


「しつけぇな! 一体アンタ何運んでんだよ!」

「南部の戦いが終わる事に繋がるらしいですよ!」

「くっそ、それなら砦から増援借りれたじゃないか!」


 一先ずぶつかる訳にはいかないと街道から逸れていく。

 街は見えているので方向を見失う事は無い、真っ直ぐ行けない事に歯痒さはあるがまともに戦う訳にもいかない。

 数も技量も、相手が上なのだ。

 クリスのような騎兵でなければとっくに捕まっていただろう。


「相手の馬の方が、早いッ!」


 夜通し歩いて無茶をさせている、疲れていない向こうの馬の方が早いのは仕方がなかった。

 クリスは馬に取り付けていた剣を引き抜き、片手で手綱を握る。

 本当に芸達者な人だと感心しながら何か出来ないと考えて居た時、邪な考えが頭を走った。


「クリスさん!」

「なんだ!」

「先に謝っておきます!」

「あぁ?」


 クリスは馬と後ろから来る相手に意識が向いている。

 ヴェクターはその隙に片方の足を鐙から外し、馬のお尻側にある荷物の位置を確認した。

 黒装束の連中は、徐々に距離を詰めていた。

 クリスの剣と、向こうの剣が一度だけ打ち合う。


「貴族どもめ!」

「僕はまだ死にたくない! だから望む物を持っていけ!」

「ヴィクターさん!?」


 そう言ってヴィクターは『クリス』の荷物を蹴飛ばした。

 大分揺らされていたので荷物の紐は緩くなり、簡単に落ちていく。

 ヴィクター自身の荷物は背負ったままなので全く問題はない。


「今のうちに街へ!」

「くっそ!」


 クリスは気が付いていないのか、そのまま街へと向かって行った。

 黒装束達は追ってこない、荷が無ければ追う必要は無いと判断したのだろう。

 そのままクリスとヴィクターは三番街へと向かって駆けていく。

 見張り塔の視界に入れば一先ず安心という事だ。





 なんとか街に入れた二人は、馬小屋で安堵していた。


「悪いヴィクターさん、生き残れたが荷は……」


 ヴィクターは無言で自分の背中を指さす、荷はあるのだ。


「「……」」


 しばらくの沈黙、クリスの視線は自然と馬の背に流れていく。


「テメェ!」

「いやー子供の様な引っ掛けでしたが上手くいってよかったです、ありがとうクリスさん!」

「俺のッ……、そういや荷は背負いっぱなしじゃねぇか!」


 一部香辛料も出る前にバラノフに手渡したおかげで荷は小さくなり、後から買い足せる携行食等も精霊薬のお礼に渡してあった。

 普段使っている大型鞄を綺麗に畳み、予備の鞄を使えば荷は小さくなる。

 向こうは何を運んでいるか知らない以上、大きい荷物に目が行く。

 だからこそ、あのような引っ掛けは効果がある可能性があった。


「ですから先に謝りますと」

「そういう事かよ」

「荷が最優先、アグアノス商会の規則です、命に代えても捨てません」

「確かにいつ死んでもいいようなもんしか持ってきてないが、アンタ酷いな」


 不満たっぷりだが、命が助かった事で微妙な表情をしていた。


「……とりあえずは休む場所を探す、着いてきてくれ」


 三番街は前線に補給する物資を蓄える倉庫もあり、規模は大きい。

 故に警備人員も多い。

 揉め事は起こしたくはないだろうと予想するが、このまま大人しく休めるかはわからない。


「三番街なら中央行きの馬車はあるんですよね」

「あぁ、そうだけど?」

「では、僕はそれで中央に向かいます」

「なんでまた……そうか、俺は囮だな?」

「はい、馬は停めたままなら街に居ると勘違いしてくれそうですし、どうでしょうか?」

「ヴィクターさん、アンタは大丈夫なのか?」

「体の事ならご心配なく、エルフの血と体は丈夫なんですよ?」

「じゃあ頑張ってアンタが居る様に誤魔化すかね、上手くいかなくても恨むなよ?」

「はい、それとこれを」


 荷を蹴飛ばしたのでとお詫びに多少のお金を渡す。


「随分と気前いいじゃねぇか、宿代と飯代、昼と夜の飯を食ってもおつりがくる」

「依頼主がこれですんで」


 そう言って、ヴィクターは懐から例の短剣をこっそり見せた。

 それが何なのか、クリスは直ぐにわかったのか苦笑いである。


「……そりゃ追ってくる、当然だ、とりあえず朝の中央行きは人が多いから紛れるなら今だ、急げよ」

「直接は出来なくても、何時かお礼は必ず」

「期待はしないでおこう、今回は帝国兵の誇りを貫いた、それだけだからな」


 フードを被りなおし、二人は別れた。


「……、ありがとうございます」


 小声でお礼を言いながら、ヴィクターは馬車乗り場へと移動した。

 朝だと言うのに人混みがあり、中央行きはクリスが言っていた通りに混んでいる。

 まるで輸送隊の様に馬車が並び、労働者や傭兵、商人等利用者は多い。

 特に多いのは武具職人達だ、話を聞けば街の外に大掛かりな工房が存在するらしく、街の工房で働く者は馬車を利用するらしい。

 よく見れば中央行きだが、労働者と職人、それ以外は別の馬車にまとめられていた。

 ヴィクターもそれに従い、駄賃を払って馬車へ乗り込む。

 前回と違うのは人の数、押し込められるような形になってしまった。

 だがこれなら迂闊に襲われないだろうと、そんな確信があった。

 何故なら狭すぎて動きづらい、これならどんな達人でも馬車内では動けない。

 商人の護衛も乗っている以上、迂闊な動きはこの馬車で腕に覚えがある者達全てを敵にするだろう。

 護衛の犬や帝国兵も黙ってはいない。

 これは、危険を脱したと言っても不思議じゃなかった。

 三番街を見る余裕がなかったのは残念だが仕方がないと溜息を一つ。

 夜通しのおかげで多少の眠気も襲ってくる。

 軽く寝てもいいのではないだろうか、そう考えていた。


「すいません、この馬車はどれくらいで中央に?」

「昼過ぎだな、結構長いぜ?」


 横の商人も寝る気なのか目を瞑りだした。


「道中も穏やかさ、寝るには丁度いい」

「そうなんですか」


 徐々に眠気が強くなってくる、そう感じながら改めて馬車内を見渡した時、端に座っている女性と目が合った。

 旅人なのか、この馬車に乗っている人間と雰囲気が違う。

 紫色の瞳とショートの黒髪、身長が低いのか、隅っこにいるせいなのかわからないが、少女のような印象がある。

 そして美人だ、商人の護衛達もつい視線を向けてしまっている様だった。

 装備は風防用のマントで遮られ見えない、少し幼く見えるのはマントに包まれているせいかもしれないなと眠りそうな頭を動かす。


「なぁお嬢さん、道中暇だろ? 話し相手になってくんねぇか?」


 下心を必死に隠しながら一人の男性が話し掛けるが反応もしてくれない。

 その男性がどれだけ話し掛けようと反応してくれない、起きている人らは憐れみの目か、軽蔑の目で男性を見ていた。

 正直、少し耳障りだ。

 誰もがそう感じ始めた頃に彼女は視線を男性へと向けた。


「お、やっとその気に――」

「死にたくないなら黙りなさい」


 容姿に似合わない、ひどく冷たい一言が発せられその男性は凍りつくかと思えば逆上していた。

 男性の気に障ったのだろう、呆れた誰かが止めようとした瞬間、彼女はマントの下にしまっていた細身の剣で男性の喉元に触れていた。

 そのまま剣を引けば切れてしまう、馬車内は一瞬にして張り詰めた空気へと変貌した。


「おい! 何をしている!」


 当然の様に帝国兵に注意される、主に男性が。

 場の空気は少し重くなったが、静かなモノになった。


「……あれ」


 ヴィクターは、どこかであの少女のような声を聞いた様な気がしていた。


「いや、気のせいだろう」


 疲れているなと、再び視線を向けると目が合った。

 冷たさを感じる瞳は、目を逸らす事を許さない様だった。


「……」


 ハーフエルフが珍しいのかもしれない、事実この辺りでは殆ど見かけないのだから。

 だが嫌な寒気もする、森や砦で感じたような寒気だ。

 視線を逸らそうと彼女の足元を見れば、土汚れがある『真っ黒な装備』

 これは偶然なのだろうか、暗い色の装備は目立ちにくいので着用者は多い。

 だが、羽織った風防用マントの下が真っ黒であればどうだろう。

 暗い色等ではなく、本当に真っ黒な装備であれば。


「まさか……?」


 眠気は消えた、彼女が黒装束なのかはハッキリしないがそうであるなら寝ている場合ではない。

 疑心暗鬼になっているのは事実だ。

 本当は違うかもしれない。

 だが、彼女の視線は人を殺すと言われても不思議ではなかった。

 あの人混みの中から見つけ出したのか、それとも街に入ってからずっとつけられていたのか。

 荷は蹴落とした、だがその連絡が三番街にいた連中に伝わっていたかと言えば怪しいところだ。


「迂闊だった……」


 思わず声に出していた。

 疲れと一時的な安堵で簡単に思いつきそうな事が頭から抜けていたのだ。

 万全な状態でも危険な相手がこちらを見ている。

 この馬車の旅は長くなる、そう感じた瞬間であった。





 人知れず緊張状態が続いていると馬車が止まった。

 横目で外を確認すると、大きな工房がある。

 労働者と職人、何人かの商人まで降りて行った。

 人で溢れていた馬車も人が減り、馬車の中は獣の檻の様だった。

 その証拠に彼女はヴィクターの目の前に座り始める。

 席が空いたのだから前に移動した、そんな気分で近寄られてもヴィクターはどうにも出来ない。

 降りる事も出来ず、警備の帝国兵と犬に期待するしかない。

 そう感じていると、先ほど注意していた帝国兵が彼女に話し掛けていた。


「先程はすまない、制止するのが遅れてしまった」


 誠実な帝国兵だった、注意が遅れた事で剣を抜かせてしまい申し訳ないと謝ったのだ。


「私も軽率でした、ですのでお相子です」

「そうか、そう言ってもらえると助かる」


 軽率と言った際に、何故こちらを見たのか。

 何かの意図があるのか、ヴィクターは不安だけで殺されそうな気分だった。


「すっかり、乗客は君達だけになってしまったな」

「えっ」


 その帝国兵の言葉に振り返ると、帝国兵と彼女、ヴィクターしか居ない。


「朝は混んだだろう? だから街の者は少し遅れて馬車に乗るんだ、工房と鉱山に用があった者は御覧の通りさ」

「な、なるほど」


 この帝国兵は恐ろしい程に善い兵士だった。

 不快にならない言葉選びに紳士的な行動。

 これには彼女も耳を傾け、少しだけ会話に参加してくれる。


「エルフさん、尋ねてもいいかな」

「なんでしょう?」

「街の外の事だ、私はこのハリルトンでしか生きた事が無い、休暇を貰っても今の様に護衛任務を受けてしまう程趣味も無いのでな、外が気になるんだ」

「あ、じゃあいい物がありますよ」


 緊張を誤魔化す、そして気を付けていてもどうにもならないと開き直る事にした。

 なんとか命だけは助けてもらうか、それともここで死んでしまうか。

 結果はわからない、やけくそ気味で帝国兵の相手をするのだった。


「実は未開圏の香辛料を手に入れたんです、みんな驚くんですよ」

「真っ赤だな」

「ええ、一口どうぞ」


 ヴィクターが初めて食べた時の様には掴まず、彼は蕃椒を少しだけ指に着けて舐めた。


「なッ、なんだこれは……、胡椒とは違う、辛いな」

「でしょう、僕も驚いたんです、お土産に貰いましたけど料理出来る人じゃないと活かせないんですよね」


 湖畔の里での魚料理の話題は盛り上がった。

 特に油を使った料理には帝国兵も興味津々である。


「あの……」


 話題に触れなかったが、彼女も話に参加してきた。

 思わずビクッと反応したヴィクターだがなんとか持ち直す。


「その辛いの、私も舐めていい?」

「も、勿論……」


 指につけて恐る恐る舐めると、むせていた。


「ホントに、辛い……」


 手持ちの水筒で彼女は水を飲む、幸か不幸かマントの下はやっぱり真っ黒だった。

 確証はない、声と剣で判断するのは早いかもしれないが、彼女は二十三番砦で出会った、毛布で包んだ黒装束の者ではないか?

 嫌な汗が一滴、額から零れ落ちた。


「ハリルトンの料理はどうも味が薄い料理が多くてな、この赤いのはスープなどに入れれば丁度良いかもしれん」

「わかります、疲れた体には濃い味付けがいいのですが中々……」

「そう、少し値が張る、君もハリルトンが長いのかな?」

「ええ、出身ですから」


 なんて自然な世間話だろう、でもこの子殺しに来ていますよね?

 そんな事は聞けない、言いたくもない。


「私達でも、これはどこかで買えたりするのだろうか?」

「南部の争いがなくなれば、出来るかもですね」

「そうなのか?」

「ホビットの商人が、そこから買い付けていますよ」

「ホビット? ケチな商人で有名ではないか」


 そう言って帝国兵は笑っていた。

 屈託のない笑顔につられてヴィクターもつい笑ってしまう。

 疲れたしもういいや、足腰辛いし、ここまでだと自嘲気味に。


「中央まではまだ?」

「まだまだだ、寝るなら邪魔はしないぞ……、なんだかお疲れのようだ」

「いいえ、それでも寝る訳にはいかないんです」

「疲れているなら寝ればいいのに」


 貴方が言うな、ヴィクターはそう言いかけて口を押える。

 それがわかるのか、少しだけ微笑んでいた。

 冷たい笑みでどこか残酷さも備えている、それでも少しは可愛いと思えてしまう。

 クリスとも話した、洗練された者に惹かれるという事。

 こんな状況だからこそ、それを強く感じていた。


「エルフさんは、旅人かい?」

「いいえ、運び屋ですよ……、仕事が終わったんで帰りです」


 逃げ道は無い、終わった様なモノだと諦め気味に答えた。


「帰り?」

「ええ、中央で休んだらアグアノスまで帰ります、帰れればいいんですけどね」

「アグアノスまではそんなに危険なのか?」

「ええ、未開圏通りますから、それに運び屋は賊にも狙われやすい」

「仕事が終わったのなら、報酬で護衛を雇えばいいのでは?」

「それが失敗しちゃって、報酬無しです」


 最も失敗するのはこれからだ。

 街に着いたら走って逃げても追いつかれ、拘束され、人気のない所で骸になる。

 想像すればするほど落ち込んでいく、せめて風呂にはもう一度入りたかった。


「それは……、すまない、迂闊な事を聞いたな」

「いえいえ、今回の仕事は難しかったんです、よく聞きもせず支払いの良い依頼主で満足してしまった……、良い経験でした」


 死んだら父を恨むだろうか、ギルバートを恨むだろうか?

 そんな事は無いだろう。

 あの時こうすればよかったのではないかと考えるのも、無意味だった。


「……えっ!?」


 その時、彼女から心底驚いた顔をされた。

 先程の冷たい視線ではない、この人は何を言っているんだ、そんな顔だ。


「えっ?」


 なのでヴィクターも思わず声が出る、この人どうしたんだろうと。


「どうかしました?」

「いいえ、なんでも!」


 なんだか急に年相応な反応になった様な感じで二人は首を傾げる。


「……」


 彼女は全てを諦めたようなヴィクターをまじまじと見ている、見ているのだ。


「僕の顔に何か付いてます?」

「失敗したのに、どうして首と胴体が繋がっているの?」

「凄い事を聞くのだな」


 帝国兵の素直な反応に思わずヴィクターも同じ事を感じていた。

 そもそも、その作業は中央に着いたら君がするのではないのか?


「確かに、私も少しだけ気になるな、疲れているがエルフさんは生きている……、それなら荷は無事なんじゃ?」

「えっと……」


 これは、もしかしたら彼女を騙せる?

 巻いた連中にした事を話せば、脚色して話せばいける?

 九死に一生を得る、そんな言葉が浮かんだ。


「僕は、運び屋として最低な事をしてしまったので、あまり話したくはないのですが……」

「気になるわ」


 食い気味に話し掛けてくる彼女に、もはや冷たさは無い。


「自分の身を守るために荷を捨ててきたのです、その為に護衛からは報酬が貰えないと見捨てられ馬車に乗る、本来であれば馬に乗って中央に全力疾走する所だと言うのに……、なので中央に寄ったら謝りに行きます、依頼主にもしかしたら殺されるかもしれませんね」


 もし、これが破られれば無意味となる演技だが、疲れもあっていい演技出来ていると自分を褒める。


「馬鹿ですよね、未開圏を生き残り、夜通し寝ずに移動してきたのに……、荷を捨てるなんて……」

「そ、その荷はどうなったの!?」


 ホントに食い気味に質問を重ねてきた、少しだけ体も前に傾いている。


「お嬢さん、その辺にしよう……、二度もすまなかった、興味本位で尋ねるべき事ではなかったな」


 もう完全に刺客だと判明した彼女は、帝国兵に自重しろと注意されていた。

 それでももう少し聞きたいのかそわそわしていた、敵ながら以前とは違う可愛さがある。

 ダメ押しをした方が良いのだろうかと、諦めかけていた思考は攻勢に出た。

 怪しまれない様に、かつ自然に。


「僕だって、あんな目に合うなら依頼を受けなきゃよかったと思います、荷物を受け取っただけなのに見知らぬ人達に襲われて死にそうになるし、運び屋の義務と責任で戦ってきましたけど僕の実力じゃ守り通せませんでした、何処に行っても追いかけて来たんですからね!」


 全力の愚痴である、本心も混ざっていた。


「そんなに大事なら帝国兵の皆さんに依頼してくださいよって感じです、依頼主さんは上層に住んでいるんですよ!」

「上層か、エルフさんも大変だったな……、我ら帝国兵の中でも上層の連中を好む人間は少ないから何かしら問題が起きやすいんだ、勿論皇帝は別だが」


 そこに嫌われている連中の組織の人間がいますが気にしない方向でヴィクターは話を盛り上げる。

 愚痴を言いたいのは事実だ、もっと詳しく内容を聞かなかった自分の事や刺客がこんなに強い事も含めて。


「今頃、護衛の人は怒っているかもしれません、大分無茶させましたから……」

「だが、話を聞く限り捨てなければ二人とも死んでいた可能性もあるのだろう?」

「ですね、それは確かです」

「それなら許してくれるさ」


 首と胴体が繋がっていると聞かれたという事は、命乞いも無駄だった事だろう。


「あのー、気になる事があるんですけどー?」


 口調すら崩壊してきた、これが彼女の素なのかもしれない。


「なんです?」

「馬車に乗って私と目が合った時に驚いていたのはなんで?」

「貴方の装備が賊と似ていて空目してしまったからです、申し訳ございません」


 空目も何も同じなのだが、ここは誤魔化した。

 殺しても無意味だと思わせなくてはいけない。

 街中での死体処理は手間だと兵士が話しているのは聞いた事がある、しないに越した事は無い。


「賊と似ているとは誰が聞いても不名誉だ、疲れているとはいえお嬢さんに対する言葉を選びなさい」

「本当にすいません……」

「いいえ、気にしてないので!」


 他人の為に怒れる、なんて人の出来た帝国兵なのだろうと素直に感心してしまった。

 騙しを行っている自分を悔いそうになるのを抑え、仕事の為に思考を切り替える。

 この人の前では悪い事も出来ないんじゃないか、彼女も調子が狂うのか煮え切らない様子だった。


「でも、もしかしたらまだ狙われているかもと不安なんですよ」

「そうなのか?」

「はい、荷が無事じゃないのに生きていたら、まだ持っているのではないかと思われるでしょう?」

「そんなに用意周到な連中なのか?」

「そう思います、だからこそ眠れないのです」


 そう言い放つヴィクターは、全力で眠い。

 寝むれるなら寝たい、中央に着いた後も何とかしなくてはいけないのだから体力は少しでも回復したいのだ。


「安心しなさい、エルフさん」

「……」

「この馬車の中なら安全は保障しよう、仮に私がやられたとしてもこのお嬢さんは強い、剣の動作を見た私にはわかる、女性でありながら一人で旅をするのは至難だからな、きっと血の滲む鍛錬の成果であろう?」


 彼女の顔が少しだけ赤くなる、本当は違うのではないかという程少女になっていた。

 冷酷な笑みをしていた彼女は錯覚なのではと疑う程だ。


「そう言ってもらえたのは、初めてです」

「なるほど、厳しい訓練だったのだろう……、よく頑張った」


 まるで親戚のおじさんと子供の関係だ。

 自然と帝国兵の手が彼女の頭を撫でていた。


「つい手が、巧みな女剣士殿には無礼だったかな?」

「いえ……、ありがとうございます」


 ヴィクターと目が合うと、スッと戻っていった。

 でも少し恥ずかしいのか目を逸らす。

 しかも距離を取って馬車の後ろに移動してしまった。

 それでいいのか刺客さんと心の中で呟く。


「向こうに行っちゃいましたね」

「あの子はきっと褒められた事がないのだろう……、よくある話さ、求められる力が大きすぎて、期待されすぎて素晴らしい技術を身に着けても、結果を残しても当たり前と言われたり出来て当然と言われる、貴族の子なのかもしれないな」

「どうしてです?」

「奴らは労わる事知らないのさ、競争する事しか頭にない、子供や親でさえ道具、皇帝すら利用しようとする腐った連中だよ」


 嫌われて当然だと、悪態をつく。


「エルフさんも寝るといい、なぁに、失敗しても許してくれるかもしれんぞ?」

「そうだと、いいんですけどね」


 そうして瞼を落とすと同時に、ヴィクターは寝息をたてるのであった。





「起きな、エルフさん」

「……、着きました?」

「ああ」


 帝国兵に起こされ、体を伸ばす。

 外を見れば、馬車の近くに彼女が居た。


「生き残れるかな……」

「前向きにいかなきゃな、良い事も起きないぞ?」

「そう、ですね!」


 帝国兵と握手し、ヴィクターは馬車から降りる。

 なんとなく護衛の犬を撫で、後ろから睨まれている事を誤魔化そうとするがそうもいかないらしい。


「エルフさん」

「おや先程の……、どうかしました?」

「少し着いて来なさい」


 そうきましたかと、少し悩む、出来れば振り切って上層に行きたい。


「出来れば、早めに報告を済ませたいのでその後では駄目ですか?」

「では、歩きながら話しましょう」


 少しだけ冷酷に戻った彼女だが一度崩れた印象は戻せない。

 同時に残忍な刺客として、仕事を理解して動く彼女も知っているヴィクターは最後まで油断はできない。

 他の刺客と合流し、報告で荷を持っているとバレてしまえばおしまいだ。


「実は私、貴方の荷の関係者です」

「申し訳ありません……」

「本当に捨ててきたのですね?」

「はい……」


 兎に角刺客だと気付いている事を悟られない様にしなくてはいけない。


「…………、わかりました、では報告に行って構いません」

「はい……」


 まだ笑ってはいけませんと、自分に鋼の心があると信じてトボトボと上層に向かって歩いていく。

 少し歩いた所で、後ろを振り向けば彼女は姿を消していた。

 思考を切り替える、彼女は巻けても他の刺客が居るはずだと。

 ここで捕まる訳にはいかないと、ヴィクター少しだけ歩く速度を上げる。

 しばらく歩くが、追手らしき人影は無い。

 上層に入り思い切り深呼吸をする、まだ勝負は終わっていない。

 ギルバート邸までの道を思い出し、ヴィクターは人目を無視して走り出した。

 この距離なら、このペースを保てる。

 足が痺れてもいい、息が苦しくても構わない。

 屋敷に入ってしまえば勝ちなのだと。

 通りに居る人は不審そうな顔で見てくるが気にしない。

 なんだか後ろから足音が聞こえるような幻聴がするが知らないと。

 それが徐々に近づいている、だが門は見えている。

 門番は何事だとこちらを見ていた、顔見知りではないが開く言葉知っている。


「ネヴィルです! 助けてください!」


 父の姓に感謝する、これで門番は反応し手招きしてくれた。

 母親の血にも感謝する、エルフの体でなければ体力は無くなっていただろう。

 死に物狂いで門の内側へ飛び込み、なんとか体を止める。

 後ろを振り向けば、黒装束達が居た。

 随分引き連れていたようだ、慌てたせいか装備も整っていない。


「貴様、よくもッ! 騙したな!」


 慌てて黒装束を身に着けて追ってきたのだろう、彼女の息切れた叫び声が聞こえてきた。

 その表情を見てみたいがそんな暇はない。


「すいません、僕の勝ちです!」


 そう言い残して屋敷の中から出てくる兵士達と入れ違いになる様に屋敷へと入った。

 屋敷の中へ入ったヴィクターは、手を大きく突き上げるのだった。


「よっしゃあああああ!」


 こんなに嬉しい気持ちは、初めてだった。

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